3,海路
この世界には、島がない。
しいて言うなら大陸が大きな島だ。
この世界には7つの大陸があり、それらは細く陸続きになっている。
アオイの住まい、リコリスのある迷いの森は第4大陸であり、ビレスの村は第5大陸にある。
ビレスは旅人から迷いの森の女神の噂を聞いてここまで来たらしいが、ずいぶんと長旅をしたようだ。
おそらく馬にも乗らずに歩いたのだろう。一体どれだけ時間がかかったのか分からないが、リコリスに来たときにボロボロだった理由は分かった。
迷いの森で魔物に襲われたからかと思っていたが、その前からボロボロだったのだろう。
ビレスは自分が長い時間をかけて歩いた道を、海から行こうと言われて目を白黒させた。
ついでにアオイの笑顔に見惚れて、反応が遅れた。
海から行くなど、思いつきもしなかった。
「うみ、からいけるんですか?」
「はい!」
「どこかで、船を借りて?」
「いえ、ここから海路で行きましょう」
ビレスはさらに混乱した。
ここは、海に接していない。
それなのに、アオイはここから海路で行くという。
ビレスは混乱し、コガネを見た。コガネは何やら荷物を持っている。
「ああ、見てれば分かるぞ」
コガネは視線に気付いてそう言って、客間から出ていくアオイを示した。
その後を追うと、アオイは袖をまくって敷地内の湖に手を入れていた。
そして、小声で何か呟く。
しばらくそれを続けて、ビレスがコガネに何をしているのか尋ねようとしたとき、湖から何かが顔を出した。
丸い頭に、少し長い首。ツルツルした身体に、泳ぎに適したヒレのような手足。
ビレスは初めて見る、水竜と呼ばれるものだった。
アオイは特別な存在である。
動物と話し、魔獣などの「闇側」の生き物を除き、動物に好かれる。
ビレスは信じられない、という表情で固まり、コガネは慣れたように水竜に近づいた。
アオイと何か話し、ビレスを手招きする。
「こ、これに?乗って?」
「はい。この子たちは乗った人間が落ちないように、息が出来るように魔法をかけて運んでくれます。正直、なんで一般的じゃないのか不思議です」
「俺はアオイさんが不思議です」
「よく言われます」
にっこり笑ったアオイは、水竜を撫でて何か話しかける。
それに水竜が返事をして、お腹を上にして浮いた。
下に荷物をつけるらしい。
「ビレスさんの荷物は……」
「これだけなので、大丈夫です」
「そうですか。分かりました。もういいよ、ありがとう」
ビレスの荷物は、中くらいの袋1つに納まっている。
旅人から迷いの森の女神の噂を聞いてすぐに村を飛び出したため準備不足であり、色々忘れてきたせいで身軽なのだ。
「ここに行きたいの。分かるかな?」
「キュルル」
「うん。大丈夫」
「キュル」
「大丈夫だって。行こう」
「ああ」
「何が大丈夫なんでしょう……というか、ここ、海に出れるんですか?」
「はい。下の方が海に続いてるんです」
ビレスは不安だったが、ここで置いていかれるわけにも行かなかった。
先に背に乗ったコガネの手を借りて水竜の背に跨る。
濡れていると思っていたがそんなことはなく、なんとも不思議な気分になった。
アオイがコガネの前に、ビレスがコガネの後ろに乗り、水竜が動き始める。
「……コガネさん、掴まってもいいですか?」
「いいぞ」
「ありがとうございます」
コガネに許可を貰ってその背にしがみつく。
水竜に乗るのも初めてだが、水に潜るのも初めてだった。
ビレスは金づちなのだ。
水に潜る瞬間、ビレスは目を固く閉じて息を止め、一向に水の感覚が来ないのでゆっくりと目を開けた。
そして、そのまま目を見開いた。
水の中に入った、という感覚はなかったが、もうすでに水中だった。
水竜がかけているという魔法の影響なのか、水の感覚はなく、息も出来る。
今は湖から海に向かっているところなのか、水で覆われたトンネルを進んでいる。
しばらくそのトンネルを進んで、出たところで息をのんだ。
日が差し込み、キラキラと輝く水面が上に広がり、差し込んだ光が水中を照らして魚の鱗が光る。やけに光を反射する海底の石が光る。
下には深い深い青が広がっていて、何とも神秘的な光景だった。
ビレスはこっそり、泳ぎの練習をしようと心に決めた。
それくらい、忘れられない光景だった。
それからどれくらいの時間が経ったのか、ビレスが上を見て下を見て周りを見渡して、と忙しなく首と目を動かしている間に、水竜は上昇を始め、1本の川に入った。
