間話 無尽の二番弟子
アレンティエルが始めに教えられたのは、当然基礎となる部分だ。
魔力の成り立ち、感じ方、動かし方、扱い方。
それを言葉ではなく、思念でレンは伝えた。
するとアレンティエルは十日かからずに体得した。
ニエラを驚愕せしめる早さだった。
どんなに才のある魔術師でも、その修得には二ヶ月から三ヶ月は要していた。
ニエラの師であるブレイアルタスも、思念による指導を行う事はあった。
しかし効果が特別高いわけでもなかった。
それは、魔術についての真実を知らなかったからだ。
レンは、それを知っている。
だから魔力を正しく制御する方法が、アレンティエルには伝えられていたのだ。
次に来た際には、レンは魔力量を増やす方法を教えた。
やはり思念で、想像をそのまま伝える。
これはその日には出来ていて、やはりニエラの度肝を抜いた。
それはブレイアルタスのやり方に酷似していた。
無尽だと言うこの少女は、師の弟子なのかと考えたくらいだった。
「いや、レンには師と呼べる者はいないらしい。
ほぼ独学なのだと聞いた事がある。」
「そんな、独学で無尽と呼ばれるまでになったと言うのですか!」
「恐ろしい才能よな。
師事したくもなるだろう?」
アレンティエルが師にレンを選んだ事の理由が、ニエラにも理解出来た気がした。
当たり前の魔術師に師事しても、当たり前の魔術師にしかなれない。
無尽ならば、ひょっとしたらと考えたのだ。
ニエラはそう推察した。
アレンティエルの魔術修得は、ここで一度止まる。
肉がとうとう耐えられなくなった。
身体中が痛みを訴えた。
ニエラが走り、痛み止めを投与し、ようやく落ち着く。
だが痛みの感覚が残り、それが尚アレンティエルを責め苛んだ。
責め苦は何日も続き、アレンティエルの肉体は毎日少しずつ失われていった。
呻き、もがこうとするものの、声が上手く出せず、身体も動かない。
ニエラは看病を続けた。
痛みの無さそうなところを選んで腐肉を取り除けば、次第に骨が露出していく
月日が経つにつれて骨の部位が増え、肉は崩れ去ってしまう。
主人の変わり果てて行く様は、ニエラの心を容赦無く蝕む。
おぞましいだとか穢らわしいだとか、そんな思いは一切無かった。
ただ、何も出来ない事が無力で、無念だった。
苦しまずにすむような、せめて和らげられるような魔術など、一つも無い。
妹と義弟の作る薬だけが、頼みだった。
だがそれも、肉体の崩壊が半分を過ぎた頃に意味を無くした。
痛みを感じなくなったのだ。
そうなればアレンティエルは随分と気楽になった。
しかし、全ての感覚が失われた。
何も見えず、何も聞こえず、身体は動かず、触れた感触も得られない。
(お前がこうして話しかけてくれなければ、俺は早晩狂っていたであろうよ。
ニエラ、感謝している。)
(勿体なき、お言葉でございます・・・。)
自分は何も出来なかった。
苦痛を和らげる事も、いっそ崩壊を進めてしまう事も。
ただ見て、腐り崩れ行く肉を片付けていただけ。
それがニエラには、もどかしかった。
(そばにいてくれたではないか。
俺は一人では無かった。
だから安心して、腐るに任せていられたのだ。
これからも頼むぞ。)
(はい、ご主人様!)
そうしてとうとうアレンティエルは、肉体の全てを失った。
(嫌な仕事をさせてしまったな、ニエラ。)
(何を仰いますか。
私はご主人様の手足のようなもの。)
骨だけとなった主人の身体に、保護するための薬剤を溶かした溶液を丹念に塗っていく。
聞いた話では、これ以上は失われないと言う事だが、妹の使った薬は匂いも良かったので、何となくそうしていた。
しばらくの間があって、レンがやって来た。
「お久しぶりです、アレンさん。
今日は良い物を持って来ましたよ。」
レンは言葉に出しながら、念話で話す。
そして一つの首飾りを、骨となったアレンティエルの首にかけた。
「無尽様、この首飾りは?」
「ニエラさん、念話でアレンさんに聞いてみて下さい。」
言われるままに念を繋ぐ。
すると興奮したようなアレンティエルの思念が、怒涛となって押し寄せた。
(お前がわかるぞ、ニエラ!
