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食事は使用人が無言のまま持ってきてはそっと部屋の前において立ち去っていくだけで、サドレムから何も口を利くなと申しつけられているのか、声を掛けても無反応の表情で相手にされなかった。
マルティアーゼ達は食事も殆ど取らず、また食べ物に何か良からぬ物が入っているかもと慎重に味を確かめながらスープを少し飲んだだけだった。
今は昼なのか夜なのか確かめられないまま、落ち着いたイリィと二人、壁際に座ったまま不安な時を過ごしていく。
「どうして依頼を受けてるなんて嘘を言ったの、あのまま別れて旅に出ていればこんな目に遭わなくて済んだのに」
イリィは静かに言ったつもりだったが、言葉は予想より大きく響いた。
「言ったはずよ、私はイリィさん達を守るって、依頼であろうとなかろうと私は自分で決めた事は守るわ、これは性分と思って頂戴、だからイリィさんが申しわけなく思う必要も無いのよ」
「何だか思っていたよりもしっかりしているのね、お嬢ちゃんとばかり思っていても中身はすっかり大人だわ」
お互い目を合わせて笑い合った。
「でもイリィさんをこんな目に遭わせるなんて酷い父親だわ」
「昔から仕事一筋でいつも何処かの偉い人との会食だの、会議だのと家に居ない人だったわ、何故ああまでして身分やお金に固執するのか分からない、父には何かそせざるを得ない理由があると思うのだけれど私には何も教えてくれないの」
「それはイリィさんが大臣の息子と結婚することに関係があるのかしらねぇ……」
一体その結婚の裏で何が進められているのか、静かな地下牢では何も知る術はない。
何もすることが出来ず、眠くなれば冷たい石畳の上で横になり、起きても外に出る方法やトムとランドスはどうしているのかなどを考える事しか出来ずにいた。
(外は今、朝かしらそれとも夜かしら……、ついさっき此処に入れられたみたいに時間の感覚がないわ)
何度目かの食事の後、サドレムがやって来てイリィだけを連れて行った。
諦めたのかイリィは反抗もせずに言われたとおりにサドレムに付いていき、残されたマルティアーゼは一人冷たい空気が漂う地下牢を見つめながら戻ってくるのを待っていると、サドレムがまたもやって来た。
「出ろ」
「…………」
マルティアーゼはサドレムを睨みながらも無言のまま地下牢から出ると、サドレムは付いてこいと最低限の言葉だけで無駄な言葉すら発せずに歩き出した。
地下牢を出ると長い廊下の先に階段があり、上にあがると外の明るい日差しが目に入ってきた。
「……うっ」
長い間暗い場所に居たため、いきなり飛び込んできた光量を受け止めることが出来ずに顔を覆った。
「一体何処へ……」
「静かに付いてこい」
マルティアーゼの問いかけも答えるのが面倒だというように言葉を遮り、サドレムは広い屋敷の一室へと連れて行った。
部屋の中には寝台と化粧台、それと使用人らしき女性が二人がいて、サドレムが入ってくると丁寧にお辞儀をしてきた。
「暫くはこの部屋で静かにしていて貰おうか、それとお前はイリィを守るという依頼を受けているのだろう、その言葉忘れていないだろうな」
「……ええ、確かにイリィさんを守るという依頼を受けたと言ったけれど、それが何か?」
「ならば、お前にはもう一つ儂からして貰いたい事があるのだ」
サドレムは手を振り、使用人の女性二人を下がらせると、
「お前にはイリィの代わりに結婚式に出て貰おう」
「え? 私が……どうして」
「理由は聞くな、お前には式場に出てくれればいいだけだ、それで依頼主のイリィも守れるのだから十分だろう、それ以上の詮索はするな、儂から報酬も出そう」
「分からないわ、一体何から守るというのかはっきり聞きたいわね、貴方がイリィさんの婚約を取りやめれば良いだけではないのかしら、イリィさんを結婚させようとしてここまで連れてきたのではないの、それなのに私が代わりに出るというのはどうしても矛盾してるわ」
「本来ならイリィに出て貰う予定だったが、お前が付いてきたおかげで考えが変わったのだ……」
「本当はイリィさんを大臣の子息と結婚させたくない……というのなら、それならどうしてランドスさんと一緒にさせてあげなかったの?」
「…………ふう、あの若者と一緒になりたいか、ふっ……構わんさ、この結婚式が終われば好きにすればいい、だが式は中止には出来ぬのだ」
深いため息をすると、サドレムの吐露した言葉は意外にも二人が一緒になることを許す発言だった。
「私は流浪者だけれど訳を聞きたいわ、それがイリィさんの為だというのなら協力してあげてもいいし、手を貸すというなら私の連れは剣の手練れよ、何なら彼を呼んで一緒に手伝ってもいいわ、けど理由だけでも教えてほしいの、それはイリィさんに知られてはいけないことなの?」
静かに時が流れ、サドレムが窓辺で外の景色を見ながら考えていた。
サドレムの中では葛藤が渦を巻き、マルティアーゼのような余所者に伝える事で自分の思い描いた計画が崩れ去るのではと悩んでいた。
サドレムの背中をじっと見つめ、マルティアーゼは彼の口から言葉が吐き出されるのを待ち続けた。
