197 晩秋の若葉達
それは市民街だけではなかった。
貴族達の恋はそれこそ己を鼓舞し、異性を獲得しようとおめかしをして目に止めてもらうために自宅に沢山の友人知り合い、はたまたその伝手で初めて会う人を招いては、日々食事会や舞踏会を開いてはお付き合いの切っ掛けを作ろうと奮迅していた。
なぜなら雪が降る季節に王宮で年に一度の大舞踏会が開催されるので、そこに想い人と一緒に踊ると幸せになれると信じられているからで、その時を逃せばまた来年まで待たなければならない。
相手の居ない年頃の男女達はそれこそ戦争でも始めるのかと言うほどに、知らない貴族の舞踏会があれば、そこに見知った人がいれば連れて行ってもらったりして少しでも異性との交流を深めようと、お金をかけて新調した服やドレスで毎夜出歩いていた。
もう心想う人がいる者にとってはそのような男女の駆け引きの場には赴かずに、二人でいられる場所に出かけては愛を育んでいた。
舞踏会の事など知らないクリスティナにとってはファーンと会うのが目的で、遠いアルステルから愛する人の所へと何日も掛けてようやく辿り着いたのだった。
「ファーン様、お会い致したく御座いました」
「ようこそ遠いところまでお越し下さいました我が愛するクリスティナ姫、私も一日千秋の想いで会えるのを待ち望んでいました、あの時からずっと君の事を考えておりましたよ」
身長の高い彼はクリスティナを見下ろすように優しく微笑みかけた。
「……ああっ、ファーン様」
雪の季節で長い間会えずにいた二人は今日という日をとても心待ちにしており、やっと待ち望んだ相手が眼の前に立っていることが信じられないようで、触れようとする手は微かに震えていた。
ひしっと抱き合った二人は、会えずにいた時間をこの時に取り戻すかのように長い時間、相手の温もりを確かめ合った。
貴族街に入ったクリスティナは、ラクス・ムランド子爵の館に着いて愛する彼氏ファーンとの出会いを果たした。
「私が病弱なばかりに……本当なら私がアルステルに行かなければいけないのに申し訳ない、さぞやお疲れだったことでしょう、今宵はゆるりとお体を休めて頂ければよろしい」
病弱というだけに顔も体も細く、少しやつれて見えるが優しそうな青い瞳には光が満ち溢れていて、見た目では病身という人物には見えなかった。
髪はクリスティナと同じ金色で、前髪を垂らしていて翳りを帯びているのが、どことなく女性から見れば母性愛がうずくような男性だった。
「そのようなことは……、旅の間ファーン様ともうじきお会いできると思っただけで辛くもありませんでしたわ」
「父も母も喜ぶでしょう、さぁ中へ……暖かくなってきたとはいえ外にいては体に障りましょう、どうぞ」
「……はい」
クリスティナの視線はずっとファーンを見つめたままで、もうこのままずっと一緒だと言わんばかりに彼の腕に寄り掛かりながら邸宅へと入っていった。
「おお……クリスティナご令嬢が来たか、遠路はるばる良くお越しになったな」
「お久しぶりでございますムランド子爵様、それにカミュ夫人も」
クリスティナはファーンの腕から手を離すと、ドレスの裾を摘み上げお辞儀をした。
「はっは、そんなに改まることもない、息子にこんないい相手が見つかるとはな、キーラン殿に娘がいるとは聞いていたが、こんなに素晴らしい娘さんだとは思ってもいなかった」
ムランド子爵とクリスティナの父キーラン男爵は旧知の仲で、お互いの子供が大きくなった話からこの縁談が生まれたのだった。
「まぁ……」
クリスティナが頬を薄く赤らめて俯いた。
「父さん、彼女が困っております、長話になるのであれば座って話をしましょう」
「おお……そうだな、長旅だったのに立ったままでは辛かろう」
「ではクリスティナさん、こちらに」
一度ファーンと目を合わせたクリスティナは恭しくカミュ夫人に付いて行った。
子爵と男爵と身分の違いも殆ど気にする必要もないぐらいで、親同士も知り合いということもあって縁談の方は上手くいっていた。
軽く茶菓子を食べながら夕食までの時間、ムランド親子とクリスティナの四人で雑談を話していた。
