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銀の魔導   作者: 雪仲 響


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 マルティアーゼが気がついた時、目の前にトムの顔があった。

「やっと起きてくれましたか」

 トムが彼女を揺り起こしていた。

「トム、目が覚めたのね……」

「はい、この通り体もよくなりましたよ」

 上体を起こすと、トムの後ろにデボラの姿が見えた。

「……デボラさん」

 腰の曲がったデボラがより深くお辞儀をしてきた。

「セレステア様が起きてきましたので、……お願い致します」

「分かりました、すぐに居間へ向かいますので待っていてください」

 それを聞いたデボラは静かに部屋を出て行った。

 マルティアーゼはトムに直ぐこの館から出て行く支度をするよう伝えると、荷物をまとめ始めた。

 マルティアーゼは起きたばかりのトムに、状況を簡潔に説明した。

「いい? ここにいればどんどん外の時間が過ぎていくわ、早くここを出ないと私達も時の囚人になってしまうわ」

「分かりました」

 トムは切羽詰まった状況なのだと理解すると、いらぬ返答は避け荷物をまとめてマルティアーゼの後を付いて部屋を出て行った。

 トムは廊下から見える外の景色に驚きながらも無言でマルティアーゼの向かう方について行くと、広い居間にたどり着いた。

 居間には既にセレステア、ホーラン、デボラの三人が卓についてマルティアーゼ達を待っていた。

 セレステアは微笑み、ホーランはまた楽しいお話を聞かせて貰えるのかと目を輝かせながら笑っていた。

 その隣でデボラは重々しい雰囲気で何も言わず、首だけを下げてお辞儀をしている。

「私の病気を治せるとデボラから聞きました、本当に治るのでしょうか?」

 セレステアは治療のことを聞かされたみたいで、マルティアーゼにそのことについて聞いてきた。

「……はい、大丈夫です、必ず治りますよ」

 マルティアーゼは笑顔を返したつもりだったが強ばった頬は引きつり、とても笑顔には見えなかっただろう。

「今日はお話はないの?」

「えっ、ええ……ごめんなさいね、もう旅に出なくてはいけなくなったの、その前にセレステアさんの病気を治していくのよ」

「えぇ、つまらないなぁ」

 ホーランが足をばたつかせて口を尖らせると、セレステアが優しく諭す。

「ホーラン、マールさんにも都合がお有りなの、寂しくなるけれど止める理由は私達にはないのよ」

「また遊びに来てくれる?」

「ええ……、また旅の話を持ってここに来るわね」

 二度と足を踏み入れることが出来ないと分かっていても、無垢な笑顔で話してくるホーランに本当のことを言えるはずがなかった。

「私達はいつでもマールさんをお迎えしますわ、ねえデボラ」

「……はい、いつでもお越しになってくださいませ」

 ちらりとデボラがマルティアーゼと目を合わせた。

 それを合図にマルティアーゼはセレステアのそばに行き、

「では、治療致します」

「お願いします、このままでいいのかしら?」

「ええ、大丈夫です」

 マルティアーゼがセレステアの胸に手をかざして詠唱を唱えた。

 ほの暗い居間に光明が浮かび上がり、部屋全体が明るく輝きだす。

 一瞬、セレステアの体がびくんと震えたが、その後は楽になったように安堵の表情へと変わっていった。

 再び薄暗い居間へと戻ると、マルティアーゼはセレステアに、

「終わりましたよ、弱っていた心臓が良くなったはずです」

 と、伝えた。

「何だか違和感がありますわ、鼓動が早くなった感じがする……」

「直ぐに慣れますよ」

「そう……、これで走り回ったりしても胸は痛くならないのね」

 セレステアは念願の丈夫な体になったことに喜んでいた。

「お嬢様、体が慣れていないうちは無理はいけませんよ」

 それをデボラがそっとたしなめる。

「ええ、分かってるわ、有り難うマールさん、なんとお礼を言えば良いのかしら、何かお礼をしなければいけないわね、何が良いかしら……?」

 天井を見上げ考え込んだセレステアに、マルティアーゼは結構だと断った。

「いえ、私達こそ連れの者を治して頂いたのですから、これ位でなんでもありませんわ、こちらこそ何とお礼を言えばいいのか」

「ふふっ、ではおあいこですね」

「おあいこ……そうですね」

(私は貴方を死に導いているのかもしれないのよ、治癒という死を……)

 病気を治す為の時を止める魔導は完治という目的が達成され必要がなくなった。

 この後、念願だった外の世界に出られるようになっても、高齢のデボラには残り少ない生が待ち受け、彼女が亡くなれば魔導の効果もなくなるのである、それは唯一の家族であるセレステアに付き添い、同じ時の奴隷となってしまったホーランもまた、大人になる前に死が待ち受けているということであった。

