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魔術師、自由を得る 四

四階へと至る階段前の部屋。

その片隅で、レンとユニアは休息を取ろうとしていた。

明かりを消し、漆黒の闇の中で毛布にくるまり、交代で眠りにつく事にしたのだ。

「お先にどうぞ、ユニアさん。」

ここまで、彼女は動き続けていた。

レンももちろん魔法で援護していたが、それ程疲労してはいなかった。

だから、先に眠ってもらいたかったのだ。

「ありがと。

三時間くらいで起きるから、それまでお願いするわね。」

そう言うと、ユニアは静かになった。

耳と、床を伝わる震動に意識を向け、集中する。

息は殺し、音を立てないよう努めた。

一切の沈黙の中、ユニアの微かな寝息だけが耳許に聞こえている。

眠気に襲われないか心配していたが、緊張している事もあってか意外にもそうはならなかった。

暗くて見えないが、目の前にはユニアの顔がある。

彼女からこうして、抱き締められる事が多くて慣れつつあったが、意識してしまうと心臓が早鐘を打った。

不意に数人の、人間と思しき足音と微かな話し声が聞こえた。

冒険者の一団が立てる物音だろうか。

入り口側の壁に寄っているために、自分達と同じようにここで休息を取ろうとしない限りは気付かれはしない。

案の定彼らは部屋を通り過ぎ階下へ、四階へと下りて行く。

酒場でよく見かける、顔馴染みの一団だった。

男性だけの五人組で、確か彼らは未だレンの事を女性だと思っているはずだ。

こちらには気付かなかったらしく、ちらりとも振り返らなかった。

それが何やら可笑しくて、表情だけ微笑む。

存外に、気付かれないものだった。


ユニアはまだ眠っている。

今も変わらず暗闇で見られないが、彼女らしからぬ愛らしい寝顔がレンは気に入っていた。

普段は綺麗と言った方が正しい顔立ちなのだが、眠っている時だけは可愛らしいのだ。

それを知っているのは、今は町にいるはずの彼女の仲間三人を除けば、きっと自分だけだ。

そう思うと、少しだけ心が浮き立つようだった。

今この暗闇のせいで見られないのが残念だ。

きっといつもの寝顔で、この囁くような寝息を立てているに違い無い。

(やっぱり、惹かれてるのかな・・・。)