「お父上にはこちらに来ることを伝えておらぬと……、それではここまで従者と二人で?」
ムランド子爵が驚きながら聞いてきた。
「いえ……、お父様の兵隊さんを私が勝手に使えませんから私個人で傭兵を雇ってここまで護衛して頂いたのですよ」
「おおっクリスティナ、そのような危険な事をせずとも手紙の一つでも寄越して頂ければこちらからお迎えをお出ししたのに、何故言ってくれなかったのですか?」
ファーンも驚いて聞いてくると、
「大丈夫ですわ、傭兵の中にも女性が二人もいらして、話相手になって頂いたのでとても楽しく旅をすることが出来ましたわ」
「……しかしそれは余りにも、帰りはこちらの兵でお送りしよう」
「ご心配いりませんわ、私などを襲う人など……執事のゼオルもいますし、何より護衛をしてくれていた女性達のほうがお美しかったですわ、何処かの貴族ではないかと思うほどにお綺麗でしたのよ、市井にもああいう人がいるのですね」
「傭兵など身分の分からぬ者達、あまり信用なさらないほうが良いですよ、私に取っては貴方が一番大事な人なんですから」
クリスティナはファーンのとろけるような言葉にうっとりとした。
「これこれ、親の前でそんなにいちゃつかれたら、儂等の居心地が悪うなるわ、はははっ」
「本当に……くすくす」
夫妻に笑われて、ファーンとクリスティナは照れながらお互いの目をちらちらと見つめ合っていた。
「挙式の準備も進んでおるからの、来年の暖かくなる頃に花嫁としてサスタークに来るのだな、キーラン殿も早く孫の顔が見たかろう」
「父上、気が早うございますよ」
「何を言っておる、一緒になれば子供が出来るのが自然の流れではないか、我がタスク家の跡取りになるのだぞ、儂とて今からうずうずしておるのだ、元気な子を生んでおくれよクリスティナ」
「まだ男の子が生まれるかどうかも分からないのに……」
ファーンは困った父親だとクリスティナに微笑みかけると、彼女の方は顔を真っ赤にしながら照れ笑いを浮かべていた。
クリスティナは滞在中、ファーンとの濃密で甘い時間を一緒に過ごしていた。
目覚めてから寝るまで片時もファーンの側から離れようとせずに、少しでも視界から外れると慌てた様子で彼を探してしまう程だった。
クリスティナは市民街に出ることはなかったが、貴族街には貴族達だけの憩いの広場があり、散策したり今後お付き合いをしていくであろうファーンの友人宅に挨拶に行ったりと、優雅でゆったりと短い滞在だったが彼と二人で堪能した。
「此処まで来たんだっていまだに信じられない、本当に僕が結婚出来るなんて思っても見なかった、君と出会ってから二年、サスタークの男性は体格のいい武人肌が多くて、僕みたいなひ弱な男は女性から見れば頼りないと思われているから結婚なんて諦めていたんだ、そこに君と出会った……、縁談も父の友人と言うので断りきれず、しかもアルステルと遠い場所まで断られる為にわざわざ行かなくてはならないと気が引けていたんだ、でも君は違った、にこやかに微笑みかけてくれて優しく語りかけてくれた……、あの時の事は今でもよく覚えているよ、歳が八つも下なのに君は僕の事を嫌がらずに接してくれて自分が恥ずかしく思ったよ、なんて意固地になって自分から女性を遠ざけていたのだろうと……だからあの時から僕は変わったんだ、君を守れるようにもっとしっかり男らしくしないといけないとね」
広場の椅子に腰掛けながらファーンは昔の思い出を口にした。
「ああっ……ファーン様、私にとってファーン様は唯一の殿方、そのように男らしくなどしなくてもありのままに、私は決して……決してお側を離れませんわ、私だって縁談ではなく自分で見つけた相手と恋愛をしたくて嫌で仕方がなかったのですが、今はファーン様と出会えたことが何よりも良かったと思っております」
二人は握った手を離さないよと力を込めた。
「……クリスティナ、永遠の愛をここで誓うよ」
「私もです、共に生き老いさらばえるまでお側にいます」
握りあった手に一層力を込めた、これからの二人の将来の夢と希望を瞳に映し、愛する相手と生きていくことを固く確かめあった。