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マルティアーゼは声を出せず、大きな力で身体を脇に抱えられながら暗闇の中を運ばれていた。
真っ暗な中をどこをどう運ばれているのか分からずに恐怖を感じていたが、運ばれている先にぽつりと小さな明かりが見えてきた。
「おっ、居たのか」
明かりを持つ男の顔が暗い通路の中浮かび上がった。
ゴードンの不適な笑みにマルティアーゼの背筋が凍った、じっとマルティアーゼを見つめる目は脳裏に何を巡らせているのか、にやにやと笑っていた。
「何処で見つけたんだ、まぁいい、男はどうした?」
ゴードンがマルティアーゼを抱えているマドルスに聞いてきた。
「分かれ道で用を足してたら明かりが見えたんで後を付けてこのガキをかっぱらってきたんだ、男の方には気づかれずに来たから今頃慌てているはずだ」
「なんだ、殺ってないのか」
さっさと殺しておけと言わんばかりにゴードンが言うとマドルスが言い返す。
「相手は騎士なんだ、こんな狭い所で戦えねえよ、ガキを連れてきただけでも手柄だろ」
「ふん、だがこっちに連れてきた所でどうやって外にでるんだ? 出るならあの男を殺さねえといけねえじゃねえか」
頭の悪い奴めといった態度でため息を一つ吐いた。
「いやあ、離して」
マドルスの手を振りほどいてマルティアーゼが声を上げる。
「うるせえ、静かにしろ」
ゴードンがマルティアーゼの頬を叩く、その顔は松明の明かりで幽鬼のような形相に見え一瞬息が止まるほどであった。
「姫様! 何処におられますか」
トムの声が近づいてくる。
「こんなとこじゃ戦えねえ、どこかに外に繋がってるかもしれねえ、もっと奥に行くぞ、マドルスお前が先に行け、娘は俺が預かる」
マドルスが先頭に松明を持って奥へと進んでいった。
ゴードンはジタバタするマルティアーゼの手と口を布で縛ると、肩に担いでマドルスの後を付いていった。
「姫様、何処におられますか、出てきて下さいませ」
大声が出せない分、トムは通路にそっとささやくようにマルティアーゼを呼んでみるが返事がない。
(さっきまで後ろに居たのだ、明かりもなしにそんなに遠くに行けるはずがない、それに今の姫様の声は……)
小さな松明では坑道の奥まで明かりが届かず、この道の先に姫様がいるかどうかも分からないのでは奥に行くことに躊躇いがあった、もしこの奥に入った後で行き違いで姫様がここに来るかも知れないと思うと足が前に出せない。
もう少しこの場で待機していれば戻ってくるのでは、何処かで用でも足しているだけではないだろうかとも考えていた。
それにしても余りにも遅く返事すらないのが気に掛かる、どうするべきか追っ手も近くにいるかも知れないこんな所でじっともしていられなかった。
トムが迷っていると奥の方で悲鳴が起こった。
「やつらの声だ、もしや姫様は……」
響いてくる声は男達の野太い声で、奥に続く分かれ道のどちらからなのか、奥で一体何が起こったのか分からないが、もしかして何かしらマルティアーゼと接触があったのではないだろうかと考えた。
それなら早く行って確かめないとならない、だがどちらの道に行けばと考えたあげく、
「ええい、当たってくれ」
トムは松明を前方に照らしながら勘で選んだ道へと走って行った。
坑道に住む闇鳥がいきなりの明かりで混乱し飛び回るのも気にもせずに走り抜ける。
あれから声が聞こえてこなくて道を誤ったかと思いがよぎった時、奥の方から金属音が微かに聞こえてきた。
トムは歩を早めてその音の鳴る方へと駆け込んでいく。
向かった先に松明が地面に落ちており、坑道内を照らしている少し広くなった場所にでた。
その松明の隣にはマルティアーゼが地べたにへたり込んで奥の方を呆然と眺めていた。
「姫様! ご無事で」
駆け寄りマルティアーゼの肩に手を触れると震えているのが分かったトムは、マルティアーゼの視線の先に目を移動させた。
そこには巨大な蜘蛛が白い糸を吹き付けながらゴードンと戦っていた。
それこそ足を伸ばせば人の二倍はあろうかと思えるほど大きく、坑道の両壁に足をかけて天井からゴードンに口をパクパクと動かしている。
人ほどの胴体に気持ちの悪い黄色と黒の模様が嫌悪感を掻き立ててくる。
蜘蛛の尻から糸が幾重にもゴードンに向けて吐いていくのを、必死に避けながらゴードンがナイフで威嚇をしていた。
ゴードンの傍らには仲間のマドルスが生きながら糸に絡め取られて倒れている、仲間を助けようにも蜘蛛からの攻撃に対応するだけで精一杯で、助けることも背を向けて逃げることも出来ないようであった。
「あれは……なんだ」
驚きの余りやっとの思いで息をしたトムが震える声で言葉をついた。
あっけにとられて地面に座り込んでいるマルティアーゼのことを一瞬忘れていたが、すぐに我に返ると彼女の腕を掴む。
「姫様、大丈夫で御座いますか、今のうちに逃げましょう」
立ち上がったマルティアーゼの手と口の布を外した。
「やつらがあの化け物の相手をしている内に、さぁ早く」
