魔術師、仲間に出会う 一
酒場に少女が一人、姿を現した。
年の頃は十四、五程度で腰辺りまである艶やかな黒髪を紐で二つに分けて束ね、前に流している。
細面の整った顔立ちで、早速酒場の男達の視線を集めていた。
そんな事には全く気付かず、少女は片隅に設置された掲示板へと足を運んで依頼に目を通し始める。
暗い茶色の外套に細身の黒い脚衣、革の手甲、ブーツと言う出立ちからも予想出来たが、冒険者を生業としているようだ。
酒場の主人は視界の端で少女を見る。
一人で活動している冒険者は珍しい。
風体からはとてもそのようには見えない。
しかし少女が一人で旅をしているなど、考え難い事だ。
後から仲間が来るのかもしれない。
しかし彼女が本当に一人であるならばと、頭の中に紹介出来る冒険者を幾人か浮かべておく。
もちろん信頼の置ける者達を選ぶ。
後でお節介にならない程度に勧めておこうと考えた。
意識を再び少女へと向ける。
掲示板を眺める目付きはおっとりとしていて、顎に人さし指を当てる仕草などもただの、少女のそれだ。
しかし、酒場に依頼の掲示板が置かれている事を知っている様子から察するに、多少の心得はあるのだと知れる。
年若いので熟練ではないのだろうが、全くの駆け出しと言うわけでもなさそうだ。
ここ二年程の事だが、この町を訪れる冒険者が増えている。
理由は単純なものだ。
古代の魔術師が作ったと言われている地下迷宮が見つかったのだ。
それ以来、冒険者達が絶える事無く集まって来ている。
この少女も、恐らくは同じ目的だろう。
探索は彼らの思うようには進んでいないようだったが、町としてはそれだけ長く景気の良い状態が続くので、ありがたい話でもあった。
この酒場も、宿を併設出来る程度には稼がせてもらっている。
店員も増やせたし、それでもまだ利益が増えている。
これだけの冒険者が何処から生まれているのか不思議で仕方無かったが、今やこの町は彼ら無くしては成り立たない。
だから新しい冒険者がやって来るのは大歓迎だ。
しかし、簡単に死なれてしまうのは寝覚めが悪い。
そんな理由で、主人は冒険者の支援を行っていた。
他の町ではどうしているのか、冒険者達はどんな支援を望んでいるのか、などなど情報を集めて、ひとまずは依頼用の掲示板を設置し、仲間の仲介や相談も引き受けた。
噂話や情報などにも耳を傾け、なるべく集めるよう心掛け、話を振られれば答えられるよう整えている。
評判はまずまずだ。
もし少女が支援を望むなら、主人としても全力で当たるつもりだった。
もちろんどんな冒険者に対してもそうしている。
一枚の依頼を掲示板からはがし、少女はカウンター席へと歩いて来た。
背に負った大きめのバックパックを下ろし、外套を脱いでから座る。
外套の下には白い薄地のシャツを着ていた。
前をボタンで止める型のものだ。
胸は、驚く程に無い。
しかし少女には、それすらも可愛らしく思えてしまう魅力があった。
夕食を過ぎた時間で、テーブル席は酔っ払い共で溢れていたものだから、こちらの席を選んだ少女の判断は妥当だ。
店員はそちらにかかりきりなので、主人が自ら対応する。
「やあ、こんばんは。
何にするんだい?」
少し低めの、かすれ気味な声で話しかけた。
馬鹿騒ぎする客の相手をしていたら、見事にこんな声になってしまった。
なるべく聞き取りやすく話すようには、常に心掛けている。
「こんばんは。
銅貨五枚で、二品程と飲み物をいただけますか?」
少女はそう言って、五枚の硬貨を手渡す。
細くしなやかな、綺麗な指だ。
なかなかこういった客に会わないものだから、主人の方が気後れしてしまう。笑顔も上品で、ますます気に入った。
「大丈夫だ。
すぐに用意しよう。」
