81 メラルド
室内の一番奥のへこんだ壁にすっぽりと嵌まるように大きな像が置かれていて、頭には王冠が置かれ、分厚い外套を着込み手には錫杖を掲げている。
一体この人物が誰なのか、人々は像に向かって手を合わせて祈っている。
「誰?」
「分かりません」
この像の事を誰かに聞きたかったが、皆一生懸命に祈り続けているのを見ていて邪魔はできないと静かに見守っていた。
いつまで続くのか一向に終わらない祈りを待っていて、すっかり汗が引き濡れた服がひんやりと肌寒く感じてきたので二人は外に出ることにした。
「何のための祈りなのか、皆静かに祈っていたわね……、暑さはしのげたけれど静かにしているのは何だか息苦しくて……、もう宿に戻りましょう」
「……そうですね、宿が一番落ち着きます」
また二人は宿に帰るために暑い日差しの下を歩き出した。
帰りに雑貨屋に立ち寄って店主に先程の白い塔について聞いてみると、
「あれは初代メラルド王の像だよ、平和と安息の地を我々に与えてくれた偉大なお方だ、国民は皆、此処で安心して暮らせるのはあのお方のお陰だと、日に一度はお祈りのために集まって今日一日安全に暮らせますよう願いを掛けているんだよ、おお、なら丁度良いものがあるよ」
店主はこれみよがしに売りつけようと思ったのか、棚から一冊の本を取り出して二人に見せた。
「これだよ、これを読めばどうして皆が初代王に祈っているのかが判るはずだよ」
メラルド王国の歴史書というものだった。
「いえ、私達は……旅の者ですから」
マルティアーゼはわざわざ買ってまで知りたいとは思わず、買うのを断ろうとすると、
「それなら尚更だよ、メラルドがこうして平和でいられるのは、他の国とは違って戦争や争いには関わらないと公言している珍しい国だからだよ、それもこれを読めば判るからね、どうだい?」
マルティアーゼはトムと目配せをしてやれやれと云った感じで、暇つぶしに宿で読んでみようかと店主の差し出した本を購入した。
「毎度あり」
と、その店で本とメラルドの地図を購入してから宿に戻っていった。
トムはマルティアーゼが宿で過ごしている間は、安心して一人外でメラルドの情報収集に歩き回っていた。
たまにマルティアーゼも町の散策について歩く日もあれば、読み始めた本に没頭すると一日宿から出ない日もあった。
初めはそれほど興味がなかったが、読んでいるとメラルド王国について色々と知ることが出来て、興味が湧いてきていた。
この地域には性格が穏やかで争いごとの嫌う小さな集落が点在していて、それを一つの国家としてまとめ上げたのがメラルド家だった。
その理由は地域の災害時に関わり合おうとしない地域性をどうにかしたいことであって、この地域の特徴が雨が少なく乾燥しやすい土地柄で、干ばつによる飢饉や火災による対策などがなされておらず、多くの人命が失われていた。
目に見えて人の数が減ってきていた集落を見て回った初代のメラルド王が、皆を集めて説得し此処に建国の意思を伝えた。
国土を海に面した場所から、様々な作物が作れるように東西南北に領土を広げていくと、次第に各地の集落から国に加えてほしいと申し出が出てきた。
国内で飢え無いように物資の流通を細かく決め、干ばつの対策として水源を探して当て各地で井戸を掘った。
当時周辺には国家はなく、争う事なく国内事業に力を入れることが出来たので、見る見るうちに人口は増え、安定した作物が供給出来るようになった。
時代は流れメラルド王三世の時、国に問題が起こる。
人口が増えて国内の需要と供給がうまくいかなくなり始めると、一部の国民が国の領土拡大を求めてきたのである。
働く土地が少なく、人手が余り生活が苦しくなってきた人達からの不満の声は、日に日に高まってきた。
しかしメラルド王はこれ以上の領土は、治安維持の手が届かなくなるのを恐れて首を縦に振ろうとはしなかった。
領土が広がればそれだけ兵士の数を増やさなければならず、それを維持するだけの財源を集めなければならなかった。
