29
朝の目覚めもよく、どれだけ野宿では浅い眠りで寝不足になっていたかよく分かるほど、起きたときの体は軽く疲れもすっかり取れていた。
「おはよう」
二人は早速支度を整えると宿を後にした。
寝ている間に雨が降っていたのか、街道に水溜まりがあちこち出来ていて、木々の葉からも雫がこぼれ落ち、キラキラと日光を反射していた。
「大分道も楽になったわね、大きい石もなく平坦に整えられているわ」
道幅の広くなった街道は躓かないように石は取り除かれ歩きやすくなっていた。
この後、石が運ばれて敷き詰められていくと石畳の街道になるわけだが、まだここまでは工事の手が加えられていないようであった。
わだちと水溜まりに気をつけながら、マルティアーゼ達は西の沿岸に向けて進んで行く。
町にはまだ品物が揃っていなくて取りあえず食料と水を買い込み、次の宿場町でまた購入するつもりだった。
旅の食料は乾物が基本で何日も同じような固いものを食べているので、マルティアーゼはたまに売っている乾燥果物なんかを良く買って、馬に乗りながらおやつ代わりに食べていた。
なので食事の時に余り食べなくてトムに注意されることが多々あり、いつも口喧嘩をする羽目になってしまう。
その果物の乾物も食べ尽くしてから長い間食べておらず、町で売っているものと期待していたのだが手に入れることも出来ずに、マルティアーゼは落胆していた。
口寂しい旅も次の町まで二日ほど、それまで我慢できると云っていたマルティアーゼだったが、次の日には街道脇になっている赤い木の実を見つけると、
「あれは食べられるのかしら、みて赤くて実があんなに大きいわ」
などと、目に入った木の実を食べられるかどうかをしきりにトムに聞いていた。
その度にトムがもう少しで町に着きますので我慢して下さいと、注意をされると頬を膨らませてだんまりを決め込んでいた。
幸いにも次の町でマルティアーゼの願っていた果物の乾物を買う事が出来て、嬉しそうに宿で食べていた。
「そんなに食べると夕食が食べられなくなりますよ」
「良いじゃない、久しぶりなんだから」
小さな黒く乾燥した木の実を口に放り込み甘酸っぱい果肉を味わっていた。
「果物も色々あるのね、プラハだともう少し大きな果物だったけど、ここのは小さいのね、でも味はこっちの方がさっぱりしていて美味しいわ」
そう言いながらぱくりともう一粒口に放り込む。
次の町は建ててある家も随分としっかりした土壁で固められていて、街道に沿って綺麗に並んで建築されている。
道の石畳が町の半分まで敷き詰められて来ていて、切ってきた石を重そうに馬車で運んできては、何人かの人達がそれを道に隙間無く綺麗に並べていた。
「これがミーハマットまで出来るのに一体どれだけ時間が掛かるのでしょうか」
あと何年、いや宿場町も建設していくとなれば、二十年では無理なのではないかと思わせる気の遠くなりそうな工事に見えた。
馬の足音も変わり軽快に蹄を石畳に鳴らしながら進んでいた。
何事も無く小気味よい音を聞きながら難なく次の町まで二日掛けて着くことが出来た。
天候にも恵まれ気持ちの良い季候にマルティアーゼの機嫌も良く、トムも安心して出来たての街道に身を任せながら馬に揺られて来たのである。
「もうこの後はやっと海に出ることが出来ますね、今日はゆっくりと体を休めましょう」
沿岸諸国から近いこの町では店に魚料理もあり、久しぶりの魚に二人は胸躍らせながら、時間を掛けて堪能していた。
「魚って骨があって食べにくくてあまり好きじゃないのに、どうしてこんなにも食欲が沸くのかしらね、とても恋い焦がれていたものに出会った感じだわ」
「たまに違うものを食べると美味しく感じるときがありますからね」
「この塩っ気がとてもいい味を出してるのね、魚料理が好きになってしまいそうだわ」
マルティアーゼは身と骨をより分けるのに夢中になり、自然と身を取り出す事が食事にでもなったかのように皿と向かい合っていた。
「やっと全部の身が取れたわ、ほらこんなに沢山の骨があったのよ」
マルティアーゼはやり遂げた達成感を感じていたが、本来の目的はそれを食べることだというのを忘れたかのように満足しながら笑っていた。
城では骨などは全て取り除かれてから出されていたので、そんな作業自体殆どしたことが無いマルティアーゼは旅に出てから魚を食べるのを敬遠していた。