「二十年……、本当に長い間私は頑張ってきたのだ、この時をどれだけ待ち望んでいたのか、やっとそれが手の届く所まで来たのだ」
静かにサドレムが話し始める。
マルティアーゼはそれを黙って聞いていた。
「もうかなり昔の話だ、私は十六の頃に拾われた、貧しく食べるものもなく息絶える寸前だった所をある若い夫婦に拾われ命を救われた、救ってくれた二人は私を自分達の家族の一員として迎え入れて、私は兄や姉のように慕っていた、だがその夫婦の妻は貴族の娘で、大臣との縁談を断り二人は駆け落ちして追われる身だった事を後で知った」
「……」
マルティアーゼは尚も言葉を発せずに話に聞き入る。
「そこでの生活は私には幸せだった……、貧しくはあったが生きる楽しみがそこにはあったが……それも長くは続かなかった、私がそこで暮らしてから二年、二人の間に子供も生まれ私が家で子守をしていた時に、恩人の二人が買い物帰りに大臣の雇った暗殺者に襲われ殺されたことを知った……、私は襲った犯人を必死で見つけ出し拷問して殺してやったよ、その時にこの国の産業大臣でかなり裏ではあくどいことをしていると噂のブルスから雇われたと聞いたのだ、そのブルスが顔を潰されたからという理由だけで二人を殺した事が私には許せなかった」
サドレムは振り向きマルティアーゼを見て、彼女はハッとした。
「明日の結婚式でその大臣が参列しにくるのだ、私はあいつを殺す!」
はっきりとサドレムは言い切った。
「奴は用心深く、信用のおけない者とは顔すら会わせないのだ、だから私はこの二十年間、一生懸命働き地位を上げこの町の民から嫌われることもしたさ、どんなに非難を浴びようとも奴らと同じ仲間だと思わせなければならなかった、そしてその機会がやっと訪れたのだ、防衛大臣のトルースの目に止まったイリィを、自分の息子にどうだと縁談を持ちかけてきたのだ、式には大臣の息子の結婚式ということでブルスも出席すると聞かされた、儂は身震いしたよ、ついにこの時がきたのだと、この機を逃せばもう会う機会が無いかも知れぬ、だからイリィにはどうしても式に出て貰わねばならなかった……」
サドレムが息を吐いた、それは決意を自覚するための意気込みなのか、やっとここまで来られた長い憎しみの終止符を終わらせるぞという深呼吸なのか、マルティアーゼはサドレムがどれだけの長い間、敵を討つという苦悩を胸にしまって生きてきたのかを感じ取ろうとした。
「ではイリィさんは貴方の子ではないということなのね」
「イリィは恩人の子だ、あの子には教えてはいないし教える気もない、教えた所で今更両親のことは何も覚えておらぬのだ、教えてもイリィが苦しむだけなら知らぬ方が良いだろう、今はランドスという男が出来たのだ、二人で幸せになればそれでよいさ」
「本当にそうなのかしら?」
「どういう意味だ?」
じろりとサドレムがマルティアーゼを睨んだ。
「貴方にとっては恩人の敵を討つということが重要でしょう、でもイリィさんにとっては貴方だけが家族なのよ、貴方にもしもの事があればイリィさんは悲しむわ」
「これだけはどうにもならぬ、あの時私は必ず環境大臣のブルスを殺すと誓ったのだ、私を救ってくれた二人に対する恩はイリィを育てた事で報いたはず、だがこれとそれとは違う、ブルスがのうのうと生きていることが許せぬのだ」
サドレムにとっての二年間の恩人との思い出は口では簡単に言い表せるものではなく、二十年という年月よりも深いものであった。
それは一度死を覚悟し、のたれ死にしそうな所を助けて貰った彼にとっては、深い愛情を受けた恩人の二人はかけがえのない存在だったのだろう。
その愛情を壊された彼には既に死などという他愛のない事よりも、二人の仇を討つ事のほうが重要であり、何としても遂行しなければならない悲願でもあった。
「私にもその暗殺を手伝えというのかしら?」
「奴を殺すのは私の役目だ、お前には混乱に乗じて式場から逃げろ、そしてイリィをこの国から連れて逃げだす依頼を頼みたい、その為に屋敷の裏庭に馬車を用意してある、その中にお前への報酬も入れて置こう、上手く国を出られれば報酬を受け取ればいい、式場は此処からそう遠くはない、よいか儂に何があっても直ぐに此処に戻ってイリィと逃げるがいい、それがお前の役目と思え」
「待って、一つお願いがあるわ、私の連れに連絡したいの、彼がいればイリィさんも安全に逃げ延びられると思うのよ、彼に連絡がしたいわ」
「駄目だ、お前はこの部屋から出ることはならん、今要らぬ行動をして不審がられるのはごめんだ、明日の式までここにいるのだ、どうしてもというのなら後で使用人に手紙を届けさせればよい」
「いいわ」
マルティアーゼが頷くとコンコンと扉が鳴り、外から使用人が、
「防衛大臣のトルース様がおいでになりました」
という声が掛かった。
「いいか、お前にはイリィの代わりに式に出て貰う、今話した事はイリィには伝えるでないぞ」
そう念を押すとサドレムは部屋を出て行き、残されたマルティアーゼは部屋を歩き回って、今聞いた事を思い出しながら考えがまとまると、机に向かって手紙を書き始めた。
長く感じた一日で、使用人からはイリィさんが何処にいるか聞いても答えてくれなかったが、マルティアーゼの身の回りには手を抜くことはせず賓客として丁寧に扱われた。




