5,龍の雫
早朝、サクラはコガネに起こされ小鳥の姿になった。
直径8.5センチほどの、丸い小鳥だ。
「ピィ!」
「ああ、落ちるなよ」
手伝う、ついて行くという村人の申し出を断って、コガネは村を出た。
村を出て少し進み、姿をキツネに変える。
これがコガネ本来の姿であり、髪と同じ真っ白な毛を纏っている。
白キツネという、12種いる神獣の1種である。
神獣の中でも魔法に特化した種族であり、コガネは複数の魔法を使って弾丸のような速さで移動を始めた。
その背中にはサクラがしがみ付いている。
一応保護魔法は掛けたが、吹き飛ばされたら頑張って追いかけてくれ。
そんなコガネの内心を察したのか、サクラは抗議の声を上げた。
とりあえず無視して進み、第5大陸の端に来る。
サクラはぐったりとしていたが、それでも文句は言っていた。
コガネはそれを無視して目的の物を探す。
ここには人が近寄らない。あるなら、この辺りのはずだ。
サクラは苦情を聞き入れて貰うことを諦めたようで、捜索のために空へ舞い上がった。
しばらくして降りてきて、コガネの背に乗って誘導を始める。
サクラの言う通りに進み、目的の物を回収して背に乗せる。
「キュ、キュイ」
「ピィ!ピッピィ!」
押さえておくように言ったら文句を言われたが、そのまま進む。
来たときと同じ速度で同じ道を帰り、村が見え始めたところで止まって青年の姿をとる。
サクラは肩に乗せて、取ってきたものを持ってアオイの元へ急いだ。
「主、取ってきた」
「ありがとう。乾燥させられる?」
「ああ」
「主!聞いてよ!コガネがひどいんだよー!」
サクラは人型になってアオイに訴え、アオイは苦笑いして何したの、と言った。
コガネは無言で目を逸らした。
アオイは昨日から作っていた薬のいくつかを煎じ直しているようだった。
それらを混ぜて、何かを取り出し、何かを入れる。
コガネが魔法で乾燥させた物を渡すと、迷いなく砕いてそこに混ぜる。
最後に何か液体を入れて、サラサラとした水のような物が出来上がる。
その作業を横で見ていた薬師が嘆息を漏らし、アオイはそれを龍の特に酷い傷から順に、血を洗い流すようにしてかけていく。
すぐに変化は現れなかった。
ただ、少しして気付く。
龍の傷が、明らかに良くなっていた。
ビレスと薬師の表情が、一気に明るくなった。
アオイも安心したようで、胸を撫でおろしている。
龍は安らかな寝息を立てており、その傷は特に大きいものを除いて塞がっていた。
それもじきに良くなるだろう。
村人たちは2人の歓喜の声を聞いて集まってきて、傷のほとんどが消えた龍の姿を見て歓声を上げた。
一部の者はアオイを拝み始めた。だから女神じゃないってば。
村はお祭り騒ぎになり、村人たちはアオイを崇めるだの龍の隣に像を置くだの言い始めた。頼むからやめてほしい。ここの神は龍だけで十分だろうに。
喜びに沸く村人たちを止めるに止められず(強硬手段に出ようとするコガネは全力で止めた)アオイはそこから逃げるように薬師の隣に移動した。
薬師は感動なのか安心なのかずっと涙を流しており、アオイの手を取り何度もお礼を言った。
あ、これ逃げ場無いや。
アオイは気付いて冷や汗をかいた。崇められるのは嫌である。
龍も治ったから、と帰ろうとするアオイを、村長らしき老人が引き留めた。
「貴女は何者ですか、それだけでも教えてもらえませんか」
「うーん、なら、改めて名乗りますね。
世界統一薬師最上位、アオイ・キャラウェイと申します」
世界統一薬師とは、名の通り世界で統一された薬師免許である。
その証は身分証明であり、一定以上の級を取得することで地位を与えている国もある。
当然上の級ほど取得者は少なくなり、最上位は1人、つまりアオイのみである。
もはや伝説だった最上位の取得者で、この世の者とは思えぬ美しさ、更に魔力契約で契約を結んだ契約獣を多く連れており、とある国の国王に求婚されたがそれを撥ねて今はどこに住んでいるのかも知れていない謎の人物。
それがアオイである。
だが、アオイはその長い紹介文を嫌っていた。
嫌っているから迷いの森に居ると言ってもいい。
とにかく、アオイは薬学界では知らぬものがいない、何なら見ただけでひれ伏せられるような存在だった。
それが嫌で、上位薬師の集まる会合にもあまり顔を出さない。
年に一度いけばいいだろ、と言って家から出ない。
