戦士と盗族、仇討ちに挑む 一
一人の冒険者が迷宮から帰還した。
満身創痍の男性は盗族だった。
持ち前の身を隠す技術で、命からがら逃げ延びてきたのだろう。
彼の仲間は六階で、自分を残して全滅したのだと言う。
そしてその男は、レンとユニアが休息を取っていた時に通りすがった一団の一人であった。
「あの魔物は、凄腕の戦士だった。
五人がかりでも太刀打ち出来なかった。」
その話にユニアは心当たりがあり、胸の内に微かな炎が宿るのを感じた。
魔物の戦士。
金属の防具で全身を覆い、両手で扱う大剣を片手で振り回し、もう片方の腕には大きな盾を持つ。
それが可能な程の筋力と体力を備える埒外の戦士。
疑うまでも無く、その出立ちはモロウを殺した魔物。
これまでに無い敗北を味わわされた、仇敵だった。
「まだ、六階にいたのね・・・。」
その魔物は、実力的には七階よりも先と言える程の手練だった。
何かの理由があって、一時的に上がって来たのだと思い込んでいたのだが、まさか未だ六階をさまよい歩いているとは思わなかった。
しかしレンを連れて行くには早い。
動きは良くなっていたし、迷宮にも慣れた。
けれどその実力は、まだ四階を歩くには厳しいかと言うところだ。
もう一段の成長が欲しい。
それに仇敵とは思っているが、今となっては仇討ちに走りたくなる程の気持ちは抱いていない。
モロウはもう生き返ったのだから。
しかし野放しにしておいては、今回のようにモロウと同じ犠牲者が増えてしまう。
どうするべきか。
ユニアは葛藤に暮れた。
翌日になっても、ユニアは悩んでいた。
迷宮の六階に、未だ仇敵がいる。
そしてその魔物が、冒険者へ被害を出している。
止めたいと思っていた。
しかし一人では敵わないと思った。
レンを連れて行くわけにもいかなかった。
実力が圧倒的に不足しているからだ。
結局、倒す算段もつかないのだ。
無念でしかない。
もっと強くなりたい、そう願っていた。
気を紛らわすついでに、レンの髪を櫛で梳く。
長く艶のある黒髪はそばで手に取って見ると、羨ましく思える程の光沢を持つ事がわかる。
触れる指先に伝わる手触りを楽しみ、それを太く緩めの三編みにする。
「私の義姉さんがね、こんな髪型なの。
きっと似合うと思ってたんだ。」
「私、髪型変えるの初めてです。」
レンは嬉しそうに笑みを浮かべている。
義姉とは兄モロウの妻、ティカの事だ。
共に旅した仲間で、腕の良い魔術師である。
兄には勿体ない女性だと常々思っているのだが、二人が幸せそうなのでからかう程度に留めている。
今頃は聖都で観光しているか、帰りに向かっている頃か。
夫婦になってからこの町を出た事が無いはずだから、ちょうど良い旅行になっているだろう。
楽しい土産話を聞けると良い、と思う。
「出来たわ。
うん、やっぱり似合う!」
いつもと印象が変わって新鮮だった。
朝食を摂りに下りれば、主人と妻が早速目を付けた。
可愛いともて囃されてレンは照れて頬を染め、居心地悪そうにしている。
常連の少女が相手なのだ、騒がしくなるのも仕方ない事だ、とユニアは笑う。
今朝は先日町を訪れた行商から仕入れたと言う、チーズと香辛料を使った料理だった。
野菜に数々の香辛料と粉末にしたチーズを和えたサラダ、鶏肉と根菜に黒胡椒を効かせた煮込み料理、トマトソースと数種類のチーズ、燻製肉の辛めのパスタ。
鼻に抜ける香辛料の芳しい香り、味わい深いチーズ、そして舌を刺激するパスタのぴりっとした辛み。
どれも癖になるものだった。
充分に楽しんで食事した二人は、食後の茶を啜りながら今日の予定を考え始める。
「地力を上げたいけど、そろそろ良い装備も欲しいところよね。」
「高いですけど、魔力の込められたものとか、欲しいですよね。」
俗に、魔導具と呼ばれる品々だ。
