28 妄想の秘め事
日中はやはり日差しも強くなり気持ちのいい旅とはいかなかったが、道脇にトムが見つけた水場で空になった水袋を補充出来たのは有り難かった。
山肌の裂け目から流れ出ていた水は冷たく、清涼な潤いを二人と馬二頭にもたらして英気を養う事が出来た。
「水は何とか賄えましたが食料は何か動物でもいれば捕まえたいですね」
「この森に何か居そうだけど、余り知らない土地に入って出られなくなるのは避けたいわ、といって街道で何かを捕まえられそうにもないわね」
森は熱帯特有の木々の香りと、時折遠くから聞こえてくる動物の鳴き声で奧に行けば何かを捕まえられそうであったが、知らない土地での生き物は毒や凶暴な生き物に出くわしてしまうのは、今の旅では致命的に感じられた。
「水は手に入れられたわ、もう少し進んでみましょう、街道だというなら何処かに人が居るかも知れないわ、こんな場所でしらない動物を食べて倒れたりしたらお仕舞いよ、食料がなくなるまでは先に進むことに専念しましょう」
「今度からは長旅になるのでしたら、余裕を持って食料を買い込んでおきます」
変わらぬ気候で夜は寒くて日中は暑く、寒暖の差が思ったよりも体力の消耗が激しく、突然降ってくる猛烈な雨で旅程にも遅れが生じていた。
既に食料が尽きてから丸二日、水だけの旅を強いられていたが、周りの景色も多少の変化が出て来ていた。
高い山肌を見上げる景色は変わらずとも、森の方は少し木々の密集が薄くなり、乾燥した風が吹き抜けてくるようになっていた。
「マールさん、大丈夫ですか?」
お腹を何度も鳴らしながら水で空腹を紛らわしていたトムが、マルティアーゼに話しかけた。
「……ええ、大丈夫よ」
健気に答えるが、疲れの出た顔は今にも倒れそうな表情をしている。
街道には一向に建物は見えてこず、何度も曲がった道の先に町か村でもいい、人が住んで居る場所が見えてくることを願いながら歩き続けていたが、新たに見えてくる道をみてがっかりしていた。
「やはり森で何か探した方が宜しいかと……」
あまりの空腹でこの際、何でも良いから食べられそうな動物を捕まえたい衝動が起きてくる。
「かなり歩いたはずよ、もう何処かに出ても良さそうな感じだけど……」
プラハから出てもう二週間、水場は何カ所か見つけることは出来たが、空腹は寝ることをも妨げてきて馬上でウトウトすることが多くなっていた。
二人の空腹とは反対に馬の方は元気にそこいらの草を食べていたので、トムは一瞬、この馬を捌いて食料にした方が良いのではないかと脳裏によぎったこともあった。
ぼやける視界に目を閉じようとしていたトムに、マルティアーゼが叫んだ。
「ほら見て、家だわ、やっと人家が見えたわ、走りましょう」
目の前に小さいが家が何軒か見えていた。
もう居ても立ってもいられず、駆けだした二人は建物のある場所まで一気に走った。
周囲の森を切り開いた小さな村の中に入った二人は、これまた小さな宿屋を見つけると、早速手続きをした。
「おやおや、プラハからお越し下さったのですか、それはまぁ遠い所から……、まだこの街道は人家が少ないからね、この村だってまだ出来てから数年しか経っていない所だ、開拓の人が少なくてね、これから少しずつ街道に人の手が入っていく所なんだよ」
店主が食事を作ってあげるから待ってておくれと言い残すと、マルティアーゼ達は部屋に料理を運んできてくれるまで休んでいた。
「……助かったわ」
柔らかい寝台に寝転がったマルティアーゼは安堵のため息を吐いた。
食事が来ると、料理を見ただけでお腹が鳴ってしまうほど空腹が限界に達していて、直ぐにでも飛びかかりそうな勢いだった。
「人が来るのは少ないから、こんなものしか出来なかったが食べておくれ」
店主が出て行くのを待って二人は食事に飛びつく。
固いパンと野菜のスープ、一切れしかなかったが肉も付いていた。
それでもパンを柔らかくして口に運ぶと、水のように即座に口の中から消えていった。
「食べ物の有り難みが分かりますね、こんな質素な料理がとても美味しく感じますね」
「そうね」
いつも小食のマルティアーゼもよほどお腹が空いていたのか、トムが店主にお替わりを頼むと、私もと一緒にお替わりを頼んだ。
「今日はいくら食べても全くお腹に溜まった気がしてこないわ」
「水で空腹を満たしていましたからしようがないですよ」
薄味のスープが良かったのか、弱った胃には優しく空腹を満たしていく。
食器を渡して店主に礼を言うと、細身の店主が街道について話をしてきた。
「この町から沿岸諸国へはもう安心して旅が出来るよ、あと五日も行けば海に出られるだろうさ、その間にもここよりは大きい宿場町が二つある、街道も広くなっているから楽だろうさ」
「プラハの方の道は細くて進みにくかったよ」
