191 朝日の向こう
マルティアーゼが云ったとおり、翌日は三人各々の自由な時間を過ごした。
トムは貰った短剣を眺め、スーグリは食事の時間以外ゴロゴロと寝台で疲れた体を休めていた。
そしてマルティアーゼは買った斧の試し振りを宿の裏庭で行っていた。
「軽くて扱いやすいのはいいけれど斧の使い方がいまいち分からないわ、やっぱり刃の方が重いから振り回して使うのが遠くまで届くからいいのよね」
ぶんぶんと弧を描くように庭で振り回す様子をトムが窓から見ていて、見てられぬといった感じでため息をつくと、庭まで出るとマルティアーゼに助言をした。
「斧の使い方はこう……柄の中心部分から肩幅の広さで持って、振る場合は利き手は押す感じで反対側は引く感じにすると最小の力で素早く振れるんです、振り回す時でも利き手の反対側のこの手は絶対に離さないようにして下さい、こちらの手が斧を扱う中心になるんですよ」
「利き手じゃないの?」
「そっち側は目標を狙う為と刃の移動や向きを扱うんです、斧に力を伝えるのは腕じゃなく体全体で振るんですよ、腕だけで振ると体が持っていかれて体勢が崩れてしまうので腰を回して振る際は少し後ろに体重をかける感じでやれば、体勢が崩れずに次の攻防につなげることが出来ますよ」
「ふうん……こうかしら?」
マルティアーゼが斧を構えてトムの云った事を考えながら振ってみる。
ぶんっと風の切る音が庭に響いた。
「そうです、もう少し足幅を広げて振る時に利き足と一緒に前に出す感じで、振り終わったらすぐに斧は手元に戻してください、右手で引いて左腕を前に出すようにすれば早く戻せます」
ぶんっぶんっと何度か練習してみる、長剣とは違って手首に重心が集まっていないので、扱いを間違うと体が遠心力で振られてしまう。
「斧は斬るより叩き割る武器なので、体重を乗せて目標にぶつければ威力が出ますので、それと柄の部分は相手の得物を防いだりも出来ますよ、斧それ自体で攻防として使うんです」
トムは一度こういった訓練にはいると、夢中になって目の色が変わり教える事に熱を帯びてくる。
熱心なことには感心するが、武器をまともに扱ったことがないマルティアーゼにとっては体の動かし方は頭では分かっていても中々上手く動かせないのに、横でごちゃごちゃ言われると気が散って余計に動きがおかしくなってしまう。
「そんなにいっぱい言われてもよく分かんないわ、実戦で覚えたほうが早そうね」
「まずは振り方だけでも覚えておいて下さい、いきなり実戦などと、危険な状況になった時に体が動きませんよ」
「……なら少し黙っててくれない? そこはどうとかもう少しこうとか言われても分かんないわ」
「分かりました」
「……」
返事だけは素直だが本当に分かっているのかとマルティアーゼは思ったが、そのあとの素振りに対してトムは何も言わずにじっと練習を見続けていた。
逆にマルティアーゼの素振りに対して、何も言わずにただ眺めるだけのトムもまた、何を考えて見てるのだろうと変な気分になる感じをしながら、空が赤くなる時間まで黙々と練習をこなした。
「スグリもう体は大丈夫?」
「はい、あとは食事を沢山食べればまた頑張れますよ、いっただきまぁす」
お皿いっぱいに料理を運んできたスーグリは山になった頂から食べ始める。
「トム、この一ヶ月でどのくらいお金が貯まったの?」
「えっとですね……、金粒百五十ぐらいですか、本来四人以上で受ける仕事をこなしたんでかなりの収入ですね」
「でもまだ百五十ね……、この調子で五百は貯めたいわ、それなら家の頭金ぐらいにはなるはずよね、この間見たあの家は良かったわ」
仕事の間にアルステルの家々を見て回っていたマルティアーゼ達は、住宅街に近い場所の家を見つけていた。