いつもはトムが器用に骨と身をより分けて貰ったのを食べていたが、今日は実際に自分でやってみたのであった。
やっと取れた身を食べていたが結局半分も食べられず、残りはトムに食べて貰うことになって、
「こんなに疲れる食事は嫌ね」
「…………」
マルティアーゼがぼそりと呟いた。
目の前でマルティアーゼの残した魚を、満腹になりながらもお腹に詰め込んでいるトムが冷たい視線を送り続けている。
二人はかなり整備された町を見て歩き、どのような物が売られていたりするのか興味深そうに夜遅くまで散策していた。
次の朝早くに町を出ると、いよいよ海の見える沿岸諸国にと意気込みを見せて進んでいく。
森の緑も明るく陽気に木々が揺れ、生えている植物の装いも変わってきていた。
刺々しい草木では無く、丸みを帯びた柔らかそうな花が街道の脇にひっそりと生えていて、花道を歩くマルティアーゼにお辞儀をしているように見えた。
気候にも多少の蒸し暑さが混じってきて、湿り気を含んだ生暖かい風が吹いてくる。
日中の日差しでかいた汗が肌に張り付き、気持ち悪く感じながらも街道を進んでいた。
時折、向かい側から馬車とすれ違いざまに挨拶をするぐらいの人との出会いしかなく静かな旅を続けて太陽が頭上を通り過ぎた頃、山の斜面に背を持たれて座っている人をマルティアーゼが見つけた。
「あの人は旅の人かしら、あんな所で何をしているのかしらね」
この街道の開拓者の一人というには何も持っておらず、かといって旅人というにも馬もいなかった。
それに何といっても着ている服装が魔道士の格好で、岩場の日陰に身を隠すように横になっていた。
ここから海に出るにも馬で一日以上掛かり、宿場町に行くにも歩きだと半日は掛かるだろう中途半端なこの場所で、太陽も真上を過ぎている時間だ。
それなのに昼寝なんてのんびりとしていて大丈夫なのかと、街道で立ち止まって横になっている人をマルティアーゼが不思議そうに見ていた。
彼なのか彼女なのかフードで隠れた顔で見えず、ぴくりとも動かなかった。
「もしかして死んでないでしょうね、全く動かないわ」
「大丈夫ですよ、よく見るとお腹の辺りが動いてますから、寝てるだけですよ」
「それならこんな時間まで昼寝かしら、ねえ、起こしてあげないと町に着けなくなるわよ」
「放っておきましょう、わざわざ見知らぬ者と関わり合いになるような事はお止めください」
「何言ってるの、教えてあげないと荷物も持っていない人がこんな場所で野宿なんて出来ないでしょう」
マルティアーゼが馬から降りて岩陰の人に近付いていく。
仕方なくトムも馬から降りて後を付いていくと、マルティアーゼが寝ている人に声を掛けていた。
「ねえ起きて、早く町に向かわないと遅くなるわよ」
声を掛けるが寝息だけが聞こえてくるだけだったので、マルティアーゼが体を揺すって起こした。
「う……ううん、誰だい?」
魔道士風の相手が起き上がって目を開けると、マルティアーゼと目線を交わして驚いた。
「おお、何たることだ、私のような者にこれほどの美しい人が声を掛けてくれるなんて……」
「私は旅の者よ、もう昼を過ぎているのにこんな場所で寝ていたから声を掛けてみたのよ、町に行くなら早く向かった方が良いと思って」
「おお……おおっ、何たる優しいお言葉……、至極光栄で御座います」
相手は男だったが顔は醜く、吹き出物がおでこや頬に出来ていて、にやりと笑うと凄まじく恐ろしい感じを受けた。
しかし、トムがもっとも違和感を受けたのは男の目だった。
マルティアーゼを真摯に捉え、瞬きもせず見据えている眼力というのだろうか、顔は笑顔を向けていたが目だけは笑っていなかった。
マルティアーゼの瞳に向けて自分という存在を焼き付かせようとしているのか、隣にいるトムには一瞥もくれずにマルティアーゼだけを見ている。
そのマルティアーゼは特に妙に感じずに笑顔で相手を見つめ返していた。
「こんな所に荷物もなしで寝ているより、早く町に行って休んだ方が良いわよ」
「有り難う御座います、こんな所で私のような者に声を掛けて下さるなんてなんて運がいいんだ、私は只の卑しき魔道士グルバヌスと申します、貴方のお名前をお聞かせ願いたい」
岩場の上に正座をしながらグルバヌスが聞いてきた。
