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「生きる道……もしここが夢の中だとして、私にそれを受け入れこの世界で今生を全うしなさいというの?」
「おいおい、それを私に当たるのはお門違いというものだ、もしここが夢だと云うなら私はお前さんが生み出した人物かも知れないんだよ、勝手に私を生み出しておいて私に文句をいうつもりなのかい、はははっ」
まるでからかっているように魔道士は笑って、
「ふむ、少し冗談が過ぎたかな、まぁ悪く思わんでくれ、人と話すのも久しいでついいたずらしたくなっただけだ、心配せずともいいさ」
「む……、こんな砂漠の真ん中でいう冗談ではないわ」
マルティアーゼはむくれた顔をした。
「助けてやったではないか、命の恩人に感謝ぐらいして欲しいものだ」
「魔道士にしてはさばけた性格なのね」
「それは偏見というものだ、学校では真面目で厳格であれと教えられたが、そんなのは社会に出たときの人との接し方を教えるための口実でしかない、魔導に関係無いさ」
「では貴方はここで何を?」
「私は修行のためにこの地に住んでいるのだ、魔導を極めるためにな」
「魔導を?」
「私はエスタルで魔導を修めたが満足することが出来なかったので、人の来ないこの地で己の魔導を極めるために修行しておるのだ、もう十年位になるがそれでもまだまだ足りぬ、お前さんの魔力に比べればまるで童に過ぎぬ……」
マルティアーゼは何か魔道士のフードの奥で光るものが見えた気がした。
「?」
言ってる意味が分からずマルティアーゼは押し黙った。
「お前さんが寝ている時に魔力が上がるのを見た、私が修行をした時間がまるで無駄に感じるほどの魔力を、お前さんがいとも簡単に出せるのを見てかなり衝撃的だったよ」
なおも魔道士は言葉を続けた。
「お前さんが何者かは知らぬが、その魔力の感覚は昔に一度感じたことがある、あの時に修行に出る決意をしたものだ、もしかするとお前さんエスタルの出身か?」
「……エスタル? 私はエスタルに行ったことがないわ」
マルティアーゼは首を傾げて答えた。
「そうか、もしやと思ったが違ったか、だがそれほどの力は並大抵でない、では何処から来たのだ」
「私はローザン出身よ」
「ローザン、あんな田舎から……」
魔道士は驚いたようだった。
「新興国だからって田舎扱いされるのはいい気分がしないわ」
マルティアーゼ自身、辺境国だの田舎だのと言っていたが人から言われるのは気分が悪かった。
「ふむ、私もこれで結構魔力が上がったと思っていたんだが、まだまだ世界には上がいるのだな……」
「助けてもらって何だけれど……、アルステルに行きたいの、どうやって行けば良いのか教えてもらえないかしら?」
しかし、魔道士の男は黙ったまま何かを考え込んでいるようで、フードに隠れた顔は一度たりとも確認できず、話し方からして若そうな言葉使いだったりと、何とも魔道士らしからぬ魔道士だった。
「…………」
どれだけ待ったか、マルティアーゼは水と肉を食べながら待ち続けていると、ふいに魔道士が顔を上げて質問をしてきた。
「時にお前さんは魔道士の弟子を取るつもりは無いかい?」
「え……弟子? 何よいきなり変な質問ね」
「これは失礼、私をお前さんの弟子にしてくれまいか? どういう修行をすればそれ程の魔力が持てるのかが知りたい」
「…………」
奇妙な質問だった、弟子にしてもらいたい魔道士が何故上から目線で頼んでくるのかとマルティアーゼは思った。
「取る気なんて無いわよ、それに修行なんてしてないわ」
「なんと……では魔導は何処で覚えたのだ?」
「……家庭教師に教わったぐらいだよ」
「……」
