魔術師、仲間に出会う 二
迷宮の中は、やはり暗闇だった。
右手に握る短杖で照らしながら、一歩ずつ慎重に進む。
目標は依頼対象物を五つ手に入れる事と定める。
それで銅貨十五枚。
充分ではないが、あまり大きく目標を定めても、命を失ったのでは意味が無い。
曲がり角では、壁に身を寄せ音に耳を澄ませた。
何者もいない事をまず音で確かめてから、少しだけ顔を出して目で確認する。
レンは左手の壁に沿って歩いていた。
闇雲に歩いては容易く道を見失ってしまう。
そうならないための、冒険者の知恵なのだと本で読んだ事がある。
左手で触れた迷宮の壁は冷たい。
材質は石などに似ている。
破壊する事も出来るだろう。
幾つ目の曲がり角か覚えていないが、物音が聞こえて来たので足を止めた。
短杖を左腕の袖の中に突っ込み、光を遮る。
音は曲がった先、まだ少し離れている。
覗けば、松明を持った三体の人型が見える。
目を凝らして確認するとそれは低級の魔物、コボルドだった。
犬と人間を合わせた姿を持っており、多少知恵が働く。
原始的な武器を持っている事が多いのだが、この三体は小剣を腰に提げていた。
冒険者から奪い取った物だろうか。
コボルドはこちらへと歩いている。
緊張から額にじわりと滲む汗を拭う。
慎重に事を運ばなくてはならない。
まずは魔法による先制攻撃を行う事にした。
奇襲を仕掛けるのだから、光る短杖は袖に入れたままでなければ気付かれ失敗する。
一撃目には使えない。
杖を使うと魔力の節約が見込める。
魔力を練り上げる際にどうしても魔力が外に漏れ、余剰に消費してしまう分が生じてしまうのだが、杖の中で行う事によりその余剰分を抑える事が出来るのだ。
消費する魔力を抑えられれば行使出来る回数が変わる。
だから、魔術師は杖を持つ。
長さによって多少効率が変わるが、それは誤差と言える範囲だ。
人によってはそれにも気を使うが、レンは好みで短杖を選んだ。
今そうしているように、袖の中へしまう事も出来るからだ。
右手に魔力を集め、練り上げ、力へと変質させる。
変質した魔力を解き放つべく、素早く曲がり角から飛び出し、右手を向けた。
そして、命じる。
差し向けた右手から魔力は溢れ、炎となり、さらに命じられた通りに矢の形を取る。
炎の矢は念じられた対象である、コボルド達を襲った。
全九本の赤い炎は、不意を突かれたコボルド達に避けられるものではなかった。
着弾と共に、炎の矢は爆炎となり激しく巻き上がる。
焼かれた哀れな魔物達は断末魔を上げ、転げ回り、もがいた。
深く突き刺さった炎の矢に、コボルド達は内部からも焼かれていく。
反撃する事も叶わず、やがて彼らは絶命した。
「一回で、終われた・・・。」
レンは大きく息を吐く。
目眩に頭を振って、何とか抵抗した。
魔力の消費に伴う身体的影響だ。
意識と視界がはっきりしたところで、戦利品を確認する。
小剣三本は、持ち帰れば売れそうだ。
部位は、焼けてしまって使い物になる箇所が無かったので諦めた。
炎は避けた方が良かったかと、少し後悔する。
小剣をバックパックにしまい、歩き出した。
探索を再開する。
奇襲する事さえ出来れば、一人でも戦えると実感を得た。
まるで盗族のようだが、今ならば彼らのやり方が優れていると理解出来る。
女性戦士は二階で、身を潜めていた。
追手は相当にしつこい。
かつ素早い。
魔物と遭遇し、避けられない戦闘の幾つかに手間取っている間に、彼らは着々とこちらを追い詰めるべく動いているようだった。
本当は彼らから逃れてから、上層へと帰って来たかった。
しかし逃げ切れなかった。
自分だけでは手も足も出せない。
ひたすら逃げるしか無かったのだ。
