その三:突撃!魔境の司法省
「よおテオ。司法省に行くって聞いたんだが。」
あの軍務省からの嵐の翌日、徹夜明けの俺に任された仕事は司法省との折衝だった。
「耳が早いですね。ちょっと予算案の細かいとこを詰めたいって話があって。」
たまたますれ違ったロベルトさんの顔面を不安という名の雨雲が覆い隠した。
「お前・・・知らないのか・・・」
「知らないって何を?」
「我らが司法大臣のことだよ。」
「あの『華奢な豪腕』ですか。」
「そう。うん。まあ、あれだ。頑張れ。」
お気の毒に。口には出さなかったが、ロベルトさんは確かにそう言っていた。
「一つ助言をするとしたら、まあ、岩になれ。」
「岩?」
「相手が何を言おうと動じず、何をしようと退くな。」
いつになく非散文的な表現だ。
「奴らは軍務省の馬鹿どもとは別方向で質が悪い。気をつけろ。それでどうにかなる問題ではないかもしれんが。」
「まあ、肝に銘じておきます。」
この時俺は知りようがなかった。司法省がどんなにヤバいところかなんて。
以前の司法省は凄まじい腐敗で有名だった。しかし二年前、事態を憂慮した国王陛下のバックアップのもと汚職の一斉摘発が行われた。正式名称「司法省における職権を利用した不法行為者の大規模検挙計画」またの名を「司法省の洪水」。これにより現在はほぼ腐敗は一掃された。
だが、少しばかり代償が大きすぎた。大臣、大臣補佐官に主席、次席判事を始めとする判事十名を含んだ司法省上層部十二名の内、汚職による逮捕を免れた者は僅かに二名。引責辞任をした大臣を除けば判事が一名残るのみという、さながら大洪水の後の様な状態だったという。
今その復興を行っているのが洪水の唯一の生き残りにして、その指揮を執り、事後処理を成功させた当世きっての女傑、マドレーヌ・フォルタン女史だ。「華奢な豪腕」とかいう屈強そうな異名とは裏腹に、当人は強い正義感を持ちつつも常に冷静で理知的な人物ともっぱらの評判だが、さてどんなものやら。
「これはお忙しい中ご苦労様です。司法省大臣マドレーヌ・フォルタンです。」
「ねぎらいのお言葉、誠に恐縮にございます。財務省新大臣補佐官テオドール・バルリエです。」
「まあ、おかけになってください。ああ、申し遅れました。司法省大臣補佐官カミーユ・ウトマンです。」
大臣の執務室では、顔立ちの整った若い男女が待っていた。軍務省の襲撃を受けた後だといい目の保養になる。むさ苦しい丸刈りなど見たいかと言われれば見たくない。
「早速来年度の予算案ですが、今年度と同じ二十五億パリス前後というかたちでよろしいでしょうか。なにぶん、大摘発以降ある程度の体裁は整えたものの、まだ細かい点を詰めていくというのが思うように進んでおりませんもので・・・」
「二十五億ですか・・・他省との兼ね合いもあるので現段階で断言はできませんが恐らく大丈夫かと。まあただ財務省としては少しでも多く蓄えをしておきたいので削れるようなら削って頂きたいですね。魔王の復活が近いですし、周辺諸国の動きも気がかりと言えば気がかりです。戦争が始まって急激な増税を課した結果滅びた国家もあります故・・・」
「了解いたしました。こちらも再び閣議にて調整を行います。」
ロベルトさんはああ言ってたけどなんだか和やかにいきそうだ。良かった良かった。
「大臣、では次回閣議で予算案の再調整を・・・」
ウトマン大臣補佐官が要件を言い終わる前に、フォルタン大臣は机を平手で叩いて立ち上がり、大臣補佐を睨みつけた。眼鏡の向こうから感じられた彼女の視線は妖艶なものだった。
「何?今の口の利き方は?」
「え、いやしかし、人前では・・・」
大臣は有無を言わさず哀れな大臣補佐の胸ぐらを掴む。
「私の言うことが聞けないの?そんな悪い子にはお仕置きが必要だわ。」
いつの間にかもう片方の手でどこからともなく鞭を取り出している。
「は、はあ。」
「貴方は私をなんと呼ばなくてはいけないか。言ってみなさい。」