主に錬金術師達が製作する道具で、様々な特殊能力を秘めている。
しかし安く、たわい無い物でも銀貨二十枚は下らず、それなりの物を求めると金貨を支払う事になる程に高価だった。
ユニアもレンも、一つも持っていない。
「これまで結構稼いで来てたつもりなんだけど、効果の高いものは本っ当に値が張るのよね。」
「一度お店を覗いた事がありますが、ちょっと世界が違うと言うか・・・。」
二人は乾いた笑いを浮かべる。
買えないのであれば迷宮で見つけるしか無いが、それも難しい問題がある。
まずそれを持っている魔物に勝たなくてはならないのだ。
それでもユニア達四人は、二つ程手に入れたものがある。
一つはティカが、一つはモロウが持っている。
保持している魔力容量を引き上げる指輪と、斬れ味を強化する魔法の込められた大剣だ。
どちらもユニアには、縁の無い代物だった。
魔導具でない剣や杖、防具類に関しては、二人にはあまり必要で無い。
ユニアの剣は過去の冒険で手に入れていた業物であるし、レンは短杖であれば何でも良かった。
はっきり言ってしまえば、杖すら必須とは言えない。
魔石が魔力を供給するので、多少の効率は無視出来るのだ。
無いよりは良い、程度の意味で持っているに過ぎない。
防具類も、先制攻撃を狙う関係で金属製の物は避けたいところであったので、今身に付けている物で充分なのだ。
「大人しく、地力を向上させるしかないわね。」
そこで一つ、疑問があったのを思い出した。
レンが、初級魔法しか使っていない事だ。
「書物の通りには魔力を練っているのですが、一度も成功した事が無いんです・・・。」
奇妙な事だった。
実力が不足しているとは思えない。
そもそも書物に従って魔力を練る事が出来ているならば、発動まで行けるはずなのだ。
これは、ティカの力を借りねばならない問題だと判断する。
「ああ、義姉さん達いないじゃない。
間が悪いわね、もう・・・。」
いないものは仕方ない。
帰りを待つ間は、町の外で訓練を行う事にしておく。
迷宮に行く事も考えたが、またすれ違ってしまうのも面倒だったし、二人で戦うための戦術も確認しておきたかった。
東門側の外なら、帰って来た事もすぐにわかる。
二人は早速そこへ向かい、訓練を始めた。
この訓練は主に、レンの戦闘技術を向上させるためのものだ。
距離の取り方と詰め方、近距離での動き、遠距離での注意点、前衛との連携などなど、覚える事は多い。
迷宮でのここまでの経験と照らし合わせる事で、より理解し易くなっているはずだと考えたのだ。
レンはほぼ素人だったので、些細な事から重要な事まで全てを頭と身体に叩き込む。
ただの村人であったレンの筋は、決して良いとは言えなかった。
才は感じられず、荒事の中で生きて来てもいないので、身体も意識も戦闘向きには出来ていない。
修得は困難だった。
しかしそれも、ユニアの丁寧かつ根気強い指導によって、三日も過ぎる頃には充分な形となって目に見えて成果が表れていた。
ホブゴブリンを想定した、ユニアにとっては遅い、しかしレンにとっては速い動きにも圧倒される事無く、魔法を使える程度に腕を上げた。
「順調、順調。
訓練と実戦はまた違うけど、四階も見えて来たわね。」
四階ともなれば、オーガが姿を見せ始める。
巨大な蠍や蜘蛛、不死族のワイトなど、厄介な魔物も出没する危険な階層だ。
レンはまだ足を踏み入れていない。
直前まで行って、折り返して来たのだ。
四階であれば、ユニアなら一人でも戦える。
守りながらになってしまいはするが、レンの魔法による支援はそれを補って余りあるだろう。
連れて行っても、足手まといにはならない。
モロウ達の帰りを待つ間に、また別の冒険者達が魔物の戦士の情報を持ち帰っていた。
幸い彼らは逃げおおせて全員無事だったが、魔物は今も変わらず六階に居座っているようだ。
