38
町の南端にある海に出っ張った岬の先にランドスとイリィがいた。
崖を背にしながら男達に囲まれていたが、手を出そうとするとイリィは後ずさりをして大声で近寄ると死ぬと叫んでいた為、男達は近寄ることも出来ずに様子を見守るしか出来なかった。
海岸からでも遠目で二人が崖っぷちにいるのが見えたマルティアーゼ達は、急いで街道の坂を上り、道を外れて二人のいる岬の先端を目指した。
その間もあの二人が落ちてしまわないかと不安に見ていたが、マルティアーゼ達が到着したときには父親のサドレムがイリィに説得をしていた。
馬から下りてイリィに近付くサドレムに、
「来ないで! 来るなら飛び降りるわよ」
イリィはランドスに庇われながら大声を張り上げていた。
「馬鹿な真似はよさぬか……分かった、お前の好きにさせよう、だからこっちに来るんだ」
「嘘よ、騙してランドスから引き離そうとしてるのよ」
「何を言ってる、儂がお前に嘘など言うわけがなかろう命を粗末にするな、死んだ所でその男と一緒にはなれぬぞ」
サドレムは両手を広げて争う意思がないことを示した。
「一緒になるために死ぬんじゃ無いわ、一緒になれないから死ぬのよ」
イリィが崖に向けて一歩後ずさりをしたのに、サドレムが慌てて、
「だからお前の好きに出来るようにしようと言っておるではないか、お前が死ねば誰が悲しむか分かっているだろう、もっと広い視野で物事を見よといつも言っておろう、今は激情に駆られているだけ、冷静になって話し合えば自分のしていることがどれだけ愚かなことか分かるはずだ、大臣の息子との縁談の話は置いておいてお前の言い分を聞こうではないか」
「…………」
マルティアーゼとトムはサドレムの後ろでイリィと父親のやり取りに聞き入っていた。
風のなびく崖で声は途切れ途切れだったが必死に説得をするサドレムに、少しはイリィの感情が収まって来たように見て取れた。
「……イリィ、死ねば僕たちは永遠に結ばれない、けど生きていれば一緒になれる可能性は残されるんだ、一旦家に戻って親父さんと話をしてみたらどうだろうか」
ランドスがそっとイリィに話した。
「……分かってる、死んでどうなるのでもない事は……けど貴方と別れ離れになるのは嫌よ」
「僕だってそうさ、そんなこと今まで何度君に言ってきたことか、それでも僕は君に生きて欲しい、必ず親父さんを説得して戻ってくるまで僕は待ってるからそれまでの辛抱だ、僕は待ち続ける……僕には君だけなんだから……」
イリィの目に涙が溢れ、風に乗って飛ばされていく。
「私の気持ちも同じよランドス、貴方だけ……貴方しか居ないもの、今生の恋は貴方だけよ」
「……イリィ」
「ランドス……」
二人は口づけを交わすと、
「父さん、お願いがあるの、ランドスには手を出さないでよ」
「……分かっておる」
「ランドス、待っていてね、父を説得させて必ず貴方の元に戻ってくる」
「うん、待ってるよ」
イリィが前に進み出て崖から降りてきた。
じっと見守る父親の前まで進み出ると、サドレムがイリィの手を掴んだ。
「さぁ帰ろう」
「父さん、何をするの止めてっ」
強引に連れて帰ろうとするサドレムを見て、マルティアーゼ達が駆け寄る。
「待ちなさい!」
馬から降りたマルティアーゼを男達が取り囲んだ。
マルティアーゼの前に出たトムが剣を抜いて威嚇する。
「私はイリィさんの依頼を受けているわ、まだ私の依頼主はイリィさんなの、そうでしょう?」
「……お嬢ちゃん、貴方は父の依頼でランドスを連れ出したんじゃ……」
「誤解よ、彼は私を探していただけなの、偶々こにいる男達といる所をランドスさんが見て勘違いしただけよ、それより依頼主が乱暴されているのを見過ごすことは出来ないわ、イリィさんがもういいと言うまでは守らせて貰うわよ」
