短編 無尽の弟子 一
迷宮のある町より南、東にある皇国との国境となる山脈が切れる付近から、侯爵トラディエールの領地が広がっている。
山脈からは川が南へ流れており、それがそのまま国境として用いられていた。
川は二、三ヶ所程浅い部分があり、それ以外は谷のように深くなっている。
現在は協定により如何なる戦闘行為も許されていないが、かつては小競り合いや戦争などの絶えない地域だった。
しかし今、侯爵が国に反旗を翻した。
内乱へと、突入したのである。
フリントは、参加するなら北と決めていた。
生まれ育った土地が北側だったのだ。
よく抜け出して、近隣の村へ遊びに出ていた。
そこの同年代と仲良くなり、暗くなるまで遊んで、帰ったら怒られた。
そんな日々を十三まで過ごした土地だった。
そして、親や兄達もこの何処かにいるだろう。
会おうとは思わない。
しかし帰ってくれば、その顔は自然と思い出される。
父、母、三人の兄、そして賊に襲われ行方知れずとなった妹。
笑みのこぼれる楽しかった日々と、苦く思い出される過去と、全てがこの土地にある。
訪れた北の陣で案内された傭兵用の野営地で、フリントは立ち尽くしていた。
思いの外、人が多かった。
男女入り乱れてはいるが、分けるべきところはしっかりと分かれている。
兵士も監視しており、治安は悪くない。
「こういうところ、初めてか?」
兵士の一人に、フリントは声をかけられた。
「ええ、実はそうなんです。」
「そうか。
見たところ一人みたいだけど、仲間は探しておいた方が良いよ。
広いところでの戦闘になるしね。
大勢に囲まれたら、一瞬でやられちゃうからさ。
ここでの生活は、まあ見てたら慣れる。」
それだけ話して、兵士は喧嘩を止めに行った。
(それは知ってるさ・・・。)
生活に関する事を教えて欲しかった。
フリントは元侯爵の私兵だ。
少数よりも集団戦闘の方が詳しい。
(仲間、か。)
しかし今は、ここまで歩いて来る間に失った魔力を回復しておきたい。
つまり、寝ておきたかった。
しかしここは騒がし過ぎる。
少し離れた木の影で休む事にした。
念のため兵士に確認を取るが、構わないと言う事だった。
荷を枕に、左手は剣に。
それは師の仲間、ユニアに教わった事だ。
迷宮でも、敵は魔物だけとは限らない。
人の荷を狙う盗族は、思うよりも多い。
眠りの中にあっても、動きがあれば起きなければならない。
そして、その時得物に左手が添えてあれば、右手ですぐに抜ける。
素早く抜き、その手に当てた。
「何の用だ?」
荷を触る手が、縮こまるように固っている。
耳が出るくらいの、髪の短い女だった。
明るい赤毛に赤い目。
一瞬怯え、しかし何とか堪えて睨む。
「手を引け。
今ならまだ未遂だ。」
「許すっての?」
言われてみれば、と考える。
随分寛大な事だと、自分の事ながらに疑問に思う。
きっと師の影響だ。
彼女なら、このくらいの事は許してしまう。
その笑顔が思い出され、ふと笑む。
「ああ、そうだ。
今なら許す。」
女は訝しがりながらも手を引っ込めた。
しかし赤く線が走っている。
少し斬ってしまったのだ。
「ちょっと、見せてみろ。」
治療の魔法を使う。
傷は簡単に治った。
まさか治療してもらえるとは思わなかったのだろう。
強ばった顔が驚きに変わっている。
「あんた、魔法も使うんだ・・・。」
「便利だぞ。」
それで興味を失って、もう一眠りと思ったところで女がフリントの手を引いた。
意を決したような、真っ直ぐな目がフリントを見据えていた。
「こんな事しておいて信用とか絶対に出来ないと思うんだけど、あたしと組んでくれない?」
何を言ってるんだろう、と半眼を向ける。
組んでも損しかない相手ではなかろうか。
彼女自身が口にしている通り、とても信用出来ない相手だ。
組んだが最後いつ盗まれるかわからず、警戒を解けないだろう。
それでは休むに休めない。
フリントもさすがに、そこまで甘くはなれないと考えている。
「またやったら、どんな罰でも受ける。
それにあたしは剣が得意なんだ。
だからお願い!」
「何故だ?