その目的は判然としない。
「何か探してるんじゃないか?」
「盗まれたものとか?」
「俺より強い奴、とか。」
「戦闘狂か、あり得るな。」
噂話は尽きない。
目的がわかれば対策の取りようも無いわけではないのだが、残念な事に情報が足りていない。
冒険者達の間では、今のところは逃げの一手だと言うところで決着を見ている。
(無理はしたくない。
でもあいつは、私が倒したい・・・。)
モロウの仇なのだ。
そしてモロウが帰って来たら、きっと再戦を望むだろう。
今のモロウには、それは死と同じものだ。
対抗出来る程の力を取り戻せているはずがない。
しかし、今行くには自分達の力が足りない。
ユニアは、焦っていた。
迷宮に行く。
それを提案したのはレンだった。
そして、盗族の男に声をかけたのも。
「本気か、レンちゃん。」
盗族の名はダールセフトと言った。
三十代中頃のベテランと呼ばれる腕前の、線が細く引き締まった体格が如何にも盗族らしい男だ。
身に付けている装備は全て黒。
革素材の防具一式に小剣を左腰に二本、背に二本。
右腰には革製の四角い袋を取り付けており、そこには小道具の類いをしまっているのだろう事が想像出来る。
ユニアはダールセフトと顔見知りであったし、共に行くのに抵抗は無い。
彼も仲間を失って、日々を失意の中漫然と過ごしていたから、きっと復帰する良い機会になる。
「仇討ちなら、ダールセフトさんも望んでいるはずですから。」
彼ら五人は、仲の良い一団だった。
いつだって五人で騒いでいたし、声をかけてくれて、たわい無い話をしてくれた時も五人一緒だった。
きっと長く旅をして、冒険を繰り返してこの町に辿り着いたのだ。
そしてその結末を迎えた。
それは、簡単に割り切れるものではないだろう。
心の奥底で、今も燻っている何かがあるだろう。
それが怖れであれ怒りであれ、そのままでいる事など出来はしないだろう。
ならばこれは、遅かれ早かれと言うもの。
レンはそう思ったのだ。
わざわざ口には出さないが。
「仇討ちを狙うなら、一緒の方が絶対良いです。」
その言葉が、ダールセフトに事情を知らせた。
ここには、仇討ちを望む者がいるのだ。
「そうか、ユニア。
モロウは奴に・・・。」
「そうよ。
だから私も、あいつを倒したい。」
二人の心は決まった。
仇を討つ。
少なくともそれまでは、運命共同体となるのだ。
迷宮へと踏み込めば、先制攻撃を狙う二人の動きにダールセフトの職は合致していた。
盗族なのだから当然だが、その斥候としての実力は相当なもので、そして学ぶ事が多かった。
「大まかには出来ているよ。
俺が教えられる事は小さな、些細とも言えるような事ばかりだな。」
冒険者としての経験の長いユニアなどは、本能的に修得してしまったのだろう。
そしてレンは、潜むように生きてきた日々の中で、意識して気をつけて来た事が役に立っていた。
あとは場数、経験の問題となっていたのだ。
それでも気付いた事があれば、ダールセフトは惜しみ無く教えてくれた。
足運びの注意点、壁に手をつく事の危険性、罠の種類や気にかけておくべき幾つかの事、などなど。
三階最後の部屋へ着く頃には、些細とは言えないかなりのものを二人は授かっていた。
「さすがね、ダール。
本職と組むのは初めてだけど、やっぱり違うわ。」
ユニアはダールセフトをダールと、短く呼ぶ。
レンもそうするよう本人に言われたので、そのように心がけている。
「盗族なんて、地味だわ印象悪いわで、なかなかなる奴がいないからな。
しかしなったらなったで重宝するもんだから、意外ともてるんだよ。」
ダールは笑う。
偵察、探索、解錠、罠の発見と解除など、盗族がいる事の利便性は高い。
戦いにおいては先行する事による先制攻撃や、高い運動能力による連携などで貢献出来る。
