第二話 しなね屋にて
第一話、平成最後。
第二話、令和最初。
これがやりたかった。
気づくと目の前が暗くなっていた。
なんだかずいぶんとのめり込んでいたみたいだ。
バイザーがあがると、目の前はさっき見たばかりのおもちゃ屋だった。
「どう? 響君。面白かったでしょー」
目の前に女性がいた。
名前はえっと…、木屋橋光音さんだったかな。
っていうか近い、近いよ! たった数十センチ前に顔があるって言うのは!
これは勘違いをしてしまいかねない事態ですよ。
だって目の前には少しつり上がった糸目の愛嬌のある顔にお似合いのショートの髪型の女性が微笑んでいるんだ。
そして少し視線を下げれば、何がとは言わないが盛り上がった彼女の一部分、もとい二部分が見てとれてしまう。
これはやばい、俺だから冷静に対処できてるけど、禁断の男子校時代の友人、佐藤君だったらどうだろう。
彼女を見た瞬間に一目惚れ、この状態になれば相思相愛。いや、激しい動悸めまい息切れで倒れてしまいかねない。
いやまて、佐藤君のことはこの際どうでもいい。今問題なのはこの距離の近さである。
「おーい、どしたー?」
「ちょっと姉さん、響も初のVR体験で混乱してるんだろうから、ちょっと待ってあげなって」
ああ、木屋橋さんが金長に連れられて離れていく。
ちょっと残念だけど、金長ありがとう。あのままだと冷静さを失ってたかもしれない。
さすが三年来での友人だ。俺の心をわかってくれたに違いない。
とはいえ金長とリアルで会うのは初めてな訳で、こんな小柄だとは思わなかったが……。
「ごめん。金長、木屋橋さん。あんまりリアルな体験でちょっと混乱してた」
「だーかーらー、木屋橋じゃなくてキツネでいいって言ってるでしょ。大体こっちは二人とも木屋橋だから混乱しちゃうじゃない」
確かにそうかもしれないけど、出会ってすぐの女の人をあだ名呼びするのはためらってしまう。
最初提案された、名前呼び捨てよりはましだけれども。
「えっと、じゃあキツネさん?」
そう言ったら、キツネさんは不承不承といった感じで頷いて、
「まあいいでしょう。それよりもどうだった? 最後ドラゴン相手に、派手に召喚魔法ぶっ放してたみたいだし。楽しかった?」
と話しかけてきた。
「う、うん。そりゃあ楽しかったですよ。何より没入感が半端ないって言うか……。ってそれよりキツネさん、なんでドラゴンと戦ったって知ってるんですか?」
そう聞いたらキツネさんは、
「そりゃあれに映ってたからに決まってるじゃん」
と、モニターを指さして言った。
聞くところによると、体験できるムービーには何種類もあるらしく、それぞれがそのままモニターに映されているらしい。
しかも、同店舗内で体験プレイしているものは、優先的に流されるというのだ。
なんというか恥ずかしいな、それは。
「そそ、つまり響君が召喚獣を失ったとき怒ったのも見てたって訳よ」
「げ、そんなところまでわかるんですか」
「ごめんね響。でも感情移入できるって悪いことじゃないと思うよ。結構多いしね」
そう言って金長はフォローしてくれるが、恥ずかしいことには変わりない。
「そうそう金ちゃんの言うとおり。それに体験ムービーが召喚使い魔系の人って、感情移入の度合い高めみたいだしね」
なるほど、でもキツネさんのその言い方だと、ランダムでムービーが選択されるんじゃなくて、その人ごとで決まってるって感じなんだけれども。
「お、いいところに気づいたね~。そういうこと、個人個人で決まってるらしいのよ。詳しくは金ちゃんよろしくっ」
「よろしくって姉さん。僕もそんなに詳しいところは知らないよ?」
そう言って金長が説明してくれたところによると、個々のゲーム履歴や趣味嗜好を分析してその人に合った職業の体験ができるようになっているらしい。
その中には生産や商売メインだった人もいるみたいだ。あと、討伐系だとレッドドラゴン退治をする割合が多いらしく、ドラゴン退治がメインイベントの一つになるんじゃないかって話題になっているらしい。
ちなみにキツネさんは闘技場での対人戦、金長はヒーラーとしてドラゴン退治に参加したようだ。
