その四:休暇は突然に
「あれ、今日も寝ちゃったんですか私。」
部屋のソファーベッドから金髪の少女が分離する。
「そりゃあ経験を積んでない人間が徹夜に挑戦したらそうなるよ。」
彼女は昨夜も徹夜で仕事をしようとして、結局途中で寝てしまったのだ。いくら華奢な女性と言えど、ソファーまで運ぶのは、筋肉のない俺には少々つらかった。
「というか君は俺と違って定時で帰っていいんだぞ。てか帰ってくれ。ぶっ倒れられたら敵わない。」
「でも私、少しだけど回復魔法が使えるのでもしもの時はそれで・・・」
「疲労は回復魔法ではどうにもならないからね。」
「でも解毒の魔法で眠気をとったりは出来るので・・・」
「それは眠り薬とか使われた場合でしょ。この状態で解毒魔法使ったら眠気覚まし解毒して逆に眠くなるから。」
まさか魔法学の授業がこんなところで役に立つとは思わなかった。これでも座学では結構いい点数が取れたのだ。実技はポンコツとしか言いようがなかったが。
「ところで今夜も徹夜になると思うんだけど、事務仕事をする人間の間で有名な話があるんだけど知ってる?」
「・・・聞いたことなら一応。」
途端に元気がなくなるクラリス。
「三徹を超えると悪霊が憑くって奴ですよね。変な言動をするようになったりとか何かに怯えたりとか・・・」
「実際は悪霊が憑いてるんじゃなくて疲労で精神がおかしくなっちゃってるって言われてるけどね。一晩寝れば元に戻るらしいし。で、その話続きがあるんだけど・・・」
「そうなんですか。」
「・・・三徹して何もなければ本物だって奴なんでけどね。」
「本物って一体何の?」
「さあね。あはは、あははははははは!」
「ちょっと、テオさん怖いです!怖いですって!」
いやあ面白い。自分でも何が面白いのかよくわからないけどそれがまた面白い。
「おいテオ、クラリスちゃんからお前がヤバいと聞いて来てみたんだが大丈夫か。」
さっき部屋を離れたクラリスがロベルトさんを連れて戻ってきた。
「ああ、ロベルトさん。あなたを呼んだ覚えはないんですが、まあいいでしょう。丁度相談したい事がありまして。」
「おい、テオお前大丈夫か。明らかにおかしいぞ。」
「大丈夫ですよ。すっごいポジティブになれてます。ほら、明るいでしょう。ねえ。」
「そりゃ、そんだけ瞳孔開いてりゃ明るくもなるだろうさ。お前三徹したんだろう。そろそろ休んだらどうだ。」
三徹?そんな馬鹿な。まだ二徹のはずだ。
「何言ってるんですか。俺はまだ二徹しかしてませんよ。大臣補佐官になってまだ三日目なのにどうやって三徹するんですか。」
ロベルトさんが即座に怪訝そうな表情を浮かべてクラリスに尋ねる。
「・・・クラリスちゃん。こいつ何徹した?」
「・・・三徹です。」
ちょっと待て、一緒に仕事をしてきたはずなのにどういう事だ。
「何を言ってるんだクラリス。俺が大臣補佐官に正式に就任する前から徹夜をしてたとでも言うのかい。」
二人は何も答えずに目配せをする。
「クラリスちゃん。使いっ走りばかりで悪いが、医務室に行って先生を呼んできてくれ。」
「わかりました。」
「さて、テオ。いいか、今日は十一月の十七日だ。これはわかるな。」
「やっぱり食い違ってます。今日は十六日じゃないんですか。」
「いや、今日は十七日だ。これは紛れもない事実だ。」
「馬鹿な!そんなはずはありません!」
しばらくの間ロベルトさんと水掛け論をしていると、クラリスが医務室のランヴァン老医師を連れてやって来た。
「先生。コイツです。」
「うむ。これはちとまずいですな。主席書記官殿、お耳を拝借。」
トレードマークの顎髭を撫でながら近づいてきたランヴァン先生がロベルトさんに耳打ちする。
「なるほど承知しまし、た!」
なんと話を聞き終わるや否やロベルトさんがいきなり俺の両手首を掴んで押さえ込んだ。
「ちょっと、何するんですかロベルトさん!」
「いいから黙ってろ!」
振り払おうとするが、軍務省といい勝負が出来る体格のロベルトさんと結構細身な部類に入る俺とでは勝負にならなかった。
「よーしそのまま、そのまま。」
気がつけばロベルトさんとは反対側で、老医師が俺の服の袖をめくり、手の注射器を刺そうとしていた。
「待って!それは・・・・いった・・・い・・・」
