第1話
ーー時は平安。その名の通り、人々は刀を捨て和歌を詠み安穏と暮らしていた。
ただ、それは太陽の昇っている間に限った話である。
黄昏どきを境に、都は悪鬼羅刹が蔓延る、史上かつてないほど危険な場所と化していた。
アヤカシたちは、人々を襲いその血肉を喰らい、恐れの感情を吸って生きていた。
そんなアヤカシたちから人々を守るべく生まれたのが『陰陽師』である。
朝廷は、陰陽師を列記とした役職として盛り立て、旧くは『退治屋』や『拝み屋』のような見鬼の才を持つ者達をそこに取り込み、妖怪を退治することによって民衆の支持を集めていた。
「ーーーーでは、この御札を壁に貼るように」
「ありがとうございます、姫様」
あまり綺麗とは言えない着物を着た老夫婦が、戸口に立つ1人の少女に手を合わせてぺこぺこ頭を下げている。
手渡した御札は退魔の札である。タチの悪いアヤカシが、老夫婦の家に夜な夜なやって来てはおどろおどろしい声で夫婦を驚かしていくのだ。
その老夫婦に、少女はなんでもないという風にひらひらと手を振り去っていった。
老夫婦は少女が背を向けてからもずっと頭を下げている。
「あっ!姫様だ!」
「姫様ー!」
少女が路地をすたすたと歩いていると、何人もの子供達が駆け寄ってきた。
「おや、お前達。ちゃんと家の事はやったのかい」
ニッコリ笑った少女はかがんで子供達の頭を撫でる。
「やったよー!」
「あのね、姫様の御札のおかげで夜すっごく静かになったんだよ!」
「お父とお母が、姫様に『ありがとう』って!」
「そうかい、そりゃよかった」
人々から姫様と呼ばれているその少女の名は馨。有名な陰陽師の一門、松月家の姫君である。
普通、姫君といえば屋敷の中で和歌を詠んだり、宮中に仕えたりするものなのだが、彼女の場合だと少し事情が変わってくる。
彼女は見鬼の才を持って生まれた数少ない人物なのだ。今まで、見鬼の才を持って生まれるのは男だけだったのだが、そんな中で松月家に異端とも言える子供が生まれる。
馨と書いてかおると名付けられたその赤子は、女でありながらアヤカシをみる事ができる見鬼の力を生まれながらに持っていた。男にしか与えられない見鬼の力を持った女の子供が生まれたという事で都に馨の事はすぐに広まった。
陰陽師になるためのたったひとつの条件、それが見鬼の才を持つか否かという事ーーー馨は陰陽師になる素質を持った初めての女の子だったのだ。
当然、当時の風潮から女子はこういった朝廷の役職につく事はない。だが都は今、いつになく荒れていた。流行病でたくさんの人が死に、天皇も病に伏せっている。
松月家の異端の子は、民草の希望として都の人々にすぐに広まった。
未だかつてないほどアヤカシ達が活発化しており、陰陽師の数が足りなくなっているこんにちでは、陰陽師に退治を依頼するための謝礼を払うことが出来ない貧しい民にとって、無償で人々の助けとなってくれる馨の存在はありがたいものだった。
だがしかし当時の松月家には結婚していない女子はかおるだけだったのだ。当然、馨は有力な陰陽師の一門へ嫁ぎ、一門同士の結びつきを強くするという役目もある。
見鬼の力があるなら尚のこと、彼女の子供は強力な陰陽師になること間違い無しだろう。
親族は悩んだものの、最終的には姫でありながら巫女としても都の平安を保つ手助けをさせるという事で落ち着いた。
生まれた時から自分の運命を決められていた馨姫ではあったが彼女の性格は自由奔放そのものだった。
「では私はそもそろ屋敷に帰るよ。お前達も、早くお帰り」
「はーい!」
夕暮れ時から路地は一気に暗くなる。馨は子供達を家に帰すと自分も帰路に着いた。
彼女にとって、この生活に不満はない。たまに分家の連中が、はるか昔に決めたことを蒸し返して女のくせにはしたないなどと言ってくる輩が居るが、ぴーちくぱーちく、鳴きたい奴には鳴かせておけばいいのである。
自分は陰陽師にはなれないが、だからこそしがらみにとらわれずに民衆の助けになれることがこの上なく嬉しかった。
過去編です。よろしくお願いします!
本編では馨の名前に便宜的に姫とつけていましたが、過去編には本編主人公である馨は登場しませんので姫を付けずに馨と表記します。
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