異世界の彼
満月の夜は駅前広場にある噴水の淵でコロッケを食べる。
噴水の中にはもちろん……っていうのもあれだけど。
異世界人が居る。
漆黒の短髪。しっかりした体つきの長身。眼帯。殺し屋みたいに目つき悪い……が顔立ちは男前。何せ彼は結婚したい男ランキング2位(神子見習い調べ)だ。
「妥当だな」
「妥……。あなたってさ。モテるんだね。しかも自覚あるんだ」
「あんだけキャーキャーやられりゃ自覚ない方がおかしい」
彼と出会ったのは五年前。
あまりにお腹がすきすぎて家まで我慢できなかった私は、真夜中、コンビニで買ったコロッケ片手に噴水の淵でもぐもぐやっていた。
するとそこに。
男が現れた。
それが異世界人の彼……ではなく、そのとき苦労させられていた妹のストーカ男だった。
何度目だよ。とげんなりしつつ、妹が海外へ行ったことを説明していたら、だんだんと男の口調が荒くなり、あまりの勢いに押されて、噴水に片手を突っ込んだところで。
現れたのがこの眼帯男だった。
『うるせえ。斬るぞ』
男は噴水の向こうから私の手を地球側へ押し戻しつつ、ストーカー男……と私に向かってそう言った。
ストーカ男は、突然噴水の中に現れた男の姿を見て叫び声を上げ走り去った。
私もビビっていたが、ひとまず男のおかげで噴水の中に落ちることなく、かつストーカーを撃退できたので、礼を言い、ついでにことの経緯を説明した。
私は異世界人だが聖女ではない、それなのに近頃そこかしこに異世界への扉が現れて、転移させられそうだと。
一生懸命に説明したのだけれども。
『あっそ』
噴水の向こうでタバコをふかす彼には、これといって興味ないことだったようだ。
『来るなら俺が居ないときを見計らえ』
『行きたくないんですけど』
『じゃあ来るな』
彼との初対面はこんな感じだった。
というか今も。
「ねえじゃあさ。彼女とか居るの?」
「それらしいのは居ない」
「興味ないの?」
「人並みには」
曖昧なことばかり返してくる。
「ねえ。いい加減長い付き合いだし、名前くらい言ってくれてもよくない?」
「知ってんだろ。どっかの誰かから聞いて」
「知ってるけどさ。いやでも、名前すら名乗って貰えないってのがこう……気になるわけよ。こっちも意地があるわけよ」
「俺もある。ここまで言わずにきた意地が」
「くそっ。いつか聞きだしてやる」
「ははっ」
「乾いた笑いやめれっ」
こういう彼と居ると饒舌になる自分が居たりする。
嫌がられれば嫌がれるほど燃えるものがあるというか、なんだかよくわからないんだけど楽しい。
「心の底から楽しくて笑ってる」
「いや。どこがよ。目が笑ってないもの」
「片目だからそう見えるんじゃねーの?」
「いや。関係ないね。一個だろうが二個だろうが同じだね」
「そうかそうか。まいったよ」
まいったとか悪かったとか、彼は話が面倒になるとそう言って、暫し遠くを見る。
そうなると私は空気を読んで、会話をやめるしかない。
今日はここまでかぁ。
と少しがっかりするけれど、その時間はたっぷり彼のことを観察できる。
静かな夜、水面に揺らめく彼の姿は、素晴らしく異世界感がある。黒衣。眼帯。そして月夜。最高のマッチングだ。
タバコの煙が、ゆらゆら月に吸い込まれ。闇に浮かぶ彼の横顔は美しく、息を吸うのも忘れてしまいそう……。
「だはっ……」
私は深く息を吸い込んだ。
彼の片目がゆっくりと私のことを捉え、細く鋭くなる。
私は、心臓を掴まれたような、切羽詰まった気持ちになって、速攻彼から目をそらした。
ぎゅっと胸元を掴んで、気付かれないように深呼吸をする。
すると、珍しく彼の方から。
「姉と妹はけなげに待ってても帰ってこないぞ」
なんて話題をふってきた。なんて話題。なんて。
「……は?」
「借金返して、妹の男撃退して、お前にとって無意味だろそれ」
「いや私別に待ってるとかじゃ。人としてきちんとしようとしてるんだから無意味じゃないし。寂しいっちゃ寂しいけども、あの二人のことは別に……」
「お前が素直になるなら、名前でも何でも教えてやるよ」
「はぁ?」
この男。こうなのだ。
人の痛いところを見抜いて、ときどき突き刺してくる。あんなに気だるそうなのに、意外と人を見てるし話も聞いてる。
ふと弱気になった瞬間、ものすごく意味ありげな瞳を向けてきたりもする。
意味ありげっていうのはまぁ、ただ単に魅力的ってことで。
たぶん彼の方が年下だろうに、なぜ私より色気があるのだろう。腹立つ。
「じゃあ教えていらない」
「っはは。上等」
馬鹿にしたように笑う彼。
やっぱり腹が立つ。それなのに……。
好きなんだこれが。
理屈ではなく。私は、数年前から異世界人である、名前すら教えてくれない彼のことを好きになってしまった。
彼の方は確実に私のことなんて何とも思ってない。直接会うことすら出来ないけれど、どうにも、ずるずる片想いを続けている。
無理だ。無理。耐えられない。この歳で調子に乗って転移したあげく、振られるくらいなら会えない方がマシ。
絶対異世界へなんて行きませんとも。絶対に。