魔術師、仲間に出会う 三
町へ戻ったユニアは急ぎ神官ルタシスに声をかけて、義姉の待つ家へと帰った。
義姉は疲れきった顔で、ユニアを迎えた。
「ユニア、無事だったのね!」
義妹の帰還に、ティカは安堵した。
何も話さず姿を消したユニアをずっと心配していたのだ。
一人残される者の心労は、並大抵のものではない。
眠れぬ日々を過ごしたのだと、その表情で察せられた。
「あなたまでいなくなったら、私は・・・。」
「義姉さん、今はごめん。
これを見て。」
言いかけた言葉を遮って、ユニアは魔石を義姉の前に差し出した。
赤の輝きはティカの悲痛な表情を照らし、その心を暖かく包んだ。
途端、ティカは泣き崩れた。
その石が何であるか、その石がここにある事の意味、全てを理解したからだ。
何も、言葉にならなかった。
その赤い光は、最愛の人を蘇らせてくれるものだ。
そしてその石を手に入れるために、義妹は命を賭してくれた。
嬉しさと安堵と、自らを不甲斐なく思う気持ちと。
様々な感情が入り交じったのだ、ティカはもう何を言う事も出来なかった。
ユニアも腰を落として、彼女を抱き締めた。
その目には同じく、涙を浮かべている。
「ルタシス、お願い。
兄さんを生き返らせて!」
「任せろ。
正義の神イルハルの名にかけて、このルタシス、我が友の命を取り戻そう!」
魔石は無事に力を発揮した。
魔石がもたらす蘇生の力と、ルタシスが施す癒しの魔法は、モロウの身体に命の息吹を吹き込んだ。
モロウの心臓は再び鼓動を始め、肌の色も次第に赤みを帯び始める。
ユニアの願いは、達せられたのだ。
「目覚めには、まだしばらくかかるだろう。
だが、もう大丈夫だ!」
モロウは果報者だな、神官ルタシスは笑顔でそう話して、神殿へと帰って行った。
ティカも今は落ち着いて、モロウの暖かな手を握って色を取り戻した顔を見つめている。
十日間ずっと冷たかった手を握り、命を感じていた。
その表情は、穏やかだった。
力を失った魔石は、黒曜石のような石となった。
もう何の力も無いが、兄の命を取り戻してくれたこの石を、ユニアは大切にしまっておく事にした。
そしてもう一つ、決めた事があった。
荷物をまとめたら、義姉に伝えようと考える。
今日、この家を出て行くつもりでいた。
兄夫婦はこの町に住処を得て、定住すると決めていた。
しかしユニアは冒険者で、新たな仲間であるレンもまた冒険者だ。
それに、レンを守ると決めた。
ならばそばにいるべきだ。
そう思ったのだ。
「全部で、銀貨二枚と銅貨三十枚ってところだな。」
レンは迷宮で得た戦利品を買い取ってもらった。
満面の笑顔で組合を後にする。
レイスの持っていた剣が高く売れた。
あとでユニアにも渡そうと考える。
ユニアとは酒場で待ち合わせしているので、早速向かった。
査定にかなりの時間を取られたので遅れたかと思って急いだが、彼女はまだ来ていなかった。
ならば今の内に依頼を見ておこうと掲示板へと向かう。
が、目を引くものは無いので諦めた。
二人で食事するならテーブル席の方が都合が良いので、主人に相談してみる。
「構わないぜ。
ちょうどその壁際が空いてるから、座って待っていたら良い。」
礼を言って、言葉に甘えさせてもらう。
何も頼まないのも申し訳無いので、果実の飲み物を一杯頼んだ。
価格は銅貨一枚だった。
ちびりちびりと飲みながら、魔法の書を荷から出して読み進める。
レンは、中級魔法以上を使えなかった。
原理が理解出来ないわけではない。
記された通りにしているのに、発動しないのだ。
きっと才能がないのだと、レンは半ば諦めている。
ただこの書物を読むのは好きだった。
今は初級魔法の書を読んでいる。
何度も読み直していると、魔法一つ一つに理解が深まるような気がした。
「こんばんは。」
「ユニアか、久しぶりだな!」
声に、レンは書物から顔を上げる。
白い上着を羽織ったユニアが、こちらに向かって歩いて来ていた。
脚衣が深い青の、真新しいものに変わっている。
腰には幅の広いベルトを巻いており、鞘の紐をそこへ結び付けていた。
鎧は着ないらしい。
レイスとの戦闘で見せた動きならば、必要でも無さそうだったが。
「ごめんね、待たせたかしら。」
「いえ、特には。」
書物を閉じて、荷へと戻す。
少し時間が早いが、夕食の待ち合わせをしていたのだ。
