後編 今度は自分の意志で
椿にバレた。
何がって雪奈と氷奈とスケートリンクへ行った事が。
いや、やましい気持ちは一つもなかったからバレたという言い方はおかしい。
「何か言い訳はあるかしら?」
しかし目の前の女王様にそんな言い訳は通用しない。
激おこである。
「な、ない。……デートじゃねぇし」
「凌大にその気はなくても、向こうはそうじゃないわよ」
「えっ」
「いい年した兄妹が一緒にスケートなんかすると思う?」
「ぅ……。ない、か」
ビンタも覚悟していれば、椿が俺の頬にそっと触れてきた。
「家族の親睦の邪魔をしたくはないけれど、あまりデートっぽい場所へは行かないで欲しいわ」
「……ごめん」
「反省した?」
「ああ」
「ならこの後はうちでお家デートする事で許してあげましょう」
「地獄の沙汰だ!」
椿の家へ行けばもれなく親父さんが激怒する。小豆を全力でぶつけられるのだ。
「外だとまた司が出没するかもしれないし、のんびりできないじゃない」
「妖怪かあいつは……」
しかし実際にスケートリンクで出会った以上、否定しづらい。
「いいわね?」
「……はい」
* * *
『立花堂』。
デカデカと達筆な書体で立派な木製看板にそう書かれた和菓子屋。
それが椿の家である。
創業はかなり昔であるものの古臭いなんて印象は一切なく、老舗らしい風格と気品を兼ね備えた建物だ。
お正月に向けてか、この時期は店内がいつもに増して賑わっている。
椿が普段生活しているのは、この店の裏にある一軒家。
武家屋敷か! と叫びたくなるような瓦葺きの和風家屋で、敷地面積も相当広い。
「おじさんはこの時間だと店か?」
現在、時刻十一時半。
お昼休憩に入るにはまだ時間があるだろう。
「そうね。鬼の居ぬ間に入るといいわ」
「鬼って言っちゃってんじゃねぇか……」
「誰が鬼だ小童」
しかし噂をすれば何とやら。
玄関前に仁王像もとい椿の親父さんがザルを片手に待ち構えていた。
うん、あの中には間違いなく小豆が入っている。
「なんで凌大が来るって分かったのかしら?」
俺が聞きてぇよ!
「お、おじさん。こんにちは」
「性懲りもなくうちの敷居を跨ぎおって……。うちの椿はやらんと何度言ったら分かる! 帰れ!」
そうして始まる小豆投げ。もう全力だ。
「ちょ、やめ! 商品でしょ!? 大事にしてくださいよ!」
「黙れ小童! 小豆はワシの魂。それすらも削り排除する覚悟だというのが分からんのか!」
そんな壮絶な話だったのか!?
「大体なんだその耳飾りは! チャラチャラしおって!」
「ピアスね。いいじゃない。似合ってるし」
「椿ちゃん!? パパよりこんな小童の味方するの!?」
いや、パパって。
おじさんの豹変ぶりが何より酷い……。
「ええ。お父さん、今まで育ててくれてありがとう」
「それは嫁に行く時のセリフだろ!?」
「あと二年あったわね。早く再来年の夏にならないかしら」
俺の誕生日。めでたく十八歳で入籍できるよ。
「……二年以内に小童を殺す」
ドスを効かせた殺人予告で手の中の小豆を握り潰すおじさん。
出会ってきたどんな不良よりも危険。
「貴方ったら、いい加減に諦めなさいな」
しかし本気になった中年を諫めたのは、着物姿でしゃなりしゃなりと歩いて来る美人だった。
結い上げたうなじが色っぽいと評判らしい、立花堂の看板女将――椿の母親だ。
「おばさん。こんにちは……」
「凌大くんたら、梓さんかお義母さんと呼んでっていつも言ってるじゃない!」
中身はこんな人です。
「……すんません、梓さん」
「あらやだ。まだそっちで呼ぶの? 残念。二年先が待ち遠しいわぁ」
ふぅ、と溜息を吐く梓さん。もう確定事項になってる……。
「梓。椿ちゃんは誰にもやらん」
「もう、貴方も往生際が悪いわね。若い二人の邪魔をするなんて野暮じゃない」
「そうよ。お母さん、邪魔だからお父さんを連れて行って」
「椿ちゃん!?」
「任せなさいな。今度は私が接客中に逃げ出せないよう縛っておくから、安心してちょうだい」
安心要素が一つもねぇ!
「任せたわ」
「任せちゃダメだろ!?」
「いいのよ、凌大くん。ゆっくりしていってね」
「コラ、梓! 放さんか!」
笑顔の梓さんがおじさんを店の方へと引き摺って行く。意外と恐妻家です。
「これで邪魔者はいなくなったわね。寒いし中に入りましょう」
「言い方……。その前に小豆を拾わねぇと」
玄関先にはバラ撒かれた小豆の数々。食べ物をこのままにはしておけない。
「後でお父さんにやらせればいいじゃない。自業自得よ」
「まぁそうだけど、俺が拾っておくから中に入っててくれ」
「じゃあ一緒に――」
「椿は暖房付けて部屋を暖めておいてくれないか?」
「…………、分かったわ。お昼ご飯も用意しておくから」
俺の真意が伝わったのか、椿は不満を残しつつも頷くと近寄ってくる。
何だ? と思っていれば頬に触れる柔らかな感触。
「早く来ないと承知しないわよ」
すぐに離れた椿はそのまま家の中へと消えて行った。
「は……はぁああ!?」
き、キスした!? なんでいきなり!?
