第19話
時は少し遡る。昴が馨の家を離れ、馨が彼を探しに出掛けたその日まで。
馨を家に返した猫又は、その後すぐに天狐を探した。
夜は自分の時間、猫である自分に暗闇は関係ないのだ。
「…馨が気配で解らないという事なら天狐殿は結界の中に入ったか」
猫又は変化を解くと猫の姿に戻り一目散に夜の町を駆け出した。
「…ここにもいないか」
昴の居そうな場所を虱潰しに当たった猫又だったが、そのどこにも昴は居ない。最後の最後にやってきた、馨の家の神社にも昴はおらず猫又はがっくりうなだれた。
「そもそも天狐殿には馨がわからんほどの結界を張る力はないはず。となれば天狐殿より上位の方がいらっしゃるのか…?」
だがしかしこの町で昴より上位のアヤカシは居ない。アヤカシというか、そもそも昴は半分神格を持っているので、昴より上位のものとなると、最早アヤカシには存在しないのだ。
「あるとすれば…宇迦之御魂神様がいらしてるのか?」
昴は、宇迦之御魂神の眷属にあたるのでその神が本気で彼を隠そうと思えば隠すことは可能だ。
そしてその昴が神の結界に隠れるなら、昴の神社に居る可能性が高い。
そう考えた猫又は、アヤカシの身ならば普段なら入ることも考えたくない神社の鳥居を恐る恐るくぐった。
「お前誰だ!」
「誰だ!」
「曲者だ!」
「曲者ー!」
鳥居をくぐって森の方へ歩いていると、稲荷神社の狐である御先稲荷に出会った。数匹に群れている御先稲荷は猫又を見つけ代わる代わる甲高い声で騒ぎ出した。
一瞬呆気にとられた猫又だったが咳払いをひとつして口を開いた。
「静粛に!私はこの度松月馨殿の命によりぬしらの主、天狐殿を探しに参った猫又である。天狐殿の居場所を教えてはいただけないだろうか」
その言葉を聞いて御先稲荷の警戒色が消えた。途端にきゃあきゃあ騒ぎ出す。
ああ、これがあるからここの鳥居はくぐりたくなかったのだ。
「馨様!」
「馨様のお使いだって!」
「馨様元気?」
「天狐殿に会えばいずれ元気になるだろう。状況を説明したい。天狐殿に会わせてくれ」
ズキズキ痛むこめかみをおさえて、猫又は努めて冷静に尋ねる。
「わかった!」
「こっちだよ!」
「天狐様こっち!」
「猫又はやく!」
はやくはやくと急かされ猫又は辺りを警戒しながら御先稲荷の後に続いた。
「ここだよ」
「天狐様、ここにいるよ」
「これは…」
結界を目の前にした猫又は言葉を失った。結界があまりにも巨大で強力なのである。
結界の中は、まるで人の世の平安時代の建物を模したような寝殿造の屋敷があり、入口の階段のところで御先稲荷がぴょんぴょん飛び跳ねている。
猫又にはこの結界に覚えがあった。
「これは…!宇迦之御魂神様ではなく、玉藻御前殿か…!」
「そうだよ!」
「玉藻さまだよ!」
玉藻御前ーー以前、馨姫が牢死した頃から既に大妖怪として存在していた齢三千年を超える妖狐の最上位種、大神狐である。
昴は宇迦之御魂神の祀られている神社つきの天狐であるが、玉藻御前との縁が切れたわけではないので、今回このようなことになっているのだろう。
「玉藻さま!玉藻さま!」
「天狐様!」
猫又を結界の中に入れると、御先稲荷のうち2匹が駆けていった。
「…何ぞ子猫が一匹、迷い込んでおるようじゃのう」
結界を入ってすぐ見えた御簾の向こう側から聞こえた声に猫又は思わず全身の毛が逆立つのがわかった。
姿が見えていないのに、玉藻御前の霊力が強すぎるせいで本能が猫又の足を止めるのだ。1歩進むごとに玉藻御前の霊力が突き刺さる。そんな猫又にようやく助け舟が出る。
「玉藻様、多分私の客です」
それは間違いなく、昴の声だった。猫又はホッとした様子で御簾の向こう側に声をかける。
「天狐殿…?」
「猫又だろう?どうしたの?」
「けっ…馨に頼まれて…」
「馨に?」
「けい、とな」
「人の子です、玉藻様。…少し、猫又と話してきます」
「好きにするがよい」
その声を最後に玉藻御前の気配が消え、猫又は安堵の息をついた。
「いきなり居なくなるとは何事だ、天狐殿」
「え?」
昴が顔を出すなり猫又はいつもの調子を取り戻し、昴に詰め寄った。
「馨が心配して家を飛び出したんだぞ!」
「馨が?」
猫又が語気を強めて言えば昴は驚いたように目を丸くし、嬉しそうに少しだけはにかんだ。
それを見て猫又は余計に腹を立てた。
「なんで勝手に居なくなったりしたんだ」
「…馨があんまり動揺してたから、しばらくそっとしておいた方がいいと思ったんだ。それでちょっと散歩してたら神社のそばでたまたまこっちの方に遊びにきてた玉藻様に会って…」
「今に至る、というわけか」
「うん。正直、そんなに時間が経ってるとは思わなかったんだ」
「人の世と玉藻御前殿の結界の中とは時間の流れが違うのだぞ、馨のあんなに心配した顔は初めて見た」
「すまない、迷惑をかけたね」
「謝るなら直接あの子に謝れ」
「それは出来ない。私はこれからお嫁さんを探しにいかないといけないから」
「……は?」
猫又は我が耳を疑った。馨が居るのに今更何を言っているんだ。
「私は気付いたんだよ。馨には人間の世界で生きるのが一番いいんだ」
「何を根拠に…」
「玉藻様にも言われた。私のわがままで彼女を人間界から引き離すのはよくない」
昴は感情の読めない瞳で淡々とそう口にした。
2019/10/21 転載及び加筆修正