魔術技官のいる世界 一
階層を超えて進む旅も三ヶ月を過ぎた。
幾つ上ったか定かでなくなってしまったが、旅自体は順調であった。
しかしここに来て、新たな壁が聳えていた。
魔力を使う事が出来なくなったのだ。
正確には、指先に引き出し集めた魔力が消えてしまう。
そのため魔法銀の剣に魔力を通せず、ただの剣としてしか使えない。
とうとうこの時が来てしまった。
二人はそう思った。
いつかは来るだろうと予想してはいた。
心臓はメスティファラスの身体と言える程に魔石と馴染んでいたので問題無く動いている。
しかし、魔力を扱えないのでは帰る事すら出来ない。
「予想はしていた。
そして覚悟もしていただろう。
慌てる事は無い。
まずは生活の基盤を固めるのだ。
時間が必要だろうからな。」
「そうですね。
焦っても上手く行かないばかりでしょう。
しばらくはただの冒険者として、この世界に馴染む事から始めましょうか。」
このところ、レンは落ち着いていた。
慣れもあるだろう。
しかし一番の理由としては、ある種の諦念であった。
三ヶ月も経過してしまった。
もう、なるようにしかならない。
幾ら心配しても、殺されるなら既に殺されている。
逆に逃げおおせているのなら、きっと今後も上手くやるだろう。
ならば自分に出来るのは、ただ一歩ずつ進んで行く事だけ。
その先で再会するにしてもしないにしても、今は変わらない。
それしか、出来る事が無いのだから。
そうしてただひたすらに、ここまで進んで来た。
レンは山の上に姿を現した。
そこで魔術を使おうとしても魔力が形にならない事を確認していた。
幾ら試しても変わり無く、引き出した途端に霧散していくようで消費するばかりだった。
草花に覆われた山を下りながら景色を見渡す。
目視出来る範囲に人里は無い。
食料や水は充分に確保している。
尽きるまでには町なり村なり見つけられよう。
そう考えて、黙々と歩いた。
そうして街を見つけたのは、この世界に来てから四度の夜を越えた昼だった。
山を一つ登ったところで眼下に平地が広がった。
そこに、街があった。
レンは息を吐いて安心し、意気揚々と山を下る。
気候が温暖で緑が多い。
穏やかな日差しが降り注ぐ中を元気いっぱいに走って向かった。
そこは白を基調とした建物が整理されて並ぶ、綺麗な街だった。
人々が行き交い馬車が走る、活気に溢れた通り。
商店が軒を連ね、行商が広場で商品を並べる。
職人達が工房を構え、賑やかに物を作る。
そして中央には城があり、兵士や騎士の姿もあった。
けれど何よりもレンの目を惹きつけたのは、宙を飛び回る魔術師達の姿だ。
老若男女問わず、魔術師達は空を飛んでいる。
短杖と言うには長く、長杖と言うには短い程度の杖を持ち、皆が同じフードの付いた白いローブを纏っている。
その背には紋章が刺繍されており、何かの団体に所属しているようだった。
彼らは街を警備するように飛び回り、時折住民に呼ばれて降り立つ。
家や店に招かれて、少しして出て来てまた空を飛ぶ。
誰もが笑顔で彼らを見ており、彼らもまた笑顔で人々に対応している。
平和な街であるように見受けられた。
レンが高揚して頬を染めて見上げていると、手を振ってくれる魔術師もいる。
思わず振り返し、辺りの人々を和ませた。
「お嬢ちゃん、魔術技官になりに来たのかい?」
人の良さそうな中年の女性が、レンに声をかけた。
魔術技官という職業があるようだ。
官というからには役人なのだろう。
けれど魔術を使おうとするなら、目指すのも良い。
そう考えて、即答した。
「はい!」
「だったら、兵士さんに話してごらん。
案内してくれるから。」
巡回する兵士達を指差して、女性は手を振って去った。
お礼を言って、レンは早速兵士達に駆け寄った。
案内されたのは、街の中心近くにある大きな敷地を持つ建物だった。
塀に囲まれていて中の様子は窺えないが、賑やかな声や音が聞こえている。
入口の門には守衛がいて、レンは彼に引き渡された。
それから一人の女性が呼ばれ、紹介される。
「承りました。
では、私に付いて来て下さい。」
彼女の後に続いて、敷地の中へと入った。
そこには魔術師達がたくさんいて、練習などに励んでいる。
レンは目を輝かせた。
標的に向かって魔術を撃つ者、向き合って魔術を撃ったり障壁で防いだりなどしている二人組、浮かび上がって空中での機動を訓練する者。
様々に魔術の腕を磨いていた。
「うわあ・・・!」
レンは感動する。
ここは、魔術師の訓練を目的として作られた場所のようだ。
たくさん魔術師がいて、たくさんの魔術が見られる。
久方ぶりの魔術に対する熱が燃え上がるのを感じた。
「さ、行きますよ。」
そんな様子に笑みを浮かべ、女性はレンを促した。
元気よく返事して、レンは彼女に続く。
