第12話
かおるを亡くしてから人間界との接触を断った天狐は、それ以来何百年と神社に留まっていた。
もう人間とは話すまい。
神社に留まると決めた時、己のせいで誰かが傷付く事を悲しんだ天狐はそう誓った。ところがその誓いは千年余りの時を経て破られる事になる。
「ねえ、あなただあれ?」
まだ年端もいかない少女はこちらを見て確かにそう言った。
今の自分は神社つきの天狐で、人間には姿が見えないように神通力で姿を消していたはずである。
「きいてる?あ、もしかして、わたしのこえがきこえないのかな」
「…私に話しかけているのかい?」
「!…そうだよ!」
間違いない。この少女には自分が見えている。その証拠に返事をしたら少女は嬉しそうににこにこ笑った。
「私が見えるのかい?」
「うん。きつねさん」
「そうだね。………ん?」
「どうしたの?」
その時天狐の全身が強張った気がした。今姿を消しているはずなのに自分をはっきり見えている、この少女の面影は、
「君、は…名前は…なんていうんだい?」
「けいです。まつづきけいです」
「松月…けい?どんな字を…?」
「えっとね、むずかしいかんじで、かぐわしいってよむ『馨』ってかくんだって」
今度こそ天狐は頭が真っ白になった。
何を隠そう、松月とはその昔天狐の友人であった巫女、かおるの姓なのだ。
そして、この少女のけいという名前、漢字の馨という字は、かおるの名前に振られる漢字と同じだったのである。
間違いない。この馨という少女はかおる姫ーー馨姫の生まれ変わりなのだ。
「馨…?」
「うん」
「見えるのは…私だけ?」
「ちがうよ。いぬがみでしょ、ねこまたでしょ、つくもがみでしょ、ぎゅうきとあとは…」
「ありがとう。もういいよ」
馨が挙げたアヤカシ達はいずれも並みの人間に見えるアヤカシ達ではない。馨姫の神通力の強さは、生まれ変わり時代と体が変わっても少しも変わらないようだった。
「ねえ、きつねさんって、なまえあるの?」
「私…?」
天狐には馨姫につけてもらった唯一無二の大事な名前があった。しかし、その名に込められた言霊は、もう馨姫以外にはわからない。彼女にしか呼べない名なのだ。いくら生まれ変わりといえどもそれはできない。天狐はゆっくりと首を振った。
「ないよ」
「それじゃあわたしがつけてもいい?」
「え、ああ…別に構わないけど」
いくら天狐でも子供の遊びを断る真似はしない。基本的に天狐は人間が好きなのである。
「そういえばきつねさんってなんなの?」
「ええと…この神社に住んでる狐さんだよ」
「わかった」
そう言うと馨はうーんと唸り始めた。
しばらくしてようやくいい名前が浮かんだらしい。
「すばる!」
時が、止まったように思えた。
「………今、何て?」
「すばる!わたしのすきなほしなの!かんじでかくと『昴』ってかくんだって、ママにおしえてもらったよ。
それでね、すばるっていうほしは、むつらぼしってもいうんだって!」
「むつらぼし…六連星のことだね」
「うん!それで、きつねさんはえらいきつねさんだから、むつらぼしなんだよ!」
「うん?」
「あのね、すばるっていうのは、みんなをまとめるってことなんだよ!きつねさんはこのじんじゃのえらいきつねさんだから、きつねさんはすばるなんだよ!」
巡り合わせとは不思議なものである。
「……ありがとう。ありがとう、馨。それじゃあ、これからは私のことは昴と呼んで」
「うん!」
同じ地で再び出会った彼の人の生まれ変わりに、同じ由来で同じ名前を付けられるとは。
2019/10/21 転載及び加筆修正