その二:初日からこの始末
「大臣補佐官就任おめでとうございます。テオさん。」
翌日、新しく貰った執務室で俺を待っていた金髪の少女は秘書のクラリス・ヴァロン。書記官になった時に俺のもとに配属されたのだが、常に笑顔を絶やさずによく尽くしてくれている。今日だって、俺は定時より少し早く来たのに彼女は待ち構えていた格好だ。「未来の財務大臣」とも言われている俺を狙った玉の輿だとも噂されるが、そんなことを気にしてはいない。
そもそも、俺は玉の輿はそこまで悪いことだとは思わない。第三者がどう思うかは置いておいて、当人同士からすればWIN-WINというやつではなかろうか。
「地獄の門前で働くことが果たしておめでたいのかねえ。」
「でもお給料は上がるんですよね?」
「まあ上がるな。使う時間が無いから貰っても意味ないが。」
「もう、そんなことばっかり言ってたら出来る仕事も出来ませんよ。笑顔笑顔。」
苦笑いを隠そうとしない俺をそう諭す。
「わかりました。気をつけます。」
笑顔のお手本のような表情で言われたらそう言うしかないだろう。まったく。
「さあ、仕事を始めるぞ!と、いきたいところだが、なんだいこれは?」
仕事机の上には俺の腰から首まではある書類の山が。しかも三つ。
「今日中に監査をして欲しい書類だそうです。さっきロベルトさんが持って来ました。」
「えーと、いつまで?」
「今日中だそうです。」
「・・・聞き間違いかな?今日中って聞こえたけど・・・」
「今日中ですよ。」
・・・やっぱりか。これは過労で死にかけるわけだ。まあ財務省の文書全てが集まってるからこうもなるか。というかタレーラン元大臣補佐官は一日でこれを片付けていたのか。もはや狂気すら感じる。なんだったのだあの人は。
「まあ泣き言を言っても仕事は減らないし、やりますか。」
「はい!頑張りましょう!」
というわけで地獄の業務が始まった。まずは書類監査。あちこちから出された書類を確認し、主に金額の出納が合っているかをチェックする。他の省では、通常監査のために部署が一つ存在するが、我らが財務省にそんなものは存在しない。代わりに大臣補佐官がいる。誰がどう考えても狂気の沙汰である。
よくよく考えれば、立場を悪用すれば大臣補佐官は金の抜き取りがし放題だ。タレーラン元大臣補佐官は清廉、というか「金の動かし方はよく知っているが、金が使えることを知らない」と揶揄されるレベルで物欲が皆無であることは有名だったので、この点を問題視する者は財務省にいなかったが、つい数年前大臣補佐官含む省上層部が二名を残して全員汚職で逮捕された司法省などが聞けばきっと、いや必ずひっくり返るだろう。
数字を読み取り、計算機に入力し、スイッチを押し、出てきた数字と書類の小計の部分と見比べる。
とても簡単明瞭な仕事。しかしこんなに量がある。ロベルトさんが試作品を文化省から貰ってきた最新の魔法式計算機が無かったらと思うと身震いがする。元大臣補佐官はこれを暗算で(機械式の手回し計算機があったのに)しかも秘書もつけずにやっていたという。もはや彼は新手のそういう性癖だったのでは無いかとやっていて思えてきた。その方がよっぽど納得がいく。
ドン、ドン。
ドアの向こうから聞こえてきたその音によって、作業は一旦中断される。どうやら他の省からのお客様の様だ。しかしこんなドアノブも蝶番も揃って壊れそうなノックをする文官はいない。誰もこんなことで始末書を書きたくないからだ。となると・・・
「軍務省大臣補佐官、マチアス・ペルグランであります。」
案の定軍務省の関係者だった。軍務省の人間はどうも好きになれない人が多い。しかもよりによって、「軍務省の鉄頭」がやってくるとは。決して馬鹿では無いと言われているが、政治や経済に無理解で融通が利かないと有名な人だ。己の不幸を呪いたくなってきたが、生憎呪えるだけの魔術の才を持ち合わせていなかったので諦めることにした。
「どうぞ。お入り下さい。」
「失礼いたします。」
バタンと大きな音を立ててドアが開く。その先に立っている丸刈りの恰幅のいい男は、どうも部屋の扉を城塞の門か何かと勘違いしているようだ。これが常在戦場の心持ちという奴だろうか。財務省に来ても徹底するとはご苦労なことだ。まあこれから予算を巡って戦うことになるだろうから、そこまで的外れでも無いかもしれないが。
「あなたが新大臣補佐官ですね。」
「ええ。テオドール・バルリエと申します。このたび大臣補佐官へ昇格となりました。」
