魔術技官のいる世界 二
魔術の修得段階に応じて、行き先は別だった。
第一から第五まであり、二人は第三に通っているという。
敷地の南側に建物が集約されており、南東端に男性寮、南西端に女性寮がある。
その間には中央棟と呼んでいる大きな建物があり、管理運営に必要な各部署や魔術教員達が職務に使う部屋、知識を学ぶための部屋など、様々なものが集約されている。
敷地の入口は東側中央辺り。
そこに守衛の小屋もあり、レンもその門から入った。
訓練は建物の外、敷地の北側で行われる。
開けているので、見学なども時間が許せば可能だ。
レンは当然第一で、そこまで案内してもらえた。
場所としては端も端、ほんの少しの広さしか無い。
すぐに終わって第二に行く事になるからだと二人は話す。
それ以外の場所は、第二と第三で使っていた。
第四と第五は、現在一人もいないという。
定められてはいるものの、二人の知る限りそこまで到達した者はいないそうだ。
第一には現在、レンの他に三人の訓練生がいた。
十代後半の女性二人に二十代後半程の男性一人が、教員を待っている。
「おはようございます。」
レンが挨拶すると、三人もそれぞれに返す。
程なく教員もやって来て、早速教え始めた。
教員は初老の男性で、三人にやるべき事を指示したらレンの方に来た。
「杖は明日だね。
今日は、話だけ聞いてもらおうかな。」
教員はレンに、この場所についてまず話す。
ここは魔術技官を養成するための機関で、魔術技官に求められる技術の修得を目指す養成所だという。
魔術技官とは役人というよりは軍人に近い役職で、一般の兵士と同じに人々の生活と安全のために働くようだ。
それから話は、教材を用いた魔術についてのものとなる。
ここで教えている魔術の秘密は、杖とローブにあった。
ローブの背にある刺繍が素図の役割を持っており、着用者から魔力を引き出す。
その魔力は杖に移され、杖は所有者の意図に従って魔術を引き起こす。
「妙な話ですね。
魔術には、素図が必要なのでは?」
「素図の話を聞いたんだね?
杖にはたくさんの素図を予め仕込んでおくんだ。
魔術を使う者は、その中からどれに魔力を通すかを決める。
杖はそれを読み取って、選択された素図に魔力を流す。
ローブには魔力を誘導する素図が、杖には所有者の意図通りに魔力を流す素図が仕込まれているんだ。
杖の先端に玉だったり彫像だったり、色々付いているだろう?
あれが、発動に使う素図の塊だ。
魔力を流す素図は杖本体の方にある。」
レンは三人を見つめる。
彼らは素図を扱う練習をしているらしく、女性二人は背中の紋章をちかちかと明滅させている。
男性はその先、背中の紋章から魔力を受けた杖の行使を練習していた。
杖の本体が明滅しているが、先端にまでは光が行かない。
教員は三人の方へと歩いて行った。
そして助言などしている。
「レン。」
メスティファラスの低い声が聞こえた。
「これは、理とは関わりが無い。
理による魔力の扱いではなく、技術によって強引に魔力を扱う術だ。」
「そうなのですか?
では、修得しても無駄に?」
しかしメスティファラスは否定した。
利用価値はある、そんな判断だった。
「遠回りには違いない。
だがこの技術、世界を超えるかもしれん。
移動直後の理を見つけるまでの間、つまりほとんどの時間なわけだが、そこで使える可能性がある。」
「それは素晴らしいですね!」
「ああ。
遠回りにはなるが、俺はこのまま修得する事を勧める。」
「わかりました、やりましょう。」
理とは違った。
けれど、極めて有効な技術だった。
もしメスティファラスの推測通りなら、旅を大いに助けるだろう。
この技術の修得を目指しながら、理の追求も行う。
レンは二つの目標を定めた。
教員から聞けるだけの話を聞き終えたレンは、一人先に帰って来ていた。
ローブを脱いで、寝台に座ってその紋章を見る。
教員によれば、これも素図だ。
訓練生達の魔力を受けて明滅していたのだ、間違いという事は無いだろう。
魔力を引き出し、杖に移す。
それがこのローブに与えられた役割だ。
一体どうやって杖に移すのか、その指定方法は、などと不思議に思った事について考えてみる。
素図は込められた魔力を消費して働く。
ならば稼働していない現在は、この紋章は魔力が枯渇しているという事か。
どうしたら込められる?