「だろうね、なんせこの街道だって俺達開拓民で作っているんだ、沿岸諸国が多少の援助はしてくれているから何とかなってるけどね、ミーハマットなんて国が街道に力を入れていないもんだから手つかずなのさ、この街道が出来ればお互い利益が出るって云うのに、やはり森に住む連中は閉鎖的な人種なのかね、これまで三つの宿場町だって作り始めてからもう十年は経ってるんだよ、それでもまだ遅々として町が足りないんだよ、ミーハマット領に入る手前までにあと四つは町が欲しい所だね」
「まだまだ時間が掛かりそうね」
「十年、いや二十年は掛かるかも知れねえな、幾ら町が出来ても物資を沿岸諸国から運ぶとなるとえらく時間が掛かるし、それにこの辺りはどこの国にも属していないから自警団も作らなけりゃいけねえ、人が幾ら居ても足りないってもんだ、今はまだアルステル回りの街道の方がましだろうさ」
「次に東に行くならアルステル回りですね」
店主が頷きながら、
「いくら古い街道だって云っても道も舗装されてるし宿場町もあるからね、盗賊や怪しい生き物にだけ注意すりゃいいだけさ」
「まぁ……、西の街道はそんな危険な場所なの?」
「危険かどうかの真偽は知らないけどね、昔はアルステルからミーハマットに行くには一度沿岸諸国に出て、この大連山をぐるりと回って行かなくちゃいけなかったんだよ、それも山脈越えや東の海沿いに街道が出来てからは、西の街道は沿岸諸国に来るものだけになってしまってめっきり人通りが減ってしまったんだよ、そしたら西の街道の大森林に犯罪を犯した者が徒党を組んで襲ってくるとか、ゾンビなんかが出るって噂が出て来て、より一層人が減ってしまったんだよ、本当かどうかは知らないがね」
話し好きなのか食器を持ったまま熱心に話に興じていた店主が何かに気づいた。
「おっと、いけないねもうこんな時間だ、仕事がまだ残っていたんだ、じゃあお客さんごゆっくりね、晩飯はもうちょっと豪勢なものを出すよ」
「ありがとう」
店主が出て行くとマルティアーゼはトムに、
「ミーハマットはどうしてこの街道に町を作らないのかしらね……」
「せめて自国の領土内ぐらいは舗装してもらいたいですが、プラハで聞いた話ですとミーハマットの交易の殆どは中央国らしいです、ミーハマットには沿岸諸国との交易にあまり利益がないと考えているかも知れませんね、森の国といっても海にも面していますし、魚介類も取れるわけですからわざわざ遠い沿岸諸国の魚介類なんて運ぶだけで腐ってしまいますよ、それよりもエスタルやアルステルの特産物の方に力を入れているのかも知れないですよ」
「国造りにも色々とあるのね」
「そりゃあ無償で町など作りませんからね、それ以上の利益がないと国なんて動きませんよ」
二人共お腹が膨れて力が出て来たみたいで、無口だった旅と比べてよく言葉がでてきた。
「でも、ここに町が出来ていて良かったわ、もし無かったら街道で干からびていた所だったわ、見てこんなに日に焼けてしまったわ」
マルティアーゼは袖から覗く白い肌が小麦色になって、隠れて焼けていない肌と比べていた。
「私も同じです、まぁ男だから気にしないですけどね」
「もっと南に行けば、もう私がローザン大公国の公女だなんて分からなくなるかもね、ふふっ」
「ばれたら大騒ぎどころじゃなくなりますから気をつけて下さいよ」
「辺境の公女に興味がある物好きがいるとは思えないけれどね」
「はぁぁ」
トムはため息をついた。
トムは辺境であろうが町娘であろうが、自分の美貌だけで人を惹き付けてしまう事を分かっていないのかと心配していた。
それで無くとも他人事に首を突っ込んでしまう癖があるだけでもトムの心配事は尽きなかった。
少し痩せたとはいえ、国を出てから半年でマルティアーゼも少しは背も伸び、小麦色に焼けた顔は大人びた表情も窺えるようになってきていた。
愛くるしさより魅惑が逆転してくる年頃になってきたかなとトムは思い、これからの旅に一抹の不安は隠しきれなく、剣を捧げた者として近寄ってくる男どもから主人を守っていけるか不安だった。
「そろそろこの服も暑くなってきたわね、汗がこもって気持ち悪いわ」
厚手の服は汗が乾きにくく、べたべたと肌に触れる気持ち悪さがあった。
日差しが強くマントを脱ぐことも出来ないので、余計に体に熱がこもり辟易していた。
「何処かに服屋があれば入りましょうか」
「そうね……それまではこれだけ着て行こうかしら」
上のチェニックを脱ぎシャツだけになり、下は布のズボンを脱いで革のスカートだけになった。
「ちょ……姫様、こんな所で脱がないで下さい」
慌ててトムが止めたが、
「此処以外で何処で着替えるのよ」
トムはマルティアーゼに背を向けた。
しかしマルティアーゼは気にする様子もなく、軽くなった体を伸ばした。
「んんっ、少しは涼しくなったわ、外にいるときは外套を被らないと日焼けしちゃうけど、部屋の中ならこれで十分ね」
久しぶりに柔らかい寝台で眠ると夢を見ること無く、目覚めるまで深く眠ることが出来た。