何とは無しに、そう思った。


およそ三時間後、ユニアは目を覚ました。

「レン、代わりましょ。」

小さく声をかけると、ひそひそとユニアの耳許でレンが返事をした。

「はい、了解です。

おやすみなさい。」

明るい調子で言って、レンは身を横たえた。

突然の、耳許への口撃に不意を突かれて、ユニアは危うく声を上げるところだった。

やられた、と思った。

少し悔しかったのと、ちょっとした仕返しに、レンを抱き寄せその耳を軽く噛む。

ん、と妙に艶めかしい声が聞こえて、ユニアは堪らず吹き出した。

声を殺して呼吸だけで笑う。

レンが不機嫌になった気配は感じたが、それすらも想像するに可愛らしく、笑いを堪え切れない。

一息ついたところで再びきゅっと抱き締めて、耳許で囁く。

「ごめん。」

「いいですけど。」

声色が低めになっていて、不貞腐れているとわかる。

お詫びに腕枕を提供した。

鍛えているせいで少し硬いのだが、きっと無いよりは良いはずだ。

「大丈夫なのですか?」

不貞腐れていたかと思えば、すぐに人の心配をしている。

ユニアは、レンのそんなところを好ましく思っていた。

「遠慮しないでいいわよ。

硬いけど、寝辛くない?」

「ちょうど良いくらいです。」

照れ臭そうな言葉の調子で、もう機嫌も直ったのだとわかる。

いや、きっと最初から不機嫌でもなかったのだとユニアは思った。

軽口のやり取りのようなもので、レンなりに合わせてくれたのだ。

そう考えれば、打ち解けてくれているのだと実感出来た。

枕にしていない左腕で引き寄せて、その額に口付けする。

「そろそろ、ね。

おやすみ。」

はい、小さく聞こえた。

口付けておいて、ユニアは感じた。

顔も耳も、熱を持ち始めたのを。

レンに聞こえてしまわないか心配になる程、鼓動が激しくなってしまったのを。


レンの細い寝息が聞こえ始めたのは、それから半刻程してからだった。

寝入るまでに時間がかかってしまったが、これならきっと悪夢も見ずに済むだろう。

ユニアは外へと意識を回す。

静寂に包まれており、今のところは問題無さそうである。

時折何者かの物音が聞こえるが、幾らもしない内に遠ざかって行く。

その度に息を細く吐くが、実際にはそこまで緊張しているわけでもない。

一階や二階においては、冒険者の通りが激しい通路付近は比較的安全だが、三階以降はその限りではない。

好戦的であったり、集団行動を行う種が増えてくるのだ。

しかしそうは言っても、階段付近はまだまだ安全と言えた。

冒険者が一組二組休息していたりするものだから、下手に近付くと痛い目を見ると、魔物達も知っているのだ。

今はユニアとレンしかいないが、彼らにとってはここ一帯が危険区域だ。

わざわざ赴く者は少ない。




「三階ともなると、やはり危険な魔物が多いですね!」

大きな蟷螂を前に、メランは苦戦を強いられていた。

両の鎌を巧みに繰り出し斬り刻もうとする蟷螂に対し、完全に後手に回ってしまったのだ。

また、蟷螂は膂力も侮れないだけのものを持っていた。

必要かと考えて再び構えた盾は、既に破壊された。

曲剣を両手で握り締め、次々襲い来る鎌への対処に追われているところだった。

「こちらと代わってみるか?」

「遠慮します!」

エンリアを挟んだ反対側では、ルタシスが動く骸骨の戦士と戦っていた。

その数は四。

エンリアにまで通さずに済んでいるのは、ルタシスの技量によるものだ。

それは、メランには出来ない事だ。

「くっ!」

右手を浅く、鎌がかすった。

革の篭手の上から受けたはずなのに、右手の甲に刺すような痛みが走る。

見れば篭手が斬り裂かれていた。

その鋭利さに、背筋が凍る思いがした。

このままでは危うい。

しかしメランには、起死回生の策などは無い。

今はただ蟷螂の攻撃をひたすら避け、隙を待つ事しか出来ないのだった。

目を凝らし、神経を集中させる。

攻撃を防ぎながら、一瞬を窺った。


その骸骨戦士達は、エンリアの浄化を受け付けなかった。

しかしそれは、彼女の魔法の未熟さによるものではなかった。

エンリアは、恐怖してしまったのだ。

慈悲をもって救うべき相手を怖れてしまっては、浄化魔法は効力を発揮しない、祈りは届かない。

しかしこれも、良い試練になるとルタシスは考えていた。

メランだけでなく、エンリアも経験が不足している。

ならばここで、メランと同じように乗り越えさせる。

それが出来れば、エンリアも神官として更なる向上を望めるだろう。

「エンリア。

彼らをよく見るんだ。」

骸骨戦士を剣術のみならず、足技をも使って巧みにあしらい、ルタシスは呼びかけた。

彼女が顔を上げるまで、根気よく、何度も。

「彼らをよく見るんだ。

恐ろしいか?

それは見た目だけだ。

こんな姿になってまで、彼らはここに囚われている。

そんな彼らを、エンリアは恐ろしいと言うのか?」


ルタシスの声は聞こえていた。

何とか顔を上げて、変わり果てた姿の戦士達を見る。

しかし恐ろしかった。

おぞましい姿だと思ってしまった。

正視に堪えない魔物だと、目を背けてしまった。

世界には、不死と呼ばれる魔物がいると聞いてはいた。

書物で読み、絵を見て、どのようなものか理解していた。

理解したつもりでいた。

骨に、腐肉がこびり付いていた。

目が無いのにこちらを見ていた。

絵とは比べ物にならない程、怖気を誘う姿だった。

見ていられなかった。

立っていられなかった。

こんなにも震えた事など、生きてきて初めてだった。


ルタシスの声が聞こえる。

「こんな姿になってまで、彼らはここに囚われている。

そんな彼らを、エンリアは恐ろしいと言うのか?

見るんだ、エンリア。

彼らとて、望んでこの姿でいるわけではない。」

牽制し、迎撃し、一体たりとも通さない。

ルタシスはその上で、エンリアに語りかけている。

それはきっとメランの時と同じ。

ルタシスは自分のために、危険に身をさらしながら教えてくれているのだ。

そう、理解した。

「考えるんだ。

彼らは何者だ?