これから起こり得る事態を思うと、背筋に冷たいものが走る。
奴らは、誰彼構わず襲うだろうか。
どうか、自分を追う事だけに専念してくれと、願わずにいられない。
これだけ執拗に追っているのだから願いの通りだとは推測しているのだが、もし被害が出てしまっていたら、償いのしようが無い。
しかしそれでも、自分は帰らなくてはならないのだ。
階段へ、見つかるのも構わず飛び込む。
駆け上がって、とうとう一階まで帰って来た。
走る。
ちらと見た後方には、既に追手の姿が見えていた。
白く透けたローブの不死族。
それは死霊、レイスと呼ばれる強力な魔物だった。それが二体。
ここまで追って来ているのは、その二体のみのようだ。
だが自分の剣は効かない、役に立たないのだ。
レイスには魔力を持った武器か、聖別された祭器でなければ効果が無い。
それらはとても高価で、手が出なかった。
魔法を使う事が出来ればそれでも対抗出来たが、戦士である自分にはそれも無い。
出来る事はただ逃げるのみ。
しかし走る自分と障害物に構わず飛ぶ事の出来る彼らとでは、速度が違い過ぎる。
程なく追い付かれるだろう。
追い付かれれば、待つものは死。
何をしてでも、逃げ延びなければ。
そう思っていると、前方に一人の女性冒険者が見えた。
不運な、と頭の片隅で同情する。
その通路はちょうど長い一本道になっている場所で、脇道にそれて避ける事も出来ない。
彼女には、犠牲となってもらう以外無かった。
横を走って通り過ぎる。
彼女のおかげで、自分は逃げ切れるだろう。
正面から遭遇してしまったら、レイス達も見逃しはしまい。
自分が外に出る程度は、時間が稼げるだろう。
女性戦士は走る。
走るが、足が急激に重くなってしまった。
(ここで彼女を犠牲にしたら、私はこれからどう生きて行く?
こんな罪を犯した自分を、許して認めて生きて行けるのか?)
足は止まっていた。
自問するまでも無い事だ、答えは否。
頭を振って、考えを改めた。
自分には、何をしてでも、などと言う事はやはり出来ない。
生きて帰りたかったが、罪を犯してしまっては自分で自分を許しておけない。
仕方なかったなどと考えたくない、言い訳して生きて行くなど御免だ。
自分は、自分に納得して生きていたい。
このままここから逃げて帰ったら、きっと自分は立っている事すら出来なくなる。
ならば、選択肢は一つ。
踵を返して、冒険者のもとへ走る。
どうか、まだ生きていてくれと願いながら。
冒険者が横を抜けて行ってから、レンは見た事の無い魔物に襲われていた。
恐らくは不死族。
手に持った剣で、斬り刻もうと飛びかかって来る。
魔力の矢を放つ事で何とか迎撃しているが、効いているようにはあまり見えていない。
だが、とにかく連射あるのみだった。
先の女性戦士を追っていたのだろう。
霊体型の不死族には、ただの剣は効かない。
逃げるのも無理ない事だ。
そこに居合わせてしまったのは、この身の不運。
例えここで死ぬのだとしても、彼女を恨む気持ちなどひと欠片すら生じない。
むしろ自分がここで足止め出来れば、あの女性戦士は生き永らえるであろう。
人を守る事が出来るのだ。
それが、レンを奮い立たせていた。
ここは通さない。
強い意志をもって、短杖を握り締めた。
ひたすらに魔力の矢を放ち続ける。
目眩は治まらない。
立っているのがやっととなってしまっては、きっともう逃げる事も出来ない。
あの女性は無事に迷宮を脱しただろうか。
通りすがりにひと目見ただけだったが、とても綺麗な人だった。
恐怖に歪んだ顔ではなく、その眼には強い意志をたたえていた。
切れ長の瞳はこちらを見た瞬間に、悲しそうな色を見せた。