魔道士は言葉に困っているのが小刻みに震える体を見てよくわかった、魔導を覚えるのに勉強だけでこれだけの魔力が身につくのかと信じられない様子だった。
「なんと言ってよいのか……、お前さんが特別なのか……、お前さんのような者がこの世界にはまだいるということなのか、これは私の魔導というものを根本から考え直す必要があるな」
魔道士はブツブツ言いながらマルティアーゼを置いて歩き出していった。
「……え? ちょっと待って」
追いかけようと立ち上がったマルティアーゼだったが、足腰に力が入らずに倒れてしまった。
(あれ……、体が思うように動かない)
「ちょっと待ってよ、まだ話があるんだから」
「ん? ああっ……そうか」
すると、思い出したように魔道士が戻ってきてくれた。
「体力が落ちてるんだ、動けるようになるにはまだ時間が必要だぞ」
まるで付け加えたように魔道士が言ってくると、
「この渓谷から抜け出る方法はあるの? 北に行きたいのよ」
「ふむう、仕方がないな私が連れて行ってやろう、だがそこまでだぞ、私は修行の身なのだ、此処から出るわけにはいかぬ」
(此処から出られない……、何処かで聞いたような言葉ね)
魔道士はマルティアーゼを軽々と持ち上げて馬の背に乗せると、荷物を拾い集めて準備までしてくれた。
時折、ぶつくさと、
「色々と考えねばならぬことが増えたな……、これでも私は忙しいのだぞ」
などと文句を言ってはいたが、支度が終わると手綱を引いてマルティアーゼを渓谷の外まで連れて行くために歩き始めた。
魔道士は走っているのかと思うほどに馬を引っ張っていたが、走ってる様子はなく地面を滑るように進んでいて馬も早足で付いていく。
(変わった魔道士ね、悪い人ではなさそうだけど)
「ねえ、貴方の名前は何ていうの? 私はマールよ」
すぐに返答はこず、間を置いて、
「……カミュラだ」
「カミュラ?」
「私は自分の名があまり好きではないのだ、学校にいた頃は良くからかわれたものだからな」
「いい名前じゃない、可愛いわ」
「だからだよ、女の子っぽいではないか」
魔道士はぶっきらぼうに言った。
「そうかしら、別におかしいとは思わないわ」
「そうかい、ありがとうよ」
そこから静かに時間が流れ、二日間渓谷の間を黙々と歩き続けた。
夜はカミュラと話をしていたが、余り自分の事は話そうとしなかったし、マルティアーゼも話せることは限られているので、もっぱら話題は魔導のことやマルティアーゼの旅の話だった。
「さぁ着いたぞ、此処までだ」
渓谷を抜けると、一気に広がりを見せる荒野にマルティアーゼは深いため息をついた。
「やっと出られたのね……、こんなに深い渓谷だったなんて……一人では到底出ることが出来なかった、もうどこをどう通ってきたのかさえ思い出せないわ」
「自然の要塞だからな、誰も足を踏み入れる者がいないからここを選んだのに、ここにやって来たのはお前さんぐらいなものだよ、まぁ私も久しぶりに人との会話を楽しめたから悪くはなかったがね」
「ねえカミュラ、貴方にも旅をお勧めするわ、もっと色んな土地に行ってどんな人がいるのか見たほうが視野が広がるんじゃない、こんな人も来ない場所で修行するのもいいけれど、気がついたら魔導の進歩に取り残されているかも知れないわよ、まぁここが貴方の夢の中だったら時代は止まったままかも知れないけれどね」
魔道士の体がピクリと震えた。
「ふぬう、それだけ口が達者になったのであれば体の方も大丈夫だろう、お前さんの言ったことは考えておくとしよう、達者でな」
「ふふっ、ありがとうカミュラ、醒めない夢ならまた何処かで会えるでしょうね」
「早く行け」
マルティアーゼはカミュラと別れて荒野に飛び出した。
地平線まで広がる未踏の土地に蹄の道を作りながら、砂塵を上げて駆け出していった。