9 奔走
「マルティアーゼ、貴方最近、兵士の訓練にご執心のようね」
数日後、城の通路で声を掛けてきたディアンドルが、マルティアーゼをねめつけるような目で言ってきた。
「……いえ、そんなことは……」
マルティアーゼは俯き、顔が引きつらせた。
「あらそうかしら、貴方あの兵の中の男にでも恋をしたのかしら?」
「そのような事は決して……」
睨まれたマルティアーゼはおどおどしながら否定する。
「誰でしたかね……、そうそうトムという若い副隊長さんだったわね、貴方が城を抜け出したときに助けて貰った者だったわね」
「お姉様!」
マルティアーゼは嫌な予感がして叫んだ。
「何、私に何か言いたいわけ? もしかして取られるのが怖いのかしら」
「トムとは何も御座いません、関係の無いトムに私達の問題に巻き込むのだけは止めて下さい」
「マルティアーゼ、貴方、私達に何か問題があるとでも言いたいわけ? まるで私が貴方に嫌がらせをしているとでも言いたげね、生意気よ」
ディアンドルの形相がみるみる変わり、まるで眼光で殺そうとしているかのようにマルティアーゼを睨んでいた。
「お姉様、どうかトムには何も手出しするのは止めて下さいませ」
必死にディアンドルを止めようと懇願するが、
「あの男も私と同じ年だったわよね、いいじゃない貴方のような小娘よりも私の方が年相応じゃなくて」
ディアンドルが不適な笑い声を上げ青ざめていくマルティアーゼを余所に、侍女を引き連れてその場から立ち去っていった。
(あああ……どうしましょう、トムが……トムに何か起こるかも知れないわ、どうすれば……)
ディアンドルの性格を知っているだけに、必ず何かを仕掛けてくる事は分かっていた、だがそれに対して何をどうすれば良いのかが分からず、手を揉んで考えていた。
(どうしてお姉様はいつも私を目の敵にするの……、私が嫌がるような事ばかり、お姉様は私の何処がそんなにお嫌なの……)
部屋に戻ってトムの事が気になって中々寝付けず悶々とした日々が数日過ぎた。
庭からトムの様子を窺うが、特に変わった様子もなく訓練に励んでいる。
あれ以来ディアンドルの嫌がらせもなく、何もしてこないのをマルティアーゼの思い過ごしかと感じていた。
(トムは元気そうね、お姉様に何かされたような事もなさそうで良かった)
だがその思いも儚く、後日トムがディアンドルに呼び出され護衛として付き従うように任命されたと、マルティアーゼの耳に入ってきた。
慌ててディアンドルの部屋に行き理由を問い詰めようとした。
部屋に入ると椅子に座り鳥の羽根で作った扇子を片手に、ディアンドルが不適な笑みを浮かべながらマルティアーゼを見ていた。
「お姉様どうしてトムを護衛などに任命されたのですか」
「貴方ここを何処だと思っているの私の部屋よ、全く失礼な子ね、貴方にそのような事を言われる筋合いはないわよ、貴方が祭りで襲われた事で私も身の上が危ないかも知れないじゃない、だから彼を護衛に選んだだけよ」
皮肉いっぱいにディアンドルが口角を上げながら言ってきた。
「だからって何故トムなんですか、お姉様!」
激昂するマルティアーゼを笑いながらディアンドルが答える。
「あら何もおかしいことではなくて、彼は王族を守った英雄よ、その彼を選ぶことに何が不思議があって? それに…………」
急にディアンドルの青い瞳が睨んできた。
「貴方がそこまで彼にこだわる理由を言いなさい、私の部屋に勇んでくるほどの理由があるのでしょうね、もし何もないというなら不敬だわ恥を知りなさい」
王族が臣下に対して特別な想いを寄せていると思われたら、後でどのような事が待っているか想像しただけで身震いがしてくる。
マルティアーゼは何をどう言えば良いのか頭が真っ白になっていた。
「それは……私はただ……彼に迷惑が……と」
震える唇から弱々しく言葉が漏れた。
「迷惑? 貴方一体何を言ってるの、王族に仕えることが迷惑ですって、国に仕え国を守り王族を守ることが彼には迷惑だと言いたいの、馬鹿もいい加減になさい、まったく不敬の上に無知ときてはさぞお父様もお喜びでしょうね、何故貴方なんかが生まれてきたのかしら、もう出てお行き! 顔も見たくないわ」