試しに手を触れて、いつもの通りに魔力を使ってみる。
すると紋章が仄かに青白い光を帯び、レンの魔力を扱い始めた。
体内を魔力が駆け巡って外に出る先、杖を探している。
魔力を止めると、魔力も通常通りに戻った。
手を離して魔力を扱おうとすると、やはり消費するばかりで何も起きない。
素図を使えば、レンも普通に魔力を扱えるようだ。
何故普通には扱えないのか。
その原因を突き止める事が、理への第一歩となる。
そんな気がした。
翌朝、寮長が来客だとレンを呼んだ。
ちょうど二日経過している。
剣の改造が出来たのだろう。
そう思って喜び勇んで行くと、応接室のようなところに通された。
そこでは何故か表情を暗くして、先日の女性が待っていた。
目の前のテーブルには、細身の剣。
レンの剣は、もっと幅の広い物だった。
何があったのだろう?
「その、ごめんなさい。
鍛治師が勝手な事をしてしまって・・・。」
詳しい事情を聞かされた。
魔法銀を見た鍛治師はまず喜び、しかし激怒した。
曰く、作りが杜撰過ぎる。
そして他の者達が止めるのも聞かずに、改造どころか作り直してしまった。
しかも悪い事に、魔法銀の一部を懐に入れた。
それが発覚し、彼は当然処分を受けた。
魔法銀は取り返し、しかし打ち直す事も出来ないので柄頭として形を整えて使用した。
彼の腕は確かだった。
レンの剣は、中心は魔法銀ではなかった。
それを魔術錬盤を用いて巧みに分け、魔法銀だけを使って刀身を作り直した。
しかしこの素材を手元に置きたくなってしまったのだという。
形が変わってしまった経緯としては、そんなところだった。
ただ、問題はこれだけに終わらなかった。
魔法銀は、素図を仕込む事が出来なかった。
魔力の通りが良過ぎる事と強靭過ぎる事が問題となってしまった。
柄は普通の素材によって作られていたので素図を仕込む事が出来た。
それにより刃に魔力を通す事は可能となった。
しかしそれだけだった。
「魔術は使えません。」
レンは剣を引き抜き、魔力を送り込む。
刃がぼんやりと青白く光を帯びた。
確かに魔力は通せるようだ。
ローブの背から柄へと流れ、柄が刃へと魔力を込める。
斬れ味や破壊力は、これで上げられる。
それで充分ではある。
元々そのつもりで手に入れているのだから。
念のため、その状態で魔術を試した。
組み上げ、言葉にし、文字を書き、陣を描き。
紋様を組み合わせ、形を成し、曲に乗せ、歌に乗せ。
幾つもの扱い方を試したが、やはりただの一つも反応しなかった。
しかし女性は、そんなレンを驚愕の眼差しで見つめていた。
そしてぽつりと呟く。
「まさか、異界の魔術師・・・?」
彼女は異界を知っていた。
驚くレンに剣を収めさせて、その手を引いた。
引き連れて場所を変えるべく移動する。
寮を出て中央棟へ。
登録のためにレンを案内した部屋へと、再びやって来た。
そこでようやく手を放し、彼女は振り返ってレンを改めて眺めた。
女性用一式を身に付け、鞘を両手で杖のように握る。
小首を傾げて、見つめ返していた。
あまりに似合っていて吹き出しかける。
慌てて取り繕って、本題を口にした。
「レンさん、あなたは異界から来た方なのですね?