わかるだろう、彼らも元は俺達と同じ・・・。」

「・・・人間。」

エンリアはようやく顔を上げた。

どうして忘れていたのか。

書物で読んで、知っていたではないか。

あれは、人の変わり果てた姿。

ひとまとめに魔物と呼ばれてしまっているが、本来ならば魔物とは呼べないはずの者達ではないか。

エンリアは思い出した。

自分には、やるべき事がある。

恐怖は消えない。

しかし今そこにあるのは、それだけではない。

「彼らは恐ろしいか、エンリア。」

エンリアは立ち上がった。

もう、目はそらさない。

「恐ろしいです。

けれど、この姿はあんまりです・・・。」

その目からは、光るものが流れ落ちた。

彼らにも、慈悲を。

エンリアは心から、安らかな眠りを祈った。

光が、もたらされた。


骸骨戦士達は、エンリアによって救われた。

蟷螂は、メランとルタシス二人によって倒された。

「二人共、よく戦った。」

表情からは疲労が窺えたが、その目は強い輝きを宿している。

深く頷いて、二人の頭を優しく撫でた。

妹か娘でも出来たような心地だった。

(いや、この場合は弟子か。)

二人の成長が、嬉しく思えた。

「では、帰ろうか。

調査に必要な経験も、充分積めただろう。」

奇しくも、挟み討ちを経験出来たのだ。

成果は上々と言えた。

三人は二階への階段を目指し、歩き始めた。




「あら、ルタシス。」

「む、ユニアか。」

それは考えもしなかった、突然の遭遇。

こうなる事を避けていたはずの、最悪の事態だった。

ルタシスは、まずいと思った。

引き返そうにも、もう既に遅かった。

ユニアの後に続くレンの視線が、ルタシスの後にいるエンリアに向いてしまっていた。

見る間にその目が恐怖に染まっていくのがわかる。

レンは手を胸に当て、身を竦めるように強張らせて、顔色を変えて怯え始めた。

エンリアが大神殿から来た神官だと、察してしまったのだ。

ユニアはすぐに気付いて、レンの背に腕を回して宥め始める。

何故迷宮に、と思わないでもなかったが、ユニア達にしてもそれは同じ事だとわかるので、何も言えなかった。

「何と言うか、済まんかった。」

「いやこっちも、似たようなもんだし・・・。」

お互いに間が悪かったのだとしか、言いようが無かった。


「ルタシス様、あちらのお二人は?

具合が悪いようですが。」

「俺の知り合いだ。

具合は俺が診るよ、エンリア。

ここで、待っていてくれ。」

ここで、を強調し、ルタシスはレンに駆け寄った。

目にしただけでこれ程の恐怖を抱いてしまうのだ。

エンリアを近付けるなど論外だと判断した。

すぐに自分だけで近寄り魔法をかけ、精神状態を落ち着かせる。

「大丈夫か、レン。

済まないな、俺が不用意だった。

だが見たところ、あの二人は悪い人間ではない。

君に何かした連中とは、関わりが無いと思う。

だからどうか、落ち着いて欲しい。」

レンはルタシスを見つめた。

その目は魔法をかけて尚暗く澱み、晴れる事は無い。

今は落ち着かせる事すら満足に出来ない。

酷く、もどかしかった。

「あなた達が、聖都の大神殿の?」

ユニアはレンを抱き締めたまま、エンリア達に声をかけた。

ルタシスは度肝を抜かれる思いだ。

何故だ、と目で訴える。

「もういっそ、問い質しちゃった方が早いじゃない。

レンにとっても、きっと良いわ。」

エンリアとメランは困惑している。

いきなりの事なのだ、仕方がない。

ルタシスは深く、溜め息をついた。

「視察に来たエンリアと、護衛のメランだ。

故あって、俺が預かっている。」

手招きされた二人は少し距離を置いて近寄った。

そしてそれぞれに挨拶する。

レンは今のところ、大丈夫なようだ。

怯えてはいたが。

ルタシスはその頭を撫でてやった。

それで少しでも、安心出来れば良いと思った。

「怖がられているのですね、私達は。」

エンリアが、悲しそうに呟いた。

しかし何かに思い当たったのか、ユニアへと目を向けた。

「その方はもしかして、以前大神殿にいらっしゃったのでは?」

「心当たりがあるの?」

「これは、話して良いものかどうか・・・。」

エンリアは口ごもっている。

恐らくはレンの、深く私的な部分に関わる事なのだろう。

言葉を選ぶ様子で、エンリアは口を開いた。

「レン様、でしたね?