西大城門から北に入った住宅地区にある壁沿いの家は中流以上の人達が多く住んでいて、見つけた家は地区の端で少し値段も安く、窓の外は城壁で景色は見えなかったが誰かから見られる心配もなく、結構静かな所だったので目をつけていた。
しかし、購入金額は金粒八百とかなりの値段がした、トムはもう少し東地区や南の安い場所にしませんかと言っていたが、大きな家でここより安くても掃除が大変で空き部屋が多くなるだけの物件ばかりで、マルティアーゼが気に入った家ではなく、もっとこじんまりとしていて静かな場所のほうが落ち着くと、トムの意見は却下されていた。
その点、北地区は二階建てで二階に部屋が四つ、一階に二つの部屋と居間がある家だった。
「もっと大きな仕事はないかしら……」
広すぎず狭すぎないちょうどよい物件を、マルティアーゼはどうしても早く手に入れたかったのだ。
「これでも凄く早いですよ、これ以上となるとギルドの仕事になりますよ、今の仕事もスグリが店主と仲が良かったから優遇してくれてるんです、流石にこれ以上の仕事はさせてくれないでしょう」
「ギルドって私達でも作れるのかしら?」
「最低でも四人以上の人員がないといけませんね」
「あと一人ね……誰か居ないかしら」
「人を集めればいいわけじゃありませんよ、沽券に関わることですから信頼のない者と行動をすれば名が傷つくだけではなく、悪名が知れ渡れば依頼所間に伝わりますから仕事自体も受けられなくなったりしますよ」
「そんなことになったら生活も出来なくなるわ……」
今の状態であと半年はこのような仕事を続けてる間にも誰かに買われてしまったらと思うと、気が急いてどうにかしたい気持ちが強くなるのがマルティアーゼだった。
「でもこればかりは仕方がないわね、これからはもっと頑張らなくちゃ」
「…………」
スーグリは食事をしながら横目でマルティアーゼを見て、これ以上忙しくなるのは勘弁して欲しそうに目で訴えていた。
マルティアーゼは帰ってきてから目標を持ったことで、日々の生活に充実感を覚えていた。
旅をする漠然とした物ではなく、明確な目的のために生きる事がこんなにも楽しいとは思わなかった。
(だから町の人達は貧しくても明るく生きていたんだわ)
城を抜け出て町の様子を見ていて、人々の楽しげな雰囲気はこういう事だったのだと、今更ながらに己が実感してみてようやくその意味が理解できた。
(何でも手に入る立場からでは見えなかったもの、これが生きるっていうことなのね、今私は生きてるわ)
お金を使うのはあっという間だったが、稼ぐことがこんなに難しく苦労するのだとお金の有難味が分かり、住むというのは旅とは違うのだと感じていた。
お金を使って宿に泊まり、飯を食うのが生きると言うことではなく、住む場所を見つけ地盤を固めるには色々なことをしなければならないのだ、自分が旅で生活していたのは只の浪費のお遊びのような感じがしていた。
(サム達に一生懸命働くのよって言葉は、自分に対して云っていたような気がするわ、私自身生きる意味が分かっていなかったわ)
人々の掲げる幸せには家や家族の為という生活費以外にも沢山の目標に向けて生活をしていて、マルティアーゼもまたサム達や此処にいるトムとスーグリ達との共同生活のために、今人生の中で一番、身を粉にしながら誰かのために一生懸命働いている事がとても嬉しく思っていた。
昔のマルティアーゼならば音を上げている仕事だったが、国を出て旅を続けてきた成果なのか、知らず知らずの内に体も丈夫になり体力も上がっていた。
元気な表情に疲れはなく、翌日には残っていた仕事を終らせるために町を出ていった。
「まだ先は長いわ、けど悠長なこともしてられない、私の生活はこれからよ、未来のための礎を作るんだから……」
ぼそりと馬上で呟いたマルティアーゼは、暖かい朝日に向けて進んでいった。