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街道一杯に円を描いた風が巻き起こって、トムとマルティアーゼを巻き込んだ。
トムは両手で顔を覆っていても、腕を剥がされそうなくらいの風圧が前後左右、上下から押し寄せてきて次第に体が軽くなったと思った瞬間、地面から足が離され吹き飛ばされてしまった。
マルティアーゼも鞍上という不安定な場所から、軽々と体が中に浮いたと思ったら街道に投げ出されて転がり落ちた。
「だ、大丈夫ですか?」
地面に這いつくばりながら倒れているマルティアーゼに声を掛けた。
風は止む気配も無く、頭上に轟音を響かせて流れてくる。
流石に馬は重くて倒れはしなかったが、風の流れていく方へと顔を向けて逃げようと走り出した。
一瞬の出来事でマルティアーゼは、自分がいつの間にか地面に落ちた事にすら気づかずにいた。
「……くっ」
起き上がろうとも風の力の方が強くて地面にしがみついているのがやっとで、強風がマルティアーゼの髪をピンと巻き上げ、引っ張られる髪に顔には苦痛の表情を浮かべるほどであった。
まるで暴風の中にいるみたいに背中にもの凄い力で押さえつけられて、起き上がるにも非力のマルティアーゼには石畳にしがみつくので精一杯だった。
「姫様、起き上がらずに森の中に逃げて下さい」
トムの声が風に乗って微かに聞こえた。
マルティアーゼは石畳から手を離すと、風に乗って転がるように街道から外れていった。
木の幹にたどり着くと、木にしがみついて身を隠した。
「はぁはぁ、なんて風なの……はっ、トムは……トムは?」
木の陰から街道を覗き込むが、顔に当たる強風で目が開けられず、暗い街道でトムの姿が見つけにくかった。
道の上に黒い影が風に逆らうようにむくりと起き上がったのをトムだと確認すると、
「トム! こっちよ」
マルティアーゼは叫んだが声は風にかき消されてトムには届かない。
「彼をどうにかしないと……、でもこの風だと私の魔法は……」
グルバヌスは我を忘れて街道の真ん中で、怒り狂ったように詠唱に力を込めている。
グルバヌスまでの距離までは到底光球も火球も届きそうに無く、この風では跳ね返されるか軌道を曲げられそうで命中させるのも難しかった。
「詠唱が途切れた時が狙い時ね、それまでトムが持つかどうか……」
トムは剣を石畳の隙間に差し込んで何とか踏ん張って耐えていたが、それもいつまで持つのか、トムの体には幾つもの小さな傷が無数に出来ていて赤く染まってきている。
マルティアーゼも木に逃げたは良かったが身動きが出来ずに、木にしがみついたままグルバヌスを見ているしか出来ない。
「はははっ、もうすぐですよ、もうすぐこの男を始末して一緒に旅に出ましょう、ずっと……ずっと一緒に……はぁはぁ、あはははぁ」
グルバヌスが息を切らして詠唱を止めた。
額には玉の汗が流れていて、彼であってもこれだけの長い間の魔法には、もの凄い集中力と魔力の代償があったと見えた。
「今だわ!」
詠唱は止まっていたが、強風は直ぐには止まずにいた。
徐々に弱まっていく風を見極め、身動きが出来るぐらいの強さになったのをみてマルティアーゼが街道に飛び出した。
直ぐさま杖をかざして詠唱を唱えると、巨大な火球をグルバヌスに飛ばした。
赤い火の玉が街道を照らしながら向かってくるのに気づいたグルバヌスが、渾身の力を込めて詠唱をする。
黒球を作りだし火球にぶつけた。
闇の魔法と混じり合った火球は黒い炎を周辺にまき散らした。
飛び散った火球はグルバヌスの足元にも落ちていき、
「はぁはぁ、素晴らしい……何て巨大な魔法を作り出せるんですか、はあぁ……ぞくぞくしますね、貴方の心は今私に向いている、貴方は今私だけを見ているなんて感動ですよ」
グルバヌスは興奮して身震いをした。
「…………そう、ならもう一発お見舞いしてあげるわ」
再度、マルティアーゼが詠唱を唱え火球を飛ばし、グルバヌスの頭上から矢のように落としていった。
「はぁはぁ、そのようなものは何度も受ける気にはなりませんよ、貴方の愛ならこの身体で受け止めますがね」