見える、と言うわけではないのだが、そこにいるとわかる!
お前がどんな顔をしているかも、仕草も、声もわかるのだ!
こちらから話せぬ事がもどかしい!)
「いえ、話せますよ?」
「何だと!」
「・・・ね?」
その首飾りには物と音、匂い、触感を知る力と、言葉として整えた思念限定で、それを音に変えて発する力が込められていた。
「こんな魔導具まで用意しておるとはな。
お前には畏れ入るばかりよ。
ありがとう、レン。」
「良いんですよ。
無いと困ると思っていたので。」
その日は魔術を一つ教えて、レンは帰った。
無尽は、それを浮遊だと言った。
けれど、ニエラの目には違うものに見えた。
具体的に知る事が出来ず理解の範疇を超えていたが、その魔術によって、アレンティエルはようやく自分の意思で動く事が出来るようになった。
白いローブを羽織った骨が浮き上がって彷徨く様はなかなかに奇怪であったが、屋敷には二人しか住んでいないので問題が無かった。
その日から、アレンティエルは妙にニエラに触れたがった。
「いや、触った感覚があるのだ。
それが不思議で、それに嬉しくてな・・・。」
「私はご主人様に全てを捧げる所存ですから構いませんが、仕事中は困ります。」
「ほう。
ならば、夜這いでもかけるとするか!」
「そ、そういう意味では・・・!」
からかって楽しむ性癖はしばらくなりを潜めていたのだが、感覚を取り戻し、自分の意思で動けるようになって、ようやく余裕が生まれていた。
ニエラは赤面しながらも、それを喜ばしく思っていた。
「ニエラ、起きよ。」
深夜、寝台に眠るニエラの耳にアレンティエルの声が聞こえた。
頬に優しく触れる骨の手を見て、本当に夜這いに来たのかと慌てたが、主人の様子は剣呑としたものであった。
「侵入者よ。
俺一人で片付けられるものかわからんのでな。
お前も手を貸してくれ。」
「侵入者であれば、私が片付けて参ります。」
「いや、良い。
俺もどの程度の事が出来るか、確かめておきたいからな。」
アレンティエルは、既に戦う気だった。
それに、少々脅かしてやろうと言う悪戯心も湧き上がっていた。
「俺が単独で試してみよう。
力が足りぬと感じた時には、お前に頼むとしよう。
それまでは、陰にいろ。」
「・・・かしこまりました。」
ニエラは不服に思っていた。
けれど、魔術を覚えたばかりの頃の自分も、やはり同じように試したいと思ったものだった。
ならば、ここは命じられた通りに従い、後に自分が始末を付ければ良い。
そう考えた。
賊は三人だった。
高い塀に、立派な装飾の門。
宝の匂いもあったが、何が塀によって隠されているのか。
それを知ろうと言う思惑もあった。
鍵は、中級魔術によって開けた。
それだけの魔術師であれば、国に雇われる事も出来た。
冒険者として大成する事も出来たはずだ。
しかしその男は、盗賊である事を選んだ。
忍び込み、盗む。
その緊張感と達成感に、愉悦を見出だしてしまったのだ。
普通に生きる事など出来ない。
そんな男が三人集まったのだった。
屋敷の中は、当然だが暗い。
もちろん盗みに入っているのだから、この程度の闇はお手の物だ。
物音一つ立てず、三人は屋敷内を物色する。
しかし、一人が異変に気付いた。
「何か、白い物が見えなかったか?」
「白い物?
いや、見ていないな。」
「そうか・・・。」
三人は気にせず探索を続ける。
玄関前の広間、食堂、厨房、応接間。
何処にも大した物は無い。
大人しく二階でも探そうかと階段に足をかけたその時、からからと言う乾いた音が響いた。
何が鳴らした音なのか、三人にはわからない。
ただ、既に気付かれている。
そんな予感だけは、はっきりと感じていた。
「逃げるぞ。
嫌な予感がしやがる。
こんな時は、逃げるに限る。」
「そうだな。
この屋敷は、何処か不気味だ。」
「逃げるなら、急ぐぜ。
幸い玄関はすぐそこだ。」
三人はゆっくりと、用心深く退く。
扉に手をかけ、ゆっくりと開けようとした。
「開かねえ・・・。
鍵がかかってねえのに、開かねえぞ!」
「どけ!
