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グルバヌスは前を見ずに、ずっとマルティアーゼの横顔を凝視するかのように片時も離さず見つめていて、その事にトムはあからさまに嫌な顔をグルバヌスに向けていたが、気にする様子も無く視線の先はマルティアーゼしか見ていなかった。
グルバヌスは美しく整ったマルティアーゼの横顔を見ているだけで幸せで、眺めているだけで自然にニタニタと笑みを浮かべていた。
その日は何処かで野宿をしなければならず、山肌の岩場に馬を止めると、トムが火を起こし始めた。
薄暗くなった街道でぼんやりとたき火の明かりが三人の顔を照らしながら、食事をした。
トムが火の準備や食事の用意をしている間もマルティアーゼの対面に座ったグルバヌスは、何も言わずにマルティアーゼだけをじっと見つめていた。
「…………」
(ああっ……なんて美しい、同じ人で私と何故これほどかけ離れた存在なのだ、あの肌に触れてみたい、膿の出る私の肌とあのきめ細やかな彼女の肌と何が違うというのか……、あの潤った真っ直ぐで真摯な瞳は全てを見透かしてしまうような聖人の目だ、整った目鼻立ちはまるで私の方が罪悪感を感じるほどに目を背けたくなるほどに嘘を吐くことを躊躇わせる、この人には私がどう映るのかが知りたい、私の事をもっと知って欲しい欲求が沸いてくる、彼女の膝で眠ることが出来るなら死んだっていい、私は……この人が欲しい、私の手に入らないものを全て持っているこの人が欲しい……)
グルバヌスの想いは炎のごとく募るばかりで、マルティアーゼはそのように思われているとは露程にも感じていないわけで、
「はい、これを食べて」
気が付くと目の前にマルティアーゼが炙った干し肉を差し出していた。
「おおっ有り難う御座います、ご馳走になります」
炙った干し肉を受け取る際にマルティアーゼの手にふれた途端、グルバヌスがびくんと身を震わせて驚いた表情をした。
(なんという魔力の流れだ、素晴らしく純粋で心が洗い流されそうだ)
「失礼」
受け取った干し肉をかじる振りをしながら、今感じたマルティアーゼの魔力に魅了されていた。
「ところでグルバヌスさんは沿岸諸国に何をしに向かわれてるのですか?」
マルティアーゼが寡黙に干し肉をかじっているグルバヌスに声を掛けると、
「……えっ、あっはい……いえ、仕事を探しに向かっていたのです」
いきなり物思い中に声を掛けられ、心臓が飛び出すかと思うほど驚きながら答えた。
「仕事を?」
「はい、私はミーハマットの山奥にある貧しい村の出身で、何とかエスタルの魔道学校に行かせて貰い卒業して戻って来たのですが、何ぶん風と闇という属性だったので、ミーハマットでは職にもつけずに二年ほど村で過ごしていたのです、ですが親を病で亡くして村にいる理由も亡くなったので、沿岸諸国で仕事を探そうかと旅に出たのです」
グルバヌスが旅のいきさつを二人に教えると、マルティアーゼは身の上を心配したように見つめてきた。
「まぁ、お気の毒に……」
この人は図らずも一人になってしまったのだ、境遇は違うにせよ一人で生きてきたのかと、マルティアーゼはどこか自分と重なり合う部分に共感を持った。
一人でいることの寂しさはマルティアーゼも経験したことであり、何をするにも自答自問で答えを見つけなければならない、誰に聞いても素っ気なく当たり障りの無い答えしか返ってこなかったり、質問するだけで嫌な顔をされてきたのだ。
(この人には誰か話を聞いてくれる人はいたのかしら)
「故郷にお友達は?」
「おりません、元々人の少ない村で、こんな醜男な私に親しくしてくれる者も居ませんでしたから、学校でも一人静かに勉学に励んでいました」
「まぁ……」
「だからマール様のようなお美しい方が、私などにお声を掛けてくださるなんて夢の様で御座います」
グルバヌスは世辞では無く本心で答えたつもりだったが、
「ふふっ、有り難う、私なんかで良いのなら幾らでも話相手になるわ」
「おおっ……、何という有り難いお言葉でしょう、では聞きたいことがあります」
「なんです?」
「マールさんは魔法をお使いになりますか?」
「ええ……一応心得はありますよ」
「やはりそうでしたか、それではエスタルの魔道学校で?」
「……いえ、私はローザン出身なのですよ、そこで教えて貰いました」
「……ローザン大公国ですか、それは遠い地から旅をなさっておられるのですね、でも彼の地は魔道士が少ないと聞いていましたが、教えを請うことの出来る魔道士がいたのですか」
「……ええ」
王族の教師として魔道士を雇ってはいたとは言えるはずもなく、曖昧な返事をした。
「マールさんは何故に旅をしておられるのですか、何処かに行く予定がお有りなのですか?」
「特に決めておりませんの、自由気ままな旅ですわ」
「自由気まま……ですか、それは結構な旅で御座いますね、まだお若いのにそのお歳で旅ですか……」
何を感じ取ったのか、グルバヌスがマルティアーゼを再度じっくりとねめつけるように見ていた。
(まったく……姫様は嘘が下手だから、こういうときは適当にでも用事があるとでも言っておけば良いものを……、それにしても良くしゃべる奴だ、それにあの目)
トムはマルティアーゼが正直にグルバヌスに答えているのを聞きながら、口を滑らせて言ってはいけないことを言うのではとヒヤヒヤしながら聞いていた。
「彼とはずっと一緒に旅をしておられるのですか、彼はマールさんの……」