もう魔力が枯れそうなグルバヌスは気力だけで詠唱を唱えた。
彼は周りに風を起こし、火球の軌道を変えて身を守ろうとすると、
「それは駄目よ、周りをよく見なさい」
マルティアーゼは冷静に言い放つ。
「……はい?」
巻き起こした風が先ほど粉々にした火球の残り火を、吸い込むように火を取り込んでいった。
「あああ……ああっ」
消えそうだった残り火に大量の空気が流れ込み、息を吹き返した火が炎となってグルバヌスの身に纏わり付いていく。
「貴方は風と闇だから火との相性を知って無かったのかしら、自分で火柱の魔法を作ってしまったのよ」
そこにマルティアーゼの投げた火球が加わり、業火が天高く空へと火柱となって昇っていく。
その中でグルバヌスは身を焦がしながら両腕を上げて叫んでいた。
「ああああ、身体があぁ……」
炎の中で踊り狂うグルバヌスが熱さで逃げ惑い、炎を纏いながら森の中に叫びながら逃げ込んでいった。
「トム、大丈夫?」
森の奥深くに姿を消していったグルバヌスを見届けると、マルティアーゼはトムに駆け寄った。
「はい、大丈夫ですよ」
身体中に切り傷が出来て血が滲んでいる。
強風に耐え続けて体力を使い果たしたみたいで肩を上下させて息をしながら、剣を杖代わりにして立ち上がると、
「姫様の方こそ馬から落ちたのに、お身体に怪我は御座いませんでしたか?」
「問題無いわ、ちょっと肘を擦りむいたぐらいだわ」
石畳を転がって木の幹にぶつかった際に出来た擦り傷をトムに見せた。
「大切なお身体です、これを……」
トムは腰の布を取り出そうとしたが、風で飛ばされてしまっていて無くなっていた。
「何処かに行ってしまったみたいです、馬の荷物に……」
トムは馬も街道を走り去っていったのを思い出した。
「何もかも無くしてしまったみたいです」
マルティアーゼが街道を見ると、自分の馬は後ろの方の木の陰に隠れて避難しているのを見つけると、
「私の馬はあそこにいるわね、連れてくるわ」
マルティアーゼが馬に乗って帰ってくるまで、トムはグルバヌスの消えていった森の中を見ていた。
もう何処にも火の明かりも見当たらず、声すら聞こえてこなかった。
(何処に行ったんだ、もうあれだけの火傷なら助けることも出来ないか、姫様に手を出そうとする輩を助けた所でまた襲ってくるかも知れないんだ、自業自得といえ何処であんなねじれた思考を持つ様になったのか……)
「トム、私の荷物に布があるわ、これで血を拭いて」
戻って来たマルティアーゼの荷物から布を取り出して、自らの血を拭いていく。
大小様々な傷は深くはなかったがトムの状態をみたマルティアーゼは、放置しておくと化膿してしまう恐れがあるかもと、
「町に着いたら治療をするわ、トムの馬は見当たらなかったからこの馬で行きましょう、もうあと一日も掛からないでしょう」
直ぐに町へと向かうことを告げた。
「ですがあの者はどうしますか、生きているのか死んでいるのか確認しないことにはこの先不安でしょう」
「…………いいえ、先を急ぎましょう、もし追ってきても魔法を使えるかどうかの状態でしょうし次に襲ってきたら……、貴方も怪我をしてるのにこれ以上の深追いは危険よ、早く町に行って傷の手当てをしないと」
マルティアーゼの中でも初めて会う性格の人間に少し驚きもあった。
深い闇の心を持つ者の豹変というものを初めて経験して、あれほどトムが忠告していたにも関わらず、自分の人の見る目の無さに落胆していた。
(今まで城にいた人のような、侍女みたいに言うことを聞いてくれたり、カルエやサム達みたいに話せば友好的に接してくれる人間ばかりではないのね)
それはマルティアーゼにとって、人を信用することが当たり前と思っていた人間には、グルバヌスのように邪な考えを持つ者と出会った事で、この先出会う人との接し方に戸惑いを禁じ得なかった。
夜も白々と明け始め、暗い闇の中にほんのりと青い明るさが混じって来ていた。
焼け焦げた街道を後にして一頭の馬にまたがった二人は町へと急いだ。




