その五:休暇なんてなかった
「司法省から連絡だ。ドアノブに強い毒が塗られていたそうだ。矢じりに塗れない種類だったのと、傷口を押さえてたのがドアを開けた右手じゃなくて左手であったことに感謝するんだな。」
こそこそしながら安全な財務省に逃げ戻ってきた俺のもとにロベルトさんがやって来た。あなた仕事はいいんですか仕事は。
「取り敢えず、大臣と俺の妻子には護衛がついて貰うことになった。お前のご両親のところも護衛を送ってくれたそうだ。軍務省様々だな。」
「予算ちょっと増やしといてあげましょうかね。まあ、うちの両親のとこに行った人たちは門前払いくらってそうですけどね。」
「門前払いねえ。やっぱりプライドってのがあるわけか。貴族は。」
「両親というよりも賭場の若い衆が黙っていないでしょう。うちは多いんですよ血の気の多い若者が。」
「え?賭場?」
ロベルトさんが目を丸くする。
「そうですよ。うちの親父賭場経営やってて、都会の方はともかく地元では名の知れた存在ですよ。明らかに堅気じゃ無い人達からバルリエのおやっさんって呼ばれてましたから。まあかくいう私もそういう方々からテオ坊ちゃんって呼ばれて可愛がられてた訳ですが。」
「・・・なんか今、俺の中の貴族への先入観が崩れ去ったんだけど。」
貧しい移民の出であるロベルトさんには貴族は高貴に振る舞っているものというイメージがあったのだろう。実際イメージ通りの貴族も少なくないので間違っていないが。
「言っときますけどあんな不良貴族なかなかいませんからね。ただ、五十年くらい前から特権を削られ始めた貴族階級は生き残りに必死になってるそうですよ。まあ最近は大体仕分けが終わったとも聞きますが。」
「まあ、コルストア公爵が不動産でボロ儲けしてるのなんかは有名な話だな。他にも商業に手を出して成功した貴族は多いからなあ。まあしくじって文無しになったのが数倍いるが。しかし、テオの親父さんが賭場なんかやってたとはねえ。」
「まあ聞かれませんでしたから。」
ロベルトさんが俺に互いの親についての話題を振ってきたことはない。それが意図したものかどうかはわからないが、ロベルトさんはルチア連邦の貧しい移民の出だ。家庭環境になにかあったとしても不思議はない。だが、特に気にしていないし、そのままにしておくのがいいと思っている。
「えーとどこまで話したっけ。そうそう、お前は省内の不正がらみじゃないかと言う意見に俺も賛成だ。と言うわけで、休暇中悪いんだがこいつの監査を頼めるか。」
そう言って彼は小脇に挟んでいた書類をこちらに投げ渡した。
「商業省の全面協力のもと手に入れた我が省幹部の銀行口座の出納だ。支援金が欲しいのか銀行側も喜んで渡してくれたそうだよ。今、別の名義で取った裏口座が無いかを洗ってくれてるそうだ。休暇中だから無理のない範囲で構わん。ただ、誰か殺されてからじゃ遅いもんでな。」
休暇返上ってか畜生。まあただサボるわけにもいかないんだよな。今度はどこに毒が塗られることやら。
「まあわかりました。後ろ指指されない程度にやっておきます。」
「悪い、頼む。その代わり、来週に新部署が正式発足するから。やっとメドがたった。」
「まあ期待しておきます。」
やっとか。やっと正式発足か。この日をどれほど待ちわびたことか。まあ、結構な規模になって用意が必要だったのだろうが遅すぎやしないか。まあいい。棺桶を馬車にして帰郷するのはごめんだし仕事をするか。
「しかし、なんであっさり銀行は口座の情報を渡してくれたんですかねえ。汚職調査の為とは言え信用に関わるんじゃないんですか。」
定位置と化した補佐官のデスクの脇から、クラリスが尋ねてくる。彼女の言うことはもっともだ。銀行が顧客のデータを渡すなど本来あってはならないことだ。俺も、ロベルトさんから書類を渡された時は内心驚いたものだ。
「今でこそ銀行は事業として成功を収めてるけどね、銀行の制度ができて事業が始まったばかりの頃はまだうまくいくかどうかは未知数で、否定的な意見の方が多かったんだよ。そんな時、銀行に注目して全力で支援に取り組んだ人が商業省にいたんだ。その人の説得を受けて、財務省が銀行業界への支援のために予算を割いたの。で、結果、銀行業界は大躍進を遂げた訳なんだよ。だから銀行業界は商業省と財務省、特に商業省には頭が上がらないんだよ。」
「へえー。そんな事があったんですか。」
「ちなみに、その銀行に注目して支援に取り組んだ人ってのが今のユベール商業大臣ね。出世したんだよその後。」
「あのおじさんそんなすごい人だったんですね。」
さて、そんなことを話していると1つ目にとまった項があった。
「クラリス、悪いけど抜き取りの一覧表取って来てくれるかな。机の引き出しの二番目の1番上だ。」
口座主が・・・コンスタン・ルグラン書記官か。明らかに怪しい。他の面子と桁が1つ違う。
「はい、これです。」
空いている左手に控えておいた抜き取りのリストが滑り込む。
1万、4000、8000、1万2000、抜き取られた額とほぼ一致している。これはコイツと見てほぼ間違いないか・・・
「ルグラン邸に張り込んで居た奴からの連絡だ。奴さん荷造りを始めたそうだ。証拠は他にも掴めたが、これは明日にでも捕まえないとならん。だがここで1つ良いことを考えたんだが。」
休暇明け当日、寝室と化した補佐官執務室に朝っぱらからロベルトさんが訪ねてきた。
「良いことって何する気ですか。」
「まあまあ耳を貸せ。」
おいおいマジかよ。幾ら準備をしてあるとはいえ危なすぎやしないか。
「まさかそれを私にやれって言うんですか。お断りですよ。」
「でも残念ながらまだ大臣補佐の仕事なんだよねこういうの。」
「はあ。わかりましたよ。まったく。」
まったく、ここ最近損な役回りばっかり押しつけられてる気がする。給料多めに貰ってるらしいんだけど使う暇が無いから意味が無いんだよなあ。生きて帰れんのか俺。
翌日の早朝、俺は単身ルグラン邸に向かった。所属と名を名乗ると、あっさり主人の書斎へと通してくれた。やけに落ち着いた調子で佇む彼になるべく威厳を纏うよう努め、書類を叩きつけて啖呵を切った。
「コンスタン・ルグラン書記官。貴方に公金横領の疑いがかかっています。よって直ちに私と共に財務省へ出頭願いたい。これは要請ではありません命令です。」
「ほう。思ったより早かったな。」
窮地のはずの書記官はまるで他人事のようにつぶやいた後、扉に向かって大声で叫んだ。
「やれ!!」
途端に扉が開いて剣を抜き払った男が3人ほど飛び込んできた。
やっぱりこうなっちゃうかー!
