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一歩一歩に疲れが蓄積されていく。
振り返っても既に街道の見えない奥まで来ていたが、馬であればたいした距離でしかなかった。
戻りたいと此処に来るまでの間に何度考えたことか、その度に町に入れば休めるからもう少しの辛抱だ、引き返せば心が折れてもう二度とこの道に入りたいとは思わなくなってしまう、今は我慢の時だと自分に言い聞かせて進んでいた。
「はぁはぁ……、トムさん待って下さい、速すぎますよ」
トムが通った足跡を辿りながら付いて来ていたが、それでもスーグリには歩くのがきつそうだった。
「この調子だと暗くなってしまうかも知れないぞ、頑張れ」
ランタンや食料など野宿する道具を持ってきていないので、夜になって雪道の真ん中で立ち往生してしまえば凍死は確実で、半日の距離と聞いて悪くとも夕方までには着くだろうと、軽く考えていたのが仇となってしまった。
道は新雪が降ってから誰一人通った形跡がないようで、ふわりとした雪には二人と二頭が踏み散らかした足跡だけがくっきりと残っていた。
森に入れば頭上から落ちてくる雪にも気をつけなくてはならず、そこいらに小さな雪山が出来ていた。
途中、雪の溶けた木の幹に腰掛けて小休憩を取りながら、雪が落ちた木々から覗く空を見て、夜まであとどのくらいだろうかと気を病みながらクエイを目指した。
本当なら昼過ぎには着いているはずが、二人が町に入ったのは夜の帳が降りた頃だった。
暗くなり危険を感じ始めた時、町に明かりが灯り始めたお陰で命拾いができた、重い足を引きずりながら体はもう限界に近くぐったりとして、すぐにでも寝台に潜り込みたい気分だった。
「もう今日は遅い、宿に入ろう」
小さな町でもそれなりの店は整っている。
夜遅くにやって来たトム達に怪訝な表情を浮かべた宿主だったが、そんな顔を気にする余裕もなく部屋に入るとスーグリは二つある寝台の一つに倒れ込んだ。
「もう足がパンパンです、歩けませんよ」
「俺もだ、関節が痛くて堪らん」
二人共寝台で横になった途端、暫く無言で体から力が流れ出ていく脱力感に身を任せていた。
町は雪かきがされていて問題なく歩くことが出来たが、いきなり平坦な道に出て歩き方を忘れてしまったみたいに二人はぎこちない歩行で宿までやってきた。
隣から微かな寝息が聞こえてきた。
余程疲れたのか、スーグリは外套を着たままで寝てしまっていた。
「おいスグリ、そんな格好で寝たら風邪をひくぞ、スグリ」
トムの声さえ耳に入らないのか、足を寝台の外に放り出して大の字になったまま起きる気配はない。
「まったく……」
トムが起き上がり楽な格好にしてやろうとするが、体が軋み痛みが全身に走る。
「ぐっ……、これは明日久しぶりに筋肉痛だな」
トムは痛みを堪えながらスーグリの外套や革鎧を外してやり、スーグリは一向に起きる気配もなくなすがままに軽い格好にされて布団を被せられた。
「ふう……明日からの仕事に差し支えがなければいいが」
トムも軽い格好になると布団に入っていった。
空腹だったが食欲がなく疲れの所為で落ちるように意識が飛び、部屋からは二つの寝息が聞こえてきた。
二人が起きたのは昼を過ぎていた。
目覚めても体を動かせず、全身が悲鳴を上げていた。
隣のスーグリからはうめき声とも悲鳴ともつかない声が聞こえていた。
「スグリどうした?」
「ひゃっ……何でもないですよ、体が痛くて……」
「俺もだ、暫く動かせられないな」
意識だけははっきりとしているのに体は鉛のように重く、命令に反発して動くことを拒否してくる。
「最近運動をしていなかったからな、この痛みは久しぶりだ」
「……はい、そうですね、あの……トムさん」
スーグリがか細い声で尋ねてきた。
「なんだい?」
「えと……私、自分で服を脱いで寝ました?」
「いや、倒れ込んですぐに寝てしまったよ、名前を呼んでも起きなかったから俺が脱がせて寝かしつけたよ」
「………………ぐうう、み……見たんですか私の体」
声にならない声が布団の中から聞こえた。
「はははっ大丈夫だよ、見てないから安心しなよ、マルさんだってどこでも寝てしまうから寝かしつけるのはもう慣れてるよ」
「ぎゃ、ひいぃ……、いやぁ」
スーグリが布団の中で暴れているのを見なくてもトムには分かった。
一体何を暴れているのか知らないが、バタバタと布団が上下していた。
「トムさん、何処まで脱がしたんですか、ちゃんと答えて下さい!」
スーグリが興奮ぎみに言ってくると、
「何処までって革鎧を外したぐらいだよ」
