31 交差する風と火
闇夜の街道で低い声がうなり声のように聞こえていた。
表情が死んでしまったみたいに斜に構えた顔には何が映っているのか、焦点の合っていない視線をマルティアーゼに向けている。
「何だこいつは……、あれほどの距離をどうやって……」
置き去りにしてきてからかなりの距離を走ってきたというのに、こんなにも早く追いつき、しかもこの暗さで何故居る場所が分かったのだと、トムには信じられずに驚いていた。
「……そうね、彼は風を使えると言っていたわね」
マルティアーゼも驚いてはいたが、相手が魔道士だった事を思い出して何とか冷静になれた。
「何故……、何故僕を……置いていくのですか、酷いですよ僕は何もしていないのに……、僕はただ貴方のその綺麗な顔を見ていたかっただけなんですよ、其れが何故駄目なんですか? 貴方のその柔肌に触れてみたいだけなんだ……、それ以上何も望まない、たったそれだけなんですよ僕の願いは……、其れなのにどうして僕を嫌うのですか、どうしてえええええぇぇぇ」
グルバヌスは首をかしげながら言葉を荒げ、大きく見開いた目で二人を見てくるが顔は無表情のままだった。
「訳の分からぬ事を……お前のような危険な奴と旅は出来ない、一人で沿岸諸国に行くんだな」
支離滅裂なグルバヌスにトムが叫んだ。
だがグルバヌスは、
「五月蠅い黙れ、僕はまだ何もしてないじゃないか、お前がマールさんをたぶらかしたんだな、そうだろ! マールさんのその綺麗な肌を守るのは僕だ、彼女の美しさは僕の方がよく分かっている、お前なんかに渡さないぞ、さぁマールさんこちらに来て下さいよ一緒に旅をしましょう、僕が何処でもお付き合い致します」
薄ら笑いを浮かべてマルティアーゼを見た。
もう既に先ほどのグルバヌスは何処にも無く、ただ一つマルティアーゼに対する執着といった言葉使いに変わっていた。
「こいつ、何を言ってるんだ……、マールさん後ろに下がって下さい」
トムは剣を抜いてグルバヌスの前に立ちはだかる。
「お前は黙れええぇ」
グルバヌスが詠唱を唱えると、トムに突風が襲った。
もの凄い風はトムの鎧や肌にチッチッという音と共に傷を付けていく、それは乗っている馬の体にも無数に傷付けていき驚いた馬が暴れて前足をもたげる。
「うおっ」
馬の堅い肌にもじわりと血が滲んできて、馬が逃げようとするのを必死に片手で手綱を引いてなだめようとしたトムだったが、耐えきれずに鞍上から転げ落ちてしまった。
「くそっ」
馬は来た道をいななきながら走り去ってしまい、地面に落ちたトムは馬の行方を確認するいとまもなく起き上がると、グルバヌスに向き合った。
「お前が……お前がいなければ、もっと私はマールさんと親しくなれたんだ、いつも僕の邪魔をするのはお前みたいな奴らなんだ、僕の容姿を馬鹿にして僕を一人にさせる……、貧乏だの顔が汚いだの……僕は何もしていないのに、僕の悪口を回りに言いふらしてのけ者にするんだ、僕にはもう力があるんだぞ、お前らみたいなやつにいつまでも僕を馬鹿にさせない」
グルバヌスは再度詠唱を唱える。
青白い街道の石畳が水のように波打ったかと思うと、腐った臭いが石畳の隙間から漂ってきた。
「……なんだ」
グルバヌスの立っている足元の石畳が波のように盛り上がり、トムのいる方へと石畳の波が押し寄せてきた。
地面が生き物の様にこちらに向かってくるのをトムが気味悪そうに見ていると、後ろからマルティアーゼが叫ぶ。
「避けてトム!」
はっとしたトムが横っ飛びで回避すると、トムのいた場所を通り過ぎるように光球が街道に落とされた。
石畳の上に落ちた光球は一瞬にして闇を遠ざけ昼間のような明るさで弾けた。
いきなりの眩しさでグルバヌスは驚き、ローブで顔を隠す。
石畳の下の土が水のように腐ってうねり、鼻につく酸っぱい臭いが辺りに充満してきて、岩場に逃げ込んだトムは顔をしかめながらマルティアーゼを見た。
「闇の魔法よ、土を腐らせているんだわ……」
馬上から光球を投げたマルティアーゼは、口元を押さえながらトムに教えた。
「な、なんだ今のは……マールさんですか、マールさんの魔法ですか……どうして僕を攻撃するのです、僕は貴方をその悪鬼から助けようとしてるのですよ」
グルバヌスは叫ぶが、マルティアーゼからは答えが返ってこなかった。
霧散した光が地面をキラキラと輝かせているのを見たグルバヌスはまるで子供のような吐息を吐いた。
「おおっ……なんて綺麗な魔法なんだ……透き通るような純粋な魔力の輝きだ、これがマールさんの魔法……、はぁぁぁっ良い……良いですね、やはり貴方は僕を照らしてくれる光なんだ……」
恍惚とした表情で街道に落ちて消えていく光を見つめながら、グルバヌスは歓喜の雄叫びを上げる。
「マールさん、前に出てくると危険です、下がって下さい」
トムの声に反応したのはマルティアーゼではなく、グルバヌスだった。
「僕とマールさんの雰囲気を壊すな、どうしていつも二人の仲を裂こうと割って入ってくるんだ、お前さえいなければマールさんと旅ができるのにいぃ」
