間話 魔術師達の、それぞれの話
大神殿の裏手、色取りどりの花が咲く庭園で、大司教ブレアーティアは悩んでいた。
それは自身の祖父、ブレイアルタスの事であった。
近頃、大好きだったはずの甘味には目もくれず、それまで一滴すら飲もうとしなかった酒に耽溺しているのだ。
酔って何かをするわけではない。
むしろ飲んだ事がわからない、酔ったようには見えない程酒に強く、変化が見えない。
しかし祖父は、酒嫌いだったはずなのだ。
祖父が飲むようになったのは、半年程前に出かけて以降の事だ。
甘いものには全く口を付けず、最近では法王と夜な夜な酒盛りをしているらしい。
老齢なので控えて欲しいのだが、老い先短い身の楽しみを奪うのも忍びなく思うところもある。
しかし。
「別人みたいなんだよなあ・・・。」
かつて送った腕輪も無くしていた。
ルタシスへ紹介するために会った時にはまだ持っていたのだから、無くしたのはそれ以降。
恐らくは出かけた旅先。
遺跡に出かけ、調査に当たる事は過去にも幾度かあった。
その度に話せる程度で、土産話を聞かせてくれていた。
しかしその時は何処に出かけたのかもわからず、聞いても機密に関わるとして、一言すらも話さなかった。
あれ程気に入ってくれていた贈り物、無くしてしまった時計りを今はまるで気にしていない。
瑣末な事だと考えているかのようだった。
時計りは、以前聖都に店を構えており、今は迷宮の町に移った錬金術師サールの手によるものだ。
ブレアーティアが依頼して作ってもらったもので、世界に一つしかない。
祖父はとても喜んで、以降片時すら手放さなかった。
一体何があったのか。
誰にも話せず、相談出来ない。
それは、今の祖父の目が恐ろしいからでもある。
腕輪の事を聞いた時の、その目。
驚き、睨み、射殺すような鋭さを持った目。
およそ孫に向けるような目ではなかった。
以来、その事には触れていない。
法国東の領地をグリエラルドが一時治めに向かって以来、祖父は執政の真似事をしている。
法王とは昔から馬が合って良い仲であったが、何か嫌な予感がしてならない。
昔の大好きだった祖父に戻って欲しい。
そう願わずには、いられなかった。
「ここに、無尽が?」
ネザーレが訪れたのは、氷の国の最奥にある遺跡だった。
中へ踏み込むと地下へと深く掘り下げてあり、驚く程広い空間を作り上げていた。
そこには魔物がひしめいており、さらにその奥には、空間に開いた穴が。
「これは興味深い・・・!」
魔物を蹴散らし、進む。
ここにいる魔物は、どうやら通常の種よりも力が強いらしく、一筋縄には行かなかった。
思わぬ苦労の果てにようやく辿り着くが、穴の向こうには不毛の土地が広がっている。
「なるほど。
これではこちらへ来たくなるのも理解出来ますね。
しかし、魔物の世界ですか・・・。」
ネザーレは心を動かされていた。
人の知らない魔法がそこにあるかもしれない。
もしかしたら、この向こうに無尽の秘密があるのかもしれない。
「行ってみましょうか。」
そこに何が待ち受けているのか。
それが魔法とは限らないが、それに代わるもっと素晴らしいものである可能性だってあり得るのだ。
ネザーレはふわりと浮かび上がり、穴へと飛び込んだ。
力を求める、その欲望に突き動かされて。
「報酬は出しますし、あなたのご両親も平和に暮らせます。
充分に、お考え下さい。」
その貴族は金と、脅迫めいた言葉を残して部屋を去った。
金貨五十枚。
それが最初の依頼に支払われる前金だった。
草原の国への工作。
こんなものはおよそ宮廷魔術師の仕事ではない。
ナナはそう思ったが、前任のネザーレはそれを受けていたようだ。
貴族は他言無用と言うが、皇子には確認を取った方が良いと判断する。
しかし、人目にはつかない方が望ましい。
そう考えて、夜が更けるのを待ってから皇子の部屋へと転移した。
豪奢な調度品に囲まれ、皇子は自室でも仕事に追われていた。
「ナナか。
少し待ってくれ。」
きりの良いところで手を止めて、皇子はナナを見る。
「貴族には、宮廷魔術師を脅して言う事を聞かせる権限があるの?」
「ああ、なるほど。」
皇子はそれで察した。
話が早くて助かる、ナナ安堵した。
面倒な事を一々話す必要が無くて助かった。
「父母でも材料に使われたか。
・・・この国はな、厄介な事に奴らが動かしているのだ。
私や父は所詮飾りに過ぎない。
権限があるのか、と問うたな。
あると言えばある。
奴らがそれを認めている。
我ら皇家と奴ら貴族は、表面的には主従にあるが、その実は犬猿よ。
しかし力はあちらが上だ。
不本意だが、我々は奴らの言いなりになっている。
どちらにつくかは、よく考えておいた方が良い。
前任のネザーレは自身の興味のままに、どちらにもつかず、どちらにもついた。
君は君で、思うように動くと良い。
我々と違い、君には力があるのだから。」
「わかった、ありがとう。」
ナナは自室へ戻る。
そして、どちらにつけば皇国の力を削げるかを考えた。
貴族につけば、面倒な仕事は押し付けられるだろうが、代わりに金と、権力を得られるだろう。
その結果、動き易くなる。
皇家につけば、力の均衡を取れればと言う前提はあるものの、衝突によって国力を削げる。
それに皇国を動かしているのが貴族だと言うなら、法国にとっての敵も貴族達と言えるだろう。
ならばナナにとっての敵も、貴族だ。
選択肢は、始めから無いように思えた。
「私は、あなたについて行く。」
もう一度訪れた皇子の部屋で、ナナははっきりとそう告げた。
顔を上げた皇子の表情は、今までに無い程明るかった。
「そうか、ありがとう・・・!
