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銀の魔導   作者: 雪仲 響
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 また目が覚めると、記憶はなくただ気持ち悪さだけが込み上げてくる。

 もう何度目か分からなくなるほどの嘔吐だが、マルティアーゼには覚えはなかった。

 何度も夢を見ては無残に殺され、その度に目が覚めると何事もなかったように記憶が消え失せていた、そして夢を繰り返す内に徐々にマルティアーゼの体調は悪くなっているのに本人は気付いていない。

 見る者からすれば、頬は痩け落ち窪んだ目に輝きは見当たらず、そこに美しく輝くマルティアーゼの姿はなかった。

 それでもマルティアーゼはミラと共に旅を続けて夢を重ねていった。

 殺害の残酷さは度を増し、様々な方法でマルティアーゼに恐怖が植え付けられ何度も死を体験していった。

(よく寝たのにこんなに体が重いなんて、よっぽど疲れているのかしら……)

 抜け出せない夢の中、何が起きてるのかさえ気付きもしない。

 ミラに触れる感触もちゃんとあり温かさも伝わってくる、自分で考え自分で動けることに非現実な思考など入る余地もなかった。

「右よ」

 進む先に死が待ち構えているなど知る由もないマルティアーゼは、言われた通りの道を歩んでいく。

「ここで止まって」

「え? こんな所で……何もないわよ」

 谷間の途中で立ち止まるとミラは馬から降りて空を仰ぎ見た。

 何をしているのかとマルティアーゼも空を見ると、青い空に黒い点が見えた。

「……」

 何かがいた。

 黒い点がはっきりと見えてくると、それは大きな翼を持った鳥が一直線に落下してきた。

 巨大な鉤爪を前に出しながらそれはマルティアーゼめがけて舞い降りる。

「あああっ」

 咄嗟にマルティアーゼは杖を前面に構えて詠唱を唱えた、が、魔法は出ることはなかった。

「……えっ、何故?」

 巨鳥の鉤爪がマルティアーゼの眼前まで迫ってきてもう駄目だと死を予感した。

 するといきなり巨鳥の体が炎に包まれ燃え上がった。

「きぇぇぇ」

 悲鳴と共に巨鳥は地面に叩きつけられ炭になって跡形もなく消え失せる。

「……」

 何が起こったのかも分からず呆然としたマルティアーゼがミラに視線を移すと、彼女の美しかった顔は恐ろしいほどに崩れ、怒りの形相でマルティアーゼを睨んでいた。

「ミラ……何がどうしたというの、どうしてそんなに怒ってるの」

(……目を覚ませ)

「え?」

 渓谷に響く声は何処から発せられたものなのかその声が届いた瞬間、ミラの体にも炎が纏い付き、身悶えた彼女はマルティアーゼに憎しみとも取れる笑みを投げかけながら消えていった。

「ああっ……ミラ、……一体何が起こってるの」

(目覚めよ)

 もう一度誰かがマルティアーゼに言葉を投げかけてきた、優しく問いかけるような声は男の声だ。

「誰?」

(悪夢は終わりだ、意識を外に向けるのだ、そこはお前さんのいる場所ではない、戻ってくるのだ)

 明瞭にしてすぐ近くから声は聞こえてくる、その声の出処を探ろうと意識を集中した。

「苦しい……」

 溺れてもいないのに息がうまく出来ない、酸素を失い圧迫する胸は空気を求めて息をしようとするが、何かが詰まったように肺にまで空気が届かず、心臓の鼓動が激しく体中に伝わってきて急速に目の前が暗くなった。

(落ち着くのだ、さすれば息もできよう)