早くあの中に入りたい。
けれど、入れるようになったらこの世界での目的は達成される事となる。
その時には、次へ行くだろう。
残念ではあったが、ユニア達を取り戻すためだと考えれば我慢出来る。
とにかく今は、一刻も早く魔術を使う事だ。
レンは気を引き締めた。
レンは魔術訓練生として登録された。
名前、年齢、性別など聞かれたが、年齢は偽るしか無かった。
メスティファラスから十三としておけと言われてその通りに答えたが、そんなに幼くないと反論したかった。
しかし女性は何も疑わず信じてしまったので、そのように見えていると知らされてしまった。
衝撃を受けつつも性別を答えると、これは聞き返された。
もう慣れているので何とも思わない。
その後似顔絵を描かれた。
絵の上手な人物が呼ばれ、彼がさらさらと描く。
見せてもらえたが、こんなには可愛くないと否定した。
けれどその絵で決まった。
それから身体の計測が行われた。
肩幅、腕の長さ、首や腰の太さ、脚の長さ、足の大きさなどなど。
支給する制服に必要なのだという話だ。
「・・・女性用のなら在庫があるわね。」
ぽつりと漏らした声が耳に入った。
ここでも女性用の服を着る事になるようだ。
最後に、支払いをどうするかと聞かれた。
当然ではあるが、無料で教えてもらえるわけではなかったのだ。
大抵は士官となってからの給金で支払う事にしているという。
レンにとってはそれしか選択肢が無いので、その方法で頼んだ。
大体一年で支払い終わる程度の料金であるらしい。
「一ヶ月で完済した強者も、過去にはいましたが。」
彼は強大な魔物を倒した報酬で支払っていた。
魔術さえ使えるようになれば、レンもその手段が取れるかもしれない。
頭の片隅に覚えておく。
案内された寮は、二人の若い男性との相部屋だった。
二十歳前後程の二人組で、一人は赤毛で一人は茶髪だ。
二人はレンを見て、ぎょっとしている。
「男、なんだよな?」
「そりゃここに連れて来られたんだから、そうだろうが。」
「手を出さないように。」
「そっちの気は無えよ!」
レンは愛想笑いを浮かべた。
武器は預けねばならないという事で、腰から剣を外して渡す。
剣を受け取った女性は、眉を上げて少し引き抜いた。
「珍しい物を持っていますね。
・・・これ、改造しても構いませんか?
あなたには杖を支給するよりその方が良いでしょう。
この剣を杖の代わりに使えるようにしておきます。」
「是非!」
「完成は恐らく二日後。
明日は実習など無いはずですので、問題にならないでしょう。
では、預かりますね。」
女性は帰って行った。
残された三人は、これからしばらくの付き合いとなる。
紹介などし合い、部屋の中での取り決めについて聞かされた。
寝台と背の低い戸棚がひと組になっており、それが四組ある。
その内のひと組をレンは使う事となる。
戸棚はレンの腰より少し低い程の高さで、寝台に座ると机としてちょうど良い。
頭側の脇にあり、二人は教材となる書物などを入れて使っているようだ。
寝台は足側半分が引き出しになっており、旅の荷物を入れるのに良さそうだ。
早速レンは楽しそうに荷物整理を始める。
整理が終わったところで、レンは二人に連れられて夕食を食べに向かう。
食堂があり、決まった時間に行けば食べられるのだという。
料理が数種類盛り付けられた金属の大きな皿が、一人に一つ配られる。
皿は形が加工されていて、山のように仕切りが作られていた。
それによって、料理が混ざってしまうのを防いでいる。
飲み物も付いた。
食事は、味は悪くなかった。
ただ、それが何であるのか全くわからない食材だった。
赤い四角だったり緑の三角だったりの固形物で、作物を加工して作ったのだとは推測出来た。
それを煮たり焼いたりなどで味付けしている。
何だか面白くて、レンは気に入っていた。
赤い四角はぷりっとした弾力のある歯触りで、それ自体にはほとんど味が無い。
料理次第でどんな味でも付けられるのだろう。
黄の玉はふわっとしていて、中に汁を吸う性質の物だった。
噛むと柔らかく、口の中いっぱいに汁が広がる。
汁物で味わってみたいと思った。
飲み物は水だ。
ただし、完全に無味無臭。
僅かにすら味も臭いもしない。
とにかく不思議な食事だった。
そんなレンの反応一つ一つが見ていて面白かったのか、相部屋の二人は可笑しそうに笑って見ていた。
続いては湯浴みだった。
部屋ごとに時間が決められていて、レン達は少々遅い時間だ。
さして広くない浴室は四人も入れば手狭になるだろう。
浴槽があり、そちらも入って五、六人。
大勢で入っては、男同士で肌触れ合う事態となろう。
レンは浴槽を見て驚く。
壁に開いた穴から湯が流れ出ており、浴槽内下部から排水されている。
常に新しい湯が供給されているのだ。
「すごい!