扇子で顔を隠しながらにやけているディアンドルに反論が出来ず、マルティアーゼは何も言えずに部屋から出て行った。
悔しくて頬に伝わる涙も拭かずに部屋に戻ると、寝台に倒れ込んで夜まで泣いていた。
(泣いていても、トムを助けられないわ……)
陽が暮れて食事もとらずに、侍女にトムを呼んでくるように指示した。
暫くの後、部屋に入ってきたトムにマルティアーゼが駆け寄った。
「トム、お姉様から嫌なことをされていない?」
「……いえ、そのような事は……」
「御免なさいね、私に関わったばかりにお姉様に目を付けられてしまって……」
入ってきたトムは深い紺に白い線が幾筋も入った、ローザン大公国の第一正装を着ていた。
うら若いトムにはよく似合い、端正に整った顔にすらりとした長身に短い白マントを肩から掛けていて、儀礼用の短剣を腰に差していた。
マルティアーゼはトムの手を取り謝った。
「そのような事は姫様が仰ることでは御座いません、私はローザン大公国の一兵士として王家にお仕えできることが何よりの光栄で御座います、しかもディアンドル様にお仕えできるなどと身に余る光栄で御座います」
「私の考えが甘かったのよ、お姉様は私が執心するものを取り上げたり壊す事ばかりで、私から何もかも無くさせてこの城の中で一人にさせようとしているのよ、だから貴方も……」
「…………」
トムはそのような王族の悩み事にどう答えて良いものか迷っていた、生きる立場も身分も違う彼には、彼女に掛ける言葉が見つからなかった。
マルティアーゼが今までどのような生き方をしてきたかなど分からず、市井の者には到底手に入らない豪奢で何不自由ない生活をしているだろうと思っていた彼だったが、彼女が自分の知らない場所で一人孤独に生きてきたのだろうと、少しだが感じられた。
「ねえトム、お姉様から無理難題言われたら出来ないことは出来ないと言ってね、そうでないともっと無理な事を言ってくるはずよ」
「姫様、身に余るお言葉で御座います、私事でそのように姫様に心配させてしまいまして申し訳御座いません」
「そんなことは良いのよ、私とお姉様の問題に巻き込んでしまった私の責任よ、でも私にはどうすればお姉様から貴方を離すことが出来るのかが分からなくて……、きっとまだ私が困ること嫌な思いをするような事をしてくるかも知れないわ、どうしたら……」
トムの手をぎゅっと握ったままマルティアーゼが考え込んでしまった。
「……姫様」
すると、トムがいきなりマルティアーゼの握っていた手を離して跪いた。
「今はこれしか御座いませんが……お受け取り下さいませ」
トムが腰の短剣を引き抜き、マルティアーゼに柄を向けた。
「私には何が起こっているのかなど分かりませぬが、姫様が私のことで心苦しくされているのでしたら、少しでも姫様に安心して頂きたく御座います、私の身の上に何が起こっても私は姫様に忠誠を誓う所存、どうか私を姫様の剣として忠誠を誓わせて下さいませ」
「まぁ……トム、貴方……貴方はローザン大公国に忠誠を誓ったのでは?」
「勿論兵士としてお国の為ならばこの身を捨てる覚悟はしております、ですが私個人として忠誠を尽くすのは姫様だけで御座います、どうか私を貴方の剣に」
短剣を持ち上げ刃を自分に向けている、いつでも貴方のために死ぬことを受け入れますという忠誠の儀式であった。
まだいかに大人びてはいてもマルティアーゼはまだ十四歳の子供であり、誰かにこのような大それた儀式をされるなど初めてであったので迷っていた。
「どうすればいいのかしら……私、このような事は初めてなのよ」
自分に向けられた柄に目をやり緊張していた。
「そのまま剣を取って頂き、柄に口づけをして一言、汝の忠誠受けいれた私の剣となりて生涯を尽くせ、と仰って頂いて私めに返して頂ければ宜しいのです」
マルティアーゼがそっと剣を取り上げ、柄に口づけをした。
「えっと、汝の忠誠を受け入れた……私の剣となって生涯を尽くせで良いの?」
そう言ってマルティアーゼがトムに剣を返した。
「これで私は姫様の臣下で御座います、何が起ころうとも私は姫様のためにこの身を投げ打ってでもお守り致します」
「でも……どうして私になど、もし国と私とどちらかを選ばなければならなくなったときはどうするの?」
