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魔術師、自由を得る 三

ルタシスは支度を整えていた。

灰白色のローブの上から、かつて幾度も身を守ってくれた胸当てを着る。

青と銀の帯は胸当てに止めて、外れてしまわないようにしておく。

そして胸当てと同じく幾度も守ってくれた丸盾を右腕に固定する。

得物の直剣は腰帯をつけて右腰に下げ、腰の後には小剣を。

後は保存食や水をしまったバックパックを背負えば完了だ。

ルタシスのローブは、特注のものだ。

腰から上はぴったりと胴を覆い、腰から下は大きく広がるように工夫されている。

脚を大きく動かしても邪魔にならない細工だった。

つまり、いつでも戦いに赴けるよう考えていたのだ。

エンリアやメランも、それぞれに支度を済ましている。

エンリアは防具や武器の類いを持たない代わりに、荷物が多く見える。

対してメランは左腕に細長い楕円の盾を持ち、腰の左に曲剣を下げている。

背には弓と矢を背負っており、荷物は持っていなかった。

役割を分けあったのだろう。

ルタシスは盾を持つ姿に引っかかる感覚を抱いた。

合っていない、慣れていない、そんな気がしたのだ。

騎士であれば扱えるようになった方が良いので特に何も言わなかったが、メランは盾を持たないか、ルタシスと同じく小さめの盾を選ぶべきだと感じる。

実際の動きを見て、持て余すようであれば後で助言しようと考えた。

「さて、まずは目的を明確にしておこう。

兵力で踏破出来るかを調査する、と言う事だったな。」

はっきりと言えば、不可能だった。

かつて、二十の人員をもって挑んだ冒険者達がいた。

彼らは皆が六階までを経験している腕の立つ冒険者で、それが二十人集まれば十階までは行けるだろうと考えて潜って行ったのだ。

彼らの亡骸は、五階で発見された。

多数の魔物に取り囲まれて、集中攻撃を受けてしまったのだと推測された。

迷宮は、魔物の庭だ。

地の利は彼らの方にある。

発見された場所は、特に狭いわけでも広いわけでも無い、極めて普通の、幾つか分かれ道がある程度の通路だった。

しかしそこに、構造を把握している魔物達が階層中から殺到した。

際限無い襲撃にさらされ、最後の一人まで逃げる事が出来なかったのだろう。

人数が増えれば、それだけ気付く魔物の数も増える。

戦闘が始まれば、その音がまた魔物を呼び寄せる。

大きな音は、それだけ遠くまで響く。

階層中に伝われば、集まる魔物の数は量り知れない。

最悪、下層の魔物まで呼び寄せてしまった可能性すらもあるのだ。

一度に戦う数は、たかが知れている。

しかし、人の体力も魔力も無尽では無い。

その失敗から、数に任せる冒険者はいなくなった。

それが、答えなのだ。

「だが、二人には調査したという証が必要なのだろう?