 屈託のない笑顔で愛想を振りまく彼は、姉の病気が治ったことでこれからは外で遊べるのだと喜んでいた。

「では、そろそろ失礼して私達は旅に出るとします、短い間でしたがお会い出来て光栄でした」

 彼らのこの後を知るマルティアーゼにとって彼らの笑顔は重く胸に突き刺さり、本当のことを伝えたい気持ちであったが、その笑顔を絶望に変えるだけの彼女には勇気がなかった。

「有り難うございました」

「また必ず、ここに立ち寄ってくださいね、待ってますわ」

「さようなら、お姉ちゃん」

 三人からお礼を言われたマルティアーゼとトムがお辞儀をすると、デボラが玄関まで見送るために付いてきた。

「本当に有り難うございました、旅の無事を願っております」

 玄関前でデボラが深々とお礼を言ってきた。

「本当にこれで良かったのか今でも分かりません、この後……」

 マルティアーゼはそれ以上何も言えず口を噤むが、デボラは何も言わずお辞儀をしただけだった。

 マルティアーゼはトムと目配せをすると、馬車に乗り込んで敷地から出た。

 虹色に点滅する空は二人が館の敷地から一歩出ると、明るい青空へと景色を変えていく、すると、後ろの館から轟音が鳴り響いてきた。

 マルティアーゼ達が振り返ると、館全体がみるみるうちに色褪せ蔦が外壁を登るように伸びて建物を包み込んでいく。

 二本の突き出たレンガ造りの二階が根元から折れて崩れ落ちると、館の真ん中にぽっかりと大きな穴を開けた。

 腐った家の土台が屋根の重みを支えきれなくなって、ガラガラと下から消えてなくなっていく。

 マルティアーゼ達は土煙から逃れるように急いで館から離れた。

「セレステアさん、ホーラン……デボラさん」

 館は跡形もなく崩れ落ち、長く伸びた草原に小高い丘を作り出していた、土煙が収まるとマルティアーゼ達は館の側まで近寄り館であった物を見た。

 もう敷地に入っても魔導の効果はなくなっており、目の前には無残にも瓦礫の山となった館が目の前にあるだけで、

「一瞬にして無くなってしまいましたね」

「……ええ、百二十年という時間が一気に降り注いだのですもの」

 この姿になるには本来ならゆっくりと時間をかけてなっていくものだが、それが時の重みで一瞬にして姿を変えてしまった。

 当然、それはここに住んでいた三人の身にも降りかかっただろう。

「あれを……!」

 トムの指さす方向に瓦礫の中から大きな卓が見えた。

 その周りに干からびた二体の小さな体と大人の遺体が、瓦礫に壊されることなく横たわっていた。

「…………」

 マルティアーゼは何も言わず、ただそっと目を瞑って祈っていた。

(彼女達は本来の姿に戻っただけ……、本当なら出会うことのなかった三人に、百二十年という時を超えて出会うことが出来た、誰も信じられないでしょうね、でもここで起きたことは私とトムだけが経験した真実なのよ)

 草原の真っ只中で起きた不可思議な出来事、現代の魔導で扱える者はいないであろう時の魔導、デボラが見つけた魔法は彼女と共に悠久の彼方へと消えていった。

 トムは魔導の事はよく分からない、マルティアーゼから時の魔導のことを説明されたが、どのようなものであるのか実感すら感じられなかった。

「私達の身にも確実にその影響は出ているはず、それがどのくらいなのかははっきりと分からないけれど、この身体に降り注いでいるのよ」

 トムは自分の身体を調べてみたが、特に変わった様子もなかった。

(イリィさんやランドスさんを助けるために奔走した時も結局は二人を助けることが出来なかった、そして今度は助ける前から目前に死が確定されていて、どうする事も出来ない状況のセレステア達がいた)

 マルティアーゼは目の前で死んでいく人達を見ているだけしか出来ず、思い出だけが心に残った。

 デボラが言ったように、彼女自身、魔導がこれほど無力だとは感じずにいられない。

 魔法が出来て世界は大きく発展してきた、そして魔導を扱える者は年々増えているし研究もされ続けている。

 今では家庭で火起こしに使う者や、作物を育てるために魔導を使う人がいて、生活水準も上がり豊かになっていく反面、国益を守るために魔導部隊などと人を傷つけるために魔法を使う人がいることも事実だった。

 それだけいろいろな場所で魔法は人々に幸せや、財産を守るための防衛としても大いに貢献している。

 だが、そんな魔導でも目の前の僅かな幸せを望む者を助ける事は出来なかった、マルティアーゼはそれが情けなく感じていた。

(私にもっと力があれば……)

 ……どくんと、一瞬、胸の奥底から何かが這い上がってくる感じがした、それは一度きりで、その後は何も違和感は感じることはなかった。

「行きますか?」

「そうね……」

 草原の中に瓦礫の山となった館はこのまま草木に覆われ土へと変わり、いつしか小さな小山になるかもしれない。

 誰にも知られず本来の時間の流れに乗ってゆっくりと風化していくだろう……。

 マルティアーゼ達は馬を歩ませる。

 彼女達もまた、たゆたう時の住人としてまだまだ続く旅をしていかなければいけなかった。

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