睨み付けてくるグルバヌスの視線を、真正面からトムは受け止めた。
「昨日会ったばかりなのに何を言ってるんだ、妄想も大概にしろ」
トムの言葉など耳に入っていないようで、グルバヌスの血走った目は空を見ていた。
「もう少し待っていて下さいマールさん、僕は主席で卒業したんですよ、僕を馬鹿にした奴らは最後、僕の悪口すら言えなくて怯えていましたよ、下級魔道士は僕しか成れなかったんだ、なのに闇だというだけで何処からも仕事が来ず、仕方なく村に帰ったんだ、僕の力は偉大なのに社会すら僕をのけ者にしたんですよ」
「…………」
トムは一体奴が何に対して言ってるのか分からず、注意深くグルバヌスを見るが本人は忘失したかのようにぶつぶつと独り言をつぶやき続けていた。
「マールさんは僕を慕ってくれている、誰も相手をしてくれなかった僕にだ、きっと僕のことを好きになってくれたはずだ、彼女は僕を見てくれる、彼女は僕の闇を払ってくれる光なんだ」
「こいつは……」
トムの持つ剣先が微かに震えていた。
グルバヌスは既に正気では無い、そう思ったトムはこれから奴がどんな行動をしてくるのかが分からなくて身震いしていた。
「悪いけれど、私は貴方の光には成れないわ」
マルティアーゼの口からグルバヌスを否定する言葉が掛けられた。
「特に貴方の闇とは相性が悪いわね、私が優しくしたのは貴方だからという訳じゃ無いの、残念ね」
冷たく感情の入っていない言葉だった。
「そんなはずは……どうしてそんなことを言うのです、マールさんは話をするとき私の目をじっと見てくれたのでは無いですか、好意ある目で私を見てくれたじゃ無いですかぁ」
「そうねぇ、私は誰でも人として接するし、貴方がどんな人生を送ってきたのか興味があっただけよ、話をするときは相手の目を見るのが普通だと思うけれど、それを好意というのなら私は改めないといけないわね、私……貴方のことは興味はあっても好きでは無いわ」
きっぱりと相手に言い渡した。
相手の今までの言動や行動を見ていて勘違いさせてしまったのは自分の所為だというのを、マルティアーゼは相手に教えなければならなかった。
「そんな……貴方までも僕を……嫌いだというのですか、どうして……どうして皆僕のことが嫌いなのですか、僕が何をしたっていうのですかぁ」
グルバヌスは泣き叫びながら頭を掻きむしり地面に転がり回る。
まるで猫のように石畳に体を擦りつけ、ローブが汚れていく事にも一切気にせず、踊っているように手足をばたつかせて泣いた。
「嘘だ嘘だ、あの真っ直ぐな瞳には僕しか映っていなかったはずだ、あの目には僕のことだけを考え、僕に夢中になっていた目だったんだ、そんなことは無いそんなことは……、僕があの時どれだけ胸躍る快感を味わったことか、もしそんなことが嘘だというなら僕は……僕は…………、貴方を殺す!」
空を見上げながら大の字になってグルバヌスは叫ぶと、むくりと上半身だけをもたげてマルティアーゼに振り返った。
その顔には笑みがこぼれ、半開きの口からは涎を溢しながら首を一瞬振るわせてマルティアーゼに微笑んだ。
「えへへ……えへっ、そうです、良いことだ、僕は力があったんだ、何も相手に合わせることなどせずとも力で自分の物にすれば良いだけではないですか、何を今まで相手の顔色を窺っていたのでしょう、好きになって貰わなくても僕が好きなら其れで良いじゃないですか、そうですよねマールさん、貴方をその男から奪い自分の物にすればもう何処にいても僕の物、もう僕には無くなる物なんて無いんだから、これからは増やしていくだけでしょう、この力で……奪えば良いんだ、ああ……なんて素晴らしいんだ、貴方が僕の物になれば毎日が楽しいでしょう、貴方の柔肌にだって毎日触れることが出来るんだ、そんな事が出来るなんて夢の様ですよ、えへっ……えへへ」
けらけらと笑うグルバヌスに、トムが街道に出て来て剣を構えマルティアーゼを守ろうとした。
「マールさん、もうこいつは正気じゃない、何をしてくるか分かりませんよ」
「彼に一体何が起こっているの……」
このように暴れ狂う人間を見た事などなかったマルティアーゼには、彼の中でどのような葛藤や想いが入り乱れているのだろうか理解しようとしていた。
殺人者や強盗など悪人であっても明確な行動理由があり、それに繋がる要因があるからこそ行動に伴っているはずである
グルバヌスの言動や行動にもちゃんとした理由があるのだろうが、それは他人からは理解出来なかった。
本人しか分からない欠落した想いのつなぎ合わせた行動理由を、マルティアーゼの知る理解力では彼の言動や行動を理解しようとも出来るはずが無かった。
「もう嫌だ、これ以上一人なのは……、マールさんを僕の物にするんだ、皆が羨むほどの彼女だ、どんなに悔しがるだろう、どんなに嫉妬してくるだろう、彼女の指先一つ全てを僕の物にして幸せに暮らすんだ、そうですよねマールさん、想像しただけで涎が溢れてきますよ、ふふっふははっ」
立ち上がったグルバヌスがいきなり詠唱を唱えた。




