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スーグリがマルティアーゼに飛びついて来た。
「ううっ、マルさんマルさん……生きてたんだぁ……、良かったぁ」
「……ええ、ようやく帰ってこられたわ、とても長かった本当に……、貴方が此処で待っていると思っていたから頑張れたのよ、長い間待たせてしまったわね」
泣きじゃくるスーグリの頭を撫でながら二人は涙の再会を果たした。
何事かと通る人達の視線を浴びながら宿前で泣き続ける二人の前に、トムは外が騒がしいと宿から姿を現した。
宿の前で抱き合って泣いている女性を見て、トムは目を見開いて驚きの声を上げた。
「ひ……め、ママ……マルさんですか、よ……よくぞご無事で……」
守るべき主が目の前で立っているのが信じられないという風に、いきなりの帰還に夢でも見ているのではないかと、何度も瞬きを繰り返して幻ではないことを確認した。
「……ああっトム、貴方も生きていたのね、……とても心配していたのよ、あのままどうなってしまったのか、何も分からないまま一人アルステルを目指していたのよ」
「生きておられると信じておりましたよ、しかし……いきなり戻ってこられるとはどうも驚きです、それにその格好は……」
トムもマルティアーゼの不格好な服装に戸惑っていた。
「分厚い服が売ってなかったから何枚もの服を重ね着してこんな風になっちゃったのよ、もう雪が溶けてるかと思ってたけど結構残ってたわね、ふふっ」
「いえ……そんなことより早くお部屋に……、話すことが多すぎてこんな場所では落ち着いて話せませんので」
「分かったわ、馬を置いてくるわ、荷物をお願い」
話をする前にマルティアーゼはスーグリの部屋で着替えをした、何枚もの服を脱いですっきりとした服装に変え、髪もスーグリに結ってもらってからトムの部屋に向かった。
「ふう、何だかやっと落ち着ける所に戻ってこられたって感じね」
「いえいえ……、それより何処からどうやって戻ってこられたのかお聞かせ願いますか?」
トムがせわしなく早口に、早く事情を聞きたくてたまらない様子だった。
「そうねぇ……詳しく話せば長くなるから要約するけど、目が覚めた時、サン国だったわ……そこで盗賊に捕まっていたのよ」
「盗賊に……ですか?」
「まぁ聞いて頂戴……、サン国の侯爵に助けられて国王にも会ったわ、けど国王を怒らせちゃって国から追われる身になってしまったわ、サン国を出るまでに何人もの人に助けられてミーハマットまで出ることが出来たのだけれど、そこでガブと戦ったのよ」
「ちょ……ちょっと待ってください、話が追いつけませんよ、何がどうなって国に追われガブとも戦う羽目になるんですか?」
トムが手を振って話を遮ったが、マルティアーゼは難しい顔をしながら、
「いいから聞いてよ、一つ一つ細かいことを言ってたら話が進まないわ……、いいかしら、そのガブと戦って気を失ってた所をカルエ達に助けられて村に暫く滞在していたの、その時はもうアルステルの方は雪が降ってると思って暖かくなるまで待っていたのよ、それからひと月前ほどに村を出てプラハでサム達に会ったわ」
「サム達に……」
「ええっ……そこで雪解け時期まで一緒に過ごしていたの、それからミーハマットを出てアルステルに帰ってきたって訳よ、大変だったわ」
感慨深そうにため息を付いたマルティアーゼに、トムは手を振って否定した。
「いやいやいや……、どの話一つでも十分説明を聞かなくてならないことですよ、えっと盗賊にサン国王、ガブと戦ったとかカルエやサムのことも……何から聞けばいいのか色々ありすぎて混乱してますよ、それを大変だったなんて一言で片付けてもらっては困りますよ」
「……カルエ、サムって誰ですか?」
「貴方の知らない人達よ、旅の途中で出会った人達にまた会ったのよ」
「……そうなんですか」
他の土地のことを知らないスーグリは会話に入ろうとしてもついていけない話ばかりで、二人のやり取りを見比べるしか出来ずにいた。
「話を逸らさないで下さい、一体何があって盗賊に捕まったり国王にあったりするんですか、普通に起こりうる限度を越えてますよ説明して下さい」
トムの言い方にムッとしたマルティアーゼは眉をひそめて、
「そんなの私から望んだことではないわよ、成り行きでそうなっただけじゃない」
「また何かしら自分から首を突っ込むような事でもしたのではないですか、人助けだ何だのとしなくてもいいことまでしたのではないですか?」
「むうう……、何よ、ちゃんと帰って来られたんだから別にいいじゃない、どうして戻ってきてすぐに文句を言われないといけないの」
