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「はっはっはっ……あああっ……あっ、はぁはぁ」
天井の隅に張った蜘蛛の巣に視点が定まるまで、マルティアーゼは空を仰ぎ全身は汗びっしょりになっていた。
気づくと空は明るく、青々とした空が見えていた。
(夢で死にかけたなんて誰が信じるかしら……、恐ろしい夢だったわ)
首を横にすると、消えたたき火の向こう側でトムが熟睡している姿を見つけた。
「まだ朝になったばかりなのね」
顔に当たる日光が眩しく、顔を手で覆いながら上体を起こす。
顎からは流れてくる汗が一塊となってポタポタと落ちてきて、
「……暑い」
夜は冷え込んでいたので厚着をして寝ていたが、服を脱ぎ薄着になると服が汗でびっしょりと濡れていて気持ちが悪く、そっと一人小屋から出て行く。
「ふう……涼しいわ」
外の空気に触れると体がひんやりとしてきて気分も落ち着く。
暫くの間、外気で体を冷やすと先ほどまで見ていた夢のことを思い出してみた。
(いやな夢…………? 私は一体何を見たのかしら、何だか嫌な夢だった事だけは覚えているわ、何か……もの凄く胸を締め付けられるような圧迫感を感じた事だけは覚えているわ……)
朝もやのように日が昇り陽光が霧を晴らすように、外で深呼吸をしていたら綺麗さっぱりに夢の内容を忘れてしまっていた。
街道は人通りもなく静かで、森に住む鳥のさえずりだけが聞こえてくる。
小屋の前で腕を組み、懸命に見た夢を思い出そうと頭をかしげている所に、トムが小屋から出てきた。
「おはよう御座います、お早いですね、何かありましたか?」
「おはよう、ちょっとね……ううん何でも無いわ、行きましょう」
その日は景色を見るゆとりもなく、ずっと寡黙に馬上に揺られながら胸に引っかかる夢の内容を思い出そうと考えていた。
(……何かが気になる)
とても自分に重要な何かがあった気がするが、それが何なのか分からない。
そわそわした動悸だけが高鳴り、もどかしくあってもその原因を掴めずにいた。(ああ……何かしら、どうしてこんなにも胸の高鳴りが収まらない、何かがあったはずなのに思い出せないなんて……)
何故、夢を見ただけでこれほどイライラするのだろうかと、誰にも言えない自分の問題に悩んでいた。
全ては夢の中にあると思っていた。
所詮夢だと分かっているのに、それならどうしてこうも鼓動が早くなるのだろうか、一体自分はどんな夢を見たのだろうと気になってしようがなかった。
「マールさん、どうかしましたか、ご気分でも悪いのですか?」
静かに下を向きながら、今日の旅もそれ程進んでいないにもかかわらず、マルティアーゼの額には汗が滲み出ているのに気づいたトムが、心配して聞いてきた。
「何でも無いわよ…………そうね、少し休憩を取りましょう」
素っ気なく答えるマルティアーゼだったが、トムにイライラした態度は良くないなと言葉を抑える。
隣で不思議がるトムと休めそうな木陰に入り休憩を取る為、馬から降りる。
まだ旅を開始してからそれ程時間が経っておらず、太陽も昇ったばかりでなので木陰はひんやりとまだ涼しかった。
「今日は朝から元気がないですね……あっ忘れてました、朝食がまだでしたね、早速ここで……」
「いえ違うわ、お腹は……まぁ少しは空いているけど……、そうじゃないのよ」
食べ物を出そうとしているトムに力なくマルティアーゼが答える。
「御免なさい、気を遣わせてしまったわね、そういう肉体的な体調が悪いって訳じゃないのよ、ただね……」
マルティアーゼがトムの顔を見つめた。
「貴方は見た夢って覚えてるかしら?」
「……はい? 何ですか唐突に……」
怪訝な表情でマルティアーゼの真意を探ろうと、トムはじっとを彼女を見つめて返していた。
「夢を見るって一つの体験でしょう、それなのに起きれば覚えていることって殆ど無いじゃない、どうしてかしら? 楽しい事や怖いことを見たって記憶はあるのに内容が思い出せないって変じゃない? 起きてるときにそういう事を経験すれば思い出として残るのに、どうして夢で見た経験は覚えてる事が少ないのかしら……」
トムはマルティアーゼが何に悩んでいるのかよく分からなかった。