何、酔っ払いの注文など後回しで構わんだろう。
そんな意地の悪い事を考えながら、主人は手早く仕事を進めた。
柑橘類の果実を数種類ブレンドして味を整えた度数の軽い酒と、刻んだ生野菜に香辛料と茸で作ったソースを和えた物を出す。
早速少女は笑顔を見せてくれた。
「いただきます。」
食べる時の笑顔は先程と違って、無邪気な子供っぽいものだった。
こちらまで頬が緩んでしまう。
続いて、主人は薫製の鶏肉を五枚切り分け盛り付けたところに、汁気の少ない二種のソースを用意した。
わざとかけずに、好みで使えるよう離してある。
おまけで、カップ一杯のスープパスタを一緒に並べた。トマトベースの根菜スープとなっている。
「これはサービスだ。
食べてみてくれ。」
「ありがとうございます!」
喜んでくれたようだ。良い笑顔を堪能する。
酔っ払いの注文を片付ける傍らで少女の様子を見ているが、彼女は一人の食事に慣れているように見えた。
一人で食べる事を何とも思っていない様子で、しかも急く事無くゆっくりと味わって、寛いでいる。
結局、彼女の仲間は姿を現さない。
かと言って人を待っている風でもない。
本当に一人旅であるようだ。
注文のあった飲み物を用意するついでに一杯の茶を入れ、それを少女に出す。
「茶で良ければ幾らでも出せるから、欲しくなったら声かけてくれよ。」
再び、礼と笑顔をいただく。
胸が暖かくなる思いだった。
もてなし甲斐のある、良い客に出会えた。
おかげで今夜は、心地好く眠れそうだ。
食べ終わった少女から、主人は依頼の話を聞かれた。
少女の持ってきた依頼は、魔物の討伐に関わるものだった。
「魔物の部位一つにつき銅貨三枚と言うのは、やっぱり耳とか牙とか、そういう物を持ってくるのでしょうか?」
経験が無いのだろう。
顔色はあまり良くない。
この依頼は町の商店組合から出されているものだ。
集めた部位は、色々なものの素材として使用される。
武具や薬剤、装飾品から錬金術など、実は用途が広い。
他の町では、あまり無い類いの依頼なのだろう。
この町は、近くに魔物の巣窟とも言える地下迷宮がある。
そのおかげで素材の収集が依頼として成り立っていた。
駆け出しから熟練者まで皆が受けている簡易な依頼だが、依頼書を持っていれば組合で直に買い取ってもらえる。
この依頼で日銭を稼ぐのが、ここで活動する冒険者達の常識となっていた。
「そんなわけだから、それは持って行って構わないぜ。」
「ありがとうございます。」
少女は依頼書を丁寧に畳み、バックパックにしまった。
主人はついでに、宿の案内もする事にした。
ここの宿は最安値ではないものの比較的安価で、浴場がある。
それが売りだった。
浴場と聞いた途端、少女の目が輝く。
女性冒険者の例に漏れず、彼女もやはりそこに魅力を感じてくれたらしい。
一泊銅貨十枚だが、この町での最安値は銅貨八枚の宿なのであまり差は無い。
少女は納得して、宿泊を決めた。
担当の店員は三十代中盤程の、綺麗な女性だ。
主人の妻で、宿の仕事の合間には酒場で仕事をしている。
「泊まってくれてありがと。
ゆっくりして行ってね。」
妻は可愛らしい客を捕まえたものだと呆れていたが、接してみると少女には放っておけない何かがあるとわかった。
女の自分さえも、その愛くるしさに構いたくなってしまうのだ。
男であれば覿面だと感じた。
(小動物的な可愛さ?)
そんな風に惹かれた。
部屋へ案内すると、少女は荷物を下ろし外套を脱ぐ。
部屋は二人用で、寝台と戸棚、机に椅子がある。
窓は南側にあるので、朝は問題無く起きられるだろう。
戸棚は外套など長い物がかけられるよう、高さのある物を取り揃えた。
「浴場、早速使う?