ならば、少なくともこの話が理に叶うものであると調べなければならない。

そのために同じ事をするのは愚にもつかない事だとして、迷宮に入って、迷宮を経験する必要はあるな。」

迷宮の広さ、魔物の数、その強さなどなど。

調査して書類に起こし、提出する事が求められるのだ。

そう深いところまで潜る必要はないだろう。

しかし三階か四階か、その辺りまでは足を運ばなくては説得力に欠ける。

「では、行こう。」


いにしえの魔術師が建造したと伝えられる遺跡の地下、そこに目当ての迷宮は存在している。

エンリアとメランは遺跡を目にする事すら初めてであった。

大神殿や城も古い建造物だが、遺跡はそれらとは桁が違う。

「サンデリアス・・・。」

エンリアは、そこに書かれている文字を読んだ。

入口の碑文に、それだけは深く大きく彫られており、読める程度には残っていたのだ。

「エンリア、読めるのか?」

「いえ、古代の魔術師の名前で、この文字だけ見た事があるのです。」

それ以外は全く読めない。

劣化が酷い事もあるが、文法が難しく、難解なのだ。

書物の、それも伝承をわかり易く解説するようなものを読んだ程度では、とても解読出来たものではない。

ともあれ目的は迷宮の探索だ、とルタシスを追う。

遺跡見物もそこそこに、迷宮の入口に立った。

迷宮内に明かりは無いと聞いていたので、エンリアはランタンに火を灯す。

「そう難しくもないから、明かりの魔法程度は修得した方が良いぞ。」

そう言って、ルタシスが魔法を見せた。

彼の指先が仄かに光り、その指先で剣の刃に触れる。

光は刃へと宿り、刃全体へと伝わってぼんやりと明るく辺りを照らす。

聖都では見る機会のあまり無い、神官の使う奇跡、神術とはまた違う技術。

一括りに魔法と読んでいるが、これは正確には魔術と呼ぶべきものだ。

魔法に関わりの無い人々には区別などつかないために、魔法とひとまとめに括られているが。

「後で教えて下さい。」

エンリアはルタシスに頼んだ。

それが使えたら、夜中に本を読むにも火が要らなくなる、そう思った。

ルタシスは軽く笑みを作り、構わないと答えた。

エンリアは嬉しくなって、少し興奮気味になった。

見た目には表れていないが。

探索を始めると、エンリア達がまず感じたのは魔物の多さだった。

頻繁に遭遇し、ルタシスとメランが剣を振るって討ち倒していく。

そして次には、その広さだ。

「この一階を町に来たばかりの頃、仲間達と探索して回った事がある。

全貌を掴むには五日かかった。

魔物には慣れていたから苦労しなかったが、やはり広くてな。

古代の魔術師の、偉大さを思い知ったよ。」

ルタシスは笑う。

エンリア達はルタシスの案内があるおかげで、そう時間を取られずに二階への階段に辿り着く。

しかしそれでもかなりの距離、複雑な道程を歩く必要があった。

エンリアは既に体力の限界に達している。

メランも息が上がっていた。

「ここらで休憩とするか。」

階段のある部屋は、比較的安全なのだとルタシスは言う。

「冒険者が行きも帰りも通るからな。

あえてそんなところに踏み込む魔物もいない。

特に一階にはな。」

一階の魔物は、弱いのだ。

悪戯に冒険者に遭遇すれば、彼ら自身の命が無い。

それがわかっているのだ。

だから冒険者がよく通る場所には、彼らは寄り付かない。

逆に冒険者が頻繁に通らない、言わば彼らの縄張りで遭遇する冒険者は、下へは向かわない駆け出しで、彼らの標的になり得る弱者だ。

そちらでは、魔物達も強気に襲いかかってくる。

一階は、そう言った住み分けが明確になっている階層だった。


二階に下りると、冒険者の一団とすれ違った。

「おお、イルハルの!

珍しいじゃないか。

綺麗どころと探索かい、羨ましいな。」

「案内みたいなものだ。

そちらは帰りか?

全員無事なようで何よりだ。」

冒険者同士のやり取りは、エンリア達には興味深いものであった。

同じ町にいるのだから、顔も覚えてしまうのだろう。

顔を覚えてしまえば、簡単な挨拶や情報交換なども自然と交わされる。

「ホブゴブリン共が少し荒れているようだった。

あんたなら問題無いだろうが、念のためな。」

「助かるよ。

一階は変わらずだ。

静かなものだよ。」

冒険者達の情報交換は、互いの命を守るために必要なものだ。

ほんの少しの情報でも、知っていた事によって命が助かる事もある。

危険の連続に身を投じている彼らにとって、その危険を回避出来る事は当然だが重要だ。

一度でも死に至れば、終わりなのだから。

「それじゃ、お嬢さん方も気をつけてな。

イルハルの加護があらん事を!」

「それは俺の十八番だろう!