それも恐らく下層から、一つ一つ魔術を身に付けながら。」
女性は世界の構造や魔術についても知っているらしかった。
確信している目で、レンを見つめる。
隠しても無駄であるようだったので、レンは素直に頷いた。
女性の瞳は興味に輝き、顔色は妖しく色付く。
圧倒的な気配を発し始め、レンにはそれが魔力だと感じられた。
興奮のあまり魔力が漏れ出ていた。
それは奇妙な事だったが、レンが考えるだけの時間を彼女は与えてくれなかった。
「あなたはもしや、素図の仕組みに心当たりがあったりしませんか?
幾つもの世界を渡り歩き、その魔術を身に付けて来たのだと見受けました。
その過程で知り得た事があったはずです。
使い方が違うにも関わらず、その根本は変わらない。
そこにあなたは気付いているはず。」
レンは、彼女もまた知っているのだと確信した。
魔術の仕組み、世界を渡っても変わらなかった根本的な成り立ち。
かつて錬金術師のサールが口止めした、魔術の構造。
「どうですか?
心当たりはありますか?」
「多分ですけど。
素図は、魔術を構成するものの集合体では?」
答えると、彼女は笑みを浮かべた。
頬を紅潮させた、昂揚した笑顔を。
「やはりあなたは・・・、魔術の深淵を知る者。」
女性は確信を持っていたようだ。
レンは魔術をその要素から構成し、作る事が出来る。
彼女もレン同様、それを知っているのだ。
自分と同じ、魔術を作れる者。
レンは初めて、彼女をはっきりと認識する。
背に届く程度の黒髪、臙脂色の瞳にどきりとするような妖しい美貌。
背に紋章のある黒のローブを緩く纏い、内側はぴったりとした白の上着とスカート。
膝上から足首までは素肌をさらし、黒革の靴を履く。
「あなたは、何者ですか?」
「私は魔術教員長ですよ。
名前はサルテ。」
異界を渡り始めて、初めて名を頭に刻んだ。
はっきりと認識してようやく理解する。
ただ者でない空気。
(この感覚、何処かで・・・!
多分人間じゃない!)
何故こんなところで、こんな事をしているのか。
戦慄に身構えてしまう。
そして、こうして対峙するまで気付かなかった己の迂闊さが悲しくなった。
魔力感知出来なくとも肌に感じられる。
他者を圧倒する恐るべき魔力。
全力で襲われれば、今の自分などひとたまりも無い。
理解した瞬間、身体が警鐘を鳴らした。
自然と鞘を左に持ち、その柄に右手が添えられる。
「ちょっと待って下さい。
何故そんなに警戒しているのですか?
私、何もしてないと思うんですけれど・・・。」
サルテと名乗った彼女は戸惑って、怯えるように言う。
言われてみれば、確かに彼女は何もしていない。
魔力に当てられてつい身構えたが、その目に敵意は見えない。
むしろ好意的に見えていたのだ。
警戒するのは早計だったか。
そう思ってしまえば申し訳なくなって来る。
「済みません、早まりました。
人ではない気配だったもので・・・。」
「・・・もしかして私の事、気付いてます?」
「神か悪魔かとは。」
「一体どんな十三歳ですか・・・。」
サルテはがっくりとうなだれた。
年齢に触れられては、苦笑いしか出来ない。
まさか三十五だとは思えないだろう。
ただし成長が止まっているので、単に年を重ねただけだが。
「察しの通り、私は悪魔です。
でも破壊とか興味無いんです。
ここでゆっくり、人間に混ざって暮らしていたいだけなので、秘密にしておいて下さいね。」
「そういう事なら問題ありません。
私も色々教わりたいですし。」
レンの目は、そう聞いてむしろ輝き始めていた。
この世界の理について聞けるかもしれないのだ。
悪魔であれば、この世界付近の事すら知っている可能性もある。
是非仲良くしたいところだった。
笑みを見せれば、サルテも安堵して微笑む。
「では、杖を用意しなければなりませんね。
