第22話
そう言うと御前様は深くため息をついた。御簾越しからでも重々しい雰囲気が伝わってくる。
この部屋に今私と玉藻御前様しかいないから余計に。
「あの天狐が真に欲しているのはそなたではなく、そなたの前世であった姫君じゃ」
「玉藻御前様、それは」
「よく聞くがよい。これは、人間界では平安時代と言ったか…その頃の話じゃ」
先ほどの雰囲気を払拭するように御前様は御簾の向こうで凜とした態度で話を続けた。
「まだあやつも天狐になったばかりの頃であった。その時は今のような神社には居らず、時たま人間界に降りては天災を予言し人々を助けておった。
そんな時あやつは1人の巫女と出会った。名はかおると言うたな。字はそなたと同じ字で馨と書いていた。顔も雰囲気もそなたはよく似ている…。
生まれ変わりとは不思議な物じゃ。同じ魂に同じ字が付けられるとは……。」
「それって、その巫女が私の前世……?」
「如何にも。あの巫女とそなたは同じ魂を持っておるのがよう見えるわ…。」
どういうこと…?私の前世?いきなり何を言うんだろう?
昴は、私の前世とも知り合いだった?そもそも前世?どうして?どうして昴は、このことを教えてくれなかったの?
「あやつは、初めは自分にいつもちょっかいを出す巫女に辟易していたが徐々に心を開いていった。
元より化け狐は他の怪に比べ人と交わる輩が多い種族ゆえ誰もあやつらの関係の是非を問う者はなかった。巫女には並外れた神通力もあったゆえ。だが、我々が平気でも向こうはそうは行かなかったのじゃ」
「…姫君だったから?」
「愛い奴、馨よ。嗚呼、人間界に捨て置くには勿体無い。そうじゃ、如何にも。馨という巫女は巫女である前に姫君であったのじゃ。
そなたの考えている事は当たっておる。ほんに賢い娘よ。馨姫はそなたの前世を生きた者、そなたと同じ魂を持つ者。
馨姫はあやつとの仲を人間に知られてはならなかった。人間にとって姿の見えない化生のモノこそ最も恐るる存在、つまり我らじゃ。人間どもめ、姫は狐に化かされているのだと勘違いした。あれが何を言うても、もう誰も何も聞かなかった。寧ろ狐憑きと恐れ、馨姫を地下牢に閉じ込めたのじゃ」
「そんな…」
「無論あの天狐は怒り狂った。怒りの余りに人間界を襲おうとも考えたそうな。だがそれを、他ならぬ馨姫に止められたのじゃ。あれは、人間界は陰陽師が式神を使い化け狐を次々と狩っている事を我らに伝えた後に、地下牢で死んだ」
冷たい響きが私の背中をすうっと伝った。
それじゃあ昴は、ずっと馨姫が好きで、今まで、ずっと私を通して馨姫を見ていたのーーー?
「その後、馨姫の兄が、妹とあの天狐の為に、自宅の隣に稲荷神社を建立したのじゃ。馨よ、そなたの一族はその兄の末裔、そなたは生まれ変わり、よ。」
「玉藻御前様、それで、馨姫が死んだ後、昴はどうなったのですか?」
「…すばる?あの天狐の名か?」
「……は、はい」
私が恐る恐る返事をすると、玉藻御前様は、ここで初めて不審そうな様子を見せた。見せたといっても、御簾越しだから想像にしかすぎないのだけど。
「すまない。すばるという名は、馨姫に付けられた名だと聞いていたのじゃ。同時にあれ以外に呼ばせなかった名であるとも、あれが死んでからはその名を封印したとも」
「え、」
おかしいよ。おかしい。だって、昴って名前は私が初めて昴に会った時につけた名前のはずなのに、それが違う?私がつけた名前じゃなかったの?
「あやつは、そなたには誠の名を教えていたのだな」
違います。玉藻御前様、違うんです。その名前は、今の昴の昴って名前は、私がつけた名前なんです。
そう言いたかったのに、喉はぴったり張り付いてしまったみたいに乾いた音しか出なかった。
ーー私は、私の意志で、あの天狐に昴と名付けたはずーー
でも、私にはあれが私の意志だったのか、前世の思いの残滓だったのかわからなかった。
「そなたは賢い。ゆえに哀れじゃ。全てを知らねば幸せだったやもしれぬ」
玉藻御前様の言う通りだと思った。
こんな事実なら知りたくなかった。後悔してももう遅い。何を信じたらいいのか解らない。
私は、昴にとってただの写し身だったなんて。
2019/10/21 転載及び加筆修正