今なら誰も使ってないよ。」
「はい、そうします!」
満面の笑みで返事が来る。
初めての客なので、案内して使い方の説明をしてから、宿の受付へと戻った。
記帳された名前を確認しておく。
「レンちゃんね。
常連になってくれるといいなあ。」
女性戦士は息を切らせて走っていた。
金属鎧が音を立てる。
そこは遺跡、地下迷宮の中だった。
時折物陰に隠れ、後方を確かめる。
息を整えたかったが、呼吸の音すら聞こえてしまいそうで、細く潜めてしまう。
額に貼り付いた銀髪をかき上げ、再び駆け出す。
玉になった汗は、つんと突き出した形の良い鼻の頂きへと流れ、滴り落ちる。
或いはその麓を通り、ほんのりと紅い唇へ。
もしくは当たる大気に追いやられ、耳の近くを流れて顎まで。
何者かに追われる女は、休む間も無く走る。
汗を拭う手間すら惜しんでいるようだ。
しばらく走ったところでまた隠れ、そこで松明を放ってから金属鎧を脱いだ。
音がうるさかった。
魔物に気付かれる心配もあったが、周囲の音を聞き取るにも邪魔だった。
鎧の下には黒い、ぴったりとしたニットの衣服を着ていて、起伏に富んだ身体の線が露になっている。
緑の脚衣は、探索による汚れが目立つ。
金属の篭手も外し、下に着けていた黒の手袋のみとする。
革のブーツには幸い、うるさく音を立てる物は付いていない。
そしてまた、松明を手に取り走り始めた。
肩口で揃えられた銀髪が跳ね、松明の光を反射する。
剣も鞘ごと手に持ったので、響くような音は鳴らなくなった。
背負った荷物は少々音を立てているが、これを捨てるわけにはいかない。
そこにしまった物を持ち帰る。それが自分の目的なのだ。
階段が見えた。
それを登ってようやく四階。
追手さえ無ければ普段よく訪れている場所だ、本来なら何の問題も無く帰れるのだが。
今はとにかく走る。
町まで無事に辿り着かなければならない。
茸と緑黄色野菜のクリームシチュー、白身魚のムニエル、香ばしく炙ったパン、香り豊かな紅茶。
朝食から素敵な料理の数々に、レンは感動した。
これが、宿泊客は銅貨二枚で食べられる。
あまりにもお得過ぎると、注文したこちらが申し訳無くなっていた。
「いただきます!」
溢れる笑顔でじっくりと食事した。
今朝も酒場は盛況だ。
この朝食を食べに、町の住人や冒険者達が次々訪れている。
宿泊客は優先的に出してもらえるので早々といただいているが、そうでない場合はどれだけ待つ事になるだろう。
代金の割り引きと言い、本当に泊まって良かったと思える。
ところで、と主人が声をかけて来た。仕事が一段落したようだ。
この酒場の主人は三十代中頃だろうか。
少々無骨な印象を受ける、いわゆる男臭い男に見えた。
黒髪を坊主にまで短くしており、髭は無いが顔付きは厳つい。
筋肉質な体格で、いかにも荒事に慣れていそうだ。
しかしそんな見た目に反して、彼の作る料理は洒落たものが多い。
レンはどちらかと言えば簡素な、大雑把な料理に慣れ親しんで来ている。
なので、昨日から食べているようなものは、実は初めて見るのだった。
野菜などはざっくりと、適当に切ったり千切ったりしたものに塩を和えた程度、パスタ等も素材と油に塩で味を付けた程度のものしか口にした事がない。
昨夜の夕食も今朝の朝食も、レンにとってはご馳走だった。
「一人で行くのかい?