参考程度にって言ってるけど、これを聞くとその人に合った職業っていうのもあながち間違いじゃく思えてくる。
「と、言うわけで、今夜このゲームのβテストがある訳なんだけど、響もやらない?」
「響君がVRゲームをするためにこっちに来るって話を金ちゃんに聞いて、どんなゲームを紹介しようかって話してたんだけど、どうせならおんなじスタートラインにしたいって言うことでこれを選んでみましたー! どう?」
二人そろってそう言ってきた。
なるほど。出会ってそうそうこの店に案内されたのは、そういうわけだったのか。
というか、一応大学進学のためにここに来たのであって、VRメインではないんだけどな。
まあ、じじいのせいでVRに触れることはなく、しかもVR禁止の山奥の男子校に放りこまれてからというもの、金長にネットで愚痴ってたのは確かだけどさ。
とはいえやっぱり、自分のために二人が考えて選んでくれたってのは嬉しいな。
それにこのゲームのシリーズ、一通りやったことがあるっていうのもポイントが高い。それもあって金長はこれを選んでくれたんだろう。
「もちろんいいですよ。ただ俺、まだVRの登録してなくて、大学の保健センターでやろうと思ってたから、間に合うかどうかは微妙ですけど…」
「ふっふっふー。このキツネさんに万事抜かりはない。そのためにこの店を選んだんだから。さあ、しなねのお爺ちゃん出番です。どうぞ!」
そういって胸を張ったキツネさんが手招きすると、店の奥から小柄なお爺さんが出てきた。
「さてご紹介にあずかって出てきた、しなね屋の店主のじじいじゃよ。つーかさっき坊主にVRのセットをしたのワシなんじゃからわざわざこんな演出せんでもええじゃろうに」
若干あきれた顔で言うお爺さんにキツネさんが胸を張って答えた。
「そんなの様式美に決まってるじゃない! それよりこのお爺ちゃん、見た目によらずVR登録の資格持ってるからね。さあ、ちゃちゃっと登録してやってね」
「まったく、じじい使いが荒いのぉ。とはいえその必要はないぞ。坊主はとっくの昔に登録されておるからな」
「え!? どういことですか?」
お爺さんの言葉につい声をあげてしまった。
うちのジジイの方針で、生まれてこの方VRと無縁の生活を送ってきた俺がVR登録済みとか、訳わからんのだが…。
「さっき軽く調べたら、登録されたのは十六年前、登録に年齢制限ができる前のようじゃな。物心つく前なんじゃから覚えておらんのも無理はないじゃろう」
ふむ、ますます持って訳わからん。
「何やら腑に落ちない様子じゃが、話を続けるぞ。とは言っても登録自体はできてるようじゃから講習も必要ないし、VRについての簡単な説明や注意点だけじゃがな」
そんな感じで始まったお爺さんの説明によると、今現在のVR技術は二十五年前にリエージュコーポレーションが開発に成功したものだそうだ。
当時から時代の先を何歩も行く技術だったらしいが、現在も追いつけていないらしい。
当然同社はVR技術を使った事業を展開しているが、二十年前に起きたVRMMOでの事件以降、VRMMOには手を出していないようだ。まぁ、リエージュが出してないだけで、他の会社は出してるみたいだが……。
現在行われているVR導入の際の登録制度も、その事件が発端となってできあがったものらしい。事件から時間はかかったようだけど。
また、リエージュコーポレーションが技術を独占している理由の一つに、特許申請をしていないというのもあるらしい。
特許申請をされていないと言うことは、技術の公開もされていないと言うことであり、かつVR技術の根底にあるシステムについてはハード・ソフト両面からブラックボックス化されており、その解析も契約で禁止されている。
無理に解析しようとした企業や、禁止されている軍事利用に乗り出した某国は、メンテナンスや修理を拒否されて、その国ごとVR事業が衰退してしまう、なんてこともあったようだ。
そんな感じでリエージュが独占しているVR技術だが問題がないわけではない。
