黒ウサギと善良な老人 1
黒ウサギ、という神獣がいる。
総じて小さな体躯であり、見た目は愛らしい。
黒に近い暗色の髪をしていて、何より語るべきはその無垢さであろう。
黒ウサギには悪と善の区別をつける能力が欠けている。
故に、悪意無く殺戮を行う。悪意無く、自らの欲求を満たしていく。
だが、それよりも何よりも純粋無垢であった。
誰か全く知らぬものにでも「それはやってはならぬのだ」と言われれば、その理由を聞き返す。
その理由が納得のいくものなら、言われたことはやらぬようになる。
正しく教え育てれば、黒ウサギは悪には成り果てない。
が、教え育てるところが問題であった。
何せ黒ウサギには子育ての能力がないのだから。
そのすべてが無垢な子供で止まってしまう黒ウサギには、自分が産み落とした子供であっても育てるという脳がない。
黒ウサギの子供は産み落とされてすぐに自らを守る殺戮の衝動そのままに、辺りの者を攻撃する。
そのまま成体になるか、何かに縁があり理屈を知るかは個体差だ。
危険な生き物であると狩られる黒ウサギもいれば、頼もしい相棒だと誇られる黒ウサギもいる。
黒ウサギがどう育つかは、周りに何があるかなのだ。
地竜、という神獣が近くにいれば、彼らは黒ウサギに世話を焼くので良く育つだろう。
何もいない土地に産まれれば、衝動だけに身を任せて生きるだろう。
例えばの話、産まれたばかりの黒ウサギが善良な人間の傍に来たとする。
そうするとどうなるか。
彼らは、その善良さに影響を受ける前に、衝動のままその人間を攻撃するだろう。
だがもしも、その攻撃を躱せたら。受け止められたら。
黒ウサギの動きを封じて、言葉を交わせたら。
その黒ウサギは、人間に寄り添おうとする個体に育つかもしれない。
その黒ウサギが生まれ落ちたのは、第2大陸のとある場所。
近くに村などはなく、その黒ウサギは他の個体と同じように殺戮を繰り広げながら移動を始めた。
何もわからない、何も知らない。だから、何もわからないまま移動する。
そうして、どれくらい移動したかは分からないが何か見たことのないものを見つけたのだ。
それは、人間の住む小屋だった。
あるのはその一軒だけで、周りには小さな畑が作られているがそれだけだ。
他に人が住んでいるわけではないようで、珍しい完全な一軒家だった。
が、黒ウサギにそれを理解する術はない。
見慣れないものがあるから近付き、初めてみた畑というものに足を踏み入れた。
畑を踏み荒らすが、そもそも荒らしているという意識はない。
ただ、周りより土が柔らかいのだということだけ理解した。
そして、植えられているものを引き抜いて、これは何かと考える。
考えても、分かるわけではない。
ただ、考えるという行為を試しているだけである。
そうして、慣れない考えるということをしていたからか。その黒ウサギは、初めて他の生物が接近する気配を見落とした。
「これ、荒らしてはならんよ」
「っ!……フーッ!」
「腹が減っておるなら、別のものをやるでな。そこは荒らしてはならんよ」
杖をついた老人が、家から出てきて黒ウサギの近くに来ていた。
黒ウサギの威嚇に対しても躊躇いもせず、ただ持っていたパンを差し出してくる。
その行動に、衝動より疑問が勝った。
「なんじゃ、食わんのか?毒など入っておらんぞ?」
「…………フー……」
「ほれ、食って見せれば分かるか?」
老人はパンをちぎって、その欠片を自分で頬張る。
それを見て、黒ウサギは不思議そうに自分に差し出されたパンを見る。
近寄って行っても気配も体勢も変えない老人からパンを奪い、真似して口に放り込んだ。
「うん、食べたな。それで足りなければまだあるでのお。畑は荒らさんでくれ」
「……あ、……」
「うん?」
「あらす、って、なに?」
「ああ、そうか、知らんのか」
人の姿を取れても、必要がなければ声は出すことがない。
生まれてこの方威嚇にしか使ってこなかった声を初めて言葉として使って、黒ウサギは老人を見た。
老人は驚くこともなくその場にしゃがみ、荒らされた畑の作物を持ち上げる。
「ここはな、土を耕してこれを植えているのだ。これを踏んだり、むやみに引き抜いたりしないでほしいのだよ」
「たがやす?」
「土が柔らかいじゃろう?柔らかくすることを、耕すというのだ」
「うえる?」
「種をまいてな、これを育てるのじゃ。そうして、食料にする」
「……もう、育たない?」
「いや、植えなおせばいいでな。もう荒らさなければそれでよい」
パンをかじって、老人が畑を手入れするのを眺めていた黒ウサギはふと思いついて老人の横にしゃがんだ。
何も言わず、目線だけよこした老人に不思議そうな顔をする。
「逃げないの?」
「なぜ逃げる?」
「だって、みんな逃げた。鳥も魚も、大きなのもみんな逃げた」
「それは、本能だろうなぁ。お主がそれを捕まえようとしたのではないのか?」
「だって、捕まえるものだって。殺すものだって」
「誰にそう教わった?」
「おそわった?そういうものだって、最初から」
「ふむ……まあ、儂はなあ。お主が儂を殺そうとするなら、多少は逃げるがなぁ」
「……でも、今逃げてない」
「うん?今、儂を殺そうと思うかいの?」
「……わかんない」
「なら、分かるまで手伝ってくれ。そこを掘って、これを植えるのじゃ」
「うん」
食べ物を渡されたのも、殺そうと思わないのも初めてのことで。
良く分からなくなってきた黒ウサギは、ひとまず老人の言う通り畑の手入れを手伝うことにしたのだった。
おまけ3、書きたかっただけの全く関係ない黒ウサギの話です。
でもまあ、同じ世界線だし……と言い訳をしたりします。