ならば君の父母は、こちらで保護しよう。」
しかしその申し出に、ナナは首を振った。
「いい。
冷たいようだけど、きっと二人はこれからも私達の弱点になる。
それならいっそ、手の届かないところへ行ってもらった方が良い。」
恩義など感じていなかった。
所詮は自分がこの国へ潜り込むための足がかり。
足がかりに足を引かれるくらいなら、訣別しておくべきだと考えたのだ。
それだけ伝え、ナナは転移した。
ナナの態度と言葉は、バルディロドスから顔色を失わせていた。
「私は前任のネザーレとは違う。
あなたは先日、私を脅した。
宮廷魔術師が何を求められて、何を認められてここにいるのか、そろそろ考えた方が良い。
あなた達に次は無い。
今回既に、思い知ったとは思うけど。」
貴族の財産は、その館や家族などと諸共焼け、失われた。
誰の仕業か、明らかにはなっていない。
しかし、脅した貴族は理解した。
自分達は、利益や理屈、脅迫や暴力では抗し得ない化物を相手に戦って行かねばならなくなったのだ、と。
そして、彼女の実家も炎に包まれた。
焼け跡からは焼死体が二つ発見された。
貴族による報復だと世間では噂されていたが、当の貴族達の間では、宮廷魔術師の残酷さから密やかに殺されたのだろうと推測されていた。
「この地で、皇国での貴族の生活を忘れて、静かに暮らして欲しい。
そうでなければ、私は二人を殺さなくてはならない。
皇国はそういう国で、私はそういう立場になってしまったから。
だから、さよなら。」
報告を受けたバルディロドスは、ナナが味方になってくれた事を嬉しく思う反面、恐らく彼女自身の手によって始末されたのであろう彼女の父母の事を思う。
悪い人物ではなかった。
民に寛容で、穏やかな気質の二人だった。
子供が出来ず、しかし側室を作る気にもなれず、結局二人はナナを養子とする事を選んだ。
それが悪しき貴族に目をつけられた事によって、命を娘に奪われるなどと言う悲劇を生んでしまった。
「やはり連中は、駆逐しなければならんな・・・。
こんな悲劇など、最早看過出来ん。」
バルディロドスは民思いの二人の冥福を祈る。
そして自分が二人の意志を継ぎ、民に安寧をもたらす事を誓った。
「お主の弟子は、なかなか恐ろしい娘だな。
このような強行手段に出るとは、さしもの俺も肝が冷えたわ。」
「しかしだからこそ良い、と思われませぬか。」
「思うたな。」
王と魔術師は含み笑う。
今宵はべっ甲のような色の酒を酌み交わす。
甘く、しかし強い。
「あれはものを考えているようで、しかし考えず、けれども儂らにとって面白くなるよう動いてくれます。
それが、恨みのもたらす奇跡。
他にもドレアー嬢が目立ってくれたおかげで仕掛けられた種が一つ二つありますので、今後も期待しておいて下され。」
「恐ろしい爺様だな、全く。
・・・それはそうと、お主。
孫には手を出すなよ?