一体どうやって・・・!」
「錬盤を使ってるからな。」
「錬盤?」
聞き慣れない言葉に、思わず反応してしまう。
裸の少女にしか見えないレンに見上げられ、気恥ずかしいながらも茶髪の魔術師は説明してくれる。
この世界には魔術素図という仕組みがあった。
省略して素図と呼ばれている。
魔力を通すと魔術を引き起こす道具で、形は様々。
それを多数組み合わせ、継続的な使用を可能とした物を魔術錬盤とこの世界では呼んだ。
素図による魔術を、蓄えた魔力量の分発動し続ける。
それが錬盤の役割だった。
さらに、この錬盤を組み合わせる事でここにある浴槽のような事も出来る。
そんな説明を身体を流し、湯に浸かりながら二人は話してくれた。
この世界は、魔術を完全に物に落とし込んでいる。
魔導具とも違う成り立ちをもって作られている。
かつて印導具を作った身のレンとしては、衝撃的だった。
あれはレンにしか作れなかったが、素図と錬盤はそうではあるまい。
興奮が冷めやらなかった。
早く知りたい、作れるようになりたい。
しかしそれには、何よりもまず魔力の扱い方だ。
ここでそれを知れば、やがては修得出来るだろう。
否応無しに期待が高まった。
翌朝の食事が終わった頃、レンのところに荷物が届いた。
男性の寮長が鞄を一つレンに渡す。
中身は衣服と教材だった。
白の上着に白のローブ、幅の広い革の腰帯、焦げ茶の脚衣、足首までの革ブーツ。
それは魔術師達の着ていた装束一式だ。
レンは早速着替える。
上着の丈が長くて尻を隠して余りある程だが、袖はちょうどなので合っているらしい。
脚衣は細身で柔軟な素材を使っていて、履き心地が良い。
ブーツはごく普通であった。
前の開く型のローブを纏い、腰帯を巻いて留める。
腰帯には杖を吊すための短い革の筒が取り付けられていた。
太さを調節出来る仕組みになっており、鞘を固定する事も可能に見える。
小さな金属の装飾があり、洒落ていた。
そうして一式着終わると、先輩訓練生二人は微妙な表情となる。
「なあ、これ。」
「ああ。
女性用じゃないか?」
上着の丈の長さ、腰帯の幅、脚衣の細さ、そしてブーツの低さ。
それらが女性用であると示しているという。
レンはもう諦めた。
そんな話はしていたのだ。
こうなる事は見えていた。
自分の身体に合う物が無いのだ、仕方ない。
そう納得させた。
幸い似合っているとの事で、それなら良しと考えていた。
教材は書物という程しっかりした物ではなく、紙の束だった。
これから使うのだろう。
ひとまず鞄に入れたままにする。
衣服や教材の入っていた鞄はそのまま使えるそうなので、二人に倣ってレンも肩からかけた。
長さは、一番短く調整して肩からかけるのにちょうどだった。
「本当可愛いな。」
「甥っ子に欲しい感じだな。
息子や弟だと心配過ぎる。」
どういう事だと思わないでもなかったが、男性扱いの言葉だったのでレンは気を良くした。
にこにこと部屋を出ると、すれ違う者皆から見られる。
服が女性用であるために、どうしても目立ってしまう。
「お前ら、女の子と同室になったの?」
「んなわけ無えだろうが!」
などと、何度も聞かれた。
レン自身は慣れているとは言え、度重なれば慣れていない二人は苛立ってしまう。
そうなれば、レンは段々と申し訳ない気持ちになってしまう。
「気にするなよ。
男に女用を回した奴と、男の寮に女が来るなんてあり得ねえ事考える奴らが悪いんだ。」
赤毛の目付きが吊り上がっている。
茶髪は逆に面白がり始めていた。
「いっそ性別不詳のままで行くか?
笑えそうじゃないか。」
あはは、と乾いた笑いが口から漏れた。