その中でも大きな問題の一つが、レーテメモリアという高加速VR空間での体験のことだ。
加速された空間での出来事は人によって記憶のされ方が違う。5倍程度までの加速であれば、現実と同じ。
それを超えると人によってはレーテメモリア(きっかけがないと思い出せない夢のような記憶)になっていく。10倍を超えるとほぼすべての人の体験がレーテメモリアになってしまう。
まれに、どんなに加速しても通常通り記憶している人がいるが、そういった人はVR登録する際に判明させて、通常加速限定での利用となる。
こういった事情から1日のVR加速制限があり、通常加速(3倍まで)は5時間以内、高加速は3時間以内と決まっているようだ。
「とりあえずはこんなところじゃな。後はこの冊子でも読んで勉強すりゃあえい」
そう言って爺さんはVR教本を渡してきた。
「そうそうちなみにな、お前さんたちがやろうとしてるゲームじゃが、一日三時間の高加速時間をフルに使ってするみたいじゃからな。今日やりたいんじゃったら、調子に乗ってエロVR見て貴重な時間を消費しないように注意するんじゃぞ」
しねーよ
「ふむ、ちなみにエロにも高対応のVRセットならこれになるよ」
「しねーって、つかキツネさんもさらっと会話に入ってきて何言ってるんですか。それにうちは居候になる清川の叔父さんが入学祝いにVRセットを買ってくれたから必要ないですって」
「なんじゃ、坊主は清川んところの甥っ子だったんかい」
「え、ええ。そうですけど。知ってるんですか?」
「あの夫婦が学生の頃から知っとるわい。暁ちゃんもたまにこの店に来るぞい」
そう言って爺さんは笑った。
暁ちゃんは清川夫妻の娘で、俺にとってはいとこに当たる子だ。年齢は三つ違うから15歳かな?
昔俺がこっちに住んでた頃は、ずっと後ろにくっついていたような子だったんだが、叔父さんの家に着いたときに一回顔を合わせて以来、顔を見てない。
なんだか避けられてる気がするんだよな。初めて会ったときに作務衣をかっこよく着こなしてたから、どうやったらそんなに着こなせるか聞きたかったのに。
「それにしても清川んところの甥っ子にVRについて語るとは、釈迦に説法もいいところじゃったのう」
「え!? 釈迦に説法ってどういうことですか?」
「なんじゃ知らんかったんか。坊主の叔母さんはリエージュの社長の娘じゃし、夫婦そろってリエージュの社員じゃよ。VR関係じゃなく、AIだかロボットだかの開発責任者だったかの。だいたい家にメイドロボがおったじゃろ。不思議に思わんかったんかい」
若干あきれた顔で爺さんが言うが、目の不自由な叔母さんの介護のためのロボットだって聞いてたから仕方ないじゃないか。確かに普通に叔母さんの手伝いして、自然な受け答えもしてたから、俺が山奥にいた六年の間の科学の進歩はすごいなとは思ったけどさ。
そういや叔母さんも目が不自由と言いつつ普通に歩いてたよな。視覚補助のカメラが至る所にあるとは言ってたけど、そのすごさもあってメイドロボのことまで気が回らなかったというのはあるかもしれない。
「ちょっと待って、メイドロボですって? そこの話詳しく!」
「ちょっと姉さん、いきなり何言ってるのさ」
「だってメイドロボよ、メイドロボ。男の夢のメイドロボがすぐそこにあるのよ。しかもアルヒを抜いてAI業界トップのリエージュの開発したメイドロボが。そりゃ興奮するなって言う方が無理でしょう。もしかしたら会えるかもしれないのよ」
「いや姉さん、そんなこと言われても響だって困るでしょ。大体それに男の夢って、姉さんは女じゃないか」
「そんなことないわよ。ね、響君。会えるように叔父さんに頼んでみてくれないかな?」
キツネさんが小首をかしげて頼んできた。
その仕草につい肯きそうになるけど我慢だ。俺の一存じゃ決められない。
「ま、まあ。頼んではみるよ」
そう答えるにとどめた。
「よし! メイドロボについてはこれでオッケー。ついでに響君のVR環境についてもオッケー。今晩からよろしくね。早めにキャラ設定とかしておくのよ」
そう言って差し出されたキツネさんの手を強く握った。