最上位薬師に文句を言える者はおらず、今の所それがまかり通っていた。
「一応、住まいを知られると厄介なので言わないでくださいね?」
困ったように笑いながら言ったアオイに、村人たちは頷く。
女神の頼みなら、誰に聞かれようが言わない、と誓った。
……だから、女神じゃないんだよなぁ……誰だよ、迷いの森の女神とかいう噂を最初に流した奴。
アオイは内心文句を言いつつ、村を出た。
帰ろう、フカフカのベッドで寝て、モエギの作った美味しいご飯食べるんだ。
……でも、その前に薬の作り方を清書しなきゃいけないな。
そんなことを考えながら、川沿いを歩く。
歩きたい気分だったので、海まで徒歩で行くことにした。
最上位薬師は特別な存在である。
薬学界のまとめ役であり、全員の師と言える存在であり……
そして唯一、新たに薬学書を作ることが許された人物である。
この世界にはすでに多くの薬学書が存在し、アオイが自ら作りだす薬はそうないだろうと思っていた。
だが、迷いの森の女神の噂が広がり、女神の……アオイの助けを求める者が現れるようになり、今まで存在しなかった、正確に言えば、使いどころが限定され過ぎていて薬学書に載らなかった薬を作り、その作り方を纏めるようになっていた。
今回の薬もそうだ。
村を守る、強く美しい龍を治すための薬。
それが次必要になるのは、果たして何百年後か。
だが、アオイはそれを記すことにした。
始めは、悩んだのだ。
これを残したところで何になるのか。
何にもならず忘れられるのなら、書く意味はないのではないか。
そう思っていたのだが、友人の情報屋に言われた。
もったいないし、せっかくだから書けば?
シリーズ物の本を多く出し、その収入でも生活が出来るような友人に軽く言われ、アオイは思った。
確かにもったいない気がしてきた。書こ。
そんなわけで、今までに作った使いどころが1か所しかないような薬は作り方を清書されてまとめられており、そこに加えるために今回の薬にも名前を付けることにした。
次に出番が来るのは数百年後であろう薬だ。
カッコつけた名前にしよう、といつも通り考えて、ぽつりと声を漏らす。
「龍の雫」
「いいんじゃないか?」
「お、じゃあそうしよう」
コガネの反応を見て、薬の名前が決まった。
必要事項を脳内でまとめつつ、海に着いたので水竜を呼ぶ。
行きと同じ水竜が顔を出し、慣れたように腹を見せた。
この子は、よくリコリスに遊びにくる子だ。
たまに魚もくれる。
今回のように、海からどこかに行くときは大体この子の背に乗って、である。
人を乗せるのが好きらしく、時々ねだられて散歩に行ったりもする。
「じゃあ、リコリスまでお願い」
言いながら頭を撫でれば、嬉しそうに陸に寄ってくれる。
コガネの手を借りその背に跨り、合図を出すと水竜は一気に水に潜った。
今日は昨日と同じで良く晴れていて、水面はキラキラと輝いている。
コガネに寄りかかって水面を見つめ、大きな魚の影を見つけて目で追った。
大陸の縁をなぞるようにして進み、気が付けばリコリスの湖に繋がる洞窟まで来ていた。
水で満たされ日の光の入らない洞窟だが、点々と明かりが灯してあり、暗くはない。
「ありがとう、またお願いね」
リコリスに着いて、水竜を撫でてその背から降りる。
水竜は一声鳴いて水に潜っていき、その姿はすぐに見えなくなった。
コガネは荷物を抱えて玄関に向かっていた。
アオイはそれを追いかけて、先に玄関に着いて扉を開く。
「お、おかえりー。どうだったん?」
「大丈夫、治ったよ……あ、ヒソクにも報告に行かないと」
「そうだな、明日にでも行ってこよう」
今日もカウンターに溶けだしながら本を読んでいたシオンに出迎えられ、その背を軽く叩いて移動を促す。
もうすぐ昼食の時間であり、食事はなるべく揃って食べるのがこの家のルールだった。
「食べたら書斎だなぁ」
「マスター、今日の来客は?」
「無いと思うよ」
「なら、昼寝しよ」
話しながら移動し、リビングに入る。
昼食の準備をしていたモエギとウラハが振り返り、席についてボーっとしていたトマリがこちらを向いた。
「おかえりなさい」
「ただいま。今日のお昼ご飯なーに?」
「パスタにしました」
基本的に、ちょっと留守にしたくらいでは対応は変わらない。
というか、2,3日の留守は割といつもの事だった。