マルティアーゼがサドレムに凜として言い放つ。
「お前達には関係ないこと、さっさと去るがいい」
「いいのかしら?」
マルティアーゼが首をかしげて呟いた。
途端にトムが男達に飛び交かり剣の柄で男達の鳩尾に一撃を入れていくと、六人の内、半分をあっという間に地面に屈伏させた。
一瞬にしてもんどり打つ男達を見てサドレムに苦々しい表情が浮かぶ。
「このまま全員倒してもいいんだぞ」
切っ先をサドレムに向けたトムが言った。
「くっ……」
「待って……、父さんこの子を連れて行くわ、ちゃんと私の話を聞いてくれれば何もさせないから」
イリィが割って入る。
「……とっとと家に帰るぞ」
サドレムは吐き捨てるようにイリィの手を引き、自分の馬に乗せて引き上げて行くと、男達もそれぞれの馬に乗ってサドレムに付いていった。
マルティアーゼはトムにランドスを家まで護衛するように伝えると、自ら馬から降りて自分の馬に乗り込み、イリィ達の後を追っていった。
町長の邸宅に着いたマルティアーゼはイリィと一緒に中に入って行く。
「イリィさん、心配しないで私の連れにランドスさんの護衛をさせているわ、貴方の護衛は私がするから父親にイリィさんの気持ちをしっかり伝えて頂戴」
「有り難うお嬢ちゃん、やっぱり貴方を巻き込んでしまったわね、こうならないことを望んでいたのに今はお嬢ちゃんがいてくれて有り難い気分よ」
「いいのよ、気にしないで」
二人がサドレムの自室に入ろうとすると、マルティアーゼが入室を断られた。
「私はイリィさんの護衛よ、それが依頼だから私も一緒に入るわ」
マルティアーゼが引き下がらろうとしなかったが、
「此処は私の部屋だ、部外者はそこで待っておれ」
「そこで待っていて、大丈夫よ直ぐ戻ってくるから」
イリィにそう言われるとマルティアーゼは何も言い返せなく、仕方なく部屋の前で待つ事にした。
家の使用人がイリィのいる部屋に飲み物を運んで行った以外、誰も部屋に入る者はおらず、使用人がマルティアーゼにも飲み物を運んできてくれただけだった。
どれだけ待っていたのか部屋からは何も聞こえてこず、待っていると体に力が入らなくなり眠気が襲ってきて、ついに廊下に倒れてしまった。
トントンッと頬を叩かれているのに気づくのにどれだけ掛かったのか、ぼんやりする頭を揺さぶられゆっくり目を開けると、
「お嬢ちゃん大丈夫?」
イリィがマルティアーゼを覗き込んで声を掛けていた。
金色の髪がふわりとマルティアーゼの顔に掛かると、ほのかに甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐる。
「ええ……ここは?」
周りを見渡すと何処かの部屋で寝ていたみたいで、狭い部屋には何も無く固い石の床に鉄格子の柵が視界に入った。
部屋にはイリィと二人だけで、柵の向こう側から届く松明の明かりだけで部屋は薄暗かった。
「一体何があったの、どうしてこんな場所で寝ていたのかしら」
状況が掴めないマルティアーゼがイリィに聞くと、
「私達、父に薬を飲まされてしまったみたいね、私は部屋に入ってから飲み物を飲んだ後に急に眠くなってしまったわ、初めから話合いをするつもりなんてが無かったのよ、ここは私の家の地下牢のはず、この家は貴族が昔住んで居た所だから怪しげな部屋が多いのよ」
石造りのひんやりした地下は静かで、ちょっとした音でも立てると地下全体に響き渡った。
それも此処に捕らわれた者が脱走や怪しい会話など、不穏な動きが逐一聞き取れるようになっている、此処の主がどのような人物であったかは分からなくとも、地下の造りをみただけでこの町の裏の顔がどのようなものであったか想像出来た。
「イリィさんの父親は昔からあの様な性格だったの? 自分の娘を牢屋に入れるなんて普通では無いわ」