お節介なようだが、仲間の仲介もやってるんだ。
良い奴らを紹介出来るが、どうだ?」
主人は、どうやらレンの身を案じてくれているようだ。
素直にありがたいと感じる。
冒険者は通常、数人で仕事に当たる。
四人から六人程で組む事が多いが、その辺りの人数が報酬や戦力、取り回しなどの点でちょうど良いのだろう。
今朝は二組程信頼出来る者達が来ていて、どちらもあと一人なら組み込める人数なのだそうだ。
「いえ、私は・・・。」
しかしレンは表情を曇らせ、申し訳無さそうに断った。
今は、誰とも仲間になりたくなかった。
「そうか。
もし必要になったら、遠慮無く言ってくれよ。」
幸い主人はそれ以上推してくる事も無く、注文が入った事もあって仕事に戻って行った。
主人の気遣いは本当に嬉しかった。
何の他意も無く、ただ単純に心配してくれたのだと、その気持ちは伝わっている。
それでもレンは、今は一人が良かった。
誰かと肩を並べて歩く事など、今はまだ出来そうにない。
「ごちそうさまでした、いってきます。」
食べ終わったところで声をかけて、いよいよレンは迷宮へと向かった。
迷宮へは、町へ入って来た東門ではなく、反対の西門から行くと聞いている。
宿は東門近くにあるので、商店通りを抜けて行く事になるようだ。
ついでに保存食を探す。
価格に多少違いはあるものの、おおよそ一食銅貨五枚程度かかる。
酒場での食事とそう変わらない価格だが、質も味も大差をつけて劣る物だ。
(やっぱり高いなあ。)
思ってはいても、口には出さない。
それでも必要だから、三食分購入しておく。
他には買う物も無いので、何と無く眺めながら西へと歩いて行く。
商店はとにかく雑多だった。
武具、雑貨、食品など、多様な店が軒を連ねている。
本当は店内まで色々見て回りたかったが、仕事に支障が出そうなので止めておく。
見て回り始めると、あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
楽しくてそれも好きなのだが、それはしばらく稼いでからにすると決めている。
見ているとそちらへ行きたくなってしまうので、他へ目を向けた。
町は北側が高くなっており、高くなればなる程、位が高かったり金を持っていたりする人間の住居がある区画となっているようだ。
建物の質が、見てわかる程明らかに違っている。
見上げて眺めるが、景色は良さそうだと思った。
馬や馬車が通れるようにしているのか、道幅が広く取られている。
家屋の大きさや敷地の広さも、上に行けば行く程豪勢なものになっている。
やはり普段の移動から馬や馬車を使っているのだろうか。
お金が勿体無いと思ってしまった。
この町は山間にあり、傾斜の緩やかな北側に寄っている。
南側は絶壁に近く、開拓するには適していなかった。
物の流れの激しい商店などは、必然的に一番低い、緩やかな一帯に集中した。
そしてエルハルの教えに従い、慈愛の心をもって富める者達は高い場所へ、不便な土地へ自らの居を置いた。
そんな経緯で、今の構造が出来上がっていた。
レンには、知る由も無い事だったが。
商店通りを歩いていれば、西門の姿が次第に見えてくる。
東に比べるとしっかりした塀に頑丈な門と、随分作りが違う。
こちら側は、魔物の襲撃が多いのだと窺い知れた。
衛兵に挨拶してレンは町を出る。
ここから二時間程歩いたところに、地下迷宮があるようだ。
そこまで道が伸びているそうなので、迷う心配は無いと聞ける。
初めての迷宮探索を思い、少しの緊張を感じた。
まだ二時間歩くのだ、今からこれでは身体がもたない。
深く呼吸して、心を静めてから歩き出す。
町を出たら、そこからはもう魔物の土地だ。
いつ遭遇してもおかしくはない。
腰に提げた短い杖を右手に持った。
太過ぎず細過ぎない、模様や宝石などの装飾が一切無い短杖だった。
レンは魔術師だ。
低級魔法しか使えないが、弱い魔物ならば一人でも戦える。
短剣も持ち合わせていたが、こちらは戦闘では出番が無い。
主に雑務用として携帯している。
迷宮までの道程は、驚く程静かなものだった。
行き交う冒険者達に追い払われたのか、魔物に遭遇する事も無く迷宮へと辿り着いた。
入口は、遺跡の中にあった。
隠された扉の向こうにあったために、発見が遅れたという話だ。
今は扉が開け放たれ、誰でも挑む事が出来る。
もちろん命がけだが。
迷宮入口前に立ち、魔力を左手の人差し指に集中させる。
その指先で短杖の先を触れると、そこから光が放たれ始めた。
明かりの魔法だった。
光量は控えめにしておく。
この魔法で短杖は松明の代わりとなる。
そしていよいよ、初めての迷宮探索へと足を踏み出した。