 言われた通りに落ち着こうとゆっくりと息をしてみた、熱くなった体にひんやりとした空気が入ってきて、少しずつ鼓動も収まりやがて楽に息が出来るようになってくる。

「ううっ……ううぅん」

「ゆっくりと目を開けてみよ」

 すぐ目の前で彼女を呼ぶ野太く響きのある男の声は、マルティアーゼの意識を一気に手繰り寄せる効果があった。

 ゆっくりと目を開けたマルティアーゼの目に入ったのは、茶色いフードで顔を隠した魔道士だった。

「目覚めたか、ぎりぎり間に合ったようだな」

「あ……あな……たは」

 マルティアーゼの口からしわがれた声が漏れる。

 口の中は乾き、ひび割れた唇からは血が滲み出てきて口端に伝って流れ落ちた。

「待っておれ、今水を持ってこよう」

 魔道士が水袋を持ってきてマルティアーゼの口に付けた途端、彼女は水袋を奪い勢いよく喉に流し込んでいく。

 渇きの極みなのか、乾いた土が水を一瞬にして吸い込んでいくのと同じ様に、彼女の喉は潤うことを忘れたみたいに水をとめどなく流し込んでいった。

「ごほっごほっ……、はぁはあ」

 息をするより水を欲した彼女はむせて苦しくなるまで飲み続けた。

「どのくらい寝込んでいたのか、それだけの渇きとなると数日は経っているか」

 魔道士は冷静にマルティアーゼを観察して言った。

「ここは……」

「慌てるでない、暫く休むが良い、もう大丈夫だ」

 魔道士は水袋を受け取ってマルティアーゼを岩壁まで運ぶと、持たれ掛かるように座らせた。

 その後、魔道士は少し離れた場所に移動すると、地面に座り込んで俯いたまま動こうとしなかった。




 頭上を見上げてどの位呆然としていたのか、思い出す記憶の断片に思考が追いつかず、気を抜くと霧散して忘れてしまいそうになる程曖昧な記憶だった。

 今はどちらなのか……。

 女性のおぼろげな姿、何か恐ろしい体験をしたような気がするがそれが何なのか思い出せない、今まで経験したことがないような絶望だった気がする。

(彼女……とは誰? どうして知らない女性を思い出したの……)

 混乱した記憶に浮かんできた女性、とても身近に感じる人物のように……。

 横を向くと魔道士は静かにじっとしたまま動く素振りすら感じられない。

(この人なら知っているというの……、私を呼んだ彼なら何か教えてくれるかも知れない)

 声をかけようとしたが言葉がうまく出てこない、お腹から悲鳴が上がり猛烈な空腹感に声に力が入らなかった。

 自分の荷物から干し肉を取り出すと、むしゃぶりつくように頬張り始めた。

 味や固さなど気にもとめず肉を噛みちぎり咀嚼を繰り返す、まるで動物にでもなったみたいに荷物の肉を漁ってお腹が満たされるまで食べ続ける。

(食べても食べてもお腹が膨れない、いつもはこんなに食べなくてもよかったはずなのに、今日・・はどうしてこんなにもお腹が空くのかしら)

 マルティアーゼが肉を貪り食う姿を見て、魔道士が側までやって来た。

「食事が出来るほどには元気か、では二、三日と言ったところだな、それ以上長引いておれば動くことも出来ないはずだ」

 魔道士は両手をローブに隠して俯きながら言ってきた。

 マルティアーゼは食べる手を止めて魔道士を見つめて、

「貴方は何が起きたのか知ってるの?」

 ようやく腹の虫が収まったのか、普段に近い声を出せるようになってきたマルティアーゼは魔道士に聞いてみる。

「私は何も知りはせぬ、ただお前さんが死に瀕していたことだけは分かる」

「死に……私が? 私はただ眠っていただけなのに、どうして死にかけていただなんて云うの、たった一晩少し寝すぎていただけで死にかけだなんて大げさだわ」

「お前さんは一日だと思っておるが、その乾きと空腹が一日だと思うのかい? 少なくとも二日以上は眠っていたであろうさ、これの所為でな」

 魔道士は手に持っていた物を広げてみせた、それは小さな昆虫の死骸だった。

「それはなに?」

「砂漠に住む熱虫だ、こいつは夜行性でな、光に集まり動物の血を吸って代わりに幻覚作用を及ぼす分泌液を注入するのだ、動物を大人しくさせてゆっくりと血を吸っていく、こいつは腹がこの何倍もの大きさまで膨れ上がるまでゆっくりと何日もかけて吸い続けていく、その間吸われた者は眠り続け夢の中で死んでいくわけだ」

 眼の前で死んでいる虫は長い羽根とくちばしを持ち、体はずんぐりとお尻が大きかった。

「それが私に……?」

 そう言われても信じがたく、いつこの虫に襲われたのかも覚えがなかった。

「眠り続けている間にもお前さんの体は衰弱して、知らぬ間に死んでいたであろうな、私が偶然この道を通らなければな」

「……あっ、じゃあ私の馬は?」

 突然、マルティアーゼは側にいた馬を思いだして周囲を見渡すと、馬は離れた日陰の場所に避難して枯れ草を食んでいた。

「良かった……逃げていなかったのね……、貴方に説明されても今だに信じられないわ、これは夢ではないのよね」

 すると、魔道士のはフードの奥から薄笑いが起こる。

「どうかな、夢も現も大差がないとは思うがね、どちらも何れは死が訪れる、どちらに存在を置くかの違いだ、世の中には死なずに眠り続ける魔道士という者がいると聞くが、お前さんは今どちらの世界にいると思う?」

「……」

 マルティアーゼは身の回りを見て考え込んだ。

 肌に触れる感触も実感できるし自分で体を動かす事に違和感もなく、見たい物や見える物の認識ははっきりとしている。

「はははっ、大丈夫だここは現だ、と言っても説得力がないかな、だが一つだけ確かな真実を伝えておこう」

「……それは何?」

「今の自分に確固たる自信を持って生きることだ、夢であろうが現であろうが、そこに立つ自分というものをしっかり自覚して生きていけばよいのだ、どちらの世界も己の生きるべき道に繋がっておる」

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