川を上流に向かって進み、しばらくして顔が水上に出た。
そして徐々に体も水上に上がり、川の深さ的に進めなくなったところで水竜が一声鳴いた。
「うん。大丈夫だよ。ありがとう」
コガネが先に降り、ビレスとアオイを降ろして荷物を受け取った。
水竜は海へ帰っていき、アオイは振っていた手を降ろしてビレスに向き直る。
「ここから、案内を頼めますか?」
「はい。……本当に、もうすぐそこです」
その場所の風景はビレスの記憶にあるもので、村はもう遠くない。
久々に帰ってこれた、という安心感と、書置きだけ置いて村を飛び出したことを怒られるだろうか、という子供のような心配があった。
だがそれ以上に、守り神の傷が治ることへの期待が強く、足早に村へと向かった。
数分歩いて、ビレスの指さす方向に複数の建物と、それを囲む柵を見たアオイはコガネの裾を引く。
コガネは頷いて魔力を飛ばし、アオイの裾を引いた。
ビレスはそのやり取りに気付かず、村を見て駆け足になった。
駆け足で進むビレスを追ってアオイとコガネが走り、村に入るとビレスの姿を見た村人が集まってきた。
「お前、今までどこに!?」
「帰ってきたのか、そうか、無事なんだな?」
村人たちはビレスの無事に湧きたち、その後ろにいるアオイに気付いて固まった。
固まって見惚れ、しばらくして声を漏らす。
「ビレス、お前、迷いの森の女神を探すとか馬鹿な事言って、本当に女神連れてきたのかよ……」
「女神ではないです。アオイといいます。初めまして」
ニコニコと笑いながら言うアオイに、一部の村人が手を合わせて拝み始めた。
いや、だから女神じゃないってば。聞いてた?聞いててやってるの?
念のためもう1度、女神ではないです、と言ってみたがアオイを拝んでいる村人は動かない。
どうにもならない気配を察知して、アオイはビレスに声をかける。
「それで、守り神というのは……」
「こちらです」
ビレスに案内されて、村の奥にある山に向かう。
山の中腹に成らされた土地があり、そこに1体の龍が横たわっていた。
痛々しい姿だった。
体のいたる所から血が流れ、傷は塞がっておらず、毒がしみ込んだのか一部変色している。
龍は苦しげに息を吐いており、そのそばには初老の男性がいた。
「おお、あなたは……?」
「ビレスさんに頼まれて来ました。アオイと申します」
「アオイ……アオイというと、あの……?」
初老の男性の視線に、にっこりと笑って答えたアオイは、龍に触れる。
男性はこの村の薬師らしく、今まで龍に使った薬を教えてくれた。
その全てに、効果がなかったらしい。
「……少し、席を外して貰えますか?」
アオイの言葉に薬師は頷き、ビレスと連れ立って山を下っていく。
少し下ったところに休める場所があるらしい。
「私の、声が聞こえますか?」
「大丈夫です、無理に返事をしないで。……その、飲み込んだ霧を吐き出してください」
龍の傷が良くならないのは、傷を治すのとは別の事に力を使っているからだ。
コガネに探してもらったところ、龍の魔力とフォデーグの気配が同じところにあった。
おそらく、村に被害が出ないようにその霧を呑み込んだのだろう。
「浄化します。その霧があっては、あなたも治せない」
アオイの言葉に、龍は頑なに首を振る。
首を動かすのもつらいだろうに、緩く首を振り続ける。
「……コガネ」
「範囲は?」
「この成らされた土地」
「分かった」
アオイに呼ばれ、コガネは手早く結界を張った。
その結界に反応して、龍がコガネを見る。
弱り切って、その存在に今まで気付かなかったようだ。
「ね?大丈夫です。だから、吐き出してください」
お願いします、とアオイは再び龍に触れる。
その手には、いつの間にか手袋がはめられている。
龍は観念したのか、ゆっくりと霧を吐き出し始めた。
吐き出されたそばからコガネが浄化していく。
コガネは魔法特化種族であり、威力の弱まった霧の浄化程度なら簡単にこなす。
すべての霧を吐き出して、龍は苦しげに横たわった。
これで傷の回復に力を割けるはずだが、霧に力を奪われ過ぎた。
それにこの龍は、こんな状態になっても村に結界を張り、村人に加護を与えているようだ。
ならせめて、この傷は治さなければ。
アオイは持ってきた荷物を漁り、必要なものを取り出した。