あなたはもう、大丈夫です。

あなたを追う者達は全て、あなたに手を出せません。

だからどうか、安心して下さい。」

「それは、どういう・・・!」

ルタシスは思わず大きな声を上げてしまう。

しかし声を出してから、これは聞いてはならない事だと気付き、追及の言葉は引っ込めた。

レンを見れば、目を見開き絶句している。

そんなレンに、エンリアは微笑みを見せた。

「もう大丈夫ですよ。」




レンには、その言葉を鵜呑みにする事が難しかった。

自分を買った男は地位が高く権力を持ち、そして執拗な人間だった。

それを思えば、用意周到に手を尽くしているはずなのだ。

例えば人を騙すための、演技に長けた人材を送り込むなど造作も無い事だろう。

ユニアがそうでない事は、出会った状況から判断出来る。

接する事によって、信用に値する人物だとも知れた。

ユニアの仲間であるのだから、ルタシスについても大丈夫だろうと判断した。

しかし、彼女らは違う。

大神殿から来た者を信用する事など不可能だ。

あの男の息がかかっていないと、どうしたら考えられるのか。

レンはユニアの腕に抱かれ、ただ震えを抑える事しか出来なかった。


その男は大神殿の中心、大司教の立場にいた。

その権力と、偽りの人望によって大神殿を掌握していた。

そしてその陰で、レンと同じような少年を多数抱え込み、人を人と思わない非道さで命すらも弄んでいた。

思い出すだけで恐怖が蘇り、胸の傷痕が痛む錯覚に陥る。

その男は、買い付け、拐って来た少年達の身体と心を欲望の赴くまま責め苛み、飽きれば研究と称して人体実験の末に命を奪った。

魔法の開発のための試し撃ちに使われた少年は炎に焼かれ、精神を狂わされ、治療と破壊の果てに息絶えた。

人体の調査のために、自分よりも小さな子が生きながらに斬り刻まれ、解剖されるのを見せられた。

明日は我が身と絶望し、されるがままとなっていたレンにも、やはりその時は来た。

従順な態度と少女の容姿から気に入られていたレンは、一年程続いた責め苦の後に特別な実験体に選ばれた。

大司教が人を超えるための前段階として必要な、確認のための実験だった。

大司教と神官達はレンの胸を大きく切り開き、その心臓に魔石を埋め込んで治療した。

その傷はあまりに深く、痕は完全には消えなかったが、第一段階は成功した。

レンは死ななかった。

しかし魔石を取り出す時には殺されてしまうのだと知れていたのだから、早いか遅いかの違いでしかないとわかっていた。

次の段階としては経過観察だったが、普段の従順な態度から警戒がその瞬間だけ緩んだ。

その機に、レンは逃げ出した。

死に直面し、無為な死を拒絶したレンに魔石からもたらされた溢れんばかりの魔力が、脱出の助けとなった。

至近距離で魔力を迸らせ、たった一人でレンを移動させていた神官を吹き飛ばした。

暴走する魔力は、壁を破壊するにも充分な力となった。

そして外へ出て、聖都を走って抜け出した。

それ以降は魔石は安定し、レンの意思に従って働くようになった。

魔法を知らないレンは魔力の矢を放つ程度しか出来なかったが、それで狩りをする事で何とか命を繋ぎ、生活の糧とした。

そうして金銭を得る手段を手にし、やがて冒険者として、さらには魔術師として、充分なだけの物を持つに至った。

しかし大司教は諦めていないと知った。

酒場に行けば、時折自分を探す依頼が出ていたし、見知らぬ人間に見られていると感じる事が増えた。

幸い手配が不充分で、仕草まで女性に見える自分を少年と思う者はいなかった。

捕まっていた時は絶望のあまり身振り手振りがおざなりで、そう言った仕草が出ていなかったからだと考えた。

そうして聖都を離れ、流れ流れて法国の僻地へ、この町へと辿り着いた。


町に着いたレンは、始めに酒場を訪れた。

そして掲示板に依頼が無い事を確認した時に、この町ならしばらく生活出来そうだと思ったのだが。

まさかこのような形で脅かされる事になろうとは想定外だった。

やはり国外まで行かなければならないのか。

目と鼻の先なのだからそれでも構わないが、やっと出会えた信用出来る人々との別れが、今のレンには辛い。

ユニアの上着をきつく掴む。

離れたくない、そう思った。


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