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美しいものにはとげがあったりなかったり

パユヴィ村が夕闇に沈む頃、湖からさらに北に向かった位置の小高い丘に一人の女が佇んでいた。

彼女の淡い水色の長い髪が風に晒され夕陽の赤と交じり合いすみれ色に輝いていた。

美しいスタイルと顔を持った彼女は見た目とは違い、重厚な魔導服を着ており、その飾りが重々しく輝いている。

「また戻ってくるなんて…。」

彼女はポツリとそう呟くと冷たい目でパユヴィ村を見下ろした。

木々に僅かに隠されているだけで、パユヴィ村のほとんどがその青い目に見えた。

湖は上った月に照らされ青白く輝き始め、村の明かりが灯されていくのをただ見つめていた。

「隊長、準備が出来ました。」

彼女の後ろから禍々しい顔つきの長身の魔物が現れ跪きそう告げた。

「その呼び方は好きではないな。名前で呼ぶがいい。」

彼女は振り向きざまに美しい声でそういうとその魔物は固まってさらに体を低くさせた。

「は…ウァーネ様。」

その魔物からは恐怖の色が伺える。

「まぁ、いい。行こうか。」

ウァーネは表情を変えずにその魔物の背後の闇に向かって消えていった。

その魔物は安心したように立ち上がり同じ闇に吸い込まれていった。



 修行の日々が数日続いていたある日、エリフィエルとヂャメンの家ではアトとグルーチョとハーンが同席して夕飯を食べようとしていた。

「早いうちに修行を切り上げた方がいいかもね。」

エリフィエルは食べ始めてしばらくしてポツリと言った。

「どうしたんだ?」

ハーンはそのエリフィエルの雰囲気に驚いていた。

他の皆もエリフィエルを見てその言葉を待った。

「んー…なんかやな予感がするのよね。」

机の上に足を投げ出して座っているエリフィエルが首を捻りながら唸った。

その様子を見てハーンもヂャメンも納得したように目線を戻した。

「とりあえず俺は大体は教えられたと思う。それにアトの場合は実戦を積んだほうがいいかもしれんしな…。」

ハーンはアトの修行状況について報告した。

大して長いこと一緒にいたわけではないが、アトはすでに多くの教育を受けていたので問題はなかった。

年とお嬢様という壁さえ越えればすばらしい実力を持っているというのは皆が思っていたことだ。

「メガさんはそれなりに経験をされていますし、グルーチョさんは修行のしようがない。だからピコさん次第かもね。」

ヂャメンは冷静にそういうとグルーチョの方をチラっと見てエリフィエルに目線を戻した。

グルーチョはほとんど話を聞いていないのか、ホエホエとした顔でご飯を食べていた。

魔王と戦おうというような緊張感がまったくないような幸せそうな顔だった。

「そうね。ただ、暁の国が落ちたとなるとここに魔王軍が来るのはすぐかもしれないわ…。あまり時間がないかも…。」

エリフィエルはヂャメンを鋭い目で見つめながら言った。

いつになく真剣だ。

「…そう…ね。」

ヂャメンもフードの下から重い表情でエリフィエルを見ていた。

その様子を無言で見ていたアトもその雰囲気を感じ取った。

何かが近づいてきているのではないかという予感を。


 「とりあえず、村の結界は強化しておくが、そう安心もできないな。向こうも魔力を使ってくる。ヂャメン、何かわかったらすぐに連絡してくれ。」

ハーンはそう言うと湖へ帰って行った。

グルーチョはご飯を食べた後すぐに裏庭に行き空を眺めてくると言って外に出て行った。

その行為は珍しくはなかったが、何故かいつもよりも表情が硬かった。

 その日全員が床に着いたのは深夜を回ってからだった。




 満月が天頂を超え湖の水面に映し出されている。

その水面に向かって美しい弧を描き飛び込んだ影が水に入るや否やその姿を青龍に変え、湖の奥底へ潜っていく。

深く深く潜るにつれ水底から淡い青い光が届いてくる。

その光のせいかその湖は夜でも比較的明るい。

その青い光の周りにはたくさんの魚や生き物が静かに佇んでいた。

魚も眠る時間だった。

その青い光の中心に辿り着いた青龍はその光を覆うように体を軽く巻きつかせた。

その中心には青白く輝く巨大な結晶があった。

強い力のある岩で、そのあたりの地脈に根付き、その地域の生気を左右する岩。

 パユヴィ湖の石、それはパユヴィ村を守る結界石でもあった。

神々しい霊山アテ・レイニアから下る川アテ・ルアンの先にあるパユヴィ。