「私はマールよ、沿岸諸国に向かっている旅の者よ」
「おお、マール様ですか、私もそちらに向けて旅をしておりますが、お金も乏しくなり、ここに来るまでの町で馬も売り払い旅を続けてきましたが最後のお金も使い果たしてしまって……、歩いてここまで来たのですが、つい疲れて眠っていたのです」
グルバヌスはマルティアーゼを上から下までねめつけるように眺めながら説明した。
それをトムが後ろから怪訝な表情で眺めている。
「まぁ、それは大変ね、まだ海に出るまではかなりあるのよ、どうするつもりだったの?」
「どうすることも……、もうあとはただ運に任せて沿岸諸国に着けるのを祈るのみでした」
涙を流して、まるでマルティアーゼに助けを懇願するかのように顔を濡らす。
(なんだこいつは……、喜んだり泣いたりと忙しい奴だな)
トムの心の中にはこの怪しい男に嫌な感じしか感じ取れなかったが、マルティアーゼの方はそんなことに何も感じていないのか、逆に心配そうにグルバヌスを見て考え込んでいた。
「それなら沿岸諸国に出るまでってことで一緒に行きましょう、海に出ることが出来れば良いのでしょう?」
「はい! そうで御座います、おお……なんという幸せ、貴方はまるで幸運の鳥ルーヴのような方だ」
「ルーヴという鳥は初めて聞いたわ」
初めて聞く鳥の名に聞き返してみた。
「はい、ミーハマットの森の中にいると聞く伝説の鳥で御座います、道に迷った旅人が色鮮やかな輝く鳥と出会い、導かれるように付いていくと人里まで連れて行ってくれて助かったという話しがある、ミーハマットでは極一般的なお話で、危険な目に遭ったときや助けて貰ったときに使う言葉です」
「そうなの、でも私はそのルーヴではないわ、ただの人間よ、ふふっ」
「おお……私めにはルーヴのように輝くお姿をしておられます」
グルバヌスは感激の余り、マルティアーゼから目が離せなくなって拝むように見つめていた。
「マールさん、ちょっとこちらに……」
後ろでマルティアーゼに声を掛けてきたトムに寄っていくと、
「何を考えておられるのですか、あの様な者を連れて行くなどと、そんな事はなりませんよ」
トムが眉間に皺を寄せながらグルバヌスを見つめながらマルティアーゼに言う。
「でもお金も何も無いのよ、放っておけないわ」
「なりません、あの者の目は危険です、怪しすぎますよ」
「ではあのままここに置いていくつもりなの? 何も無いこんな場所では死んでしまうわ」
マルティアーゼには相手が誰であろうと、困っている人を助けるのが人の道だと思っている節があったが、トムはまだ何も知らない世間知らずの御姫様には相手を見極める力が無いのを知っていた。
「駄目です、何ですかあの男は……ずっとマールさんを見定めるような目つきで気持ちが悪い男です、ああいう輩は表向きに良いことを言っていても、心の中で何を考えているか分かったものでは……」
「やめてトム、そんなことを言っては駄目よ、人を見た目で善し悪しを決めるのは良くない事だわ」
マルティアーゼがトムの言葉を遮った。
「人は皆、自分の好きな顔や境遇を選べないのよ、私がそれが嫌だって事は貴方も知ってるはずだわ、願っていてもどうすることも出来ない事が人をどれだけ苦しめるのか、彼のこの境遇は罪でも無いのにそんなことを言うのは失礼だわ」
マルティアーゼはトムに怒った顔を向けた。
「違います、彼の容姿だけで言ってるのではありません、態度を見ていればおかしい事が分かりますよ、あれは真面じゃありません」
「もういいわ、貴方がそんなに嫌なら私が彼と一緒に行くわよ、貴方は先に沿岸諸国に行って待っていれば良いわ」
マルティアーゼがそっぽを向くと、
「そんなこと出来るわけが……、良いですよマールさんの言うとおりあの者も同行させましょう、ですが不審な行動を取れば直ぐにでも彼を置いていきますからね」
トムはどうなっても知らないとでもいうように言い返した。
二人がグルバヌスの所に戻って来ると、
「行きましょう、貴方はトムの馬に乗って頂戴」
荷物も積み替えて、マルティアーゼの後ろにはトムが乗った。
小柄なグルバヌスはちょこんと馬に乗るが、足があぶみに届かずかなり短く調整していた。
三人旅になった一行が街道を進んでいく間にも、隣を歩くグルバヌスの様子が気になり、トムが時折横目で様子を窺っていた。