争う国がいなくても国内の治安維持には警備は必要であり、その財源を国民から徴収しなくてはいけないくなるのは必然であった。
そうなれば次は国民全体からの反発も出て来るだろうし、戦をしたことがない兵士に広大な土地を守れるだけの力もなかった。
それを踏まえてメラルド王はこれ以上の領土拡大には反対していたが、そのような国家の問題より自分達の明日のほうが重要だと思う人達が集まり、それならばと国に対して独立運動を起こしたのである。
話し合いは平行線のまま長い時間を有し、我慢が出来なくなった若者達が武力で立ち上がったのである。
国の南側に首都を構えてメラルド王国との決別を図ると、国内からは血気盛んな若者達が流出し、新国家へと移住し始めて人口の五分の一が国から出て行った。
元々争いの嫌うメラルド王は、建国された新国家が国としての機能し始めると話し合いで止めることが出来ず、新国家の代表として立ち上がったキエヌ・ドラドを公王として認めざる得なくなった。
キエヌ公国は南側三分の一の領土を与えられ、代わりに両国間に空白地帯を設けて不可侵の約束を取りまとめた調印を交わす。
これによりメラルドの国土は更に三分の一を失ったが、残った国民達からは争わないで済んだので結果的に良かったという声のほうが大きく、反対するものはかなり少なかった。
怪我の功名か、狭くなったメラルドは治安が行き届き、整備されていた国内の需要と供給が良くなって国としては豊かになったのである。
逆にキエヌ公国は始めの内、新国として異常なまでの盛り上がりを見せて開拓や事業が盛んに行われていったが、建国から五十年、次第に不満を持つ者で国が荒れると、更に南と東に独立運動が生まれた。
それが現在の南のガル国と東のエストラ王国となっていく。
今現在のメラルド王ローコスは六世であり治世は上々、民からの不満も聞こえてこない聡明な君主だった。
世界で唯一の不戦国家として何処とも争わない中立国として、現在まで安定した平和を享受している。
初代メラルド王が貫き通した不戦と安寧を掲げ、代々それを守り続けてきたメラルド家は、国民から厚い信頼と指示を受け続けてきているのである。
多大な功績により各町の中心には白い塔とメラルド像が置かれ、感謝の意を捧げるために国民は毎日一度はお祈りを捧げに集まる。
マルティアーゼは此処まで読んで、メラルドという国がどういう国家なのかを知ることが出来た。
まずメラルド王国は数百年前からこの一帯を支配していた大国家だったこと。
国民は争いを好まず性格は穏やかな人達で、国王を崇拝していること。
南に移住したキエヌ、ガル、エストラも元を辿ればメラルド国民だったことだ。
「決別と分裂を繰り返してこの地域に国家が出来たのね」
本には歴史だけではなく、他にもメラルドの産業や特産の事も書かれていた。
昔は乾燥に強い穀物のグム芋が主流だったが、現在は貿易も盛んに行われ、沿岸州とのやり取りで布や織物を輸入し、メラルドからは特産品の果物マナマや他には岩塩を送り出している。
岩山が多く、そこで採れる塩の結晶は純度が高く、高値で取引されマナマに次ぐ特産品でもあった。
この地に元から自生していたマナマの実は、何度も交配を繰り返して甘酸っぱく果実の大きい果物へと改良されてきた、メラルドが誇る果物である。
「そうだわ、マナマの実が食べたかったのだわ、どうして忘れてたのかしら」
思い出したようにマルティアーゼの顔が緩んだ。
マナマの実を食べたくてメラルドを目指していたのだと今更ながらに気づいた。
「まだ陽は沈んでいないけれど外に出たらトムが怒るわよね、思い出したら急に食べたくなってきたわ」
赤く熟れたマナマを冷やして食べたときの甘酸っぱい味を思い出しただけで、涎が滲み出てくる。
「本場のマナマはどんなに美味しいのかしら……」
マルティアーゼはトムの帰りを待つ間、時間つぶしにまた本を読み始めた。