「いえ、トムは……」
「マールさん、もう夜も更けてきたので寝支度をしましょう、明日も朝が早いですからね、グルバヌスさん悪いが毛布は二枚しか無いんだ、済まないな」
「あ、いえ構わないですよ、慣れてますから……」
トムがこれ以上彼に詮索させないようにと話を遮った。
「もうそんな時間なの、つい話に興じていて分からなかったわ、そうね明日も早いわ、もう寝ましょうか」
マルティアーゼは何も疑問も持たずにトムの提案を受け入れて、自分の寝る場所に毛布を敷き始めた。
三人がそれぞれの場所で寝支度を済ませると、トムがたき火の火を消した。
岩場で寝床を決めたマルティアーゼの近くにトムが座り、グルバヌスは街道の対面の木の根を枕代わりにして横になる。
マルティアーゼ達は街道に落ちた月明かりを挟んで、グルバヌスと分かれて眠りに入っていった深夜の事だった……。
森の中から夜行性の鳥の声が静かに聞こえてくる以外、静けさが辺りを包んだ夜更け過ぎ、トムは微かな声が耳に入ってきて目を覚ました。
そっと目を開けると、隣で寝ているマルティアーゼの寝息かと思った瞬間、飛び起きた。
「貴様、何をしてる」
暗がりの中、横になっているマルティアーゼの体に黒いシルエットになったグルバヌスが、血走った目で凝視しながら覆い被さろうとしていた。
今にもマルティアーゼに触れそうなぐらいに顔を近付けて、グルバヌスが荒い息を吐きながら寝顔を覗き込んでいたのだ。
「え! いや私は何も……」
驚いたグルバヌスが慌ててた様子でトムを見た。
「何をしてる、離れないか」
トムがグルバヌスを突き飛ばして剣を抜くと、マルティアーゼが起きてきた。
「どうしたの? 何かあったの……」
トムがマルティアーゼを庇うようにグルバヌスの前に立つと、
「いえ誤解です、私は何もしておりませんよ」
「今マールさんに近付いて何かしようとしてたじゃ無いか、貴様助けて貰っておいて不埒な事をしようとしていたな」
トムの形相だけでグルバヌスは息の根を止められたかのように怯えながら、必死に言い訳をしていた。
「誤解です、私はただ用を足しにと起きただけです」
「じゃあ何故、マールさんに近付いた」
「寝ぼけていて方向を間違えただけです、本当です私は何かしようと思っていたわけではありません、マールさん信じてください」
手を組みトムに信じて貰うよりマルティアーゼに懇願していた。
「一体何があったというのトム」
「こいつがマールさんの寝顔を覗いていたのですよ、もう少しで肌が触れようとするぐらいまで近付いて見ていたんです」
「……本当なの、グルバヌスさん」
「ち、違いますよ、寝ぼけていて躓いた弾みで転けた所を見られてしまって……それで勘違いされているのですよ」
グルバヌスの必死な言い訳もマルティアーゼの顔からは信じて貰えていなさそうで、眉をひそめてこちらに疑惑の目を向けている彼女に動揺していた。
「あっ、ああ……わた、私は……」
「…………なら、さっさと用を足してくるがいい」
「そ、そうですね、ああ……もう、漏れそうです、早く行かないと……」
トムが動揺しているグルバヌスに向けて言い放つと、ここぞとばかりに彼は逃げるように街道を跨いで闇夜の森の中へと走っていった。
「今のうちに行きましょう、もうあの者と一緒に居れば次は何をされるか分かったものではありませんよ」
「……でも」
「あの者は怪しすぎます、何かこう……狂気というか心の中が普通じゃありませんよ、さぁあの者が帰ってくる前に出発しましょう」
マルティアーゼには何がどうおかしいのか、グルバヌスが嫌いなトムが大袈裟に言ってるだけかも知れず、グルバヌスが本当に寝ぼけていたのかも知れないと、どちらを信じれば良いのか即座には判断出来ずにいた。
トムは荷物を馬に乗せると、佇んでいるマルティアーゼを抱き上げて、暴れるのを無理矢理に馬に乗せた。
グルバヌスの消えた方向に目をやりながら、月夜の街道を走り出す。
マルティアーゼは青白い街道をひた走りながらもグルバヌスの事を考えていた。
(もし、トムの言うことが間違っていればあの人をあんな場所に置き去りにすることになる、何も持たない彼が町まで着けるかどうか……)
「ねえトム、本当にあの人を置いていって良いのかしら、私には彼がそんなに悪い人には見えなかったけれど」
「人を見た目や話し方だけで良い人と決めつけるのは良くないですが、あの者の姫様の見る目はあからさまに異常です、隣に私がいようがお構いなしにずっと姫様を見ているのですよ、何か良からぬ事を……隙あらば狙ってやるぞという厭らしい目で見ていたんですから」
トムは先ほどの闇夜のグルバヌスの表情を思い出して身震いした。
「でもあの人は何も持っていないのよ、放っておけないでしょう」
「もうあの者の事は忘れてください、これ以上関わると御身に危険が及ぶかも知れないのです」
二頭の馬は街道をひた走り、どんどん距離を稼いでいく。
まだ朝日が昇るには時間がある夜中に、足元のおぼつかない街道を走る嵌めになるとは二人は思っても思っておらず、二人の走る馬の足音が街道の石畳に高々と鳴り響かせていた。
すると幾ばくも無く突然、道の真ん中に上空から人影が舞い降りてきて、マルティアーゼ達は手綱を引いて馬を止めた。
街道に黒いローブを着たグルバヌスが、怒り狂った形相で荒い息を吐きながら二人を睨んでいた。
「何故、僕を置いていくんですか……」
二人の前に立ち塞がったグルバヌスは首を鳴らして頭をかしげていた……。