マルティアーゼが声を高々をあげて反抗すると、
「別に文句など言ってませんよ、どうして身の安全を考えずに無闇矢鱈と行動をするのかを聞いているのです、サン国王にも何か仰ったのでしょう、そうでなければ国に追われるような事にはならないですよね」
「あんな馬鹿国王なんてどうでもいいわよ、思い出すだけで腹が立つわ」
「…………」
トムにはその内容を聞くのが恐ろしく感じるほど、マルティアーゼがとんでもない事を国王に言ったのだろうと頭を押さえた。
トムにしてみれば一国の公女が他国の王と喧嘩しただなんて、こんな大事を簡単に「そうですか、大変でしたね」で終わらせることなど出来る訳もなく、どうしてこうも色々と揉め事を起こすのだろうと、我が主マルティアーゼを冷たい目で見つめた。
「サンでは色んな人出会ったわ、楽団の人達に出会って演奏を聞かせてもらったのはとても良かった……こんな長い楽器で低い音から高い音まで出すのよ、太鼓を叩いたりそれも踊りながらよ凄いでしょう、アルステルでもう一度聞いてみたいわ早く来てくれないかしら」
マルティアーゼは手を広げて長さを教えながら楽しそうにスーグリに話した。
「ごほんっ、サンの事はこの際置いといてガブの事はどうなんですか、あんな怪物と一人で戦うなど正気の沙汰ではないですよ」
「……五月蝿いわね、折角楽しいお話をしてるのに話の腰を折らないで欲しいわ、ガブのことはあまり覚えてないのよ、戦ってる最中に意識が無くなっていて気がついたらカルエの村だったんだから……、カルエから聞いた話だと、私の隣にガブの死体があったってだけでどうやって殺したのか殆ど覚えてないわよ、もういいでしょ、どうして貴方は帰ってきたばかりなのに気分を害することばかり言うの」
マルティアーゼは素っ気なく話すのが何とももどかしく感じたトムは、
「何を言うんですか、一歩間違えれば死んでいるようなことですよ、もう少し自覚というものをですね……」
「もおうぅ……五月蝿い! 貴方はどうしてああだったらこうだったらと起きてもいないことを問題にするの、私は此処にちゃんと無傷で帰ってきたのよ、これが全て、これ以上でもこれ以下でもないわよ、今此処に私がいることが結果よ」
細かいことを愚痴愚痴言うトムに、マルティアーゼの堪忍袋が切れて立ち上がった。
「いいえ駄目です、この先そんな考えで行動しているととんでもない後悔をしますよ、ちゃんと安全を考えて動かないことには周りの人達にも迷惑になります」
トムは尚もマルティアーゼを諭そうとするが、
「へぇ、それなら貴方は好きな所に行けばいいわ、私から離れれば安全になるんでしょう、さっさと好きな所に行けばいいのよ」
「あわわ……」
初めて二人の言い争いを見たスーグリは驚きながら見ていたが、二人のやり取りが熱を帯び始め喧嘩腰に発展していくのを、スーグリが間に挟まれながら慌てふためきながら交互に二人を見比べていると、
「行きませんよ、私は守ると決めているのですから、私ではなくスグリのことを言っているのです」
「えっ……私は……」
いきなり二人の熱い視線を受け取ったスーグリが、泣きそうな顔で身をすくませて何を言えばいいのか分からずにいた。
今までの話は自分の事で言い争っていたのかと、どこからそんな内容になったのかさえ分からぬままに話の中央に置かれてあたふたしていると、
「スグリはどうなの、私といたら不幸になるわけ?」
「スグリも今のうちに言っておかないと後で驚かないといけないことになるぞ、この人は加減というものが分からないのだ、行きたくもない所やどんな怖い思いをするものか知れたものではないからな」
「えっ……ええぇぇぇ、何かするんですか、私は……ええええっと……」
スグリが返答に困っていると、
「トム、それはどういう意味なの? 私がわざと危険な場所に連れて行くみたいな言い方ね」
マルティアーゼが一歩前に足を出してトムに顔を突き立てると、
「わざとなどとは言ってませんよ、放って置くとそういう場所に自然と足が向くのではないですか」
トムはすました顔でマルティアーゼの視線を受け止める。
「むっ……、じゃあ私は帰ってこなかったほうが良かったかしら、ずっとカルエの所で住んでたほうが良かったわ」
「それは向こうも迷惑になりましょう」
「なんですって!」
二人の言い合いは宿中に響き渡るほどまで大きくなると、
「だめええ! 喧嘩しちゃ駄目です」
スーグリが二人に勝るとも劣らないほどの大音量で叫んで、間に割って入ってきた。
「折角マルさんが帰ってきたのに喧嘩は駄目です、話は良くわかんないけど仲良くして下さい、二人とも座って!」