何故あなたはここへ来たんだ?」
フリントには仲間を必死に求める彼女が理解出来なかった。
傭兵には見えない。
彼女は冒険者だろう。
冒険者であるなら、その最もたる理由は報酬。
しかし、見るからに屈強とは言えない彼女の体格では、ここで稼ぐのは苦しいだろう。
普通に冒険者として生活する方が向いている。
いや、そもそもは冒険者だってこんな仕事を受けようとは思わない。
人と殺し合うのだ。
だからここにいる人間は、屈強だからこそ稼げる者か、そもそも戦闘を糧としている傭兵か、人を殺しに来た者か。
或いは自分のように、何らかの理由を抱えている者。
女はメリアと言った。
この土地の生まれで、十五の年に冒険者を志して飛び出した。
仲間を持ったり別れたりとしながら、広い法国を渡り歩いていたら、内乱が起きた。
ちょうど一人で身軽だったものだから来てしまった。
家族が心配で見に行きたいが、しかし村は敵陣の向こう。
待っていれば戦線を押し込んで村まで行けるようになるかと思っていたが、実際には一進一退。
戦時下にあっての村を思うと、居ても立っても居られなかった。
そんな理由で、彼女はここへやって来たのだった。
信用したわけではない。
しかしその目は真剣そのものであったし、同郷の者と言う事もフリントを共感させた。
「村を助けたい、か。
嘘だったら許さんぞ?」
「その時も罰をくれたらいいさ!」
「それでは最後に、実力を見せてもらう。」
フリントは立ち上がって、剣を抜いた。
メリアも同じく、立ち上がって抜く。
メリアは片手で扱うものよりは長く、両手で扱うものよりは短い、バスタードソードと呼ばれる種の剣を使うようだ。
しかしその立ち姿から、既に実力の程が見えていた。
だがそれだけでは、彼女は納得しないだろう。
軽くでも見てやる必要はあった。
「来い。」
その声を合図に、メリアが攻撃を始めた。
踏み込みは良い。
身の軽さを意識した、存外に速い踏み込みだった。
そして一合、二合三合と剣を受ける。
左手で頭を引っ叩いた。
やはり、とフリントは嘆息する。
「痛っ!
何すんの!」
頭が痛いのはこちらだ、とフリントは言いたかった。
「扱い切れん武器など使うな!」
メリアは完全に、剣に振り回されていた。
踏み込みの速さから斬り込む初段はまだ良かった。
しかし、その後は殺せと言っているようなものだった。
「筋力の基礎鍛練からか?
やってる間に終わってしまうぞ・・・。
他に使える武器は無いのか?」
「これしか持ってないよ!」
やるしかないようだ。
フリントは頭を抱えた。
傭兵の野営地からさらに離れたところで、メリアの鍛練が始まった。
体力や運動能力には問題となるものは無かった。
筋力だけが、全く足りていない。
「厳つくなっちまう!」
「厳つくなきゃ使えない武器を持ち込んだのは誰だ!」
暇なのでフリントも鍛練に励んでおく。
今日のところは戦闘の気配が無い。
互いに兵士の立て直しを行っている様子だ。
フリントの見立てで、三日程必要だと判断する。
「三日でどうにかなるものか。」
「三日って?」
「その辺りで、兵士の支度が整う。
攻めるだろうな。」
メリアは焦って動くが、横着が入り始めてしまっている。
注意して、しっかり動かせる。
「浅はかと言うか考え無しと言うか・・・。」
「結構毒舌なんだ、あんた・・・。」
確実にメリアのせいなので、不本意極まりない。
疲れて来たところで、治療と活力をかける。
「それ、動け動け。」
「鬼!」
「時間が無いのだ。
出来る限りの事をするしかあるまいに。」
三日目は半日鍛練し、残りを休む事にした。
「しっかり休め。
明日からは、いつ戦闘になってもおかしくない。
備えるぞ。」
「魔法、怖い・・・。」
メリアを休めておいて、フリントは情報収集に向かう。
野営地近くに戻り、兵士に話を聞いた。
「目敏いな。
いつ、とはっきりは言えないが、確かにそろそろと上は考えているようだ。
ぴりぴりし始めているよ。」
ありがとう、と返し、メリアのところへ戻る。
見ると、男二人に絡まれていた。
「何か?」
「フリント!」
持ち前の素早さで、メリアはフリントの後に回り込む。
目尻が滲んでいるのが見えた。
内心に苛立ちを感じる。
「騎士気取りか?