加護があらん事を!」

軽口を叩き合い、笑って彼らと別れた。

「これが、冒険者なのですね。」

メランが楽しげに、笑みを浮かべていた。

固く、気難しいところのある彼女にしては、珍しい事だった。

それは良い傾向だ、エンリアはつい微笑む。

「気の好い連中さ。

ここへ来たばかりの頃の俺は固苦しい人間でな。

奴らの事を鼻持ちならなく思っていたものだが、今となってはすっかり毒されてしまったな。」

その笑顔には、暗いものも悪いものも一切無く、明るく心地好いものだけが宿っていた。


助言を気に留めて対してみれば、確かにホブゴブリン達の様子は妙だった。

気が立っており、その動きは荒々しい。

技術をもって戦うルタシスには都合の良い単調さだが、二階を中心に探索しているであろう冒険者達にとっては危険な状態だと考えられる。

一階を主に根城とする、小鬼と呼ばれる種族、ゴブリン。

その亜種であるとされ、ゴブリンに比して二回り程大型となったこの魔物が、ホブゴブリンだ。

主に二階から三階にかけて出没しており、一階を楽に突破出来るようになった冒険者達の油断を突くように、彼らを葬る曲者だった。

多少の知能と優れた膂力を持ち、数体で連携を取って襲ってくるため、危険な魔物である。

もっとも、ルタシスの相手ではない。

次々斬り倒し、メランが戦っている一体が最後となった。

メランは苦戦していた。

彼女は、訓練は充分積んでいた。

しかし、実戦はまた違うのだ。

それは命のやり取りであり、命を奪い、奪われる覚悟が必要となる。

また、魔物は人とは根本から違うものである。

人と言う物差しで考える事に慣れてしまうと、その埒外から襲い来る攻撃に圧倒されてしまう。

そうして勢いを掴まれてしまっては、勝機は見えなくなるだろう。

今のメランが、まさにそうであった。

ホブゴブリンが膂力だけで次々繰り出す剣に圧され、メランは持ち前の速度を活かせなくなっている。

脚はぎこちなく、そのせいで避けるのではなく受けに回っていた。

ホブゴブリンは受けられるのも構わず、剣を叩きつける事しか考えていない。

隙だらけなのだが、今のメランにはそれを突く余裕が無かった。


横合いから、ルタシスがホブゴブリンへ思い切り蹴りを入れる。

突然の攻撃で壁に叩きつけられ、ホブゴブリンは頭を打ったのか困惑した。

「脚の緊張を解せ、メラン。

お前が脚を止めてどうするのだ。

動け、撹乱しろ。

そして、殺す覚悟を決めるんだ。」

「殺す・・・。」

メランを萎縮させた主な原因が、それだった。

命を奪う事への躊躇いが、彼女の剣も脚をも止めていた。

ホブゴブリンが立ち上がり、威嚇を始める。

もう一度、襲いかかって来るのだろう。

「今は俺がいる。

だが、いなかったら?

エンリアは誰が守るのだ。」

言われて始めて、メランは背中にエンリアの存在を感じた。

目の前の異形に意識を奪われて、守るべきものを忘れていた。

この背中には、エンリアの命を背負っているのだ。

思い至り、そして思い出す。

自分は騎士だ、と。

騎士とは、民の命を背負って戦う者だ。

恥ずかしかった。

騎士である自分が、守る事を忘れて怯えてしまった。

気持ちが切り替わるのを感じる。

訓練は積んだ。

ルタシスに助言ももらった。

「あとは、覚悟だけ・・・。」


気迫を込めて、声を発した。

メランは、今度は自分から斬り込んで行く。

曲剣を次々繰り出し、さらに盾でホブゴブリンの剣を払った。

素早く横へと回り込み、脚、腕と斬りつける。

反撃に来る斬撃を盾でいなし、こちらから斬り続ける。

次第に盾が鬱陶しく思えるようになって来て、一旦距離を取って外した。

両手で曲剣を握り、構える。

ホブゴブリンが声を上げながら踊りかかって来たが、その動きはメランにも捉えられる程度のものだった。

その程度のものに、先程まで圧倒されていたのだ。

己の未熟さを否応無く感じてしまう。

しかし、今は違う。

避けつつ斬り、そのまま連続攻撃へと転じる。

速度で圧倒し返し、幾度も斬り入れて行く。

戦いは、決した。

新たな騎士が、ここに生まれた。


ルタシスは、気付かれぬように後押ししていた。

怯え萎縮する心を平常へと戻すために魔法を使っていたのだ。

しかし、その甲斐あってかメランは戦えるようになった。

凛々しく吊り上がった目が、とても美しい。

(うむ、これは良い。

これは良いな・・・。)

満足であった。

「ルタシス様、ありがとうございました。

あなたの言葉、この胸にしかと刻みつけます!」

凛々しく輝く両の瞳が、頬を染めて自分を見つめている。

何と言う事か。

ルタシスは心臓を高鳴らせてしまう。

もちろん、表情には出さない。

「良い動きだった!

