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起きたときは既に夜の帳が降りていて、窓からは外のざわめきが聞こえて来ていた。
隣で眠るトムを起こさないように窓に寄ると、外では沢山の人が通りを歩いている。
家族連れや恋仲の男女が楽しそうに店から店へと練り歩いていた、中には子供二人が仲睦まじく手を繋いで歩いているのを見て、この町はよほど治安が良いのだろうなと考えていた。
人々が手にもった食べ物を歩きながら食べているのを見て、マルティアーゼのお腹が鳴った。
「そういえばお昼から何も食べてなかったわ」
空腹だったがトムがまだ寝ているので、勝手に一人外に出ると後でトムが怒るだろうと思い、我慢してじっと外の景色を眺めていた。
(森は真っ暗……でも空は綺麗ね、小さな星まではっきりと見えるわ、ここでもローザンと同じように見えるのね)
今頃国はどうなっているのだろう、国中大騒ぎなのだろうかと何度も思っていたことを静かに考えていた。
もしかしたら本当は国に帰りたいのが本音なのか、両親の顔を思い出すといつも出てくるのは、帰ればきっと叱られて二度と外には出して貰えないのだということだった。
国を出てから四ヶ月、冬を感じる事もなく飛び出してきて、ここでは暑いぐらいの気候をずっと感じてきた。
(長くもあり短くもあったわ、カルエの村ではあっという間に一日が過ぎて、気が付いたら三ヶ月近くも居たのね)
カルエの村での楽しかった思い出を思い起こし、今見ている町の景色との違いを見比べていると、やっと都会に戻ってこられたんだなと思う。
森と山、道無き道を歩き不思議な町や恐ろしい動物と出会った事が嘘のように、此処には沢山の人達がいて安心感があった。
「姫様、起きてらしたのですか、すみません」
後ろで起きてきたトムが声を掛けてきて、マルティアーゼは振り返った。
「いいのよ、貴方も疲れていたんだからゆっくり寝て頂戴」
「いえ、もう十分疲れも取れました、もう夜ですか……お腹は空いておられないですか?」
「ええ……もう空腹でしようがなかった所よ、何処かに食べに行きましょうか」
二人は支度をすると外に出ると、商店街を歩いて何処か美味しそうないい店はないか探した。
一軒の店から漂ってくる匂いにつられて、お互い何も言わずその店に自然と足を運んでいく。
店内は狭く感じるほど人で賑わっていて、空いた席を見つけるとそこに座って注文をした。
「どんな料理なのか私には分からないわ、貴方が決めて頂戴」
「……はぁ」
トムも初めてでどんな料理があるのかよく分からなかったので、店員に聞きながらスープと肉と野菜料理を適当に頼んだ。
「皆楽しそうに食べているわね、私なんかこんなに声を荒げて食事をしてたら怒られてしまうわ」
豪快にかぶりつき笑い声を上げながらの食事を見ているだけで、マルティアーゼは笑みを浮かべて楽しくなって、つい空腹も忘れて人々の表情に見入っていた。
卓に運ばれて来た料理で置き場もなくなるほど、目の前には色々な料理が並べられると、
「まあ、凄いわ色とりどりの料理ね」
マルティアーゼが目を輝かせて覗き込む。
「さぁ食べましょう、肉は私が取り分けます」
「いいわよ、私もあの様に食べてみるわ」
先ほどから見ていた客の食べ方を見よう見まねで、熱々の肉を持って口いっぱいにかぶりついてみた。
じゅわあ、と口に流れ込んでくる肉汁は甘く、口の周りを汚しながら何度も食らいついていくのをトムがあっけにとられながら見ていた。
「ちょ姫……マールさん、そのような食べ方は……」
満足げに笑みをこぼしながらマルティアーゼは口いっぱいの肉を咀嚼していた。
「とても美味しいわね、ふふっこんなに口に頬張ったの初めてだわ、顎が外れそうになるわね」
手ぬぐいで手を拭きながら次の料理に取り掛かる。
「貴方も早く食べなさい、でないと私が全部食べちゃうわよ」
「はぁ……」
豪快に食べるマルティアーゼの傍らで、トムはいつも通りにゆっくりと噛みながら食事をしていく。
店を出ると満腹になったマルティアーゼ達は、広場にある小さな噴水で手や顔についた油を洗い流した。
「ふう、ここはいい街ね、こんな遅くまで出歩いていても平気だなんて、見てあの夜空」
二人が広場から見える空を見るために崖の柵まで歩み寄っていった。
柵ごしから視界いっぱいに見える星を眺めていると、手が届きそうな不思議な感じがしてくる。
目の前に見える満天の星空はいつにも増して煌々と輝いていて、吸い込まれそうになるほどに近く感じられた。