どうせ封鎖の魔術だ。
すぐに解除してやる。」
しかしそこへ、声が響き渡った。
おぞましく低く、重い声が。
「もう帰るのか、客人。
忙しない事だな。
だが、帰れるかな?」
振り返ると、階段を悠然と下りてくる白い人影があった。
僅かな光に照らされるその姿は、骸骨。
白のローブを纏った骸骨が、ゆらゆらと迫っていた。
三人組は、腰の剣を抜いた。
その内の二人が同時に襲いかかる。
しかし、その刃が届く事は無い。
二人の身体はふわりと浮き上がり、上下を反転されて頭から床に叩き付けられた。
「何だ、そりゃ・・・。」
そんな魔術は、見た事も聞いた事も無い。
男二人は容易く意識を刈り取られた。
三度も四度も脳天を打ち付けられたのだ。
生きているかも怪しい。
咄嗟に、魔術師は魔槍を投げていた。
暗い屋敷の中で、正確に位置を指定出来る魔術師は少ない。
闇に慣れていたとしても、至難の技だった。
そうなれば自然と、手は撃ち出す魔術に限られる。
魔槍ならば威力は充分だ。
仲間の二人に意識が向いているところで投げたこの魔槍ならば、骸骨を葬る事が出来る、はずだった。
魔槍は途中で速度を緩め、骸骨の目前で止まってしまったのだ。
「なるほど、これが・・・。
綺麗なものだ。
だが、まあこの程度か。
返すぞ?」
魔槍が進路を変え、魔術師へと戻った。
慌てて避けるが、その瞬間には身体が浮いていた。
視界が反転する。
そして自分も、仲間二人と同じ運命を辿るのだと、悟った。
三人の賊は、衛兵に運ばれて行った。
手加減はしたつもりだが初めての使い方で、アレンティエルには自信が無い。
衛兵を見送ったニエラは、早速アレンティエルに迫り寄っていた。
「ご主人様、あのような魔術を一体いつの間に修得されていたのですか!
素晴らしいお力でした!
感服致します!」
「何を言うておる。
ただの浮遊であろうに。」
その何でもないとでも言うような言葉は、ニエラにとっては信じ難いものだった。
自分の知る浮遊とはかけ離れ過ぎている。
浮遊が他人に使えるなど、聞いた事の無い話だった。
全く別の魔術であるなら、無尽の魔術師から教えられたのだと考えられたのだが、アレンティエルは浮遊だと言った。
「私の知っている浮遊とは、自分にしか使えないものでございます。
他者に使えるはずが・・・。」
「ふむ、そうであったか。
魔術の名前は何とでも付けられると聞いた。
レンは、こちらの魔術も浮遊と呼んでいるのかもしれんな。」
「なるほど。
似たものであれば、同じ名前で呼んでも差し支えありませんし、そのような事かもしれませんね。」
ニエラは納得した。
無尽は、これまでに無かった新しい魔術を多数修得していると言う噂があった。
それが真実だったと言うだけの事なのだ。
「さすがは無尽様。
私も教えを請いたいところですが、それはいささか厚かましい事でございますね。」
「俺でまだ、弟子は二人目だと言うからな。
あまり増やしたくはないのだろう。」
後日尋ねたところ、レンはアレンティエルの発想力を見たかったのだと話した。
浮遊は、本来は念動と言う名の魔術であり、それにいつ気付くかと言う事を試していたのだ。
レンはアレンティエルを誉めちぎった。
こんなに早いとは思わなかったと跳ねて喜んだ。
主人を試されたニエラは良い顔をしなかったが、師が弟子の力量を計る事など当たり前だろうとアレンティエル自身が言ってしまえば、ニエラとしては納得せざるを得なかった。
今後もこの試験は続けられ、一つ教える度に試行錯誤が行われた。
魔術書にあるものを基本としているが、必ず何処かが違っている。
それはニエラにとっても魔術への考え方を改める機会を与えており、期せずしてニエラは新しい魔術を修得するに至っていた。
その屋敷には、死霊が住む。
その噂が何処から出たものか、誰も知らない。
しかし、美しくも冷酷な使用人を見ていた人々は、あり得るかもしれないと、半分疑いながら、心の何処かで確信を抱いていた。