その剣の柄を用いれば、すぐに出来ます。」
レンから魔法銀の剣を受け取ると、サルテは手早く分解する。
柄を巻いていた帯を解き、柄頭や刀身の下部と挟む形の柄を貫通して留めている金具三点を外す。
柄の内側に仕込まれた素図を確認して、机の中から出した杖の先端となる真っ黒な平たい六角柱の下部を柄で挟んで剣同様に金具で留めた。
柄頭は魔法銀の物を杖にもそのまま使うので、金具で同様に留める。
この魔法銀は、それ自身に魔力の使う先が無いため特に意味も弊害も無い。
そして柄に帯をきつく、綺麗に巻く。
それで完成となった。
長さとしては、短杖のなかでも非常に短い部類となる。
柄にはそもそもレンが両手で掴む程度の長さしか無かったのだから当然だ。
「鍛冶師が杖と同じ規格で作ってくれて、ちょうど良かったですね。
短いですが、レンさんの杖はこれにしましょう。
先端の素図は特別製です。
これを扱える者は、私の知る限り私とレンさんだけ。
素図の大元である、魔術素を集めただけの試作品なんです。
一般的な魔法を使うための魔術素が込められていますので、レンさんならそれで魔術を使えるでしょう。」
魔術素というものが、レンにとっての要素に当たるものなのだろう。
実際に使ってみなくてはわからないが、サルテの考えている通りならこれで魔術を行使出来るはず。
レンはそれが嬉しくて、飛び上がって喜んだ。
刃と鞘はそのまま預ける事となるが、レンには最早些事となっていた。
「では早速!」
レンは念動を自分に使う。
魔力がローブを伝わって短杖へと流れ、先端部へと到達。
レンの意図のまま魔術素を選び取り、変換され、魔術が引き起こされた。
レンの身体がふわりと浮かび上がる。
安定しており、問題無く機能を発現していた。
思わず声を上げて笑った。
舞い上がるような心地で、踊るように全身で喜びを表した。
これで世界を移動しても魔術が使える、かもしれない。
満面の笑みで短杖を腰帯に取り付けられた筒へと差した。
太さを合わせ、抜き易く落ち難いようにと調節していたところ、サルテが調節してくれる。
きっちり留められてしまったが。
「この装飾のところで留まっていて、外せるようにしてあります。」
サルテが装飾を引くと、ぱちりと音を立てて筒が開いた。
装飾の金具で留まる仕組みだったようだ。
レンは目を瞬かせ、自分でも試してみる。
多少力を込める必要はあるものの片手で外せる。
短杖を巻くようにして留めれば、しっかりと固定された。
「便利ですね!」
「でしょう!」
レンが感嘆すれば、サルテは嬉しそうににっこり笑う。
「これでレンさんも、魔術訓練生として学ぶ事が出来ますね。
既に魔術は使えますし魔術の仕組みも理解されてますから、第一と第二は必要ありません。
今日からは第三課程ですね。
第三からは、より深い魔術知識や素図と錬盤の仕組みと使い方を学ぶ事になります。
今日のところは私がレンさんの知識と実力を計ります。
他の訓練生と合流するのは明日からですね。」
レンはそのままこの部屋でサルテと魔術についての問答を交わすが、これも既に知っている事だったので容易かった。
調整や強化、同時発動や多重発動とここでは呼んでいるが、身に付けている事に関する知識だ。
ただし、レンの返答は実体験に基づくものだ。
書物や人伝によるものではない。
自ら考え、試し、編み出して来たのだ。
サルテはそれを感じ取ったのだろう、深く溜め息を吐いて半ば呆れていた。
「もしかして、この年にして大魔術師なのでしょうか。
末恐ろしいですね、レンさんは・・・。」
(三十五だなんて言えない、もう言えないよ・・・。)
嬉しさのあまり踊ってしまった姿などさらしては、今更年を暴露するのも気恥ずかしかった。
このまま十三歳で通すしかないだろう。