中編 温まったり冷えたり忙しい
神出鬼没な悪友は、後ろにデカい男を連れていた。見覚えのある迫力美形を。
「げっ、繋兄!」
「げ、とはなんだ。血を抜くぞ」
常識人にはあり得ない返し方をしてきた男は、顔の造形も常識外な司の兄。
一分の狂いもなく黄金比率で完璧なパーツのみを全身に配置したような男だ。
ただし性格を除く。
「……無理。あんなの勝てねぇ」
「さよならッ!」
繋兄の容姿に恐れをなしたのか、二人組は物凄い勢いで逃げ出して行く。
あっという間に豆粒程度になった。
「何やのアレ?」
「ナンパ野郎。なに、デート中?」
「兄さんを見て諦めよったか……。アホ言いなや。家関係の挨拶回りの帰りにモールへ買い物しに来ただけや。そっちこそ浮気かいな」
「家族の親睦。もはや顔面凶器だもんな」
「……何だと小僧?」
「いだだだだ!」
俺たちの会話を聞き逃さなかった繋兄が、ギリギリと俺の頭を鷲掴み締め上げてくる。
外科医にあってはならぬ所業! マジで痛い!
小僧の戯れ言ぐらい笑って受け流してくれ!
「公坂くんのお兄さんなんですか?」
異常事態をぽやっと静観していた氷奈が復活して、繋兄に話を振る。
繋兄を見ても赤面一つしない女子なんて椿以来だ。
まぁ、椿は小さい頃から見慣れてるせいもあるんだろうけど。
……よく俺を選んでくれたな。こんな規格外が身近にいたのに。
「ああ。初めまして。君は?」
「初めまして、凌ちゃんの義妹です。こっちの氷奈とそっくりな子も」
「ど、どうも」
雪奈の袖を掴んで挨拶する氷奈に、雪奈もつられて挨拶する。
雪奈も特別様子が変わらない。
おかしいな。アラサーとはいえ、二十代前半にしか見えない色男だぞ?
黙っていればパリコレモデルも真っ青なぐらいなのに。黙っていれば。
その証拠に性格を知らない周りの女性たちが、こぞって繋兄に釘付けになっている。隣に彼氏や旦那がいる人もだ。
この後の修羅場が心配。
「なるほど、凌大の。このアホが迷惑を掛けてはいないか?」
「おい、繋兄。人を指差すな。こめかみに刺さってる。ゴッドハンドとか言われてんだろ大事にしろよ」
こんな変人でも若き天才外科医と持て囃されているのだ。
指は大切にして欲しい。
「安心しろ。貴様の空っぽな頭に屈するほど柔な肉体ではない」
「司。ちょっと代理で殴らせてくれ」
「なんでや!?」
「外科医に手は出せないだろ! 患者の未来が懸かってるんだぞ!」
「僕かて将来は外科医やで!?」
そうだった。ちくしょう!
よくそんなんで不良やってたなと思うが、司は蹴り技メインだった。
しかもほとんど自分は手を出さない。まさに参謀。
「凌ちゃん、お兄さんとも仲良いんですね……? ちょっとジェラシーです」
良いのかこれは。遊ばれてるの間違いじゃないのか。
「えっと、公坂くんのお兄さん」
「何だ」
貴様に兄と呼ばれる覚えはないとか言い出したらどうしようかと思ったが、そんな事はないようだった。
過去に何度もあったからな……。犠牲者は大体、司の周りにいた女子。
俺も初っ端は言われた。
「凌ちゃんは頼もしい限りですよ? ね、雪ちゃん」
「え!? ……ま、まぁそうね」
さっきの転倒防止効果か、雪奈もすんなり肯定してくれて驚く。
「二人とも……」
「へぇー。やるやん、凌大くん」
ニヤニヤしながら肘打ちすんのやめろ。
「椿ちゃんが聞いたら殺されそうやけど」
もっとやめろ!
