1,森の中
よく晴れた昼過ぎ、その大陸の3分の1の大きさを誇る巨大な森の中にある、木が伐採され地面の整えられた空間で1人の女性が畑で作業をしていた。この世界ではまず見ない、見事な黒髪の女性だ。
この空間には、女性のいる畑のほかに2軒の建物と、澄んだ水で満ちた湖、複数の畑がある。
女性が作業をしていた畑の近くには整えられた、それぞれ実が生っている木の植えられたスペースがあり、そこから出てきた桜色の髪をした少女が女性の元に駆け寄った。
「主、収穫終わったよ!」
「ありがとう、サクラ。戻ってお茶にしようか」
「うん!」
女性はサクラと呼ばれた少女の掲げたカゴの中身を見て微笑み、家の中に入る。
入ってすぐのカウンターで本を読みながら欠伸をしていた青年が顔を上げた。
「おー。終わったん?」
「うん!」
「天気ええし、外気持ちよさそうやなぁ……昼寝でもしようかなぁ」
「今日はお客さんが来る気がするから、店番してて」
「マジか。仕方ない、マスターの仰せとあらば」
独特な口調の青年は、欠伸をして再び本に目を落とした。
「サクラ、先にモエギに声かけてきて」
「分かった!」
女性はサクラからカゴを受け取り、カウンターの内側にある扉を開いた。
その部屋は、薬を作るための設備が整っていた。
家の中では作業部屋と呼ばれているその部屋に、カゴの中身である明るい黄緑色の実、ポーションの実を置いて部屋を出る。
「……シオン、溶けてないでお茶にしよう」
「んー……」
「はあ、お茶は飲む?」
「うん。待ってな、続きが」
「はいはい、持ってくるね」
「ごめんなー」
カウンターに溶けだしたまま本をめくるシオンの、低い位置で結われた紫紺の髪を軽く引っ張り、姿勢を戻させる。
しぶしぶ姿勢を正したシオンに微笑みつつ、女性は暖簾がかけられた廊下に向かった。
廊下を進むと右にキッチンとテーブルがあり、サクラはキッチンにいた。
声をかけると、サクラとその横にいた萌木色の髪をしたショートカットの少女……に見えるが少年である。少年が振り返った。
「主、茶請けはクッキーでいいですか?」
「うん。ありがとう、モエギ」
「シオンさんにも持っていきますね」
「お願い」
モエギはフワッと微笑み、お盆にティーカップとクッキーの小皿を乗せてシオンの元に向かった。
少女にしか見えないが、少年である。
モエギを見送り、サクラと2人で茶会の準備をする。
モエギが戻ってきたところで茶会が始まった。
「主、今日来るお客さんって誰?」
「それは分からないなぁ……来るかもって言うのも勘だし」
「主の来客予想は当たりますからね。コガネさんたちが帰ってくるのが先ですかね?」
「どうだろう。夕方だもんね」
話しながら、クッキーを口に運ぶ。
サクサクとしていて、とても美味しい。
おそらくモエギが焼いたものだろう。モエギはこの家のとても優秀な家事担当である。
「……あれ、そういえばウラハは?部屋?」
「はい。お茶とクッキーは渡してあります」
「そっか。ありがとう」
もう1人の家事担当の姿がないが、また部屋に籠って何かしているらしい。
しばらくしたら出てくるから、とあまり気にせず茶会を続ける。
夕方には新興国フォーンに行っている2人が帰ってくる。
帰ってきたら夕飯になるから、それに影響が出ない程度でお茶会は切り上げる。
茶会が終わってもお喋りは終わらず、日が傾き始めるまで続いた。
もうそろそろ2人が帰って来るころだろう、と出迎えるために玄関がある店に向かう。
相変わらずシオンは溶けていた。ティーカップと小皿は回収済みだ。
「ここまで誰も来ないなら、昼寝してて大丈夫やったね」
「ごめんね?」
「ええよ、進んだし」
シオンの手元の本は、もう終わりが近かった。
何か探しているのか、パラパラとページをめくっているシオンを横目に窓から入り込むオレンジ色の光に目を細める。
森の中にあるから、この家の日暮れは早い。
その代わり、夕暮れの木漏れ日はどこよりも美しかった。
窓が額縁のようになった夕日を眺めていると、入り口の扉に付けられた鈴が鳴った。
おかえり、と言おうとして口を開き、言葉を変える。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、ボロボロの青年だった。
青年は微笑む女性を見て目を見開き、その場に崩れ落ちた。
「あなたが、迷いの森の女神ですか……本当に、居たんだ……」
「うーん……少なくとも、女神ではないですね。本日は何をお求めですか?」
「……たすけて、ください」
かすれた声で青年はそう言った。
