魔術師、兄妹を助ける 一
その男は激昂していた。
薄暗い牢の中で、鞭打たれた身体に呻き。
それでも悪態を吐き出した。
「ハルパーめ、汚え手を使いやがって・・・。
糞ったれが!」
鉄格子を蹴り、鬱憤をぶつける。
美しい色合いを持つ金の髪は血と埃に汚れ、碧色の目は片方が腫れ上がっていた。
身体のあちこちに打たれた痣があり、血が滲んで見るに耐えない状態であった。
牢は如何にも雑な扱いで、布や糞尿の器も無い。
他にも何者かが入れられているのだろう。
臭いが酷く、鼻はとうにその仕事を投げ捨てた。
男は奥の壁に寄りかかって座る。
その目は状況に反して、安堵を感じさせるものだった。
(あいつは、妹は逃がした。
手薄な東なら逃げ延びられるはずだ。
東はハルパーと同じ法国からの領主だが、あの無尽の弟子だと聞いてる。
あの、レンの!
きっと匿ってくれる。
きっと力になってくれる。
無事に逃げられれば、後は大司教二人が何とかするだろ。
俺の役目は終わったんだ。
後は頼むぜ、妹よ。)
ハルパーと言う男は、法国において新たな土地、元山国だった土地を治めていた。
そこでの善政が認められて八石の大地南方地域の領主に推薦され、現在はそこで領主を務めている。
四十を過ぎ、茶の髪が少し後退を始めた、茶の目を持つ小太りの男だ。
穏やかな物腰で、領民に慕われている。
しかし今、ハルパーは激昂していた。
「必ず探し出せ!
たかが女一人だ。
行き先など知れているだろう!」
普段見せぬ形相に、しかし騎士達は動じず従う。
この騎士達は、ハルパーに長く従ってきた者達だった。
その目的も共有している。
すぐに動き出し、部屋を後にしていく。
「女一人でも逃せば、私達の計画が知られてしまう。
王の崇高なお考えを踏みにじった、下郎共へ報復するための計画が・・・!」
「大丈夫ですよ。
知られたところで、奴らには対抗する手段など無いのですから。
今頃東は魔物の群れに襲われ村一つを失っているでしょう。
彼らにはそのまま都市へ攻め入るよう、ハルパー殿が指示を出しました。
東はそれで終わります。
西は、あの女一人では治めきれないでしょう。
西方は、実質彼女の兄が治めていたようなもの。
その兄もこちらの手の内にあります。
攻めれば、容易く陥落出来ましょう。
そのために、力を蓄えていたのですから。
万事順調ですよ、ハルパー殿。」
ハルパーのそばには、一人の男の姿があった。
漆黒の髪を持ち、紫に輝く瞳がハルパーを見据える。
起伏の薄い面立ちの男だった。
ハルパーは首飾りに付いた鮮やかな赤い宝石を撫でる。
愛でるかのように、優しく。
「そうだな。
何も問題は無い。
お前の言う通りだ。」
二人はにやりと笑った。
兄は東へ逃げろと言った。
領地のある西ではなく、東へ。
何故なのか理由はわからなかったが、兄の言う事に間違いがあった事など一度も無い。
だから何の疑いも無く従えた。
世間知らずで無知の自分とは、昔からまるで違う人間だったと彼女は記憶している。
民と戦士と貴族と王族と、その全てを繋ぐ架け橋となって、いつも走り回っていた。
そのせいであまり会う事も出来ず寂しく思う時もあったが、時折現れた際に相談に乗ってもらうと、自然と何もかもが上手く行った。
そばにはいてくれない、けれど頼りになる兄だった。
だからこちらに移り住んで再会出来た時も、嬉しい気持ちが強かった。
無理矢理な婚約が嫌で逃げ出したのだが、大司教の願いで領主となって良かったと思った。
この兄は、長兄と違って婚姻の事を一切話さなかった。
おかげで気楽だった。
仕事は二人三脚で順調、魔物への対策も兄が連れて来てくれた戦士達のおかげで万全。
何もかもが、かつてと同じに上手く行っていた。
今日までは。
兄が妹に話した、捕まってしまった後に訪れるであろう境遇は、彼女を恐怖させるに充分だった。
自分は男だから大丈夫、そう話す兄の顔は精悍で、いつも通りの頼れる兄のものだった。
妹を捨て置けば、一人で幾らでも逃げられただろう兄は、妹を逃がすための囮となった。
おかけで妹は、今森の中をひたすら真っ直ぐ走っている。
兄は、自分は殺されないと話していた。
人質としての効果がある内は大丈夫だと。
今はそれを信じて走るしかない。
どうか無事であってくれと、妹は祈った。
森は魔物の領域だ。
けれど他に逃げ道が無かった。
しかし不思議と、魔物に遭う事は無かった。
何故か、まで考える余裕は無かった。
妹はひたすらに走る。
息は切れ、体力も限界にある。
それでもと思うが、足がもつれ、危うく転倒するところで何とか持ち堪えた。
木に隠れ、息を整える。
ここまで来れば大丈夫、そう思った。
しかしそれは、浅はかな考えだった。
自分が来た方から、音が聞こえて来る。
それも複数。
隠す気など無いのだろう。
草木を揺らしながら、金属の音を鳴らしながら、彼らは妹を追って来ていた。
捕まりたくない。
捕まったら、誰が兄を助けるのか。
(そうよ。
私は兄さんを助ける。
そのためにも、捕まるわけにはいかない!)