椅子へ座ったユニアは、早速主人に届く声で注文する。
今は客が他にいないので、主人も対応してくれた。
「ユニア、その子と組む事にしたのか?」
料理の傍らで、主人が尋ねている。
どうやら二人は知り合いらしい。
その様子はとても親しげだ。
「私の、命の恩人よ。
彼女がいなければ、私は殺されていたわ。」
「お嬢ちゃん、強かったんだな。
ユニアを助けてくれて、ありがとな。」
レンの意識としては、そこまで大きな事をしたとは思っていない。
しかし命を助けられたとまで言われて、それを蔑ろにするのはむしろ失礼とも思えた。
その感謝は、素直に受け取っておくべきものだ。
飲み物と料理が並べられていく。
葡萄酒、蒸し野菜とソース三種、魚介のショートパスタに同じく魚介のスープ。
「今日は港町から商人が来ていてな、海の物が安く手に入った。
美味いぞ。」
二人部屋を取り、荷物を下ろした。
外套や上着も脱いで一息とする。
しかしレンは落ち着かなかった。
所在無げにいるよりはと、浴場の事を考えた。
「ユニアさん、湯浴みはされます?」
「もう少しお腹が落ち着いてから行くわ。
先にどうぞ。」
言葉に甘えて、浴場へ向かう。
主人の妻に声をかけると、空いているとわかる。
「ここにいて見張ってるから、ゆっくりどうぞ。」
受付からは、浴場の入口まで真っ直ぐだ。
そういう意味での作りなのだろう。
許されざる行為に走る者は、何処にでもいる。
礼を言って、扉を開けた。
この扉に鍵がかからないのも、何かあった際にすぐ入って助けられるように、と言う事か。
手早く脱いで、湯を浴びに行く。
浴室の扉を開くと、まずは立派な浴槽が目に入る。
四人は入れる岩造りの浴槽から手桶で掬い湯を浴びれば、ひとかけ毎に汚れが流れて行くようで心地好い。
頭も流し、全身の汚れを落としていく。
髪は纏めて布で固定した。
湯に浸かると緊張が解れて、身も心も休まる思いだ。
突然浴室の扉が開く。
驚いて見れば、ユニアが一糸纏わぬ姿で入って来ていた。
「お邪魔するわね。
ここも久しぶりに入るわ。」
レンと同じく手桶で身体を流し始める。
美しい銀髪としなやかで少し筋肉質な肢体に、そして豊かな二つに、目を釘付けにされた。
堂々としていて、自信に満ち溢れているようだった。
「やっぱり、あの言葉ってそういう意味だったんですよね・・・。
か、覚悟決めないと・・・。」
ユニアは、生涯を、と言ってくれた。
その気持ちは本当に嬉しく思っている。
レン自身も今は、ユニアの事を良く感じていた。
気持ちに応える事には、覚悟が必要だったが。
そして今の状況は、早過ぎるのではないかとも思ったが。
「ちょっと、見過ぎよ。
あなた、そっちの趣味でもあるの?」
真隣に座り、ユニアは笑う。
しかしその言葉で理解した。
二人共が勘違いしているのだ、と。
慌てて目をそらす。
「ごめんなさい!」
そして口ごもる。
迂闊だった自分を責めた。
今更となってしまったが、それは言わなくてはならない事だ。
深呼吸して、心を決める。
見ないように目を強く瞑ったまま、おずおずと口に出した。
「私、男なんです・・・。」
ユニアは凍り付いた。
「まあ、私も気付かなかったし。」
レンが目を閉じているのを良い事に、その身体を眺める。
胸はやはり無い。
服の上からでもわかっていたが、線は自分よりも細い。
筋肉が付いているのか心配になる程だ。
顔付きは少女にしか見えないし、肩幅、腕、胸、腰、脚と、姿勢や何故か胸を隠すような仕草まで女性的だ。
実に紛らわしい容姿ではあった。
実際間違えてしまった。
けれど声もかけずに入った自分に落ち度が無いなどと恥ずかしい態度は取れないし、取ろうとも思わない。
言葉を違える気も無い。
レンは本当に良い人間だと感じていたし、命を救われた事も、自分を許すどころか認めてくれた事にも深く感謝している。
生涯をかけて守りたいと思う心に偽りも、変化も無い。
関係性が仲間、或いは主従から恋人、或いは伴侶へと変わるだけだ。
(心の整理には、少し時間かかりそうだけど・・・。)
出会ったばかりの男を愛する事など、なかなか出来るものではない。
だが、そう取られても仕方ない言葉を自ら口にしたのだから、今更訂正する気もない。
簡単に訂正してしまえる程軽い気持ちで口にしたのでもない。
それに。
(人が良くて可愛らしくて、魔法の腕もある。