「……あいつのスイッチが分からねぇ……」
取り残された俺の顔は、きっと小豆と同じ色だったに違いない。
* * *
ドギマギしながらなんとか拾い終え、挙動不審気味に昼食も終えた。
しかし和室に用意されていたものを見た瞬間、気分が一新した。
「こたつ……!」
「本当に好きね、炬燵が」
「日本の風物詩だろ!」
残念ながら我妻家にはこたつがない。
全部屋エアコン完備な上リビングには暖炉もあるので寒くはないが、俺的に冬は断然こたつ派なのである。
吾妻家に引っ越す前までは家にあったんだよなぁ。
「入ってもいいか?」
「どうぞ」
「やった! お邪魔します」
意気揚々とこたつ布団を捲り足を突っ込むと、すでにスイッチを入れてくれていたのかじんわりとした温かさに包まれていく。
「あー……。これだよこれ」
「年寄り臭いわね」
「何とでも言ってくれ……。って、ん? 何か中に入って――」
「ニャーン」
確認する前にこたつ布団から顔を出したのは、真っ白いモフモフ。
立花家で飼われている雑種の猫だ。その名も大福。
いくら和菓子屋だからってその名前はどうなんだと毎度思う。メスだぞ……。
「いたのか、大福。俺も入れさせてくれるか?」
大福はズボッとこたつの中に隠れると、俺の膝に乗り再度顔を出した。
目が合っても猫パンチをするでもなく、胸元にすり寄ってくる。
……ここは天国か?
「主人の私を差し置いて凌大とイチャつくとは、言い度胸ね大福」
「ニャッ!?」
「おわっ」
椿の怒りオーラに負け、大福はこたつから飛び出すと一目散に逃げてしまった。
「俺の癒しが! 猫に当たるなよ……」
「そこは私の席だもの」
「え?」
指定席でもあるのかと思ったら、椿が強引に俺とこたつの間に割り込んでくる。
そのまま背を向けて座り、俺に凭れ掛かってきた。人間座椅子の完成。
「ちょ、おい!?」
「大福はよくて私は駄目なのかしら?」
「そ、そういう問題じゃない」
「変な気を起こしてもいいわよ」
「はぁ!?」
何を言ってるんだコイツは!
「ふっ、心臓の音が凄い」
「お前な……。マジで襲うぞ」
「大歓迎だけれど、ここではムードが無いわね。私の部屋に――」
「行かねぇよ!? ……大人しく座ってろ」
椿の腹に手を回し、抱え込むように阻止する。
ダメだ、折角のこたつなのに全然落ち着かねぇ。
「大事にされているのね、私」
「……」
「ありがとう。大好きよ」
「…………俺もだ」
その言葉に無言を貫くのは男らしくないと思い応えれば、ガタンと襖が揺れる音がした。
「誰だ――って、梓さん!?」
「尊い……」
いつの間にか少し開いていた隙間から崩れ落ちるように現れたのは、椿の母である梓さんだった。
「ま、まさか……聞いてたんすか?」
「ごめんなさいね。部屋の前の廊下を通りがかったら声が聞こえて……つい?」
マ ジ か よ。
「酷いです、梓さん……」
「お義母さんと呼んでちょうだい」
「選択肢が無くなった!?」
羞恥心で悶絶している間に名前呼び不可になった。なぜだ。
「椿。絶対に離しちゃ駄目よ」
「分かっているわ」
「でもお父さんが邪魔よね。……そうだわ。二年後までに私のポケットマネーで新居を建てておきましょう。そこで存分にイチャイチャすればいいわよ!」
「いやいやいや、梓さん!?」
「お義母さんからの新婚祝いよ。遠慮することはないわ?」
暴走が過ぎる。
「はいそうですか、って貰える訳ないじゃないですか……」
「あらやだ。凌大くんはマンション派だったかしら」
「そこじゃねぇ!」
このままでは直純さんの時の二の舞。その前に止める!
「あの、本気でやめてください。お願いします」
「!! そう……。俺の城は己で建てるってことね?」
「……は?」
「よく言ったわ、凌大くん! さすが娘の見込んだ男の子! こうしちゃいられないわ。立花家の安泰を祝してお赤飯を炊かなくちゃ!」
「ちょ、待っ!」
「夕飯までのんびりしててー」
ご機嫌な梓さんは鼻歌交じりに部屋を去る。ええー……。
今日はどのみち赤飯だろ……。おじさんが小豆投げたから。
「どんどん逃げられなくなっていくわね」
「……これじゃ仕方なく一緒になるみたいじゃねぇか」
「え、」
今回は流されて決めるべき事じゃないのだ。
そんなのはあり得ない。
だからちゃんと伝えなければ。
「まだ先の話だけど……外堀を埋められたからじゃなく、自分の意志で椿との事は真剣に考えてるから」
真面目に告げれば椿は大きな目を見開いたまま、固まってしまう。
な、なんか言葉ミスったか……?
「椿ぅおっ!」
心配になり顔を近付けた途端、思いっきり抱き着かれた。
「嬉しい……」
ただそれだけを答えに、ぎゅっと密着度が強くなる。
俺も嬉しくなり自然と頬が緩んでいくのが止まらない。
「凌大」
「ん?」
「今度こそ部屋に行く流れじゃないかしら」
「行かねぇっつただろ!? まだ付き合って二日目だぞ!?」
「司なんて出会って五分でヤ――」
「あいつは規格外モンスターだ」
比較対象ではない。
「まあいいわ。今日のところは幸せ気分に浸っておきましょう」
珍しく穏やかに笑うと、椿は俺の隣に寄り添うように座る。
そのまま肩に凭れ掛かってきて静かに目を閉じた。
俺は何十年経ってもこうしていられたらいいなと思いながら、しばらく二人で温もりを分かち合い続けた。
以上で完結です。
読んでくださってありがとうございました!