マルティアーゼの手を引っ張り急いで立ち去ろうとする、が、マルティアーゼの足は恐怖で思うように歩けずよろよろと転けそうになりながらトムに引っ張られていた。
「待て! てめえら、畜生!」
後ろでゴードンの罵る声が響いてくる。
二人は必死でこの炭鉱の外に出るため来た道をよたよたと戻る、本人達は一生懸命走っているつもりではあったが足に力が抜けていく感じでおぼつかず、マルティアーゼは何度も転けそうになっていた。
トムも初めて見る化け物に興奮と恐怖、嫌悪がわき起こっていたのだろうか、表向きはマルティアーゼを守らなければならない使命感で健気に強がっていたが、内心はあの蜘蛛に襲われたらと思うと鳥肌で気が狂いそうになりかけていた。
分かれ道の剣の傷を頼りに出口が見える所まで来た時に、やっとの思いで人心地の余裕が出てきた。
「やっと出口だ、さぁ姫様もう大丈夫で御座います」
「……ええっ」
ここまで手を引かれてくるまでマルティアーゼは一言も声を出さずにいた。
彼女の中にはこの世にあんな生き物がいるなんて事はつゆ知らず生きてきて、自分がいる現在の状況が大変危機的な物だったのだと言うことが、あの蜘蛛と出会った時に感じていた。
(ああ、私はなんて籠の中の鳥だったのかしら、何も知らないのは分かっていたけど危険な目に遭うまで分からなかったなんて……、トムがいてくれたから助かったけれど、私一人だったら今頃どうなっていたか)
自分がどれだけ世間知らずで無知で周りに迷惑をかけ、トムにもその連れの人にも危険な目に遭わせてしまった罪悪感がこみ上げていた。
やっとの思いで外に出られると感じたとき、出口の岩壁からナイフが飛び出してきた。
危うくトムはナイフを首に食らう所であった。
間一髪反射的に避けて剣で振り払う。
「誰だ!」
出てきたのはゴードンの仲間のバイカであった。
「見張りがいたか」
「やい、親父はどうした、まさかてめえ殺ったのか」
バイカの持つナイフが小刻みに震えていた。
ゴードンの仲間では若くまだ子供といっていいぐらいだ。
こういう殺し合いにはまだ慣れていないのだろう、バイカはキョロキョロと誰か仲間が戻ってこないか目線が左右に動いていた。
「お前の仲間なら奥で化け物と戦ってるぞ」
「何言ってやがる、騙すつもりだろ」
「嘘じゃない、蜘蛛の化け物が出たんだ」
だが、トムの言葉を信じようとしないバイカは、ナイフを前に二人を逃がさないように仲間を待つつもりでいた。
「そこを退かないのであれば仕方ない」
トムが剣を伸ばしてバイカに向かって行く、それに驚いたバイカはなりふり構わずにナイフを振ってトムを近づけさせないように抵抗する。
「くそお、来るな!」
「お前の相手をしている暇はない、刃向かうなら斬る!」
トムが間合いを詰めてバイカに剣を振るった。
「うわあ」
バイカはがむしゃらにナイフを振り回すと、偶然にもトムの出した剣がナイフの柄に当たり、振り払った勢いでトムの体勢を崩した。
「くっ」
後ろに跳ね返された剣の隙をついてバイカがトムに体当たりを食らわすと、トムは後方に飛ばされて地面に倒れ込んだ。
「や、やった、ははっ見やがれ」
「トム!」
マルティアーゼが駆け寄ると、トムの脇腹から血が滲み出ていた。
「ああっ、大丈夫? トム」
トムは直ぐに起き上がろうとするが、足に力が入らず膝をついた。
「見ろ、俺だってやれば出来るんだぞ、舐めるな!」
バイカは興奮して子供のように小躍りしていた。
「姫様、私があいつを引き付けていますので、どうか城に行って下さい」
トムは剣を杖代わりに立ち上がるとマルティアーゼに言う。
「駄目よ、置いていけないわ」
「行って下さい」
「何ごちゃごちゃ言ってやがんだ、二人とも逃がすかよ」
二人が言い合いをしているのを見てバイカが怒鳴った。
形勢が優位になった途端にバイカは勝ち誇ったかのように態度が大きくなっていた。
「おじきはその女を捕まえろって云ってたな、へへっ」
バイカがナイフを手の平で回しながら近づいていく。
トムが歯を食いしばりながら足に力を入れようとするが、血の気が引くように膝が震えていた。
そこにマルティアーゼが腰から短剣を抜きバイカの前に立ちはだかった。
「来ないで!」
両手で短剣を握りバイカの前に立ちふさがった。
「けっ、おめえに何が出来る」
「いけませぬ、下がって下さい」
トムが止めようとするがマルティアーゼは首を振り、退こうとしなかった。
「私だって戦えるわ」
マルティアーゼは剣に向かって呟くと剣先から青白い火が点いて、刃に纏うように広がっていった。
「な、なんだそれは……」
バイカが叫んだ。
初めて見た魔法に戸惑い後ずさりをする。
青い炎を纏った短剣は、ぼんやりとマルティアーゼの顔を青白く染め上げ、幽鬼のような表情がバイカに気味悪い印象を与えていた。
後ろではトムは出血で脂汗をしたたらせながら、何とかしてマルティアーゼを助けなければと必死に足を前に出そうと力を入れるが、思うように体が動かせずにいた。
途端、トムは何かの気配に振り返った。
炭鉱の入り口からのろりとゴードンの顔が坑道から顔を出したのだった。
「くそっ、こんな時に……」
自分が動けない最悪の時に、とトムが歯ぎしりをした。