「私を殺すとよろしくないことになるのでは。」
「ご忠告、ありがたく受け止めておくよ。よろしくないことになる前に君を始末して逃げなければならないな。」
一応それっぽく脅してはみたがまったく意味をなしているようには見えない。そうこうしている間に、背後の男3人は、じりじりと間合いを詰めている。無駄に部屋が広いせいで未だ斬りかかられていないがこれはよろしくない。と、そのときだった。
バーン!
轟音と共に部屋のガラスが砕け散り、気づけば剣を構えた赤毛の女が立っていた。
「あんたが大臣補佐殿か。待たせたね。」
彼女は俺を見てロンド訛りでそう言った。
まったく、見ず知らずの傭兵に命預ける身にもなってくださいよロベルトさん。
「怯むな。女が一人増えただけだ。まとめて片付けろ。」
雇い主の言葉に応じて男達は次々と俺との間に割って入った女剣士に斬りかかっていった。
が、彼女が左手から放った魔法で1人が吹っ飛び、それを見た他の連中も怖じ気づいて思わず後ずさりした。良い風魔法だ。見ていてわかる。魔道の才なんて全くもって無いがな。
「ブラッグ・フラッグって知ってるか。こういう稼業の人間なら知らないはずはないよなあ。」
やや情けない様子の男達に彼女はゆっくりと語りかける。
「ブラッグ・フラッグ、それがどうした。」
ブラッグ・フラッグ、隣国のロンド共和国を中心に活動している大手傭兵ギルドだ。戦闘員のみならず賞金稼ぎやフリーの密偵も多く所属していると聞く。
「あそこで強い奴がどう呼ばれてるか知ってるよなあ。幾つかの階級に別れてカードの名前で呼ばれんだ。上からエース、キング、クイーンって具合にな。そんでもって『亡霊の女王』の名に聞き覚えは?」
言うや否や男達の表情が様変わりした。
「そんな・・・いや間違いねえ。片手半剣と魔法を使う赤毛の女剣士、奴だ!」
「嘘だろ!伝説の賞金稼ぎだぞ!勝てるわけがねえ!」
彼らとは対照的に女剣士は上機嫌だ。
「いやあ。そうも褒められるとは光栄だ。しかし、宮仕えも案外悪くないかもしれないねえ。」
いやこっちも驚きだよ。ブラッグ・フラッグの精鋭を引き抜いたとは聞いたけどそんな大物だとか聞いてないんですけど。あんまそっちの方面よくわからないけどすごい人なんでしょ?いくら金積んだんだいくら!
「あ、ああ・・・」
不意に背後からそんな声が聞こえる。振り返ると、割れた窓の向こうのバルコニーで膝から崩れ落ちる書記官の姿があった。彼の視線の先にはリンドウの腕章をつけた男達に次々と組み伏せられていく警備兵の姿があった。「正義」の花言葉を持つリンドウの腕章は司法省捜査部のトレードマークだ。今までどこに隠れていたのやら。事前に何が起こるか知っていても、降って湧いたようにしか見えない。
「司法省に頼んで精鋭を出して貰いました。捜査部第5執行隊、ご存じですよね。」
殺されかけた仕返しにさらっと追い討ちをかける。派遣して貰ったのは元軍人が多数を占める司法省の精鋭中の精鋭、「ダイゴ」こと捜査部第5執行隊だ。軍の最精鋭たる竜騎士隊は「戦場よりもおぞましい」とすら評される過酷な訓練で有名で、負傷して除隊処分となる者も多い。そんな候補生の受け皿となっている部隊だ。
脇を見ると、石像の如く微動だにしないルグラン書記官の姿があった。「絶望」とでも題名をつけて品評会にでも出せば悪くない値がつきそうだ。彼は遅まきながら自らの終わりを察した様であった。
ロベルトさん発案の、「余罪を増やす作戦」大成功だった。