「この先、本当に砂漠を越えて南に行かれるのですか?」
マルティアーゼの感慨を妨げるかのようにトムが話し出した。
「ええ、砂漠がどんな所か見てみたいわ」
「ですが、水もない場所など危険極まりないですし、もし水が無くなったりしたらどうするつもりですか」
「人が住んでいるなら何処かに水源があるはずよ、大丈夫よ」
「私はどんな所かも知れない危険な場所に行くのは反対です、もっと他の場所にした方が宜しいかと、姫様が寝ておられる間に宿屋の店主に話を聞いてきたのすが、ここはミーハマットのオファラムという町らしいです、北に行けば首都のプラハがあるそうで、そこからならアルステルや西の沿岸諸国へも行けるそうです、店主が云うには砂漠にはサン国というのがあるらしいのですが、どうも治安が悪いそうで街道にも盗賊などが出るみたいですよ」
トムが聞いて来たのは砂漠の横断だけではなく、そのような治安の方も情報として聞いていた。
危険な輩が居る場所に自ら身を投げ出すこともなく、この大陸を見たいのなら他の場所にすれば良いと思っていた。
「それに南では戦争状態が続いているそうです、南に行っても引き返さなくてはなりませんよ」
「貴方は砂漠に反対なのね」
「はい、姫様を危ない場所に行かせるわけにはいきません」
トムはきっぱりと反対の意思を伝える。
「それだとこの世界を見ることは出来ないわ、何も知らない私にとっては何処でも危険な旅なのよ」
「ですが、姫様!」
トムが声を上げて叫んだ。
「しっ、その呼び方はやめてって何度言えば……」
と、マルティアーゼが周りを気に掛けて叱った。
「……ですが」
トムが声を潜める。
「もう今後、その呼び方では返事しないわよ、私のことはマールって呼んで」
周りに目をやると、マルティアーゼと歳の近そうな男女一組がいるだけで、彼女が彼氏に何か怒っているみたいで、一人で帰っていくのを彼氏が後を追って行くのが見えた。
「聞かれていないみたいね、もうあんな大声を出さないでよ」
「これからは馬での移動になりますから、西に行くのもそれほど苦にもならずに旅をすることが出来ます、砂漠の方は南の情勢が落ち着いてからでも遅くはないでしょう」
「分かったわよ、本当に貴方は私の保護者みたいだわ」
マルティアーゼはくどくど言うトムに根負けして仕方なく承諾した。
次の日は一日中買い出しを行い、薄汚れた服を捨てて新しく買い換えたり、殆どがマルティアーゼの為の一日で時間を潰していた。
布の上着に革のチュニックを羽織り、布のズボンの上に革のスカートを履き、大きな革ベルトには秘薬袋と魔樹から作った短い杖を腰に差し込んでいた。
「これで少しは安心だわ、あっあと帽子も欲しいわ、暑くなりそうだし」
代わりにトムが買い足したのは、短剣と涼しそうな上着だけであった。
「明日には必要な物を揃えないといけないですよ」
旅の準備が出来たのはそれから二日後だった。
まだ町の中を観てみたいとマルティアーゼの提案で一日引き延ばして、歩き回っては美味しそうな物を食べたり変わった店が無いか観光を楽しんだ。
「そんなに急がなくても良いのよ、少しは旅を楽しめば良いのに……」
マルティアーゼはトムに言うが、彼にとってはこの目立つお転婆姫がいるおかげで楽しむ余裕もなく、人の多い所ではいつ何時どんな事件に巻き込まれるかも知れないと心配だった。
そんなトムの心配を余所にマルティアーゼは、店から店へと走り回っては色んな物に興味を示していた。
馬に沢山の荷物を乗せて町を出ると街道を北へと進みながら、買い込んだ帽子がお気に入りなのかマルティアーゼはご機嫌で、しきりにトムにどう思うかと意見を聞いては喜んでいた。
「取りあえずプラハに行ってからアルステルか沿岸諸国に行くか決めましょう」
トムは広げた地図を見ながら今後の旅程を考えながらマルティアーゼに伝えた。
「ミーハマットってどの辺りにあるの?」
「そうですね、中央国の南、連山を越えた海に面した東の森の国です、ローザン大公国からずっと南に来た所ですね、あの嵐でかなりの距離を流されていたみたいです」
「この辺りは冬がないのね、今の時期だとローザンはまだ雪で埋まってるはずなのに、ここではこんなに薄着でも汗をかくぐらいだわ」
日差しの照り返しで目を細めながら空を見やった。
「かなり南に来たみたいですね、ですが沿岸諸国も此処と同じ位置なので気候も同じようだと思いますよ」
トムがずっと西に視線を移動して答えた。
二股の街道を左に折れて森に入ると幾分暑さが和らぎ、静かな森の木々の擦れ合うざわめきを聞きながら、穏やかな旅が二人の足取りを軽くさせた。