再び走り始める。
音を立てずに走る事など出来はしない。
だが、彼らは遊んでいるのだろう。
一気に距離を詰める事をせず、じりじりと追い詰めて来るのだ。
自分に出来るのは、そこに付け入る事のみ。
妹はただ走り続けた。
その真っ直ぐな思いは、届いた。
「大丈夫ですか?」
二人の女性が目の前に姿を現した。
足を止めてしまった妹に小さい方の人影が、そんな声をかけた。
妹は、信じられないものを見るような、そんな目で二人を見ていた。
「あら?
もしかして、マーナじゃない?
久しぶりね!
こんなとこで、何してるの?」
「追われてるみたいですよ、ユニア。」
「へえ、マーナを追ってるのね?
それなら、敵ね。
レン、マーナをお願いね。
あちらさんは、私が片付けておくわ。」
「手加減は・・・、しませんよね。」
「当然。」
マーナは涙を流した。
こんなところで会えるなどと、思いもしなかった。
この二人が助けに現れてくれるなどと、とても信じられるものではなかった。
「もう大丈夫ですよ、マーナさん。」
「ああ、レン!」
堪えられず縋り付き、抱き締めた。
森からは、十数人の断末魔が聞こえた。
男が寄って集って女にする事など知れている。
特に楽しみながら追い詰めるような輩などは。
ユニアの剣に、情けは無かった。
酌量の余地も無く、兵士達は殲滅された。
戻ったユニアには返り血の汚れなど一つも無く、如何に一方的だったのかを物語っている。
血の臭いすら、彼女はさせていない。
「マーナ、ここで会えて良かった。」
ユニアは腕を回し抱き締める。
ほんの四半刻でもずれていたなら、自分達は会えなかっただろう。
そういう縁だったとしか言えない。
安堵の溜め息が深く漏れた。
しかしマーナにとっては、それどころではない。
「お願い、二人共。
カル兄を助けて!」
「カルニサイルも来てるの?」
「捕まってるんですね?
わかりました、行きましょう。」
レンは感知により、方向を見定める。
人が集まっている場所はすぐにわかる。
そちらへ向かえば、すぐに到達出来るだろう。
その間に、二人はマーナから事の次第を聞いた。
「ハルパーなんて貴族、法国にいたかしら?
まあ、私も詳しい方じゃないけど。」
「こちらの領主を任せられる程ですから、良い領主なんですよね?」
「そうとも言えないみたいよ。
東方は、フリントが来るまでは酷かったそうだし。
偽装された評判とか利権とか、色々あるんじゃない?」
「ハルパーは、確か元山国の地域を統治していたとカル兄が話してたわ。」
「ああ、なるほどね。
それなら元山国の貴族か王族ってとこなんじゃない?
あそこ、最後は大陸の支配を目指しちゃったでしょ?」
「こちらでその悲願を、ですか?」
「無くはないかも。
私達を捕らえようとするくらいだし。」
話す内に、森の端まで到達した。
塀があり、その向こうに兵舎、そして領主の屋敷が見える。
「定番ですが、地下牢がありますね。」
「それならこっちも定番で行く?
私が陽動、レンが救出。」
「それで行きましょうか。
適度で逃げちゃって下さいね。
ユニアなら、多分全滅とか出来ちゃいますし。」
「善処するわ。」
「マーナさんは私と行きましょうか。」
マーナは途轍も無い安心感を抱いていた。
その軽い調子は兄のカルニサイルを思わせ、何もかも上手く行くと感じられたのだ。
思わず笑みがこぼれた。
ユニアは陽動に向かう。
向かったのだが、ちょうど騎士団が出撃して行くところだった。
延々と続くような人数に驚きながら、木々の陰に身を隠してやり過ごす。
ユニアの見立てでは、およそ二千。
八石の大地ではかなりの兵力と言える。
それが戦支度を整えて、何処かへ進軍して行く。
何処かを攻めるのだ。
ならば自分はどうするべきか。
答えは一つだった。
後を追い、挟み撃ちにする。
平和を乱そうとする馬鹿者共に容赦する心など、ユニアは持ち合わせていない。
気付かれないよう、後を追った。