開けたままの扉から、ガラガラと車を引く音が入ってきた。
先に降りたのか、真っ白な髪をした青年が扉から顔を出す。
「主、ただいま。どういう状況だ?」
「おかえり、コガネ。今から事情を聞くから、来てくれる?」
「分かった」
女性は、座り込んだ青年に声をかける。
「客間に案内します。話を聞くにも、まず落ち着かないと」
青年は女性を見上げ、こくりと頷いて立ち上がった。
一度外に出て、まっすぐ進むと、母屋ほどではないが立派な建物があった。
中に入って明かりをつけ、中にあるソファに腰かける。
「では改めて。今日はどのような用件でここに?」
「助けてほしいんです。村の守り神の傷が、治らなくて……」
「守り神?」
「はい。龍です。ずっと村を守ってくれているんです」
女性はそれを聞いて、スッと頬に手を当てた。
何かを考え込むその様子に、断られると勘違いしたのか青年は焦ったように声を出した。
「お願いします、女神様!もうあなたしか頼れる人がいないんです……」
「うーん……とりあえず、女神ではないです。アオイといいます。そう呼んでください」
困ったように笑うアオイに、青年は見惚れたのか動きを止め、アオイさん、と呟いた。
アオイは満足そうに頷き、青年に向き直る。
「その龍の傷は、いつ付いたものですか?」
「2か月ほど前です。村を襲う魔獣が現れて、それを倒した際に」
「魔獣の特徴などは?」
「ええと、角が大きくて……四つ足で、翼があって、空を飛んでいました。あと……口から、何か、すごく嫌な気配のする、霧?のようなものを出していました。毛むくじゃらで……あ、前足の爪が、すごく鋭くて、多分毒がありました」
青年は思い出せる限りの特徴を伝え、アオイはコガネを見た。
コガネは少し考えて、おそらく、と声を出す。
「フォデーグ、という魔獣だと思う。人を食う魔獣だ。前足の爪から出ている毒と、口から吐き出す幻覚を見せる霧で人を動けなくして、食料にする」
「上位種?」
「ああ」
「龍に、治らない傷を与えられるものなの?」
「その龍の力にもよるが……村に結界を張る力のある龍なら、治せると思うんだが……」
コガネの言葉にアオイは何か考えるように頬に手を当て、虚空を見上げて動かなくなる。
青年は心配そうにアオイを見ていたが、コガネが口に人差し指を当てているのを見て頷き、座り直した。
少し待つと、アオイは考えが纏まったのか青年に向き直った。
「そういえば、あなたの名前を聞いてませんでした」
「あ、ビレスといいます」
「では、ビレスさん。今日はひとまず休んでください。龍に効くかは分かりませんが、薬は作ってみます」
「ありがとうごさいます!」
「いえ、薬屋ですから」
アオイはフワリと笑って、立ち上がった。
そしてビレスに建物内を案内して、母屋に戻る。
それと入れ替わるようにしてモエギが入ってきて、夕食を置いて行った。
夕飯を食べている最中も何かを考えていたのか、アオイの箸の進みは遅かった。
少し食べては止まり、少し食べては止まり。周りが食べ終わってもそのスピードは変わらず、普段の数倍の時間をかけて夕食を終えたアオイは、食べ終わってからもその場から動かず何か考え込んでいる。
そして、アオイの考え事が終わるのを待ちながらデザートに舌鼓を打っていたコガネに声をかけた。
「コガネ……何それ美味しそう」
「主の分もあるよ」
「やった。で、コガネ」
「どうしたの?」
「……あれ?いつの間に女の子バージョンに?」
「夕飯の前」
「そっか。……じゃなくてコガネ、ちょっとヒソクの所に行こう」
「分かった」
アオイの隣に座るコガネは、青年ではなかった。
白い髪と黄金の目はそのまま、少女の姿になっていた。
コガネは人ではない。本来の姿はキツネであり、どちらもコガネである。
外に出るときは男の姿の方がやりやすいからと男の姿をとり、家にいる間はアオイが好むからと女の姿をとっている。
コガネは食べ終えたデザートの皿をシンクに置き、男の姿になる。
そしてアオイと連れ立って外に出た。
「主、夜食は要りますか?」
「あー……お願い。日付が変わる前には帰るよ」
「分かりました。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
見送りに出てきたモエギの頭を撫でて、コガネはアオイを抱え上げた。
そして森の中に消える。
モエギは夜食を作るために家の中に戻った。
シオンの言葉遣いはどこの訛りでもありません。
他と違う言葉遣い、というだけです。
なので、そんな方言じゃねぇよ!と思ってもいじめないでください。