痛い目を見る前に、その女置いて失せろ。」
男達はどうやら気が立っているらしく、メリアでその憂さを晴らそうとしたようだ。
メリアが何かやらかしたかとも思っていたが、単に暴漢に絡まれていただけだった。
相手側が十割で悪いようだ。
安堵する。
「少し、離れてろ。」
声を押さえようとはしたが、やけに優しい声になってしまった。
メリアの目がこちらを見つめている。
あらぬ誤解を与えた気がした。
まあ良い、と気にするのを止め、フリントはにやにやと笑う男の内一人目に、筋力強化、運動強化から盾による打ち上げを見舞った。
顎を見事に捉え、一撃で沈む。
続けて二人目の腹に前蹴りを入れた。
呻きと共に軽く吹き飛び、地に転がる。
それで起きなくなった。
瞬く間の事に、野次馬で見ていた者達も呆けている。
兵士が遅れて、慌てた様子でやって来た。
事情を説明すれば、存外にあっさりと理解してくれた。
男二人は引き摺られ、連行される。
それ以降、二人の姿を見る事は無かった。
振り返ると、メリアの熱視線が突き刺さっていた。
(おいおいおい・・・。)
フリントとて悪い気はしない。
メリアは美人ではあったし、身体付きも悪くない。
基本的に明るい女性も好きだ。
しかしメリアは残念過ぎる、それがフリントの感想だ。
「ありがとう!」
右腕に抱きつかれた。
通常であれば嬉しい状況であっただろう。
けれどここは野営地で、自分達は武装している。
もちろんメリアも同様で、抱きつかれても革鎧の感覚しかしない。
つまり。
「痛いんだが。」
「女の子が抱きついてるのにその感想かよ?」
「女の子じゃなくて、革鎧だろう?」
翌日は動きが無く、フリントとメリアは軽く身体を動かすに留めていた。
「案外、効果あったな・・・。」
メリアは多少、剣を振れるようになっていた。
治療と活力による補助が効いたのかもしれない。
(多少は、だが。)
夕食を済ませ、寝る前にもう一度軽く身体を動かし、横になる。
メリアが寝息を立て、フリントもうつらうつらとし始めた頃、不意に目が覚めた。
静かにメリアを起こす。
危うく喋り出そうとした口を手で塞ぎ、静かにするよう耳許で伝えた。
野営地の外れにいた事が幸いとなった。
(夜襲、か。)
フリント達二人は、敵の背後にいる。
素早く魔力を練り上げた。
そしてフリントから炎の矢が十本、それぞれの目標に向かって放たれた。
受けた敵兵は悲鳴を上げ、のたうつ。
その音で目覚めた者や、そもそも気付いていた者達が戦闘を始めた。
「俺達も行くぞ!」
「り、了解!」
二人も駆け込んで行く。
フリントは炎矢で灯りの代わりを作りながら交戦した。
想定に無い方向からの攻撃は、敵兵を大いに動揺させる。
メリアも不意討ちと訓練の効果で、上手く動いていた。
兵士達の方でも戦闘が行われているが、始めに上がった悲鳴や炎の灯りで夜襲に気付けたのだろう。
襲撃は完全に失敗していた。
形勢は最初からこちらの優勢に始まり、変わる事は無かった。
襲撃に人員を裂いたであろう敵の拠点を落とす機は今だと判断した法国の将は、そのまま攻勢に出る事を決定。
兵と傭兵が一丸となって襲撃し返す。
残っていた敵兵は少なく、這う這うの体で逃げ去った。
思わぬ勝ち戦となり皆勝鬨を上げようとするが、将と騎士によって止められた。
これは勝ち戦だが、突発的なもので連携は取れていない。
つまりは突出している。