「父は余り家に帰らない人だった、物心ついた頃には使用人が親代わり、何不自由なくではあったけれど殆ど父との会話も無かったわ、たまに顔を見合わせても笑顔一つ見せる事もなく、悲しい目で私を見てくる人だった」
イリィの思い出の中に優しい父親の面影も無く、哀れみで見てくる父親の顔しか思い出せなかった。
「母親はいないの?」
「母は私が生まれて直ぐに死んだって聞かされたから顔を知らない、父だけが私の家族なのよ、唯一理解して欲しいたった一人の家族なのに私の事を見てくれない、分かって貰えないからランドスと逃げようとしていたのよ、それなのにこんな仕打ちなんて……」
イリィの目から涙がこぼれ落ちた。
「……」
(誰からも理解して貰えない、それならそこから逃げるのが最善だと思うのは自然の流れ、自分の娘をそこまでして知らない男に嫁がせるなんて酷い父親ね、懲らしめてイリィさん達を此処から逃がしてあげたいけど……)
壁には一つだけ石壁が外されて外気を取り入れる通気孔があったが、その大きさはマルティアーゼの頭ほどの小さな穴しかなく、そこから逃げ出すことは出来そうにもなかった。
それ以外部屋には何も無く、鉄格子の間隔も狭く太い鉄棒で遮られている。
それに腰に差してあった杖と秘薬袋とお金袋も無くなっていた。
身一つでこの牢屋に入れられ、幾ら考えても今の状況ではマルティアーゼにはどうすることも出来なかった。
「どうにかして此処から出る手立ては無いかしら?」
「無いわ、使われなくなったといっても此処は地下牢よ、そんなに簡単に傷むわけでも無いし、この部屋から出られたとしても地下牢の扉は分厚い鉄扉で出来ているのよ、簡単には開かないわ」
(何か……)
マルティアーゼは壁を手探りで調べてみた。
石の隙間にもしっかりと土が埋め込まれていて、緩んだ石すら見当たらない。
例えその石のどれかが外れたとしても此処は地下であり、壁の向こうは土があるだろうから掘っていくにも道具も時間も無い。
諦めて座ろうとした時だった。
ガチャリと重い鉄扉の鍵が開けられ、軋む音と共にサドレムが靴音を立てて入ってきた。
二人の部屋の前に来たサドレムはイリィを見つめてこう言った。
「イリィ済まない、こうするしか無いんだ、お前の為だ分かってくれ」
「貴方こんな事が許されると思って、自分の娘を牢屋に閉じ込める親が何処にいるの、イリィさんのことを思うならちゃんと彼女の気持ちを考えてあげなさいよ、自分の身の保身に大臣だか何だか知らない息子と結婚させるなんて酷い父親だわ」
マルティアーゼがサドレムに罵声を浴びせた。
「…………、イリィ私はお前の為にここまでやって来た、もうすぐだもう暫く我慢して私に付き合ってもらう、お前の悪いようにはせぬ」
サドレムの目はイリィの言ったように哀れみようなやるせない表情をしていた。
「はっ! まさかランドスに何かするつもりなの? やめて父さん! ランドスは良い人なのよ、彼に何かすれば私も死ぬわよ! やめて……やめてよ、どうしてこんな事をするの、こんな事までして地位が欲しいの? やめてよランドスだけには手を出さないで……何でもするから……」
「ならば私の言うとおり大人しく大臣の息子との結婚を受け入れることだ、そうすればあいつには手は出さぬ」
「…………分かったわ、言うとおりにするからランドスには何もしないで」
力なくイリィが崩れ落ちた。
「酷いわ……」
マルティアーゼは口に手を当てて泣いているイリィを見て言った。
「……お前には迷惑を掛ける」
「!」
マルティアーゼはサドレムが小さく呟いた言葉に反応したが、サドレムはそれだけいうと地下牢を出て行ってしまった。
重々しい扉が閉まると地下牢にはイリィの泣き声だけがこだまして、マルティアーゼはそっとイリィの肩に手を置いてなだめることしか出来なかった。