「…………、じゃ、じゃあどうして私……裸なんですか?」
スーグリの服が寝台の下に散らばっていた。
「……俺は何もしてないよ、こんなに体が痛いのに女の子を襲う気力なんてあるわけないだろう、自分で脱いだんじゃないのかい?」
「…………!」
そろりと顔を出したスーグリは火が出るほど赤い顔をしていて、周囲を見回し自分の服を拾い上げると布団の中でもぞもぞと服を着はじめた。
「ははっ、スグリがそんなに寝相が悪かったなんて知らなかったな、マルさんと寝てるときもそうなのかい?」
スーグリは何も答えない。
服を着終えたスーグリがゆっくりと寝台から出てくると、無言で革鎧を身に付けていく。
「もう大丈夫なのかい?」
「……はい、どうもお騒がせしました……」
「じゃあそろそろ起きるとするか、一日中寝る為に来たわけじゃない、まだ日がある内に少しでも情報を集めておこうか、ぐっ……」
トムは筋肉痛に耐えながら、寝台から降りて柔軟体操で体をほぐした。
外に出ると町は廃墟のように静まり返っていた。
喪に服したように外を歩いている人は少なく、子供に至っては人っ子一人見かけない。
町を散策しながら何処か食事のとれる店を探していた。
それ程お腹は減った感じはしなくとも一日何も食べていないわけで、軽くでも腹に入れておこうと思っていた。
「人が少ないとは聞いてましたけど、殆ど人を見ないですね」
「うむ、これでは人に話を聞くことも出来ないな」
道を歩いているだけで二人を見ると、人々は逃げるように隠れてしまって苦笑いを浮かべるしかなかった。
「一応、デッセンさんから親戚宛に手紙を受け取ってる、その親戚の人と話が出来るように書いておくと言っていたが……難儀な町だな」
この時期に余所者がいること自体が不審がられているみたいで、何をしに来たんだと言わんばかりに睨まれながら町を歩いていた。
「トムさん、あそこの店に入りましょう」
僅かに開いてる店から肉の焼ける匂いがしてきて、誘われるように足が自然と向いていく。
腹が減っていないと思っていたのに、香ばしい油の匂いが鼻孔をくすぐると急にお腹が鳴り始めた。
「全身の血がざわざわとしてきました、肉にかぶり付きたい気分ですよ、これが血湧き肉躍るっていうんですかね」
「……」
二人が店に入ると、店主がいらっしゃいと声をかけてきた途端、口を噤んだ。
「店主、肉を二つくれないか」
「……何だいあんた達、何処から来たんだ」
店主の不機嫌そうな顔は明らかに二人を警戒している表情だった。
「俺達は依頼があって行方不明の子供達を探しに此処まで来たんだ」
「誰がそんな依頼を出したんだ、此処は余所者が来るところじゃねえよ、今町はピリピリしてるんだ邪魔をするなら帰ってくれ」
店主は手を振り二人を追い出そうとしたが、トムがそんな事で帰るはずもなく、
「そうはいかないよ仕事だからね、この町に住むオーランという人を知らないか、その人の親戚から捜索の手伝いをするように言われて来たんだ」
「オーラン? バンディの所に行くのか」
店主の顔色に変化があった、ひそめた眉から柔らかい表情に変わる。
「ああっ……」
「そうか、バンディが出したのか、それなら信頼が置ける、あいつは町長と同じぐらい人から信頼が厚いからな、なら話は変わるそこに座ってくれ」
態度が急変した店主は二人を座らせると、うまそうに焼けた肉を皿いっぱいに乗せて持ってきた。
「こんなに頼んでないが……」
「構わんよ、いっぱい食ってくれ」
トムとスーグリは目配せをして、仕方がないと無言で肉を食べ始めた。
肉汁の滴る大きな肉を口いっぱいに頬張りながら店内を見回したが、客は少なくトム達以外では二人しかいなかった。
この寒さで人々は家に閉じこもっているのか、店主が云ってたように事件のせいで町がピリピリと緊張をはらんでいて、なるべく外に出ないようにしているのかもしれない。
トムは食事の合間に店主に事件の話をしてみた。
「子供三人だけじゃねえ、雪が降ってからも捜索に行ってた大人も二人いなくなっちまったよ、何が起きてるんだろうね」
「捜索の人もですか……」
大人まで行方不明ともなると事件性が強まってきた。
「町のもんは皆家から出たがらねえ、夜は外出禁止になってるからな、それでも食料は買いに行かねえと保存食だけじゃ何にもならねえからな、こっちも売上が激減だぜ」
店主が腰に手を置いてため息を吐いた。
「ふむ……」
「バンディの所に行くなら多分あいつは町長の家にいるはずだ、毎日この先どうするか話し合いをしてるだろうさ、町長の家なら教えてやるよ」
「それはありがたい」