極めて危険な状態であった。
警戒し、攻められるようなら元の陣へ退く事として、その夜は留まった。
騒げはしなかったものの、敵の物資は手に入れられる。
その回収に傭兵達も参加した。
得た物を分配されると聞いては、仕事が捗ったのだ。
結局昼になっても襲撃は現れない。
手に入れた物資から食事など済ますが、緊張の時間は続いた。
「メリア、村はどの辺りだ?」
考え事みれば、北の陣にいたと言う事は、村は北寄りの何処かにあるのだろう。
近くか、もしかすると見える位置かもしれない。
「もう少しかな。
遠くに見える、あの森の向こう側。」
その場所は、とフリントは思い出す。
かつて幾度も足を運んだ村。
何人かの同年代がいて、森に川にと駆け回った。
そう言えば、赤毛の男の子が妹を連れていなかったか。
「どうした?」
気付けば、その顔を凝視していた。
(あの子の面影がある。
そうか、メリアは・・・。)
フリントは笑った。
懐かしい顔だった。
森の緑を、川の音を、思い出させられた。
不機嫌そうにしかめた顔も、今見ればあの頃のままだと思い出せる。
(お互い、名前は忘れてしまっていたな。)
森で隠れた者を探す遊びをした。
フリントと兄が探す役で、他数人と妹は隠れる役で。
しかしいつまでも妹だけが見つからず、ようやくフリントが見つけた時には空は橙色に色付いていた。
妹は泣きそうな顔で、けれどそれを堪えて、不機嫌に顔をしかめた。
それをふわりと抱き締めて、見つけたと呟いた。
それで弾かれたように泣き始め、泣き声で兄達が集まって、皆で褒め称えて泣き止ました。
(ああ、思い出した。)
「メリア。
村へ帰りたいか?」
「当たり前だ。
そのために、来たんだ。」
フリントは考えていた。
将は、退く事を選ぶだろう。
宮廷魔術師は南にいる。
攻め込むならそこからだ。
ならば北は維持に重きを置く。
北のここだけが突き出している現状は、フリントから考えても危険だ。
かと言って隣が上がるかと考えると、それも難しい。
こちらも、奇襲を返したからこそここまで来れたに過ぎない。
恐らく明日には、引き上げるだろう。
行くなら、今夜だ。
フリントは覚悟を決めた。
「先に行っておくが、これは極めて危険な行動だ。
しかも村を助けるのではなく、ただ見に行くだけに近い。
それでも良いな?」
「行けるならそれで良い!」
考え無しは変わらないか、と呆れるが、考えてしまった自分も、もう同類だ。
夜の闇に乗じ、二人は東へ向かった。
国境の川近く、ぎりぎりを進む。
近付き過ぎれば皇国の目にかかるだろう。
内乱真っ只中のこちらを警戒していないはずがない。
森へ入り、そこで夜が明けるのを待つ
正確には、敵軍が前進するのを待つ。
それからでなければ、村へ忍び込むのすら危険だ。
村に兵が来ているかもしれないのだ。
「この森、久しぶり。
子供の時に何度か遊んだんだ。
木の実拾ったり、隠れたり、木登りして村を眺めたりしたな。」
「そうか。
俺もそういう遊びをした記憶はあるよ。」
「子供の遊びなんて、そんなものだよな。」
二人で囁き合い、笑う。
あの頃は毎日が楽しくて、ずっと館と村で暮らそうと考えていた。
しかし、貴族とは言え四男のフリントを家にいつまでも置いてはくれなかった。
この森もそれ以来だった。
人間は変わっても、森は変わらない。
フリントはそう感じていた。