申し訳無いと、けれど成さねばならない事があるのだと、その強い意志を感じさせる瞳から察する事が出来た。
だからこそ、守りたいと思ったのかもしれない。
弱い自分に出来る事など、足止め程度のものだ。
しかしそれでも充分だろう。
レイスは魔力の矢にてこずっている。
してやったりだと、レンは微笑んだ。
自分には倒すだけの力は無い。
けれどこうして、時間を稼ぐ事は出来る。
もう充分に時間は過ぎた。
女性戦士のあの足なら、そろそろ外へと逃れた頃だ。
最期に人を守る事が出来た。
何と粋な計らいだろうか。
戻ってきた戦士は目を疑った。
その冒険者は、短杖片手に魔法を放ち続けていた。
純粋に魔力を矢の形にした魔法、それを一度に十数本。
夥しい数の光が、渦を巻くようにレイスへと殺到する。
魔力の矢は初級魔法でしかないが、その数によってレイス達の進行を阻害していた。
しかし、何故こんな滅茶苦茶な魔力の使い方をしているのか、ユニアには甚だ疑問だった。
いや、こんな使い方をどうしたら出来るのかわからなかった。
魔法に少々興味があって、共に旅をしていた魔術師に色々と話を聞いた事があるユニアには、その姿が常軌を逸したものに見えていた。
通常、実力ある魔術師なら、中級や上級の魔法を使う事を選ぶだろう。
初級魔法を繰り返す理由は、恐らくそこまでしか使えないからだと考えられる。
しかし、ならばその矢の数はどういう事か。
魔力の矢は低位の者が使えば一本、中位や上位の魔術師となっても多くて十本だ。
それを上回るこれだけの数、連射出来るものなのか。
信じられないものを目にしていた。
しかし今なら、レイスも怯んでいる。
追い付かれてしまうかもしれないが、試すなら好機だった。
「抱き上げるわよ!」
声をかけて魔法から意識を奪う。
止まったところですかさず抱き上げた。
荷が少々重いが、この程度ならば問題無いだけの鍛え方はしている。
女性戦士は走った。
冒険者の少女が糾弾の言葉を口にしたが、それは思っていたものとはまるで逆の言葉だった。
「何故戻って来たのですか!」
この少女は何を言っているのだ。
自分は魔物を押し付けたのだと言うのに、戻って来た事を責めるのか。
「後ろ、やっぱり来てますね。
このままでは逃げ切れない。」
少女の言う通りだった。
レイスは諦めていない。
全力だったが、抱えて走ったのではやはり追い付かれてしまうだろう。
そこで、件の魔術師の話を思い出す。
たった一つだけ、この事態を乗り切る可能性に思い当たったのだ。
「あなた、魔力付与の魔法は使える?」
初級魔法に、武器へ魔力を乗せるものがあった。
もし使えれば、戦える。
しかしそれは難しい部類の魔法らしい。
一種の感性が必要で、修得出来ない者の方が圧倒的に多いと聞いている。
「使えます。」
少女は不運だったが、どうやら自分は幸運だった。
少女を下ろして、剣を抜く。
意図を察した少女は、すぐに剣へと魔法をかけてくれた。
「ありがとう。
これなら、戦える!」
レイスに向かって駆ける。
振り下ろされる剣を払うが、接触した瞬間に少女の魔力が弾け、レイスの剣を飛ばす事に成功した。
「すごい!」
初めて受けたその魔法に感嘆する。
剣を失ったレイスは脆く、女性戦士はその一体をずたずたに斬り裂いた。
もう一方のレイスが斬撃を繰り出す。
初撃を避け、続く二撃目は弾く。
今度は手を放してくれなかったが、隙は出来た。
素早く斬り付け深手を与える。
さらに追撃し、打ち合いの果てに打ち勝ち、とどめを刺した。
レイスは消え去り、辺りに静寂が訪れる。
剣に乗せられた魔力は発光しており、明かりの役割も果たしている。
おかげで明るい。その光で、敵がいない事を確認出来た。
「どうして、戻って来たのですか?