「それはそれはおめでたい。」
「ありがとうございます。」
またこれだよ。人の苦労も知らないで。
「では早速本題へ入らせて頂きたいのですが。」
「構いません。というかお願いします。」
「来年度の予算案の事なのですが・・・」
そら来た。毎年この時期は予算で揉めるのだ。特に軍務省は恫喝まがいの行為を行う者もいると聞く。軍の補給などを預かる主計部の出身者は話が通りやすいと言われているが、ペルグラン大臣補佐官は前線から中央にのし上がったことで有名なのだ。
「予算案になにかご不満でも?」
なるべく平静を保てと肝に銘じて聞き返す。
「はい。大いに不満です。我が省の予算が少なすぎはしませんか。」
「少なすぎる?五十億パリスでですか?」
「ええ、少なすぎます。倍の百億は出して頂きたい。」
「はい?」
うっそだろオイ!国家予算の三分の一だぞ!あんたら経済を食い潰す気かよ・・・
「結論から申し上げますと不可能です。」
「不可能ですと?理由をお聞かせ願いたいものだが。」
「百億パリスは国家予算全体の三分の一にあたる膨大な額です。それを全て軍務省につぎ込めば我が国の経済機構が崩壊します。」
「そうならぬようにするための貯蓄があると聞いたのだが。」
その話を掴んでいたか・・・所詮軍人と侮っていた。ここは嘘偽りを言ってもしょうが無いか。
「確かに貯蓄はございます。しかしそれは天災や戦乱などが起こった有事に備えてもの。このような平時に無駄遣いをするわけにはまいりません。」
「平時!無駄遣い!本気でおっしゃっているのかバルリエ殿?」
どうも軍人上がりの大臣補佐官殿の頭が暖まりつつあるようだ。沸点も近いだろう。これが達したときに果たして俺は冷静でいられるか。
「本気で無ければなんだと思っていらっしゃるのですか?」
「今が平時であると?北方のロンド共和国は我々への挑発を繰り返しておりますし、古の魔王の復活も近いと聞きます。これが平時?安寧を謳歌するのは結構な事ですが平和ボケは国を滅ぼしますぞ。」
「平和ボケねえ。あまり戦、戦と騒ぎ立てても国が滅ぶと私は考えるのですが。」
途端に、彼の顔はみるみる朱に染まっていった。どうも沸点に達してしまったようだ。仕事机がだめになるくらいの覚悟はしておかなくては。
「あなたは我々を侮辱するのか!」
両拳を机に叩きつけて、彼はそう咆哮した。
「今の発言の何処が侮辱にあたったのか私にはわかりかねますが。ご説明願えますか?」
机がベキッという悲鳴を上げたのを気にしないようにしながらあくまで落ち着いた態度で問いかける。
「我々が祖国を滅ぼそうとしているとでも言うのか!」
「私はあくまで自分の意見を仮定の形で述べたまでです。特定の誰かが国を滅ぼそうとしているなどと言った覚えはございません。」
そもそも我々ってなんだよ。どうせあんたを担いでるごく一部だろうが。ん、さてはこいつ
俺はとあることに気がついた。
「さっきから『我々』とおっしゃっていますが、あなたはここに『軍務省の代表』として来たのですか?それとも『大臣補佐官』として来たのですか?」
「どういう事だ。私を煙に巻く気か?発言の真意は何処にある。」
「では聞き方を変えましょう。」
会話が若干食い合わないことに不安を抱えつつ更にたたみかける。
「あなたは軍務大臣からの要請をうけてここを訪れたのですか?それともご自身の判断で訪れたのですか?一体どちらでしょうか。」
「私自身の義務感によってだ!それがどうした!」
大当たり。何がマズいのかを理解していないあたり恐怖を感じたが、これで堂々と追い払える。
「ではお引き取りください。私の職務は『他省』と折衝を行うこと。決して『他省の方』ではありません。」
「なんだと?」
「職務に無い事を行うほどの余裕がございません故、お引き取り願えますか。」
「くっ!この礼儀知らずめ!」
彼は乱暴にドアを開け、顔を真っ赤にしたまま去って行った。丸刈りな為、後頭部まで真っ赤だった。礼儀知らずはどっちだよ全く。取り敢えずドアは無事だった。次があるかもしれないけど。たまったものではないが。
「す、すごく怖かったですぅ」
クラリスはかわいそうに涙目になって震えていた。
「よしよし今日のところはもう来ないだろうから、仕事に戻るぞ。」
「はい・・・。」
出来れば今日どころか二度と来ないで欲しい。少なくとも、この省に他省との折衝を担当する部署が、他所と同じように出来るまでは。