「勿論どのような時も私は姫様に付き従います、それが剣の忠誠というもの御座います」
「まぁ……」
その言葉はどれだけ今のマルティアーゼの置かれている宮廷内の立場に心強く聞こえただろうか。
もう誰にも心置ける者もなく、これからの長い宮廷生活を生きていかなければならないと思っていた人生に、光明が差し込んだように心に響いた。
ご心配なくとトムが一言言い残して部屋を出て行った後も、マルティアーゼは放心状態のままじっと佇んでいた。
(ああ、私に身を捧げ、生涯を尽くすという人が現れるなんて……)
嬉しくもあったが、フランのように側に居てくれると言う人をこれ以上失いたくもなかった。
トムは一時的に任務を離れただけで役職はまだ副隊長として在籍していたが、常にディアンドルの側に付き添い連れ回されていた。
マルティアーゼは庭から訓練する衛団隊の中にトムの姿はなく、あれ以来一度も訓練に参加していない事にどうしているのかと不安を感じていた。
(お姉様がトムを離さないのだわ、大丈夫なのかしら)
マルティアーゼの不安が的中したのはそれから数日後だった。
ディアンドルと廊下で出会ったときに侍女だけを従えていて、マルティアーゼがトムはどうしたのか聞いてみた。
「あんな屑、首にしてやったわ、今頃は田舎にでも帰ってるんじゃないかしら」
「……そ、そんな」
マルティアーゼは驚き、挨拶もせぬままに廊下を駆けだした。
庭に出て練兵場を見ると、トムが隊長に挨拶しているのが見えて、あわてて侍女のサロンにトムを部屋まで呼んでくるように申しつけた。
部屋で待っているとサロンがトムを連れてきて、部屋にトムが入るといきなりマルティアーゼが部屋の扉を閉めてサロンを追い出した。
「どうして、ねえトム何があったのか教えて頂戴、何も言わずに出て行こうなんて私は許さないわ」
「申し訳御座いません姫様……」
「謝るより理由を教えて、私は貴方の剣を受けとったのよ、貴方も私に剣を預けたのだから包み隠さず教えて頂戴」
マルティアーゼがトムに詰め寄って、覗く様に顔を上げて目を見てくる。
「そ、それは……」
「お姉様のことは気にしなくても大丈夫、私は言ったりなんかしないわ」
「実は……、私がディアンドル様を怒らせてしまったのが原因で御座います」
「お姉様を? そんなわけがあるはずがないわ、ねぇ一体何をされたの」
マルティアーゼはトムが何かしでかすような人ではないと信じていたし、別の理由があると思っていた。
「ディアンドル様が私に忠誠を誓い自分の男妾になれと仰って来られたのです、私に付けば将来大臣にしてやるとも仰いましたので、私は心に決めた人がいると答えました、それがディアンドル様の逆鱗に触れてしまいました」
「……そんな、そんなこと貴方は何も悪くないじゃない、酷いわお姉様、私がお父様に言って直ぐにでも職務に復帰出来るようにしてあげるわ、待ってて頂戴」
勇んで部屋を出て行こうとするのをトムが呼び止めた。
「姫様お待ちを、私の事はどうでもいいのです、これ以上事を大きくすると姫様に危害が降りかかるやも知れません、私のことはどうかこのままに……」
「何を言ってるの、どうして何も悪くない貴方がこのような目に合わないといけないの」
「私が城を出れば何も問題無く終わるのです、姫様のこれからのためどうか事を荒げないで下さいませ」
「では、どうすればあなたを助けられるというの、貴方は私の剣なのよ、もう一人になるのは……私の周りの人がいなくなるのは嫌よ……」
マルティアーゼが窓際に行き外を見つめながら考え込んだ。
(どうすれば一番いいのかしら……)
外の晴天の青空は何も悩みがないとでも言いたげに力強くサンサンと降り注いでいた。
(どうしてあの太陽の様に強く生きられないのかしら、城の中でお姉様の目にびくびくしながら生きていかなければいけないなんて……、そうよ、そうだわトムが出て行くなら私も城を出れば良いのよ、そうすればお姉様の目を気にしなくてもいいわ、外の世界は広いのよ私達が自由に羽ばたける場所だってあるはずだわ)
マルティアーゼが素晴らしい考えに思いついたのではないかと、明るい表情をトムに向けた。