この子以上の男なんて、そうはいないわよね。)
打算も無いとは言えない。
初めて人と恋人と言う関係を作るが、レンなら不快な事をするとも思えないし、強要するような乱暴も働くまい。
一方レンは、自己嫌悪の真っ只中にあった
女と思われる事に慣れ過ぎて、そしてその方が都合の良い事が多くて、否定する事を忘れていた。
そのまま流してしまう習性がついてしまっていた。
だから、ユニアの勘違いにも気を回さず、考える事もしなかった。
結果がこれだった。
女性の肌を見てしまうなど、その関係に無ければ許される事ではない。
勘違いしたまま、思わずじっくりと見てしまった。
詫びの入れようも無い。
「そういう関係になるんだから、私は構わないわよ。」
「でもそれは、勘違いしていた結果の事ですから・・・。」
わざわざ律儀に、勘違いから生じた関係を守る必要など無い。
こちらが勝手に、そのような関係になるのだと取り違えたのだ。
ユニアが思っていた通りに、今からでも仲間としての関係になれば良いはず。
それどころか、本来なら見る資格も無いのに見てしまったのだから罰されて然るべきだ。
「誠実過ぎるのも、律儀過ぎるのも考えものね。」
そう呟いたユニアに、レンは正面から抱き竦められた。
そしてユニアは、その凶器たる二つを思う様押し付けた。
思わず目を開くと、目の前に頬を紅潮させた、美しいユニアの顔があった。
その美貌と少し照れたような表情に心臓が跳ね上がり、言葉にならない声で呻いてしまう。
「こんな事をしても構わないくらいの相手だって思ってるんだから、見たくらい何でも無いのよ。
いい加減聞きわけなさい。」
その時、ふとユニアの視線が下がった。
レンの胸を見ている。
はっとして、身を伏せるようにしてそこにある傷痕を隠した。
それは深く傷付けられた痕。
「それは隠したかったの?
それとも触れ合いたくなった?」
にやりと、ユニアは笑みを作った。
ユニアの腕の中にあって、胸を隠すには身体を寄せるしか無かった。
つまりは、より触れ合う形に。
顔どころか、耳まで熱くなるのを感じた。
「ああもう!
見ないで下さい!
もう放して下さい!」
部屋に帰ると、レンは早々に寝台へと潜り込んだ。
「あなたが、男だったなんてね。」
ユニアが笑っている。
全く不快でも、複雑な思いも無いようなので安心したが、しばらくからかわれそうではあった。
「本当にごめんなさい。
服装は気を付けているつもりなのですが、見た目や仕草まではなかなか矯正出来なくて。」
レンは女ばかりの環境で育った。
母と姉三人に育てられ、男は外へ稼ぎに出ており見た事が無い。
そんな村で、姉の真似をして女の子として育ってしまった。
そしてそれを、誰も正されなかった。
性別による身体の差異にも、姉三人に隠蔽されて気付けなかった。
十二の年に村を飛び出す原因となった、ちょっとした喧嘩をするまで、自分も女なのだと思い込んでいた程だった。
「そのままで良いわよ。
可愛いから。」
それもどうだろうとは思ったが、可愛いと言われて嬉しいと感じてしまう自分に、少しだけ苛立ちを覚えてしまう。
からかう事を咎めて頭まで毛布を被る。
くすくすと笑う音が聞こえた。
しかしそれは、程なく寝息に変わる。
顔を出して見れば、ユニアは穏やかな様子で眠りについていた。
思い返してみれば、彼女は迷宮の中をレイスに追われて走って来たのだ。
その疲労は相当のものなはず。
寝台から抜け出しそばまで近寄ってみれば、全くの無警戒な表情で眠っているのがわかる。
レンの事を信用し切っているのだ。
床に膝をついて、顔にかかった銀髪を退けて覗き込む。
美しいと、そう思った。
何故こんな事になったのか、何故あの時あんな誓いを口にしたのか、レンにはわからない。
命を救われたと言ったが、それが生涯を捧げると言う程の事だろうか。
義理堅過ぎるのではないかと思ってしまう。
それに、会ったばかりの人間をどうしてここまで信用出来るのだろうか。
レンにとってユニアは、不可思議な人物だった。
本当は、レンは一人でいたかった。
まだ、人と組む気にはなれていない。
しかし不思議と、ユニアの事は嫌とは思わなかった。
なし崩しに出会ってしまって、勢いでここまで来てしまったからだろうか。
本当のところは、まだわからない。
彼女が望む限りは一緒に居よう、結局そう考えて、寝台の毛布に潜り込んだ。