魔力が蓄積されその力と鉱物が混ざり合いパユヴィ湖の巨大な霊石を形成していた。

その岩とその湖があって、それを守る青龍が生まれそこに根付いた。

そして、その場所に争いを好まぬ民が集った。

それがパユヴィ村であった。

世界を彷徨いはぐれものとして流れ着いたエリフィエルと孤独に打ちひしがれた守り神・青龍のハーンが出会ったのがこの場所だった。

 その青龍ハーンにはパユヴィを守りたい理由があった。

孤独を打ち消してくれた者、仲間というものを教えてくれた者、守りたい者、愛しい者…。

本当に一番の理由は彼女だとわかっていた。

種族の違いなどどうでもいいほど、愛しい。

 ハーンはエリフィエルが一番大切だった。

その青龍のハーンには守れる力がある。

それだけで自分を誇れる気がした。

 ハーンは思いの丈を結界に注ぐ。


青龍の目が鋭く光るとそれに呼応するように霊石が眩い光を放った。

その光は薄いベールのように湖を飛び出し、村全体を覆うと外から見てもわかるほど強い結界が築かれた。


ハーンはその感覚を確認するとその岩から離れ上へ上った。

水面近くになると体が霧のように一瞬薄れギュッと縮まって水面に顔を出す頃には人型へ戻った。

ほとんど音もさせず岸へ上がると水を軽く払い湖畔の小屋へ向かった。


その時だった。



―カサ…


小屋と森との隙間からスッと誰かがこっちへ近づいてきた。

ハーンは足を止めてその誰かを凝視し、正体を掴もうとした。

その影は静かに月明かりの当たる辺りまで出ると一旦そこで止まった。



「あ…なぜ……何処に行っていたんだ?」



ハーンはそれがあまりに久しぶりに会った知人だったので目を丸くして本当にその者かを確認するように近づいた。


「久しぶりね。」


その者は親しげに笑いかけるとハーンに歩み寄り二人はもう手の届く範囲まで近づいて止まった。


「どうして戻ってきたんだ?今まで何処に行ってたんだ?」



「どうしてって…貴方に会いたくて。」



その者はさらにハーンに近づいてあたかも自然の振る舞いのように自らの腕をハーンの体に巻きつけた。

「おい…?」

まるで恋人同士のように抱きしめられたハーンは少し驚いてその腕を拒絶しようとした。

「なんで!あんなチビに負けるのよ!許せない!」

その者は力強くハーンに抱きつきさっきとは違う怒りに燃えた表情を浮かべた。

「すまない!でも、俺はもうお前と縒りを戻すつもりはない…」

ハーンは申し訳ない顔でその腕を外そうとしていた。

その手に力を込められなかった。

心が痛かった。


「だったら全て壊すまでよ。」


「何を言っているんだ…何をする気なんだ…ウァーネ…。」


「こうするのよ。」



ウァーネと呼ばれた者はハーンの胴体に回した右腕を素早く上着の裾から中へ忍び込ませた。


「あ!!??」



ウァーネの右手がそれに触れた瞬間ハーンは何かを悟った。

 ウァーネはあれほどきつく抱きついていたハーンを即座に手放しサッと2・3歩後退してその場でハーンを見つめていた。

「う!」

ハーンはまるでウァーネに支えられて立っていたかのようにガクリと膝を落とした。

ウァーネの目線が上から降り注いでいる。


「うぅ…ウァーネ……ま…さか……魔…王の……あぁ!!」


ハーンの口からは息絶え絶えにウァーネに対する不信が漏れる。

苦しいと言うよりも体が言うことを利かない。

体が膨らんでいくそんな気配を感じた。


「貴方がいけないのよ。あんなはぐれフェアリーの女なんかに心を奪われて青龍としての誇りを忘れたんじゃない?」


ウァーネは見下していた目線を上へ上げながら不敵な笑みを浮かべた。

 すでにハーンの体は人型ではなく巨大な青龍になっていた。


「グオオオオオオオォォォォォ!!!!!」


怒りに任せた大きな雄叫びが空を振動させた。

その目には正気というものはまったく見受けられなかった。


「フフフ…貴方の手で貴方の孤独を壊した物を破壊しなさい。そして私に跪くがいいわ!!」


ウァーネはそう言うとサッと身を翻しその場を離れた。


「グオオオオオオオオオオォォォォォ!!!!!!!!」

再び叫びが上がる頃にはその声に呼応したように雨がパユヴィ村に打ち付けていた。

パユヴィ村の民はその二度の叫びで皆、目を覚まし、恐怖に慄いていた。


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