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(この風は魔法か!)
そう思った時には既にトムの左肩に剣が刺さっていた。
トムが驚くほどの剣速だった。
剣士との距離を考えれば一瞬でここまで届くはずがなかったのだ。
熟練されたトムでさえ気付かずに差を詰めてくるとは……、剣士の男は剣を抜くと二撃目を出してこないで後ろに下がっていった。
「くっ……」
倒れ込んだトムは強風によってそのままゴロゴロと転がり、かなり後ろまで飛ばされてしまう。
「トム!」
マルティアーゼも強風に飛ばされないよう木にしがみつきながら、トムを名を呼んだが声は直ぐにかき消されてしまう。
「なんだ……今のは……」
片足をついたまま剣を杖代わりにして起き上がったトムは、何が起こったのかと男を見た。
剣士はムランの隣まで戻っていて、指を差して笑っていた。
「どうしたんだ驚いた顔をしてよぉ、自分に何が起こったのかすら分かっていないみたいだぜ、ははは」
トムの肩の傷は深く、出血で真っ赤に染まって痺れて動かせない。
男達の声が風に流されて眼前で話しているように近くから聞こえてくるが、雨と風で視界が塞がれ、前が見えずに首を振った。
(トムは雨とこの風で周りがよく見えていないんだわ、どうにかしないと……)
その様子を見ていたマルティアーゼは周囲を確認した。
焚き火が消えると辺りが真っ暗な闇夜に包まれてきて、何処に誰がいたのかその影さえも見分けがつかなくなってきた。
(ここは……)
マルティアーゼは詠唱を唱えて上空に向けて光球を投げつけると、弾けた光球が太陽のように眩しく一帯を照らし出す。
男達の立ち位置は変わらず、トムも膝をついたままだった。
「トム、魔道士は任せて、貴方は剣士を」
「ほう、魔法が使えるのですか、これはお美しい魔法使いさんだことで……、オファン、彼女は私が相手する、君は向こうであの男の始末を」
昼間のように明るくなった下でマルティアーゼを見たムランは、フードの下から舌なめずりをしながら良い物が舞い込んできたと感じた。
「了解」
オファンと呼ばれた剣士は細長い顔についた髭を揺らして返事をすると、その場から離れていく。
一人になったムランはマルティアーゼに目をやると、口を動かし杖を掲げた。
マルティアーゼの隠れている木々に向けて突風が吹き付けると、風に乗った大粒の雨が矢の様にマルティアーゼのしがみついている木に容赦なく打ち付けてきた。
激しく打ち付ける雨は徐々に木の皮が剥がされていく程に強烈で、マルティアーゼの逃げ場所を狭めていく。
「どうしたんだい私の相手をしてくれるのではなかったのかな? 安心しな殺したりはしないよ、降参するならそのほうが良いけどね、光では私の風と水にはどうすることも出来ないよ、せいぜい目潰し位のことしか出来ないからね」
「殺さないなんて、なんて良心的なのかしら、とてもお優しいのね……」
マルティアーゼは周りの飛び移れる木々を見定めると、詠唱を唱えてから飛び出した。
隣の木に隠れる合間に火球を飛ばす。
真っ直ぐ飛んでいくと思われた火球は猛烈な風を受けて軌道がずれると、ムランの手前に落下して爆発した。
熱風と爆風も風によってムランには届かず、逆にマルティアーゼの方へと流されてくる。
「くくっ、もう一つは火かい、まぁよくある魔法だね、当然、私も対策はしてるから、なんせ水持ちなんだから」
火と水、相性の悪い対象的な魔法では優劣を決めるのは魔力の大きさだった。
ムランの魔法を見ていて、彼が下級魔道士程度の実力であるとマルティアーゼは踏んだ。
(それなら……)
マルティアーゼは森の中の木々を盾にしながら、右に左に移動しながら風の勢いを殺して、弱まった隙を狙って火球を投げつけていく戦法に切り替えた。
「そんなに連続して魔法を使っていて大丈夫なのかい、火も光も自らの魔力で生成しなければいけないんだよ、代わって私の水は生成しなくともほら、後ろに沢山の水が流れているからね、君の火球の威力を見ても私のほうが魔道士として上だろうね、それならどちらが先に魔力が尽きるか判るよね」
(うるさい人ね……早く黙らせてあげないと)
ムランの言葉にうんざりしながら木の陰から様子を窺う。
消えかかった幾つもの火球が地面に穴を空け、ムランの周りで蒸気が舞い上がっている。
マルティアーゼは息を整え、木の陰から飛び出してムランに向かって走った。
「近くまで来て火球ですか……、戦法が単純ですね」
突風が襲いかかる、それをマルティアーゼは左右斜めに走り込みながら避けて、ムランとの差を縮めると光球を投げつけた。
「光球!」
突風で光球はムランに届かなかったが、二人の間に落ちて弾けると真っ白な光が二人の存在をかき消した。
「……!」
ムランの視界が白い光で見えなくなる刹那、目に入ってきたのは光の中から湧き出てくるようなマルティアーゼの姿だった。
胸の前に短剣を両手で構えた彼女が、光で見えなくなったと同時にムランの体に衝撃が走った。
「……がっ」
心臓に刺さった短剣は柄まで食い込み、光が消えてもムランの視界は永遠に戻ることはなく、
「剣を持って……いたなんて、それで……その魔法は……」
最後までへらず口を吐いたまま、ムランは口から血を流すと膝から崩れ落ちていった。




