第2話 腐女子にも日常がある
理想的な攻めとしての容姿を手に入れ、雪は大はしゃぎだった。色々なポーズをとり、数々のセリフを暗唱し、言うのもはばかれるようなあんな事やこんな事もした。
まさにイケメンを満喫しきった頃、ここで一つ問題が起きた。
(も、戻り方がわからない!)
確かにイケメンになりたかったのは事実だが、雪には雪の日常があり、この姿のままでは不都合な事が沢山ある。
もう一度ハンディライトで下から照らしてみる。…何も起こらない。
「えっまじでどうしよう!?」
ベッドの上でゴロゴロと転げ回る。勢いあまって、ゴツン、と大きな音をたてて床へと落ちた。
「ぐきゃあああっっっ!!!」
今年一番の大声を出したのではないか、という位に叫んだ。激痛に悶えていると、コンコン、とドアがノックされる。
「すっごい野太い声で叫んでたけど、大丈夫?」
そう言ったのは雪の母だ。雪はやばい、と思ったが、先ほどしっかり施錠した事を思い出し、ほっと息をつく。
それでも、いつまでも黙っているわけにはいかない。それこそ、不審に思った母が鍵を開けて入ってきてしまうかもしれない。
「…ダイショウブダヨー」
「そう? なら良いけど…」
何とか裏声を駆使する事で事なきを得た。
通常の雪の声と似ても似つかなかったが、母が気にしている様子はない。まあ、良しとしよう。雪はほっと息をついた。
(何だあれ…)
ベッドの下、僅かな隙間の薄暗い闇の中で、一冊の本を見つけた。
薄い本…いわゆる同人誌である。何故か無性に気になって、そっと引っ張り出す。
被っているホコリをそっと払うと、ぼやけていた表紙がはっきりと見えてくる。
初めてハマり、腐の道に堕ちた要因となったキャラクターの魔法少女パロだった。
あまりの懐かしさに、ちょっとした走馬灯を見ながら、薄い本を開く。
ある日、ひょんなことから魔法少女に変身出来る砂時計を手に入れる雪の推しキャラ。
この砂時計がまた厄介で、砂が落ちてる間しか変身出来ない。しかも、その時間を超えちゃうともう戻れなくなっちゃうとかいう設定だ。
「ピンチになると絶対に彼氏が助けに来てくれるんだよな~」
戻る方法もまた厄介で、砂時計を反対にして砂が落ちきるまではそのままの姿。そのくせ力は使えないから、敵に見つかったら大変な事にーーーん、戻る方法?
「……逆から照らすだけかよ」
◆◆◆
雪は黒板消しを綺麗にする作業が好きだ。
間違えないでいただきたいのは、黒板を消すのが好きなわけではないということだ。
「雪、黒板消してからにしなよ」
「私は黒板を消したいんじゃない、黒板消しを綺麗にしたいだけなんだ!」
「アホ、日直の子が困ってんだよ!」
分厚い英和辞典の角で殴られる。見事、脳天を撃ち抜かれた。雪は、これ下手したら死ぬんじゃないだろうか、と思ったが親友の気迫に何も言えなかった。
柊 千歳は雪の幼馴染であり、腐女子仲間でもある。何なら雪がここまで腐の道を突き進んだのも、千歳の影響が大きい。
同じく腐女子の姉を持つ千歳は、知識も深く、人を引き込む術もよく知っていた。つまり、当然の結果だったのだ。
千歳は細い眉とその上で切り揃えられた前髪がキツい印象を与えるが、それぞれのパーツが整った美人だ。オタクだからこそ、身なりには気を使え、というのは千歳の教えだった。千歳に擬態の難しさを語らせたら、夜通し続くことだろう。
「…そういえば、問題の最新話見ましたか?」
「当然でしょ」
気を取り直して席に戻ると、ずっと言いたくて仕方なかった話題を切り出す。
「私の推しが最高に輝いていましたよね」
「せやな、ウチの推しじゃないのにあれはキタね」
「だろ!?」
その後も熱く語る雪を他所に、千歳はスマホを弄り出す。自身のハマっているアプリゲームのイベントを走るためだ。
高速でタップを繰り返しながら、雪を横目で見る。一通り語り終えて、力尽きたらしい。いつの間にか机に突っ伏している。
「でも、珍しいね。雪がスマホ弄ってないの」
「……まあね」
あのさ、と雪が顔を上げる。やけに真剣な顔をしていて、(珍しく)悩み事だろうかと心配になる。千歳はタップする手を止め、スマホを机に置いた。
「BLにおけるカップル♂の出会い方ってどんなだっけ…」
「は?」
何を言い出すんだこいつは。もちろんボリュームは抑えているものの、堂々と公共の場でそんな単語を出すんもんじゃないだろう。白けた視線を、千歳は雪に向ける。
「そんな顔すんなって!こっちは真剣なんだぞ!」
「創作ならやめときなよ。雪は絵心ないし、文章も書けないだから」
「違う違う。そういうわけじゃない…」
雪はぶんぶんと手を顔の前で振って否定する。創作じゃないなら何なのか、と突っ込みたいところだが、聞いたら長くなりそうだ、と千歳は聞くのを止めた。
「色々読み返してみたんだけど、いまいち法則性を見い出せないというか……」
「まあね、そりゃ色々あるでしょうよ。ウチが最近読んだやつだと、普通の友達だった二人がラッキースケベをキッカケに意識しだす…みたいな感じだったよ」
千歳の言葉に、雪の瞳が輝きだす。雪は椅子から立ち上がると、千歳の肩を掴む。
「それだ!!!千歳天才なの!?ラッキースケベか~!!その発想はなかった!!!」
「まあ天才はウチじゃなくて描いた人なんだけどね」
「あとその漫画今度貸してください」
千歳はいつにも増してわけがわからない雪が心配に……いや、いつもこんなものか、と思った。