腕に針の刺さる感触を覚えると、そのまま意識が朦朧としてくる。なんとか引き戻そうと試みるも、そのまま深淵へと落ちていった。
突然に意識が戻る。見えたものは白い天井。周囲を見渡してみると、机の前に白衣を着た老人が一人。
「よく眠れたかい、大臣補佐官殿。」
「えっと、俺は一体・・・」
「大臣補佐官は前の四人のことがあるからね。早めにドクターストップをかけさせて貰った。手荒な方法で申し訳なかったとは思わないでも無いがね。」
「ああ、はい。」
そうだ仕事の方はどうなっただろう。
「仕事はあんたの秘書の子が常識的な量請け負って、主席書記官殿が上手く分配してくれたらしいよ。出来るなら最初からやっとけって言っといたがね。」
「そうですか・・・」
「大臣補佐官にあんたを無理矢理据えた主席書記官はともかく、秘書の子には今度お礼の品でも持って行った方がいいだろうね。」
「あはは、そうですね。」
「あ、そうそう。主席書記官が十九日まで君を病気休暇にしておいたって言ってたよ。今は十七日の夕方だから丸二日間あるね。ゆっくり休みなさい。」
「いいんでしょうか。休暇なんか貰っちゃって。」
他の人に仕事を押し付けて自分だけ休暇を取るのはさすがに気が引ける。
「いいんだ、いいんだ。事が事だよ。それに元はと言えば主席書記官が蒔いた種さ。しっかり収穫させないとね。」
「本当にいいんでしょうか・・・」
「平気さ。ただし秘書の子にはきちんとお土産を持って行くこと。」
「肝に銘じておきます。」
こうして、俺の二日間の休暇は突然に始まった。
自宅、もとい官舎へ帰り。鍵を開けドアノブに手をかけようとしたその瞬間、
ビュンッ!
不意に風切り音が聞こえた。思わず首をすくめると、肩のすぐ上を矢が掠めた。急いでドアノブをひねり部屋に入ろうとした瞬間、右肩に刺すような痛みが走った。それに押される形で部屋に倒れ込む。傷口を押さえつつなんとかドアを閉めて鍵を掛け一息つく。傷口を確認してみたが、少し切り傷になっている程度で大したけがではなかった。
いやはや危ないところだった。まだ不用意に外に出ては危ないし、傷の手当てをしつつ襲われた理由について考えてみることにした。
最初に考えたのは金目当ての強盗という線だったが、強盗がわざわざ弓に狙撃という手を使う理由がわからなかったのであっさり消えた。家捜しするにしろ、身につけるものを奪うにしろ弓など背負っていては邪魔で仕方がないだろう。
となると俺の暗殺を図ってということになる。いったい誰がどんな動機で。まず仕事絡みで考えてみよう。仕事絡みで俺が消される動機は二つ。いつの間にか同僚から相当な怨恨を買っていたか、はたまた文書の監査権を持つ俺に見られては不味い書類があったか。恐らく後者だろう。一つ思い当たる節があったのだ。財務省内で何件か金の出納が噛み合っていなかった事例があったのだ。その都度大臣やロベルトさんに報告をし、本来大臣補佐官の仕事であるはずの不正の捜査を代わりに行って貰っていた訳だが、それを察知した犯人が殺し屋を雇って俺を殺し、捜査の攪乱を図ったのだろう。
そこまで考えたところでノックが聞こえてきた。どちらかというと殴った音に聞こえた。
「どなた様?」
我ながらさっき命を狙われたとは思えない間の抜けた声で覗き穴を覗くと、顔を真っ青にしたクラリスが立っていた。
「どうぞ、入って。」
「無事だったんですね。テオさん!」
「グフッ!」
俺に飛びつく形で部屋に入ってきたのだが、勢い余って俺は頭突きを喰らう羽目になった。
「お見舞いに来たらおうちの前に矢が刺さってたんですごく心配だったんですよ。」
そりゃそうだろう。それで何も感じなかったら大した肝っ玉だ。
「ところで怪我はないんですか。」
「ああ。ちょっと矢がかすっただけ。大した事はない。」
「大丈夫ですか?もし毒が塗ってあったら・・・」
確かに十分あり得るが、特に傷口に変化もないので大丈夫だろう。
「大丈夫だと思うけど・・・」
「一応解毒魔法かけておきますね。」
そう言って彼女は詠唱をはじめた。全く魔法の詠唱はいつ聞いても眠くなっている。
「あれ、あれれ?」
少々うとうとしたところで、彼女の妙に高い声で目が覚める。
「魔法が、右手に・・・」
「へ?」
ふと右手を見ると、いつの間にか真っ白のモヤに包まれていた。