あれは俺のお気に入りだからな。
大司教として、まだまだ働いてもらうつもりだ。」
「心得ております。
儂を怪しんでおりますが、確証は得られますまい。
少しは甘えさせても良いのでしょうが、儂はあの娘が苦手でしてな・・・。」
「あれは真に、大司教の座に相応しい者だからな。
お主とは相性が悪かろう。
無理に接触してぼろを出す必要もあるまい。
距離を置け。」
「それが一番良いでしょうな。
少なくとも城におればそう会う事もありませぬ。」
空になった杯へ、再び酒を酌み交わす。
それで瓶も空となった。
「また旨い酒を手に入れて来ましょう。」
「期待しておるよ。」
その暗殺者は、面倒な事が嫌いだった。
皇国へ潜り込み、最高の機会に最高の相手を葬る。
そんな仕事を、命じられていた。
しかし、手間を惜しんで失敗し、烙印を押された。
そうして無理矢理使われ、その中で捕らえられた。
牢獄での生活は思いの外快適で、悠々とした日々を過ごす事が出来ていた。
ずっとそうしているつもりだった。
だが、そもそもの雇い主に見つかってしまった。
仕方なく元の仕事へ戻るために牢を抜け出し、皇国へと戻る。
烙印がもたらした力は失ったが、元々そんなものに頼らず生きて来た身だから問題は無い。
しかし戻ってみると、烙印を押した宮廷魔術師が姿を消していた。
代わりに任命された魔術師は真っ白な可愛らしい少女。
様子を見ていると、その少女は見た目に反して恐ろしい事を躊躇い無く実行した。
(おっかないが、面白い嬢ちゃんだな。)
生かしておく候補として記憶した。
皇国の情勢が変わるその時にどうやら戻って来れたらしいと判断し、しばらく潜伏する事に決めた。
機会を待ち、最大の効果を上げる。
それが、暗殺者ザレドの仕事なのだ。
「あの、小娘!
我らを敵に回すとどうなるか、必ず思い知らせてやる!」
皇国の南側に幾つかある領地の北西部、法国と境界を接する領地を治める公爵レスベルドは荒れていた。
子飼いの貴族が一人、使い物にならなくされたのだ。
他にも、愚かな事に宮廷魔術師に怯え、萎縮する者がいる。
貴族は、侮られれば力を失うとわかっているはずなのに、だ。
「厄介な魔術師もいたものだ・・・!」
苛立ちが収まらない。
が、しかし今の貴族の姿では締まるものも締まらない。
「旦那様、静かにして下さい。
お耳を傷付けてしまいますわ。」
召使の女に、耳の掃除をさせているのだ。
女はレスベルドの寵愛を受けていた。
若く、美しく、そして妖艶であった。
包み込むような艶めかしさに、公爵は溺れていた。
「済まんな、ミアナ。
お前にこんな話を聞かせても詮無いのだが、口に出さずにはいられんのだ。」
「私は、何も聞いておりませぬ。
耳無しにございますれば、如何ようにも。
とは言え、誰が聞いているとも限りませぬ。
せめて、睦言の時のようにお願い致します。」
少し頬を染め、金の髪を耳にかけ直して、囁く。
深い赤の瞳は誘うように濡れ、薄赤の唇が軽く頬に触れた。
「終わりましたわ。」
「む、ご苦労。
そちらへ、行こうか。」
二人は寝台へと座る場所を移す。
「ちと早い時間だが、相手を致せ。」
「喜んで。」
「済まねえな、コトちゃん。」
「いえ、仕方ない事ですから・・・。」
雪の国の城下町で、とある小さな食事処が店を閉めていた。
この小さな店の小さな土地は、借りているものだった。
しかし貸し主が借金を作ってしまい、建物ごと買い取られる事となったのだ。
借りていた食事処を営む女性コトはそのまま使いたかったが、買い取った土地の主は用途を既に決めていた。
あえなく、コトは店を失う事となったのであった。
「トシナガさんが人手を欲しがってたから、私の紹介だと言って雇ってもらうと良いよ。
それとこれ、少ないけどもらってくれ。」
元貸し主は、申し訳なさそうに南の貨幣だが金貨を二枚、コトに渡した。
「こんな、悪いです!」
「良いんだよ、もらってくれ。
でないと、私の気が済まないんだ。
君みたいな良い娘に、苦労かけちまうなんてさ。
みっともないったらない。
だから、格好つけさせておくれ。」
貸し主は笑って、きりっと顔を作る。
知り合った時から見栄を張る男だと思っていた。
けれどそれが様になってなくて、皆の笑いを誘う男だった。
金が身に付かなくて、結局独身のまま。
人に好かれて、けれど女は作れない。
そんな駄目な男だった。
「港町で心機一転、頑張ってみるさ。
じゃあな、コトちゃん。」
お互い手を振り、別れた。
コトも例外でなく、この男が人として好きだった。
あの顔も、馬鹿なところもこれで見納め。
そう思うと、寂しさを感じた。
男も頑張ると言っていた。
(私も、頑張らないと。)
そうして、まずはトシナガを訪ねる事にした。
トシナガは知らない人間ではない。
良い人間ではなく、横柄なところのある男だった。
けれど面倒見の良い、頼れる人物と聞いている。
酒場を経営しているそうだから、自分なら役に立てる。
そう考えて、幾重にも重なる塀伝いに歩いて向かった。
「ああ、聞いてるよ。
見ての通り、この酒場は宿付きの、ちょいと柄の悪い連中が溜まるところだ。
それでも大丈夫だってんなら、今日からでも働けるぜ。
何、手は出させねえよ。
そんな奴はそもそもここには居着けねえがな。」
「少し怖いですけど、よろしくお願いします。」
トシナガは頷いて、コトを受け入れてくれた。
そうしてコトの新しい生活が始まった。