見違える程だったぞ!」




戦いの連続は、エンリアには辛いものだった。

そしてそれこそが、エルハルの神殿に戦える者がいない理由とも言えた。

エルハルの信徒達は、基本的に慈悲深いのだ。

その慈悲は、魔物にすら向いてしまう。

仕方ないのだと思い込もうとしても、割り切れるものではない。

迷宮を進めば進む程、その表情は曇るばかり。

(わかっていた事なのに。

覚悟したつもりでいただけ、だったのですね・・・。)

エンリアもまた、自分の未熟さを嫌と言う程に痛感していた。


「この辺りで、また休憩しておこう。」

三階へと下りる階段のある部屋で、ルタシスは足を止めた。

そこもやはり、比較的安全な場所で、休憩を取るのに適しているのだ。

「顔色が優れないな。

大丈夫なのか、エンリア。」

「少し休めば、きっと良くなります。

大丈夫ですよ。」

原因が体力的なものでない事は、ルタシスも察していた。

やはり、彼女は典型的なエルハルの信徒。

優しく穏やかな、およそこのような場所とは無縁の人物なのだ。

それが気分転換になるかはわからなかったが、ルタシスは一つの提案を口にした。

「そろそろ調査をまとめてみてはどうかな。

ここまででわかった事や気付いた事を書き出しておけば、後で楽が出来るだろう。」

「そうですね、そうしましょう。

ルタシス様、手伝っていただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろん、構わないぞ。」

エンリアは羽ペンとインク、紙を荷物から出した。

ルタシスは、その紙に目を引かれる。

「これは、羊皮紙ではないな。

薄い、表面も滑らかだ。

すごいな、こんなものがあったのか。」

「聖都では普及していますが、珍しいものなのですね。

製法までは詳しくありませんが、植物を使ったものだと聞いております。」

ルタシスは感心するばかりだった。

文明を感じている。

エンリアはその紙に羽ペンを走らせ、ここまでの事を書き込み始めた。

迷宮を多数で進む危険性、少数で進む安全性、多数で出来る事の少なさや少数で出来る事の多さ、利便性などなど、考えつく限りを書き込んでいる。

「やはり迷宮と言う環境が特殊過ぎて、兵力を投入する意味をあまり感じませんね。

少数に分けて、部隊ごとに進んだ方が良い気がします。」

「だからこそ、冒険者達はそうしているのだからな。

しかし、少数にも弱点はある。」

「それはなんですか?」

答えは、意外なところから返って来た。

「個の実力が求められてしまう事、でしょうか。」

「その通りだ、メラン。

人数が少なくなればなる程、個々の力が問われる事になる。」

難しい事ではなかった。

兵力を投入する事は、それを数で補おうとする事に他ならない。

しかし、それが迷宮内では難しいのだ。

「一般に、冒険者の間では四人から六人の組み合わせが最も安全に機能すると言われている。

それは役割の分担や迷宮内部を移動する際の取り回し、戦闘での戦場の広さ、果ては稼ぎの分配まで。

そう言った理由から、ほとんどの冒険者達がこの人数に落ち着くのだそうだ。」

ルタシス達も四人で旅をしていたのだから、当てはまっている。

迷宮外の、広い草原や森林での探索などであれば、人数はいても良いだろう。

しかし迷宮では、多過ぎる人数は足枷にしかならない。

「以前にも例を上げて話したが、多くの魔物を呼び寄せてしまう。

それ以外にも、迷宮は通路が狭いからな。

列が伸びて分断されたり、一度に戦える人数も限られてしまう。

数の利点を活かせない地形なのだ。」

そうなれば、無駄に死人を出すばかり。

それは命への冒涜とも呼べる愚行だ。

「そうですね。

エルハルの信徒としても、やはり肯定出来ない事ですね。」

そこまで書き上げて、エンリアは荷物をしまった。

思考を巡らせる事により幾らか気が紛れたようで、顔色も少しは良くなっていた。

「さて、食事にしよう。

ついでに少し眠っておこうか。

そろそろそんな時間だろう。」

迷宮の中では、時を知る術が無い。

全ては自分達でしっかりと管理しなくてはならなかった。

だから食べられる時に食べ、眠れる時には眠る。

それが出来ない冒険者は、長くは生きられないのだ。

休息の入れ方一つが生死に関わる。

まさに死が、隣合わせに存在していた。


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