結果は良かったですけど、命を無くす事になっていたかもしれないのに。」
少女は、またそんな事を言った。
女性戦士の方が戸惑ってしまう。
「私は魔物を押し付けたのに、あなたはそれを怒らないの?」
糾弾されて然るべき事を、人として許されない事を自分はしてしまった。
少女は、理不尽な死を迎えるところだったのだ。
何を言われても言い返す資格は無い。
どのような仕打ちでも、甘んじて受ける覚悟があった。
なのに少女は一切責めない。
その口からは、まるでこちらを心配したような言葉が投げかけられている。
「剣が効かなかったんですよね?
そんなの仕方無いじゃないですか。
そこにいた私が不運だったんです。」
少女は微笑んだ。
苦笑いだったが、その優しさに胸が痛んだ。
「何故そんな風に思えるの?
あなたが不運だって、それは私が保身のために思った言葉だわ。
あなたは、私のせいで死んでしまうところだったのに!」
女性戦士は自身を恥じた。
そして不甲斐なさと申し訳無い思いに、瞳が滲んでしまう。
自分はもう少しで、こんなに人の良い人間を殺してしまうところだった。
そう思うと、心が底から冷えていく心地だった。
堪えられず、膝をついてしまう。
少女は涙をこぼす女性戦士を見て慌てている。
そして胸を貸した。
回された腕は暖かく、冷えた心を救ってくれる。
自分よりも年若い少女に慰められてしまったが、何故だか恥ずかしく思う事は無かった。
そして許されるなら、この少女を生涯守って行きたいと思った。
「私に、あなたを守らせて。
この恩は報い切れないし、私自身があなたと共に在りたいと思っている。
私は生涯を、あなたと・・・。」
まるで騎士の誓いでも立てているようだったが、気持ちは同じようなものだ。
少女はこの命と、心を救ってくれた。
大袈裟でなくそう思っている。
彼女のためなら、自分は何でも差し出そう。
この剣も、命も、心ですらも。
少女は耳まで赤く染めていた。
目をあちらへこちらへと漂わせて、それから女性戦士の瞳を見つめた。
しっかりと見つめ返す。
この思いに偽りなど無いのだから。
「わかりました。
よろしく、お願いします。」
顔を俯け、照れるような可愛らしい様子で、少女は女性戦士の申し出を受けた。
女性戦士は指で自身の涙を拭って立ち上がる。
そして少女を腕で包んだ。
今日この瞬間から自分の全てをこの少女のために使う。その誓いを胸に刻み付けた。
女性戦士は、ユニアと名乗った。
少女は、レンと名乗った。
そうして、二人は出会った。
ユニアは、今はこの町に住む兄夫婦のところに身を寄せている。
迷宮の深くに、無理に挑んだのには理由があった。
「義姉さん、帰ったよ。」
兄はモロウ、妻はティカと言った。
大柄で筋骨隆々、豪放な性格の兄と、艶のある美しい女性の義姉。
二人は深く愛し合っており、本当に幸せそうだった。
十日前までは。
三人は冒険者として迷宮に挑んだ。
その際に、モロウがティカを庇って心臓を貫かれて死んだ。
遺体を抱えて何とか帰還したが、二人は悲しみに包まれ、特にティカがその死を受け入れられなかった。
そんな時に、知り合いの神官から魔石の話を聞いた。
様々なものを与えるとされる魔力を宿した石。
広く知られているがあまりにも希少で、噂話にすら上らない程だった。
しかしそれが、迷宮の中で目撃されたと言うのだ。
それも生命を与える赤の魔石が。
ユニアは話を聞いたその日に、荷物をまとめて迷宮へと向かった。
話では七階だったので一気に駆け抜け、探索はそこから始めた。
七階の魔物はユニアには格上だったが、怯むわけにも負けるわけにもいかなかった。
命と気力をすり減らしつつ、ユニアはついに魔石を見付け出した。
死霊達の蔓延るその中心に、赤い輝きが鎮座していた。
目撃した冒険者達は、この死霊の数に危険を感じて引き返したのだろう。
しかしユニアは、魔石を目にしたらもう止まれなかった。
持ち前の速さで奪い取り、あとはひたすら走った。
死霊の追跡は結局一階までも続き、そしてそこでレンと出会った。
そうして今、彼女のおかげでここに帰って来られた。