胸ぐらから手を離したかと思ったら鞭でひっぱたいた。
「申し訳ございませんでした。マドレーヌお嬢様。」
「そうよ。それでいいの。聞き分けのいい子は大好きよ。」
そうは言いつつも、鞭は無情にも行ったり来たりを繰り返す。
・・・えっと・・・何これ?え、何なのこれは?俺は一体ナニを見せつけられているの?てかお嬢様というより女王様だろ。ってそうじゃなくて。
一瞬、いや二瞬か三瞬くらい、俺はこの理知的な大臣が、悪霊か何かに憑かれたんじゃないかと本気で思った。来客の前でナニやらかしとるんじゃあんたら。
「私にお客様の前でこんな恥をかかせて一体どう責任をとるつもり?これじゃあ今夜も眠れないわねえ。」
あの眠れない発言は徹夜な俺がきついんで勘弁してもらえませんかねえ。あといつまで続くんすかコレ
「も、申し訳ございません。」
「あらあ、気持ちがこもってないじゃない。もしかして私のお仕置きが楽しみなの?そうなの?」
「いえ、そのようなことは・・・」
「意地を貼らずに認めたら如何?自分はお嬢様のお仕置きを悦ぶ変態ですって。素直な子は好きよ。」
「自分はお嬢様のお仕置きを何よりも楽しみとするド変態です。」
そうか。これが司法省のヤバさか。頑張って論理的に考えると、これは交渉相手の冷静さを欠かせ、自分達の有利に事を運べるようにする作戦ではないのか。そうでもなければ、余程公私の区別がないか、お互いに衆目に晒すことで感じる雲の上レベルの変態と言うことになる。タネが解れば何のことはない。
が、だからといって平常心で見ていられるようなものでもない。そんなことができる人間はそれこそ相当なツワモノ、というかゲテモノの類いでだ。俺は一応、こういうのには耐性がある方だと思っていたが、さすがにびびった。
そしてもう一つあらぬ事に気がついてしまった。部屋の隅にある棚の一番下の一角・・・間違いない。アレは・・・
大人のオモチャだ!
実物を見るのは二回目だ。幼い頃、使用人の部屋で見つけたものを拝借して家庭教師の先生に持って行ったところ、非常に気まずい雰囲気になったのをよく覚えている。後に全てを知って、納得したものだ。
というかよりによって執務室で一体ナニをヤっているんだあんたらは!
それが向こうの作戦とわかっていても突っ込まざるを得ない。
「あら、ごめんなさいね。うちの大臣補佐ときたら能が足りなくて。」
「ああ、いえ。取り敢えず・・・予算案の件は、大筋は二十五億で細かい調整をお互いに行うと。」
「ええ。それで構いませんよ。」
「では、予定がつかえている故、これで失礼させて頂きます。」
俺は執務室から逃げるように、というかがっつり逃げ出した。
うん。司法省恐るべし。
「お帰りテオ。その表情を見ると例の洗礼を受けてきた様だな。」
財務省に戻って待ち構えていたロベルトさんに開口一番そう言われた。
「ああ・・・はい。というかあれ弾劾されたりとかしないんですか」
「別になんのルール違反にもあたらないからな。例えいかがわしいものでも『インテリア』を部屋に置くのは認められてるし、部屋の中でいかがわしい事をしている証拠もない。」
「なんか・・・腑に落ちないです。」
なんとも役人らしい考え方だ。まあ役人の俺が言えた事でもないだろうが。
「仕事あるんで失礼しますね。」
「おお。そうだったな引き止めて悪かった。」
なら最初からやるなよと言いたくなったが、時間が惜しいのでやめといた。
「お疲れさまですテオさん。」
「ああ。それより進捗はどうだい。二徹からは経験が無いからどうなるかわからんのだが。」
「ええと・・・残りはこれくらいですね。」
クラリスが差し出してきたのはこんもり積もった書類。
「・・・一つお願いしていいかな。」
「私に出来ることならなんなりと!」
「お金渡すから近所の薬屋で眠気覚まし買ってきてくれる?瓶三つくらい。」
さーて人生初の二徹目だ。頑張るぞ!・・・はぁ。