いきなり夢の話をされてもトムにとっては夢は夢であり、現実ではないと思っているので取り分けて気にもしない性格だったからである。
「何か夢を見たのですか?」
「見たはずなのに内容が思い出せないの……、何か胸につかえる気がしてならないのよ」
「はぁ……でも只の夢なんでしょう、そんなに気にしなくても宜しいのでは」
「そうなんだけれど、何かが気になるのよね」
マルティアーゼは下を向いて、自分の胸に手を当てた。
トムはマルティアーゼの様子を見ながら暫く考えた事を伝えた。
「たしかに現実で経験したことと比べると夢は覚えていないことが多いですね、私の考えですが、夢とははっきりとしていないじゃないですか、風景や会話、行動全てがあやふやと言うか一連の行動として繋がっていないので、強烈な場面しか記憶に残らず、自分が今、何処でどういう状況でそういう場面にいるのか全てを認識出来ていなくて、記憶として残りにくいのかも知れません」
「状況が重要だと事?」
「現実だと例えば今、此処で強盗に襲われたりすると強い思いとして残るわけなので、後で思い出すときには森と山の街道で強盗に襲われたという状況で思い出すのですが、夢だと襲われたという強力な印象しか覚えていないので、何処で何故そのような事になったのかという一連の状況が飛んでしまっているわけです、それが重要ではなければ無意識に記憶に残そうとしないのではないかと」
マルティアーゼが地面を見つめながら考え込んだ。
「記憶には行動、背景、そしてその前後の一連の流れがあるから思い出として残ると思っています、けど夢にはそれがありません、唐突に色んな背景が入り混じり目的もなく強烈な事柄だけが起こったと印象に残るだけです、それもあやふやで何か楽しい事があった、嫌な事があった、特別な何かを経験したという感情としてだけですし、現実なら行動の中に感触や視覚でも記憶の中に残りますが、夢では実際に自分が行動しているわけでもなく、あくまで意識だけの行動なので、この現実と夢の差が記憶に残るかどうかの差だと思います」
じっとトムの話を聞きながらマルティアーゼはその言葉を理解しようと、ぶつぶつと小声で呟いていた。
「どうでしょうか、学がない私なりに考えたのですが……」
「いいえ、そんなことはないわ、とてもいい話だと思ってるの……、夢と現実も同じ経験といっても、状況の認識が出来ていないと辻褄が合わなくなり、それ自体を記憶として残らなくなる……ただ何かがあった、という曖昧な感覚だけが残ってしまうってことね」
「そうです、私が警備兵をしていた事はご存じですが、事件を調べる時、被害者たちの言葉でも同じような事がありました、何処でどういうときに何をされたのかと聞いても、一瞬の犯行ではっきりとした状況や犯人の顔を言えなかったりしますからね、けど何か特徴はと聞くと頬に傷やほくろがあった、その時近くにこんな人がいたなどを覚えていることがあるんですよ、これも強烈な事柄だけが記憶に残ってるんだと思いますよ、この場合、夢と違うのは感覚を経験として残っているからじゃないですかね」
「一理あるわね……、でも中にはこんな夢をみたという、はっきりした記憶が残ってる人もいるわよね、あれはどうしてかしら……」
「そういう人もいますが結論として、その夢は本人しか分からないことなのですから嘘か真かなんて誰も分かりませんし、部分部分の記憶を自分なりに解釈してつなぎ合わせていているのかも知れませんよ、……マールさんはその……夢の内容のことでずっと考えておられたのですか?」
「そうよ、何だか思い出しそうで思い出せない、もやもやと霧が掛かったみたいに目を懲らしても見えてこないもどかしさみたいなのがあるのよね、でもそうね、本当に重要な事柄なら残ってるはずよね、それが残っていないって事はたいしたことではないのかも知れないわ、考えすぎよね」
吹っ切れはしなかったが、これ以上考えても今の旅に支障があるわけでもなく、只の夢なんだと自分に言い聞かせると、少し元気が出たみたいでにこりと笑った。
二人が話合っている間にも日は昇り、いつの間にか太陽は真上に差し掛かっていて、座っていた木陰が小さく足元に陽光が差し込んできていた。
「そろそろ出発しませんか? その前に食事もまだですから何か食べておきましょうか?」
残り僅かな食料と水で空腹を満たすと、街道を進み始めた。