「そうか。今後も凌大を頼む」
「繋兄がマトモな事言った、だと……? 偽物? 偽物かこの人?」
「よし小僧、この後うちに来い。脳の改良手術を施してやる。麻酔なしでな」
「本物だった!」
このドSさこそ本物の証。
「せやったら双子ちゃんは僕が預かるわー」
「一番油断ならない奴がここにいた!」
「愚弟。貴様もだ」
「なんやて!?」
「いつまでも女の間をフラフラと。蜜蜂気取りか? ほら、ブンブン言ってみろ」
「実の弟に向かって酷い!」
「お前のお守りを任される俺の方がよほど酷いだろうが」
真顔で答える繋兄。辛辣。
「な、仲良くしましょう! というか、凌ちゃんを手術されたら困ります! 氷奈たちの大事な人なので!」
「こ、このままで充分よ」
俺を背に庇うようにして繋兄に抗議する氷奈と雪奈。
まさかそんな事を言われると思わなくて、俺は泣きそうなぐらい感動した。
繋兄に抉られた心の傷に染みる。
「……ありがとな」
ポンポンと二人の頭を撫でると、氷奈は「えへへ」と笑い、雪奈はツンと顔を反らす。
その顔は二人とも少し赤い。あれ、なぜここで赤くなる。
「そういう事か。邪魔をしてしまったようだな」
「繋兄? 何がそういう事?」
「俺は椿ちゃんの味方やけど、凌大くんは一ぺんリンクに頭ぶつけた方がええで」
「同意見だ。補償はしてやる。存分に頭突きしろ」
「やだよ、大事故だろ!」
いくら俺でも頭の方が割れる。
「ならば搾りカス程度の脳みそをどうにかして搾りよく考えろ」
「何も出ねぇ上に酷い……」
「行くぞ愚弟」
「無視か!」
「はいよ。ほなまたな、凌大くん。双子ちゃんもー」
颯爽と帰って行く美形兄弟。
直後に女性陣に捉まっていた。
無視して突き進む繋兄と引き摺られていく司。相変わらずだな……。
「……俺らもリンクから出る?」
「でも凌ちゃんと触れ合えるチャンスが!」
俺は動物か!?
ここは特設リンクであって、特設動物ふれあいコーナーではない。
「あまり長居すると風邪引かないか?」
「あぅ……。そうですね」
「確かに手足が冷えてきたわ」
「! じゃあ凌ちゃん、風邪を引かないように手を繋いでくれます?」
「は!?」
「氷奈!?」
いや、リンクの外で手を繋ぐのはおかしいだろ……。浮気に抵触する。
「だって雪ちゃんだけ繋いでズルいよー」
「い、一瞬だったじゃない!」
なるほど、そういう理屈か。
姉妹でも公平性は重視されるらしい。兄弟ゲンカの原因ってイメージしかなかったけど。
でも俺の手に対する機会均等法いる……?
「じゃあ、ゲートまでならいいですか? それもダメです?」
遠い方の退場ゲートを指差し、うるうると見上げてくる氷奈。
「いやでも、氷奈は滑れるし……」
「凌ちゃんは雪ちゃんの方が好きなんだ……」
「さあ手を出すんだ氷奈!」
あらぬ誤解を生みそうだったので了承すれば、氷奈の大きな瞳がキラキラと輝いた。
「やった! さすが凌ちゃん!」
「おわっ」
急に勢い良く腕に飛びつかれ、危うくバランスを崩しそうになる。
マジでリンクに頭突きするとこだった危ねぇ……。
「お、置いて行かれたら困るから、凌大手貸して」
冷や汗をかいていると雪奈が手を伸ばしてくる。
「……了解」
転んで強打する恐怖に直面した俺は、抵抗せずなすがまま。
命を最優先する事にした。
結局、左腕に氷奈を、右手に雪奈をエスコートした状態でゲートへ向かう。
スケート靴を返却する際、係のお兄さんに「きみ何者……?」と戦慄された。
ただの義兄です。