華々しく活躍する職ではないが、出来る事の多い万能な職だと言えた。
「ユニア達は迷宮に行っちまったのか?」
酒場の主人が、妻を呼んでそう聞いた。
少々慌てた様子に、妻は怪訝に思う。
たった二人で迷宮に挑む二人の事は、妻も常々心配に思っているが、そう言った雰囲気ではないようだった。
「ダールさんに声をかけて、三人で出かけて行ったわよ。」
そうか、と主人は表情を曇らせる。
こんな時は、大抵悪い報せがあった。
今回もそうなのだと、妻は察する。
「いや、魔物達がな・・・。
下の階層の魔物が一部上がって来ているらしいんだ。
それでそこにいる魔物と衝突して荒れたり、勢力争いに負けたのがさらに上へ上がって来たりしていてな。
ダールも一緒なら、そう酷い事にはならないと思うが・・・。」
(女色の噂は聞いていたが・・・。)
ダールセフトは面食らっていた。
四階へと続く階段前の部屋で休息となったのだが、ユニアはレンを抱えて眠っていた。
そのレンは苦笑いを浮かべていたが、結局そのまま眠ってしまった辺り、自身もそうなのか慣れてしまっただけか、判断はつかない。
最初の見張りを引き受けて、そんな二人を眺めていたのだった。
ユニアは、どんなに強い男にも、どんなに見目に優れた男にも靡くどころか目もくれなかった。
それはモロウやルタシスを見て育ったからだと言う者達もいた。
モロウは逞しく、そして誰よりも力強い男であったし、ルタシスは容姿の整った、その上で実力もある人格者だった。
その二人を見て育っては、他の男など論外だろうと言うわけだ。
しかし近頃、急速に広まった噂があった。
新しく組んだ可憐な少女と良い仲になっている、と言うのだ。
そんな事もあるかもしれない、その程度に思うだけだったのだが。
(真実だったとは、な。)
目の前で、まざまざと見せ付けられては、疑いようも無い。
しかし、これはこれで良いものを見れた、と思う気持ちもあるのだった。
四階に入っても、苦労と言う事は無かった。
ダールのおかげで必ず先制攻撃が出来、レンの魔法が降り注ぎ、そしてユニアの剣術が敵を斬り裂いた。
そしてその剣にはレンの魔力が乗せられていた。
おかげで霊体を持つ魔物に対しても、一方的な戦いを仕掛けられている。
「ユニアからは、剣術を教えてもらえるな。
参考になる事が多いよ。」
同時に斬り込んで行くダールは、その剣術を学んでいた。
「私も参考にさせてもらってるわよ?
ダールの動きは、私達のものとはまた違ってるから。」
互いが互いを補い合い、そして互いに吸収し合う。
その感覚は、自らがまだまだ向上出来ると実感するに充分なものであった。
魔物を蹴散らして進む三人は、五階への部屋に到達した。
前衛二人が六階へ行ける冒険者なのだから当然と言えるのだが、レンは内心気が気ではない。
「このまま五階へ行きましょ。
ダールのおかげで随分楽だわ。」
「四階でこの程度だからな。
五階でちょうど良いくらいだろう。」
格上の仲間と冒険する事の恐ろしさを味わっていた。
階段を下りて行く二人を追って走る。
はぐれたら、死ぬ。
そんな思いで、無理でもついて行くしか無いのだ。
ユニアは仇討ちに向けて、五階で修練に励むつもりだった。
本来なら六階が良いのだが、今は魔物の戦士がいる関係でそれが出来ない。
ダールがいなければ四階になっていただろうが、四階ではユニアにはもの足りない。
だから、ダールの存在はユニアにとってありがたいものだった。
そしてそれは、ダールにとっても同じ事だ。
ダールも六階を探索する冒険者だ。
修練するには、やはり五階が良かった。
そんな思惑で、五階の探索が始まった。
目的と手段に囚われてしまった二人は、その可能性に思い至れなかった。
少しでも、考えるべきだったのだ。
それは、動くものであるのだから。